23.「それが今なんだと思う」

 手紙よりもまず先にしておかなければいけないことがあった。

 突然家に押し掛けた私を、隼人は驚いた顔で見ていた。


「おじいちゃんの傘、返しに来た」

「お、ありがとう……」

 なんとかして誤解をといておきたいと思って隼人にメッセージを送ったけど、タイミングが合わなかったり、別の用事があると言われたりして、なかなか会えずにいた。

 だから、突撃するしかなかったのだ。


「あ、あがってけば」

 隼人が困ったように言うので、私は少し傷ついて首を振った。

「もし時間あったらちょっと話そうよ。歩きながら」


 隼人は少し迷っていたけど、私が歩き出すと大人しくついてきた。

「なんか夕方なのにまだ明るいね」

「夏だしな」

 生ぬるい風と、虫の声。青くさい夏の匂いがする。

 呼びだしたは良いものの、どう切り出してよいかわからずにいると、先に隼人が口を開いた。


「……手紙、書けんじゃん」

「え」

「この前、たまたま見ちゃったんだよ、静葉と男子が話してるとこ。手紙、渡してただろ」

「……あれは、違くてっ。頼まれてたものを渡しただけ!」

 私は必死に否定した。


「頼まれた? なんで」

 訳が分からない、といったように眉をひそめる。それはそうだ。

「それは色々あって……。でも、嘘だから。彼氏いるとか言ったの。バカにされたの悔しくてとっさに言っちゃったの」

 隼人は私を見つめて何度かまばたきを繰り返した。


「最近流行ってんの? 手紙とか。俺も最近くるんだよな、そういうの……」

「え、安藤のこと?」

「は、なんで知ってるの……、て同じクラスだもんな」

「だからってわけじゃないけど」

 別に安藤は言いふらしたわけじゃない。私にだけ、言ったのだ。


「なんか安藤さ、最初はちょっと派手だし、怖かったんだよ。いかにも女子って感じで」

「まあ、わかる」

 だよな、と隼人は少し笑った。

「でも、別に話してみたら悪い子じゃなかった。なんつーか、正直すぎるところもあるけどさ」

「うん」


 気がつくと、私たちは初めて話した神社までたどりついていた。

 少し歩いてきたから、おでこがじっとりと汗ばんでいる。

 隼人も、Tシャツの襟もとをパタパタあおいでいた。

 あのとき二人で話した大きな樹に、隼人がよりかかる。

 木の葉が重なって、隼人の顔に影を描いた。ここから、表情はうかがえない。


「俺、安藤から、ちゃんと手紙受け取ろうと思う。今までもあったんだよ、もらうこと。でも読めなくて、返してた」

「そうだったの……」

 私は心臓がちくりと痛んだ。もしかしたら、返された手紙の中には、私が代筆したものもあるかもしれない。


 そして、隼人が手紙を受け取るということは、つまり安藤に対して前向きな気持ちを持っているということだ。


「たぶん、これからも手紙ってもらうことがあるんだろうな。そういう時に、相手の気持ちから逃げてるままじゃ駄目だなって。いい加減、前向かなきゃないんだって、それが今なんだと思う」


「そう、だね……。すごいね、隼人は」

 やっと絞り出した言葉は、全然気の利いた言葉じゃなかった。


「静葉、だからあんま無理して俺に付き合わなくていいよ」

「は?」

 いきなり突き放されて、私は驚きを隠せなかった。

 え、どういう流れで?


「なんかさ、この前静葉が男子と話してる時に、思ったんだよ。静葉だって、もう違うクラスで、違う場所でどんどん前に進んでいくんだなって。そん時に、俺が邪魔になってたら」

 私は言葉を遮って声を荒げた。


「バカじゃないの? なに勝手に感傷的になってんの。全然そんなことないんだけど」

「じゃあなんで彼氏いるとか嘘ついたわけ。俺のせいで彼氏できないって思ってるんじゃねえかって、こっちは心配だったんだよ!」

 隼人もいつもはしない強い口調で言う。でも、その顔はどこか悲しそうで、私の胸のなかをぐちゃぐちゃにした。


「それはっ……」

 すぐに言葉が出てこなかった。冷静になれば、理由なんて単純なのに。

 私は、隼人にこんな顔をさせたいわけじゃない。


「まあ、ちょうどよかったんじゃね。いつまでも、アホなことして笑ってるだけの関係じゃいられないんだよ、俺ら」

 そう言って、隼人は先に帰っていった。

 私はしばらく、樹のそばで立ち尽くしていた。


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