幕間:入り込んでいた豊かな世界
グーデルト城を出てから、馬車はあまり休憩を取っていない。俺が出来るだけ早く王都に戻りたいと言ったからだ。離れて全てを忘れたかった。1日で予定よりも街1つ分先に進んでいる。
リリイナは見送りには出て来なかった。領主夫妻とジリアム、その妹だけで彼女の姿は無い。1年間森の案内を頼んでいたのだから不在の理由を聞いても不自然では無いと思ったが、会って平常心を保つ自信が無かった。
俺は自分の力の無さに打ちひしがれていた。彼女は俺と一緒に王都に行く事を拒んだ。10日後にはあの屑と結婚する。あの屑よりも自分はずっとまともな人間だと思っていたが、彼女に選んでもらえなかった以上、俺はあの屑に比べて何かが足りないのだろう。
懐から彼女に貰ったお守りを取り出して握りしめる。
(あの時、確かに彼女は俺の事を大切に思ってくれた)
俺との未来は選んでもらえなったけれど、森の相棒としては、彼女に大切に思われていたと思う。最後に会った時に抱きしめた彼女のぬくもりを思い出す。あの涙は、俺との1年を大切だと思ってくれた証だと考えるくらいは許されるだろう。
涙が出てきそうだ。
窓の外を眺める。牛が数頭ゆったりと草を食んでいる。
(あれは、何を考えているんだろうな)
頭の中のリリーナに話し掛ける。
『お腹すいた、草が美味しい』
彼女が妙な声色で言うのを想像する。違う。彼女はそんなつまらない事を言わない。俺が思いつかないような、おかしな牛の会話を聞かせてくれるはずだ。
(まずいな、これはもう病気だな)
何かを見たり聞いたりするとつい、脳内のリリイナに話し掛けてしまう。彼女の豊かな世界が俺の頭の中にまで根を伸ばしていた事に全く気が付かなかった。王都に戻っても彼女の事を忘れられるとは思えない。
大きくため息をついた。
(物分かり良く引き下がらなければ良かった。もっとしつこく説得すれば良かった)
頭の中には、あの時こうすれば、もっとこうしていれば、後悔しかない。
(俺の想いを、ちゃんと伝えれば良かった)
ガタン、と馬車が止まり外で誰かが言い争う声が聞こえる。気になって窓から覗くが見えない。窓越しに御者に尋ねると、俺と話したいという騎馬の者が来ているという。
ユリア・グーデルト、御者が口にした名前に嫌な予感がして、すぐに扉を開けた。俺の姿を見るなり、皮の胴着を着たユリア・グーデルトが駆け寄って来る。腰の剣に手をかけそうな気配に、馬車を護衛する兵に緊張が走る。
「オズロ・ハインクライス! 卑劣な真似はやめなさい!」
熟練とは言えないまでも警備隊長を名乗るだけあり、護衛の兵との技量差は自覚出来るのであろう。剣から手を離し、立ち止まって俺を睨みつける。
「卑劣とは?」
全く心当たりがない。俺の回答が気に入らなかったのだろう。ユリア・グーデルトは更に顔を険しくして睨みつけて来た。
「お義姉様はどこ?」
「リリイナのことか!」
どこ?そう言った。彼女がどこかに行ったという事か。
「あなたが連れて行ったんでしょう? どこにいるの!」
最後に会ったのは一昨日の夕方、オドブゥールの森の小屋だ。昨日の朝、このユリア・グーデルトも含めた見送り達に変った様子は無かった。
(俺が連れて行ったと疑っている)
馬車を急がせていたから進みが早いとはいえ騎馬で駆ける方が早い。恐らく、昨日の間に彼女の行方不明が発覚し、昨日の夜にユリア・グーデルトは城を発って追いかけて来たのだろう。
「森は確認したのか」
俺の厳しい声に、ユリア・グーデルトが怪訝な顔をする。すぐに俺が本当にリリイナの行方を知らず、逆に心配している事を理解したのだろう。口調を改めた。
「義姉は昨日の朝、部屋から姿を消しました」
(兄よりは頭が回るようだな)
「着替えた様子が無く、恐らく寝間着のままです。外から誰かが手助けして衣服を用意していない限り義姉は⋯⋯リリイナは寝巻のまま裸足でいるはずです」
森を良く知る彼女が、そんな姿で森に行くはずがない。
「あなたがここに来たという事は、他に心当たりが無いという事か」
ユリア・グーデルトは少し俯く。
「城の敷地内はくまなく調べました。姿を見たという使用人もいません。城の出入りも確認しましたが、それらしき人物はいませんでした。出入りは厳しく確認していますから、変装していた可能性も低いでしょう。本当に消えてしまったかのように、何の痕跡もありませんでした。だから、私はあなたが何かをしたと思って⋯⋯」
「城内か」
ユリアがはっとした顔をした。
「城には人の目に触れさせずに、監禁出来る部屋があったはずです」
「俺が企むなら、捜索の目が城の外に向いて城内の監視が手薄になった所で外に移すだろうな」
ユリアが青い顔をして俯いた。失策に気付いたのだろう。
状況は深刻に思える。俺は近くの街で情報を整理する事を提案し、ユリア・グーデルトは素直に従った。
最低限の者だけを残し馬車は王都に行かせた。俺はユリアを連れて一番近い街に向かった。街に入ると、先に遣っていた従僕の先導で人払い出来る場所に向かった。
「もう一度、正確な状況を教えてくれ」
ユリアが改めて状況を説明する。やはりユリアが出立した時点では城内にいると考えるのが自然だった。
「それが可能なのは、領主夫妻とジリアム。その他には?」
苦しそうな顔をして唇を嚙みしめていたユリアが声を絞り出した。
「いません。恐らく⋯⋯リリイナを監禁しているのは兄でしょう」
「そう思う理由は何だ。領主夫人とも折り合いが悪かったと聞いているが」
