14.「行こう」

 提出期限を過ぎて白紙のまま出した私を、担任の教師はひどく叱った。角刈りの中年で、『野球部の鬼顧問』と呼ばれている、とにかくうるさい奴だった。


「今まで育ててくれた親に感謝の気持ちはないのか」

 勝手に産んだ責任を果たしてるだけじゃん。

 何にも答えないでいると、今日は書き上げるまで帰さないと言って、担任は目の前に机を持ってきて、どかっと座った。


 目の前で担任が宿題の丸付けをする音だけが聞こえる。

 とにかく嘘でも書かないと解放されないとわかった私は、悔しくて涙がこぼれそうになりながら鉛筆を走らせた。


 そうだ、架空の親に手紙を書こう。

 お母さんは優しくて、すぐに声を荒げたりしない。いつも余裕があっておしゃれ。

 お父さんはすぐにお母さんを責めたりしない。頼もしくて、わからないことはなんでも教えてくれる。

 私は素敵な両親のもとに生まれて幸せです。ありがとう。


 書き終わるころには泣いていた。クツジョクの涙だった。

 それを先生は盛大に勘違いをしたようで、私の頭を雑に撫でた。

 さらには「そうだよな。俺もガキの頃は素直になれなくて……」とキモい自分語りをし始めた。


 本番の日、当然ながら両親は来なかった。

 人気者のレンヤは照れながらも美人なママに感謝の気持ちを伝えて、微笑ましく温かい空気に包まれた。

 一番おとなしい眼鏡のサクラちゃんは、後半は感極まって泣きながら、彼女にそっくりな眼鏡のお父さんの涙を誘った。


 そして、私の番がきた。

 手紙をおくる相手はいない。だって想像上の親だし。そして、それを読み上げる本人もいない。それどころじゃないから。


 なんて拷問なんだろう。

 最初の一文を声に出すと、喉の奥がねばついて、かさついた声が出た。

 文句なしの成績を残した人気者のレンヤが「がんばれ!」と余計な一言をかける。周りもそれに便乗した。

 心の底からへどが出そうだった。


「私、私は……。お父さんもお母さんも、だいすきです」


 一気に嫌悪感が襲ってきて、吐きそうになる。

 これを本当に私が書いたの?

 まるで醒めない悪夢を見ているようだった。

 手が震える。お腹の奥がきゅうっと苦しくなる。

 嘘をついた手紙は、読むたびに、心の中を真っ黒く塗りつぶしていく。

 このままでは自分が、自分でなくなってしまう。


「すみません、お腹痛いのでトイレに行きます」

 私は原稿用紙を机に叩きつけると、逃げるように教室を去った。


 視界はすぐに涙でぼやけて、足に力が入らなくてだんだんと歩けなくなった。

 みじめだ。

 どうして、大人たちのせいで私がこんな思いをしなきゃならないんだろう。

 だれも助けてくれない。

 もう、いなくなりたい。


「大丈夫?」

 その時、しゃくりあげる私の肩に、あったかいものを感じた。誰かの手。

「だれ……」

 同じクラスの町屋隼人だった。でも、一度も話したことはない。

 いつもむすっとした顔をして一人で座っているから、女子から怖がられている。


 隼人は私の隣にしゃがみこむと、新幹線のキャラクターがついたハンカチを渡してくれた。

「先生に保健室に連れてくって言ってきたから。行こう」

「私ほんとは具合悪くないから、大丈夫」

 ハンカチを両目に押し当てると、目の奥がかっかと燃えていた。

 今はこんな姿、誰にも見られたくなかった。

「嫌なら、置いていく。でも山路、遅いとぜってー探しにくるよ」

 山路というのは担任のことだ。

「いやだ……。もう帰りたい、でも帰れないよ……」

 早退したら、迎えに来てもらわなきゃいけない。そうなったら絶対怒られる。


「わかった」

 隼人はぽん、と膝をたたいて立ち上がった。

 私も隼人の手を借りて立ち上がる。

「なに?」

「さぼる」

「え?」

 隼人は口に人差し指を当てると、手で「ついてこい」とジェスチャーした。


 授業中の静かな廊下を、二人で手をつないで静かに通り過ぎる。

 まるで冒険みたいだった。

 隼人は非常口から学校の裏へ抜ける秘密のルートをしっていて、私たちは難なく脱出することに成功した。

 隼人がいるだけで、世界がぜんぶ輝いて見えた。

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