第40話



 お盆も過ぎ残暑がきびしい中、虎太郎はひとり、電車を乗り継いでとある街へとやってきていた。目的の家は広々とした敷地に建つ平屋の大きな家だった。虎太郎は手にしていた地図をズボンのポケットにしまうと深呼吸をしてからインターフォンを押した。

「はい」

 返事はすぐにかえってきた。

「あ、水沢虎太郎と申します」

「はい、どうぞ入って」

「はい」

 虎太郎は言われた通り、目の前の玄関のドアをスライドした。

「失礼します」

 虎太郎が一歩中に入りドアを閉めているとひとりの男が姿を現した。

「やあ、虎太郎くん。こんな遠くまでよく来たね」

「近藤先生、こんにちは」

「さあ、どうぞあがって」

「お邪魔します」

 近藤の後について行くと落ち着いた雰囲気の和室へと通された。「座って待ってて」と言われた虎太郎は用意されていた座布団に腰を下ろした。大きな窓は全開になっており、そこから見える広い庭は綺麗に手入れされていた。近藤はすぐに戻ってきて虎太郎の前に氷の入ったグラスを置くと自分も虎太郎の正面に座った。

「とりあえずお茶でも飲んで、暑かっただろ?」

「あ、はい、いただきます」

 虎太郎は出されたグラスを手に取り冷たいお茶を喉の奥に流し込んだ。汗をかいていた身体が喜んでいるかのようにお茶は一気に吸い込まれていった。

「はあ……おいしいです」

「はは、よかった」

 自分を見つめている近藤を見て虎太郎は兄のお葬式に来てくれた時のことを思い出していた。あの頃より少し雰囲気が違っているが、まだ若くて爽やかな感じは記憶のままだった。

「しかし本当に驚いたよ。まさか虎太郎くんから連絡をもらうとはね」

 虎太郎は長谷川に頼んで近藤の連絡先を調べてもらっていた。そして会って話がしたいと連絡をし、こうやって訪ねて来たのだった。

「すみません、突然」

「いや、嬉しいよ。しかも虎太郎くんが若葉高校に通ってるなんてね」

「はい、実は……」

 虎太郎は出来るだけゆっくり丁寧に今までのことを近藤に話して聞かせた。近藤はそれを虎太郎の目を見ながら黙って聞いていてくれた。

「そうだったんだね……」

「はい。なので兄はきっと自殺ではなかったと思います。結局そこのところははっきりとはわかりませんでしたが、僕はそう思って納得しています。あ、僕の両親もです」

「うん。わかったよ。わざわざ報告に来てくれたんだね。本当にありがとう。でも虎太郎くんも大変だったね。ニュースを見て校長先生が逮捕されたのは知ってたけど、まさかそれを虎太郎くんたちが見つけたとはね。すごいよ」

「その長谷川という部長が本当にすごい先輩で。いい先輩に出会えたおかげです」

「そうだね。きっと水沢が、伊吹くんが引き合わせてくれたのかもしれないね」

「はい。あの……兄が亡くなってすぐ、猪又コーチが事故をおこした時に近藤先生が助手席に乗っていたというのは本当ですか?」

「ああ、あれね。うん、本当だよ。あの時の僕は本当に落ち込んでいてね。大事な生徒を守ってあげられなかった。自分は教師として失格だと思い詰めてしまってたんだ。退職届を出して何日か後だったかな。街でばったり猪又先生に会ってね。そんな僕を見て先生は飲みに誘ってくれたんだよ。案外優しいところもあってね。ただ、帰りに送ってやると言って聞かなかったんだ。何度も断ったし止めるように言ったんだけど僕も酔っていたから安易な気持ちで車に乗ってしまったんだ。案の定事故をおこしてしまった。無理矢理にでも止めるかタクシーに乗せればよかったと今でも後悔しているよ」

「本当に偶然だったのですね」

「うん。それで猪又先生も解雇されてしまっただろう? そのことと水沢のことが重なって精神的にまいっちゃってね。何もかも自分のせい、自分は人を不幸にしてしまうのじゃないかってさ。事故の怪我もあったし、もう実家に戻ろうと。こっちに帰ってきてからもしばらくは落ち込んで家から出られなかったよ」

 そう言って笑っている近藤は今はそんな風に落ち込んでいるようには見えなかった。明るくて元気そうに見えていて何よりだった。

「安心しました。近藤先生がまだふさぎこんでいたらと思うと早くお伝えしたくて」

「本当にありがとう。もう大丈夫だよ。今はなんとか小学校の教師もやってる。それに今こうやって虎太郎くんに会えて、水沢が自殺じゃないと聞いて本当に心から喜んでいるよ」

「はい、よかったです」

「それにしても虎太郎くん、ずいぶん立派になったね。いや、あの時は虎太郎くんはまだ中学生だったからか。背もだいぶ伸びてるし、本当にお兄さんに似てきたね」

「そう言われて見れば、高校生になって急に背が伸びました」

「ああ、まだこれからもっと伸びるかもしれないよ」

「はい……」

 その時、庭で猫が二匹、鳴き声をあげながら走っていく姿が虎太郎の目に飛び込んできた。

「猫……」

「ああ、この辺は野良猫が多くてね。彼らはよくうちを出入りしているんだ。賑やかでいいよ。たまに屋根にまで登って降りられなくなった猫が夜中に鳴いてうるさい時もあるけどね。あ、そういえば、若葉高校にも猫がたくさんいるだろう?」

「えっ? いえ、どこに?」

「あれ? 僕がいた頃は野良猫が何匹もいたんだけどな。グラウンドにも体育館にも入ってきてたよ」

「見たこともないです」

「そうか、やっぱり部活の邪魔になるし、何か対策でもしたのかな」

「だと思います……」

 それから少しして虎太郎は近藤に別れを告げ、まだ暑い太陽が照りつける中、電車を乗り継ぎアパートへと帰っていった。





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