第41話



 ――九月二十日、十一月に行われる文化祭のスケジュールや予算などを話し合い計画書を作っていた水沢伊吹は校内アナウンスでもうすぐ九時をまわることに気が付くと急いで帰り支度をしていた。

「やっべえ、もうこんな時間か」

 今日は生徒会の仕事は早めに終えて新聞部の部室に寄って帰ろうと思っていた。校長から少しずつだがお金を返していると聞いた伊吹は隠していたノートを回収しようと考えていたのだ。もしも誰かが見つけてしまってもあのたくさんの自分の写真を見れば新聞部の誰かが取材か何かのために置いたものだと勘違いしてくれて放っておくだろう。だがそれも絶対ではない。今のうちに回収しておくべきだと思っていたのだがこの時間ではもう新聞部も帰っているだろう。それともうひとつ水沢伊吹には気になっていることがあった。あんな性格の校長が自分一人で学校のお金を盗むなんてまねをしようとするだろうか。もしかすると誰かに脅されて強制させられていたのではないだろうか。仮にそんな影の人物がいたとすれば自分も校長も危ないのではないか。だったらあのノートはまだあのまま隠しておいた方がいいのかもしれない。最悪の場合も考えておくべきだろうか。

 そんなことを考えながら生徒会室の電気を消し戸締まりを確認すると伊吹は急いで校舎を出た。真っ暗になっている道を歩きまだ明かりがついているホウライ軒へと向かった。

「おう、よかった、まだ居たか」

「よっ、キャプテン、遅かったな」

 中に入るとすぐに伊吹は店の奥へと水を取りに向かった。その時ふと、横に置いてあった「お疲れ様ノート」が目に入った。伊吹は咄嗟に自分のページを開くとペンを取りそこへ何かを書き足していた。そしてコップに水を注ぐと元バスケ部のメンバーたちが座っているテーブルの空いている席に腰を下ろした。

「いらっしゃい! いつもの?」

「はい、お願いします」

 店長に注文を済ませた伊吹は水をひとくち飲んで落ち着いた様子だった。

「俺はもうキャプテンじゃないぞ」

「じゃあ、会長」

「お前らも遅かったのか?」

「伊吹がどうせ遅いだろうと思ってさ。図書室で勉強してた。偉いだろう?」

「おお! 偉い偉い」

「やった! 会長に褒められたぞ」

「ははっ」

「でもさ、スポーツ特待生は受験なしにしてほしいよな」

「まあな。受験と言ってもある程度はゆるいだろうけど、部活引退してから受験勉強となるとちょっと間に合わないよな」

「何だよ、お前たちが普段から勉強してなかったからだろ? 俺みたいにちゃんとやってれば問題なかったんだ」

「わ、出たよ、伊吹の母ちゃん発言」

「久しぶりに聞いたな」

「何だよ母ちゃん発言って」

「母ちゃんみたいに勉強しろ宿題しろっていつも言ってんじゃん」

「そうそう。ほんっと母ちゃんみたいだよな」

「俺が? そんなに言ってたか? あ、いつも弟に言ってるからクセになってるのかな」

「うわっ、マジか。虎太郎くんに同情するよ」

「本当だな」

「えっ、やっぱり俺うざいかな?」

「うざいだろ」

「そうか……。ほら俺さ、兄貴らしいこと何もしてやれなかったからさ。そばにも居てやれなかったし。だからせめてメールは毎日って思ってたんだけどな」

「伊吹まさか、毎日勉強しろとか言ってるんじゃないだろうな?」

「え、どうだったかな。あいつすぐ宿題さぼろうとするからな。あ、そう言えば前に言われたな。兄ちゃんはいつもそればっかりだって」

「あーあ。やっぱ虎太郎くんが気の毒だな」

「はははっ。キャプテンで生徒会長という立派な伊吹も弟の前ではダメダメだな」

「わあっ。早く虎太郎に謝りたくなってきた」

「おお、そうしろそうしろ」

「飯食ったら速攻帰るわ」

 そう言って注文した味噌ラーメンを食べ終えると伊吹たちは店を出て別れた。伊吹はみんなとは反対方向、若葉高校の方へひとりで歩き始めた。

「ん?」

 夜十時を過ぎるとこの辺りは本当に静かで人通りもほとんどなかった。そんな中、伊吹が学校の前を通り過ぎようとした時だった。伊吹はかすかに聴こえた音に耳をすませていた。学校の校舎の方、しかも上の方からそれは聴こえたのだ。伊吹は立ち止まってから目を凝らして校舎を見た。

「コタロウ?」

 今度ははっきりと猫の鳴き声が聴こえた。聴こえた方を必死で探すと校舎の三階の雨どいの上に確かに猫の姿があった。それは伊吹が特に可愛がっていた猫で、トラ模様だったために伊吹がコタロウと名前をつけていた猫だった。

「何やってんだコタロウ」

 伊吹は急いで校門の方へ戻ると門をよじ登り学校のなかへ侵入し校舎へと走った。以前にも別の野良猫が三階の雨どいから落ちたことがあった。その猫は瀕死状態でそれを目撃した生徒が病院に連れていったが残念なことに死んでしまったという話を思い出していた。伊吹は三階まで駆け上がりコタロウがいたと思われる教室に駆け込み窓を開けて上を見た。

「コタロウ!」

「ニャア」

 静かな声で名前を呼ぶとコタロウは振り返って伊吹を見た。

「お前何やってんだよ。待ってろよ」

 伊吹は窓に足をかけ立ち上がり手を伸ばした。幸いコタロウはじっとして動かなかったために伊吹はコタロウの片足を掴むことが出来た。そのまま片手で持ち上げるとしっかりと掴んだままコタロウを自分の胸の中に引き寄せた。

「ふう~」

 窓から降りて教室の中に戻った伊吹はコタロウを抱いたままほっと胸を撫で下ろしていた。

「ニャア」

「ん? どうしたコタロウ」

 コタロウが伊吹の顔を見上げて鳴き続けていた。

「ん?」

 その時伊吹はまた、かすかに外から別の鳴き声を耳にしていた。

「まだ居るのか?」

 伊吹はコタロウを床におろすともう一度窓に登って体を出して上を見上げた。

「おい、嘘だろ?」

 伊吹が見たのはまだほんの小さな子猫だった。しかもその子猫は雨どいのさらに上の屋上の床と壁の境のちょっとした出っぱりに立っていたのだ。いくら背の高い伊吹でもそこまでは手が届かない。伊吹はコタロウを抱きかかえると屋上へと向かった。そして屋上でコタロウを降ろすと伊吹は子猫が居た辺りの壁を登って下を覗いた。人が立てるか立てないかくらいのへりにコタロウとそっくりなトラ模様の子猫が居た。

「なんだコタロウ。お前の子か?」

「ニャア」

「わかったよ。ちょっと待ってろよ。すぐ助けてやるからな」

 伊吹はためらうことなくその屋上の壁によじ登り外側のへりに片足を下ろした。どこにも掴むところのない壁に手を添えながらゆっくりと姿勢を低くしていき子猫を掴むとまたゆっくりと姿勢を元に戻した。壁に手をかけれるまで立ち上がると子猫を屋上の方へとそっと落とした。両手が空いた伊吹も壁を登ろうと両手で壁に手をかけた時だった。突然の突風にあおられバランスを崩した伊吹の足はへりではなく宙に浮いていた。ほんの一瞬のことだった。

 誰も居ない静かな屋上に残されたコタロウと子猫は戻ってこない伊吹を待っているかのようにただじっとそこに座ったままだった。





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