嵐の夜に灯る光
その後、タイラー・デクストンは事あるごとに、私に話し掛けようとした。私は出来る限りそれを避ける。彼とは何も話したくない。彼の顔を見ると舞踏会の日のジリアムの事を思い出してしまう。
「おはよう、ジリアム」
「俺の可愛いリリイナ。今日も触れてくれないの?」
ジリアムの優しい微笑みはもう以前のようには私の心を浮き立たせない。私の心の半分はあの日に凍り付いてしまった。
「お母様いい加減にして。くだらない事を言うのはやめて!」
ユリアの怒りに満ちた声が食堂に響き渡る。ユリアがタイラーに稽古を付けてもらいはするものの、それ以外の接触を一切断るため、気を利かせたお義母様がタイラーとユリアが二人で話す機会を作ろうと画策し、ユリアを怒らせてしまった。
「私は騎士としてのデクストン様を尊敬して武術を教わっているだけよ。男性としては全く興味が無いわ。私は結婚するつもりが無いと何度も言ったでしょう?」
しつこく食い下がるお義母様にユリアも負けていない。お義父様とジリアムは苦笑しながらそれを見守る。
ユリアはオズロの家に向かう私に並んで歩きながらこぼす。本当にうんざりしているようだ。
「私だって、本当に愛する人が現れたら結婚したくなるかもしれない。でも、そういう人がいないんだから仕方ないじゃない」
少なくともタイラーは違うようだ。私はあの人が好きではない。ユリアと結婚しなくて良かったと安心している。
「リリイナは、本当にお兄さまと結婚したいのよね?」
ユリアの声に緊張が混ざっている。舞踏会の日の事は話していない。でも先日のオズロへの質問のこともある。ユリアも何かを知っているのかもしれない。
「ええ。早くお義母様に認めて頂いてジリアムと結婚したいと思ってるわ」
私にはその道しかないのだから。
◇
「今日は天候が荒れると思うの。だから、しっかり戸締りをしてね。あとすぐに寒くなるから温かい寝具を用意した方がいいと思う」
帰りがけにオズロに念を押しておいた。この嵐が過ぎるとこの地域は冬になる。雨が少ないため雪はほとんど降らないけれど気温は驚くほど下がる。
森の小屋もしっかりと戸締りをして窓には板を打ち付けた。嵐の準備をしていたので、今日は鐘や塔に行くのが遅くなってしまった。
急いで塔に向かい、それぞれの塔の窓の雨戸を下ろし、しっかりと窓を確認する。
オズロの家の傍らにある塔に向かう頃には、すっかり日が落ちて雨と共に強い風が吹き始めていた。鐘の近くの塔から始めると、いつもこの塔が一番最後になる。
義両親は近くの友人の家に出掛けている。何もこんな日にとのユリアの言葉に耳も貸さずに出かけていった。
(夕食に遅れても文句を言われないのは助かるわ)
私は服についた水滴を振り払ってから、下の階から順番に窓を閉めて行く。全部で6階。5階に登ったところで、そこに人がいる事に気付いた。
「ひっ!」
床に座り壁にもたれていたのはタイラーだった。小さな灯りの傍らでお酒を飲んでいるようだ。
「化け物じゃないんだ。その驚き方は酷いだろう」
ゆらりと立ち上がって、こちらに向かって歩いて来る。
「申し訳ありません。誰もいないと思っておりましたから」
このタイラーはすごく嫌だ。今すぐ走って逃げ出したいけれど、この階の雨戸を下ろしていないし最上階の灯りも付けていない。
「灯りを付けます」
この階の窓は最悪の場合には諦めよう。明かりだけは点灯しようと横をすり抜けて上の階に向かおうとするも、強く腕を掴まれて引き寄せられた。
「なあ、俺は妹を嫁にやるってあいつが言うからさ、わざわざこんな辺境まで来たんだよ。それなのに肝心の妹が俺に興味ないって。ひどいと思わないか?」
酒の匂いが気持ち悪い。私は少しでも離れようと腕を引っ張るけど全く力を緩めてもらえない。