「母にそのような行動力はありません。それに、兄とリリイナの婚約解消を反対していて、今までとは打って変わってリリイナに寄り添う態度を見せていました」
「今、婚約解消と言ったか?」
どういうことだ。ジリアムとリリイナは近日中に結婚するはずでは無かったか。
「2週間ほど前の事ですが、急に兄がリリイナとの結婚を白紙に戻して一方的に婚約を解消してしまいました。理由を聞いても一切答えず、誰の意見にも耳を貸しません」
「彼女に理由を聞いたか?」
ユリアは深いため息をついた。
「両親と私は、リリイナと接触する事を禁じられました。破れば、即座に彼女を実家に送り返すと言って厳しく監視していました」
あの実家になど戻せない。領主夫妻も彼女の義姉とジリアムが情を通じている事は知っていたらしい。そんな所に彼女を戻すのはあまりに惨い仕打ちだと、手をこまねいていたそうだ。
2週間前。彼女が急に手伝いに来なくなった頃だ。
(なぜ、最後に会った時に何も言ってくれなかったんだ)
そんな状態でも一緒に来る事を拒否したのか。自分はそれほどまでに頼りない存在だったか。婚約解消されてもなお、あいつを愛していたのか。しかし、今は思い返す時ではない。
「兄の振る舞いは明らかに普通ではありません、動機は分かりませんが、兄だとしか考えられない」
ユリアの推測が妥当だ。
「先ほども言ったが、もうどこかに移した可能性が高い。城内と城外の捜索を続けながら、ジリアムの動きを調べるしか無さそうだな」
ユリアはジリアムを庇うそぶりを見せない。リリイナを救いたいという気持ちに嘘は無いと判断し、やるべき事を指示した。
「決してジリアムに、疑われている事を気取らせるな」
俺はグーデルト城と連絡が取りやすい街で滞在が漏れない場所を選び、ユリアと連絡を取りながら調査を進めた。王都にも、信頼のおける者を数名寄越してもらえるように連絡した。
しかしこの辺境の地は遠すぎる。急いでも応援の到着までひと月近くかかる。ジリアムの意図が分からない以上、彼女がかなり危険だと想定して動くしかない。
ユリアもどれだけ調べても、ジリアムの動機が全く分からないと戸惑っていた。
(俺が連れて行く事を心配していたのか?)
そうだとしたら、彼女が姿を消したのが俺が出立する直前だという事も腑に落ちる。しかし婚約を解消した理由が分からない。
俺たちが彼女の行方を掴めないまま1か月が経過した。これだけ消息がつかめないと、彼女の生死すら希望が持てなくなってくる。
(なりふり構わずに説得するべきだった)
俺はいつもそうだ。事が起こってからしか動くことが出来ない。食べられず眠れない日が続く。
ジリアムが城では夕食を取らずにどかに行っている事は分かっていた。しかし、かなり警戒して慎重に行動しているようで、どうしても行先が掴めない、追っても撒かれてしまうとユリアが悔しそうに言う。気づかれるわけにいかない以上、無理に追うことが出来ない。
「大丈夫だ。彼女が無事だという希望は持てた」
ユリアを励ます言葉は、自分に向けたものだった。
状況が変わったのは、やっと王都から到着した兵士達の働きのおかげだった。ユリアが新人の警備兵として城に引き入れると、優秀な彼らはあっという間にジリアムの行先を特定し、リリイナの生存を確認した。
使用人を取り込もうとしたが、ジリアムは相当慎重に使用人を選んでいたようで引き入れる事は叶わなかった。
「無理やり連れ出すしかないな」
兵士が外から確認した限りでは、彼女は拘束される事もなく健康そうだという。
「熱心に逆立ちの練習をされているようでした」
「何だって? 逆立ち?」
数回聞き直したが、逆立ちをして歩く事に熱中していたとのことだった。
(リリイナらしいな)
俺はやっと安心できた。彼女なりに心が折れないように、頭の中の豊かな世界の中で気持ちを保っているのだろう。
失敗すると彼女の身に危険が及ぶ。ユリアと兵士と共に慎重に計画を立てた。
「ジリアムは2時間ごとに、状況を報告させている」
夜中も含めてずっとだ。その執念に驚く。報告が止まって異常に気付く前に、彼女を連れ出さなければならない。俺達は慎重に最適な機会を待った。
「行きます」
素早く兵士達が動く。瞬きする間に門番の意識を落とし、庭を警戒している警備兵の意識も落とす。そのままするりと家に入りあっという間に、全ての使用人を無力化した。
「死んでないわよね⋯⋯?」
ユリアが身動きひとつせずに横たわる使用人の息を確認している。
兄には人生最大の危機だと伝えて兵士を送ってもらった。相当に優秀な兵を送ってくれたのだろう。心の底から感謝した。
彼女を怖がらせたくないので兵達には、彼女の目に触れない距離からの護衛を頼んだ。彼女がいるという部屋の前に、ユリアと俺は立った。
少し前に使用人を呼ぶ鈴の音が聞こえていた。誰も来ない事に不審を覚えたのか、扉はユリアが開けるより早く内側から開かれた。
リリーナの姿が目に入る。
ユリアが彼女に抱きついた。
「オズロ?」
なぜか俺の名を呼ぶ。その響きは、ずっとずっと聞きたかったもので、俺は泣きそうになった。
「ユリア! ユリアね!」
「リリイナ! やっと会えた!」
ユリアに抱きつかれたまま、彼女の瞳が俺に向く。
「オズロ!」
時が止まった。彼女を今この手で抱きしめられるなら、俺はもう何もいらない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます