どこか記憶に残る香り
久しぶりに来た実家の領地は、何も変わりが無いように見える。ここには馬車で来るよりもゴドブゥールの森を抜けて来た方が早い。私は訪問を約束した時間に合わせて徒歩で向かった。義姉と甥への挨拶よりも前に両親と兄の墓に向かう。
両親の横に兄も眠っている。墓がきちんと手入れされている事に安堵した。私は持ってきた花を墓の前に供える。
跪き、目を閉じて3人に話しかける。どうして私も連れて行ってくれないの、ここに来れなかった数年間に何千回と心の中で繰り返した質問を、最近は繰り返さなくて済む事を嬉しく思った。
(今、王都から学者が来てゴドブゥールの森の調査をしているの。私もお手伝いをして役に立っているのよ)
面白かった事、頑張っている事を伝える。オズロという話し相手が出来たからだろう、最近は心の中で3人に語り掛ける時間が少なくなっていた。
(ごめんなさい。でも彼は1年経ったら帰ってしまう人だから。それまで少しくらい話し掛ける時間が減っても気にしないでしょう?)
きっと3人とも、いいよ、と言ってくれる気がする。
まだまだ話したい事はあるけれど義姉に訪問の予告をしている。あまり遅くならない方が良いだろう。私は後ろ髪を引かれる思いで久しぶりの屋敷に向かった。
この屋敷で生まれてから11歳までを過ごした。私が生まれた時には兄はもう王都の学校に通っていた。卒業して王都から戻るのと入れ違いになるように両親が亡くなり、その後数年で兄本人も亡くなった。両親と兄の4人で過ごした時間は驚くほど短い。それでも幸せな時間はしっかりと記憶に刻み込まれている。
「ご無沙汰しております」
応接室で出迎えてくれたのは義姉一人だった。先に図書室で目当ての図鑑を数冊選んでいたので少し遅くなった。領主として忙しい甥は仕事に戻ったのだろう。
「お待たせしてしまったようで、申し訳ございません」
義姉と甥は少し前のオズロを歓迎する舞踏会にも顔を出してくれていたと聞く。夏祭りにも来たと聞くが、どちらも会えなかった。でも時間を割いて来てくれた事に改めてお礼を伝える。
義姉はまだ若い。涼しくなってきたにも関わらず、肌を多く見せる服装でゆったりと座る姿からは、女性としての自信のような迫力を感じる。彼女は私を見下ろすような姿勢で口を開く。
「王都からの客はどんな様子? 調査とやらは進んでいるのかしら」
質問の形は取っているけれど明らかに興味が無い事が分かる。私も模範的な回答をする。
「順調に調査が進んでいると聞いております。こちらからお借りする本も、その方が参考にされるそうです」
義姉は返事もせずに深いため息をついた。私は目を伏せて、なるべく義姉の顔を見ないようにする。彼女の顔に浮かぶ憎悪は分かっていても私の心を切り裂く。
嫌われているのは確実だ。兄が亡くなった時にはっきりと言われた。こんな辺境の土地も、田舎者の私の世話にもうんざりしていると。
義姉は王都で生まれ育ったそうだ。学校で兄と恋に落ち、相当な覚悟を持ってこの辺境の地に嫁いできた。すぐに子が生まれて幸せの絶頂にある時に兄は流行り病であっさりと早逝してしまった。
「王都に帰りたい」
泣き続けた義姉は甥を抱いて逃げ出そうとした事もあった。
「リリイナが夫を迎えて、その方に領地を受け継いでもらえばいいじゃない」
義姉は周囲に訴えたけれど、その時点ではもう私とジリアムの婚約は成立していた。それでも私に継がせたいという義姉の話に乗る親戚もいた。
ゴドブゥールの森は、ジリアムのグーデルト領と、隣接するうちの領地に広がっている。高く売れる物が転がっているのに森に入れるのは魔力が強い私だけ。森の恵みを期待して私に跡を継がせたいと考える人達もいたのだ。
私の意思も義姉と甥の意思も無視して親戚達は争い、最終的にはグーデルト家が婚約を盾にして、結婚前でも私を引き取って面倒を見ると半ば無理やり連れて行く形で決着した。
私が跡を継がなかった事を、義姉は今でも許せないのだろう。
早々に立ち去ろうとして視線を上げると、義姉が涙を流している事に気が付いた。
「あなたと、あなたの兄は良く似ているわ。あなたを見ると、どうしても彼を思い出してしまう。あんな人を好きにならなければ、私はこんな辺境に閉じ込められる事は無かったのに」
私は何も返事が出来ない。一刻でも早く義姉の目の前から姿を消した方が良いだろう。図鑑をまとめて腕に抱えた。腰を浮かしかけた所で義姉はまた話し始める。
「あなたは、自分の好きな人との婚約を選んで、全てを私たちに押し付けて自分だけ幸せになったのよ。分かってる? そんなの不公平だわ! あなただって愛する人を失う苦しみを味わえばいいのよ」
義姉は涙を流し続ける。私にだって言い分はある。ジリアムとの婚約だって、跡を継がずにグーデルト領でお世話になる事だって、何一つ私の希望は汲まれていない。
(本当は、本当は私だって⋯⋯)
今さら考えても仕方ないことだ。
私がジリアムに初めて会ったのは、グーデルト家に引き取られてから2年後、ジリアムが学校を退学になって領地に戻ってきた時だ。ジリアムが王都の学校に通っている間に家同士で婚約を決めた為、私たちはお互いを姿絵でしか知らなった。
兄が亡くなった時点では、ジリアムは現実味のない姿絵の中の人だった。私が兄の後を継ぐ為に、ジリアムとの婚約は破棄してこの家を継いでくれる夫を探して迎えたとしても、それほど辛い事では無かったと思う。
義姉が言う、私がジリアムと結婚したいばかりに全てを義姉と甥に押し付けたというのは事実ではない。
(でも、今の私がジリアムを愛しているのは事実だわ)
その後ろめたさがあるから義姉には何も言えない。
黙って俯く私に義姉の口調は次第に強くなる。
「あの人と同じ顔をしているのに、あなたは冷たくて何を考えているか分からない。私を馬鹿にしているんでしょう? 何年経っても思い乱れている私の事をあざ笑っているんでしょう!」
何も言ってはいけない。私は黙って出来るだけ表情を消して俯いた。
(失礼でも、挨拶をしないで帰った方が良かったのかもしれない)
後悔したけれどもう遅い。義姉の気が済むまで言わせよう。私は胸に図鑑を抱えて、さらに深く俯いた。
「そうやって黙っていれば周りが全てあなたに良いように計らってくれると思ってるんでしょう。あなたなんて、周りで起こっている事を何一つ知らないくせに!」
義姉の口調が異常に高ぶっている事に不安になり少し目線を上げると、見た事が無いほどの恐ろしい顔で私を睨みつけていた。
「ねえ、聞いてるの?! 何か言ったらどうなのよ!」
声と共に胸に抱える図鑑に衝撃を受けた。続いてガシャン、という陶器が割れる音が響く。膝にじんわりと熱が広がる。
(お茶だわ!)
お茶のカップを投げつけられていた。図鑑に傷がついていないか気にした所で再び衝撃を受ける。今度は皿だ。皿も図鑑に当たって割れ、私の腕を傷つけた。さらに砂糖の壺も投げつけられる。壺は私の腕に当たり中身が辺りに飛び散る。
「やめてください!」
私は慌てて立ち上がり、義姉から体を遠ざけた。砂糖壺が当たった所が鈍く痛む。
「うるさい、うるさい、うるさい!」
義理姉の金切声と陶器が割れる音に驚いた使用人が顔を出し、慌てて義姉を落ち着かせようとする。私は近くの使用人に帰る事を伝え、走ってその場を去った。
(どういう事だろう)
私の心を占めていたのは、義姉の錯乱した姿でも、陶器で怪我をした腕の事でも、傷がついたかもしれない図鑑のことでもない。
(甘い香水の香り。とても高価そうな香水の香り)
物を投げる付ける義姉から漂ってきたのは、どこか覚えがあるような香りだった。
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