「騎士として尊敬しているとユリアから聞いております」
「はっ! 騎士として? 欲しいのはそんな言葉じゃないな」
一生懸命にこの場を切り抜ける方法を考える。
「灯りを点けないと心配して人が来てしまいますから。お話の前に上に行かせて頂けませんか?」
人にこんな醜態をさらしたくないだろう、そう思ったのにタイラーは笑みを浮かべる。
「駄目だよ。点けちゃ駄目なんだよ」
タイラーは私を軽々と持ち上げるようにして壁まで連れて行く。そして、私を床に突き倒して足で押さえると懐から縄を取り出して窓枠に結んだ。そして私の腕を掴んで引き起こし、床に座らせると私の両腕を後ろに回して縄で固く縛った。
一連の行動を、さも当然のように鼻歌でも歌いそうな気軽さで行う。私は彼を刺激する事が怖くて、叫び声すら上げられない。
「分かってるじゃないか。騒いでも痛い思いをするだけで無駄だ」
タイラーは楽しそうに笑う。
「捕虜を縛る時は、もっと身動き出来ないようにするんだが、あんたはちゃんと立場をわきまえてるみたいだからな。それでしばらく我慢するんだ」
タイラーは私から少し離れた元いた場所に座り込むと、また酒を飲み始めた。
「ユリアから聞いたんだ。すべての塔の灯りが点くのを確認してるって。遅い時にはあんたに何かあったんじゃないか心配になるって」
「ユリアをおびき寄せようとしているのですか?」
「嫌な言い方をするなよ。照れ屋のご令嬢を逢引きに誘ってるんだよ」
楽しそうに笑って酒を呷っている。
(明かりが点けばユリアは来ない)
魔道具の灯りは1階上にある。宝石を納めているガラス箱の突起に魔力を注ぐと点灯する。どうにかして、あの突起に魔力を注ぐ事が出来れば。
森での事を思い出す。スティの群れを察知する時、魔力を含む草花やキノコを探す時。私は自分の五感を広げるように全ての感覚を解き放つ。それは、突起を手で握って魔力を送り込む感覚に近い。
(思い切り広げたら、宝石まで届かないかしら)
意識を集中する。
「こんな何もない領地なんだからさ、少しくらい――」
タイラーが大きな声を出す度に集中力が切れてしまう。
(急がないと)
焦って余計に集中できない。思い切り感覚を広げて魔力を解き放つ。
「リリイナ?」
ユリアの声だ。間に合わなかった。
「ユリア、来ないで! お願いだから今すぐ人を呼んできて! 出来れば大勢!」
「お前!」
タイラーが素早く立ち上がり私は殴られる。その音が聞こえたのかユリアが慌てて駆け上がって来てしまう。殴られた衝撃で視界がぐらぐらする。頬が焼けるように熱い。
「リリイナ! タイラー!」
一瞬で状況を把握したのかユリアがタイラーに飛び掛かる。仕事を終えて城に戻る途中だったのだろう。腰には剣が無い。素手で殴り掛かろうとする。
「どういうつもりなの! 許さない!」
ユリアの攻撃を難なくかわし、タイラーはあっという間にユリアの腕を捻り上げて動けなくしてしまった。
「あんたは自分より強い男がいいんだろう? 俺と結婚しようよ」
ユリアの耳元でささやく。
「誰があんたなんかと! 王都では女性に人気が有り過ぎて困るって言っていたじゃない。私にこだわらないで、さっさと王都に戻ればいいでしょう?」
「あぁ、それが出来ないから、こんな所まで来たんじゃないか」
タイラーはユリアの腕を捻り上げたまま移動して床から酒瓶を取り上げて呷る。
「ちょっと、やらかしちゃってな。当分は王都に戻れないんだよな。だから、ここで結婚でもしてほとぼりを冷まそうかと思って」
もう一度酒を呷る。
「あんたの兄さんと一緒だよ。俺達はどっちも王都で失敗したって事だ。でもずるいよな、ジリアムは」
タイラーは私を向いて言う。
