第36話 家庭教師

 昼下がりの駅前のファミレスは、パソコンを開いて作業しているサラリーマン、コーヒーを飲みながら読書している高齢者など様々なお客さんで賑わっていた。



「葵、この問題どうやって解くの?」

「ベクトルの垂直条件がこうだから、成分のaとbはこうなって……」


 期末テストが近いため、学校帰り僕は葵に勉強を教えてもらっていた。

 周りのテーブルも同じように、桜ノ宮女学院の生徒の姿がテスト勉強している。

 

「式を変形して、公式に当てはめるのは分かったけど、どうしてこんな風に変形していくの?」

「それは、なんでって言われても……」


 葵と僕とでは偏差値がかけ離れている。そのため、葵にとっては当然のことと思うことが僕には理解できず、葵も勉強は得意だが教えるのは苦手のようだ。

 以前の勉強会では茜や佐野っちがいてくれたので、葵の考えをかみ砕いてわかりやすく説明してくれたが、今日は二人とも部活できていない。

 そんなわけで、お店に入って1時間が経とうとするがあまりはかどらずにいた。


「ちょっと、ドリンクとってくる」


 理解の遅い僕に嫌気をさした葵が、気分転換のためかドリンクのお代わりをとりに席を立った。

 ドリンクバーでお代わりのカフェオレをいれた葵が戻ってくる途中、僕たちの前のテーブルのところで足を止めた。


「あっ、高橋さん」

「上園さん、久しぶり」


 葵に声を掛けられ立ち上がった男性は、茶髪に銀縁の眼鏡で軽妙な笑みを浮かべており一見チャラそうにみえるが、おしゃれなスーツのかっこよく着こなしている姿に底知れない何かを感じた。


「何してるの?」

「隣のテーブルでテスト勉強。隣にいるなんて気づかなかった」


 そう言いながら葵とその男性は僕の席まで一緒にやってきて、葵と一緒に僕の向かい合わせの席に腰をかけた。


「こちら高橋さん、去年まで私の家庭教師だったの。今は大学院卒業して、どこにいるんだっけ?」

「ああ、そういえば言ってなかったね。内定いくつかもらったんだけど、会社勤めは性に合わないかなってことで、卒業後に同級生とベンチャー企業立ち上げたんだよ」

「へぇ~、やっぱり高橋さんは、すごいな」


 葵は高橋さんを羨望のまなざしで見つめている。成績優秀で容姿も美しい才色兼備な葵のそんな表情見るのは初めてだ。

 葵から尊敬の念をもって褒められている高橋さんを、僕は呆然と眺めることしかできなかった。


「そんなことないよ。ベンチャー企業なのに、今も商談がまとまらずカツカツだよ。ところで、今は何勉強してるの?」

「数学よ、ベクトル。自分では解けるだけど、夕貴の理解力が悪くてイライラしてたところ」

「どれどれ?」


 高橋さんは僕のノートをのぞき込んだ。


「あ~、これね。公式に当てはめるやつね。公式が使えるように、式を変形していくのがポイントだね」


 高橋さんは一目見ただけで、問題のポイントを解説してくれた。

 そして、僕に先生のように理解できるようゆっくりと丁寧に話しかけた。


「数学のコツはね、問題文に書いてあることをまず数式で表してみる。そのとき分からないところはaとかxとか文字で置いて、とりあえず式で書いてみる。次にグラフとか図に表してみると、何をすればよいか見えてくる」

「そうなんですか?」

「同じような問題いくつか解いていくうちに、パターンが身についてくるから今教えた感じでこっちの問題も解いてみて」


 高橋さんは問題集を開いて、僕に差し出した。受け取った僕はさっそく問題に取り掛かることにした。

 言われた通り、問題文に書かれていることを数式で表してみた。


「そうそう、そんな感じで、分からなくてもまずは書いてみる」


 数式を書いてみると、何となく使うべき公式が見えてきたので、使えるように式を変形していった。

 先ほどまで何をしてよいかわからず手が止まっていたのに、進むべき道筋が光で照らされているかのように、何をすれば良いかわかるようになった。


「いい感じだね。あとは計算だけだから、最後までやり切ってみて」


 僕が問題を解いている間、暇をもてあました葵が高橋さんに話しかけた。


「さすが、高橋さん、教え方上手だね。馬鹿な夕貴にイライラしていたから、助かったよ」

「たいしたことないよ」

「そういえば、私が全国一位になったの、高橋さんに言ってなかったね。一位とれたのは高橋さんのおかげだよ」

「お~、それはすごいね。僕が教えていたころは2位が最高だったから、上園さんの努力の成果だよ」


 高橋さんは横に座る葵の頭をそっと撫でた。撫でられた葵は、うっとりとした表情で高橋さんに肩を寄せている。そんな子供のように甘える葵を見るのも初めてだ。


「ところで、商談断られたって言ってたけど、何の仕事してるの?」

「AIをつかった翻訳システムだよ。物は良いと思うんだけど、なかなか売れなくてね、今プレゼン用の資料を作り直していたところ」

「それだったら、うちの系列のホテルで使えそうだから、おじいちゃんにお願いしてみるね」


 葵はカバンからスマホを取り出すと、通話を始めた。


「あっ、おじいちゃん。高橋さんが、そう、去年まで家庭教師してくれていた、翻訳システムをうちのホテルに売り込みたいんだって。お願いできるかな?あっ、うん、わかった、伝えておく」


 通話を終えた葵は、笑顔で高橋さんと向き直った。


「高橋さん、採用するかどうかは分からないけど、話は聞いてくれるって。あとで、担当の人から連絡があるから、時間とかは打ち合わせてって」

「ありがとう、それだけでも助かったよ」

「今日、夕貴に教えてもらったお礼よ」

「それだけじゃ、申し訳ないな。そうだ、ちょっと待って」


 高橋さんはポケットからスマホを取り出した。スマホを操作して、何かを確認しているようだ。


「そうだ、お礼じゃないけど、今度うちのマンションで僕の会社に投資してくれる人招いてホームパーティーするんだ。良かったら来ない?」

「え~、そんな大人の世界に高校生が行って、迷惑じゃない?」

「大丈夫だよ、海外投資家の人が日本の若者カルチャーに興味があるって言ってたから、逆に来てくれる方がありがたいよ」

「それなら、行こうかな」


 ホームパーティーとか投資家とか僕とは縁のない世界の会話に、口をはさめずいた僕は黙って問題集の次の問題を解くことにした。


「あっ、良かったら、下野さんだっけ、君も一緒にどう?」


 突然のお誘いに僕は計算を止めて、手を振って固辞した。


「葵と違って平凡な庶民ですし、あとこんな格好してるけど男子です」


 言っているうちに恥ずかしくなって、下を向いてしまう。

 スカート履いてかわいくなるのに抵抗はなくなったとはいえ、未だに自ら男子とバラすのには抵抗がある。


「葵からさっき聞いて知ってるよ。むしろ、平凡な庶民の方が市場調査として意味があるし、LGBTにも理解のある人たちだから大丈夫だよ」


 熱心に誘ってくる高橋さんを見て、これ以上断り続けても失礼かなと思い、ホームパーティーへの参加を決めた。

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