「全部女に押し付けようとして失敗した時には、もう駄目だと思ったのに、ちゃっかりこっちで楽しく暮らしてるんだからな」
(女に押し付けようとした)
オズロの妹さんの事件の事だろう。
「次期領主として上手くやっててさ、美人の婚約者がいるのに女と遊び放題でさ、羨ましいったら無いね」
しばらく独り言を続けるタイラーの隙を見て、ユリアは抵抗するが全く歯がたたないようだ。
タイラーはそんな様子を楽しんでいるように見える。彼はもう一度酒を呷ろうとして、空になっている事に気付いたようだ。空瓶を投げ捨てるとユリアを引きずったまま、階段を背にして別の酒瓶を取りに行く。
「――!」
黒い影が階段から走り、鈍い音が響く。タイラーが静かに崩れ落ちた。タイラーと一緒に倒れ込みそうなユリアを影が支える。
「オズロ!」
オズロはユリアをそっと床に座らせると、もう一度強くタイラーを蹴りつけた。タイラーは完全に気を失っているようだ。そのままうつ伏せに転がして両腕を背中に回す。
「悪い、しばらくこれを押さえられるか」
彼がユリアに尋ねると、さすが警備隊長だけあって、しっかりした動きでタイラーの背中に膝をつき抑えつけた。オズロはそれを見ると私の方に駆け寄って来た。
「大丈夫か」
私は頷いた。殴られた頬も縛られた腕も痛いけれど大した事はない。
「遅くなって済まない。使用人に人を呼びに行かせた。じきに何人か来るだろう」
縄は固く結ばれているようで、なかなか解けないようだ。それを見てユリアがタイラーの懐を探し、小刀を見つけてオズロの足元に投げる。
「なぜ、この事が分かったの?」
外は嵐だ。音が漏れたと言う事はないだろう。オズロは黙って縄を切る作業に専念する。
「灯りが点かないと心配になるのは、私だけじゃないって事でしょ?」
ユリアの問いかけにもオズロは答えなかった。
「助けて頂いて、ありがとうございました」
ユリアのその言葉には、少し振り返って目元をゆるませた。やがて縄が切れて私も窓枠から自由になった。
「ありがとうございました」
オズロは私の方を見ると、もう少し目元をゆるませた。そして切った縄をユリアに投げる。ユリアは短めの縄を上手く使ってタイラーの腕と足を縛り上げている。
オズロは私の頬の傷を確認した。
「口の中は切れてないか?」
顔の表面が痛いだけで口の中に傷は出来ていない。そう言うとほっと息をついた。
「屑なりに、手加減はしたわけだ」
次に縛られていた腕を確認しようとした時だった。
「リリイナ、ユリア! 大丈夫か!」
駆け上がって来たのは雨に濡れたジリアムだった。ジリアムはオズロを突き飛ばすようにして私の前に来た。そして強く抱きしめられる。
言葉もなく、強く、強く抱きしめられる。ジリアムに抱きしめられるのは初めてだ。ジリアムと共に来た警備兵が、意識が無いタイラーを担ぎ上げて階段を下り始める。
「灯り、点けなきゃね」
私が言うと、ジリアムが私を抱きしめたまま不思議そうに、もう点いている、と言う。
(成功してたんだ)
全力で魔力を出すと少し離れていても灯りを点けられるようだ。こんな時なのに眠くて仕方がない。身体に力が入らない。魔力を使い過ぎたのかもしれない。
私の身体が力を失っている事に気が付いたのか、ジリアムが慌てて私を横抱きにした。私は途切れそうな意識を必死に繋げる。
「本当に、ありがとうございました!」
ユリアの声に重い瞼を開くと、オズロがその場を去ろうとしていた。ジリアムがオズロに向かって言う。
「婚約者と妹を助けて頂いたことを感謝します」
オズロはジリアムに視線すら向けず、階段を下りて行った。
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