第25話



 山田と別れて球場から帰ってきた虎太郎は汗だくになった体をシャワーで洗い流した。さっぱりしてベッドに横になるとさっき観た試合を思い出してはまだ少し興奮しているようだった。サヨナラ勝ちした若葉高校。次の試合も応援に行きたい。今度は自分から山田を誘ってみようかと考えていた。と同時にさっきの山田との会話も気になっていた。

 自分は本当に兄の、伊吹の真似しかしてこなかった。考えてみればバスケだってそうだ。兄がやっていたから自分もやっていただけだ。兄のようにバスケが好きだったのか。好きか嫌いか聞かれてもそれすらもわからなかった。兄がいなくなってからバスケをする意味がわからなくなったのは確かだが。

 (自分がやりたいことって何だろう)

 今まで考えたこともなかった。ただ兄が死んだ理由が知りたかった。だから必死で勉強してこうやって若葉高校にまで来た。もしも真相がわかったらどうする? その後はこの若葉高校でどう過ごす? もしもずっとわからなかったら? ずっと調べ続けるのだろうか。そうしているうちに長谷川が卒業してしまったらどうすればいいのか。自分ひとりで何が出来るのだろうか。きっと自分はひとりだと何も出来ない。現に今だって自分は何もしていないじゃないか。全部長谷川に任せているだけだ。

 虎太郎は慌てたように飛び起きて机の前に座った。その辺にあったノートを開いて伊吹の名前を真ん中に書いて丸で囲んでみた。その上に『バスケ』と書いて『犬飼監督』『猪又コーチ』と二人の名前を書いた。『先生』と書いて『安村先生(現コーチ)』『近藤先生』と書いてみた。そして一番上には兄と同じようにして亡くなった『菅谷誠』の名前を書いた。その横に大きく『生徒会』と書いてみた。

 しばらくそのメモを眺めていた虎太郎だったが「うーん」と唸りながらまたベッドに上がり横になった。これだけでは何もわからない。わかるはずもない。そもそも自分は兄のことをあまりにも知らなさすぎだった。あんなに毎日メールで話していたのにも関わらず、兄が誰と仲良くしていたのかなどの交友関係すら知らないではないか。虎太郎はふと犬飼監督が言ったことを思い出した。

『もしかしたら僕たちが見ていた水沢は頑張って取り繕った表の顔だったかもしれない……』

 虎太郎は仰向けになったまま首をぶるぶると横に振っていた。兄に限ってそんなことがあるわけがない。兄はいつもどんな時でも明るく前向きだった。家族の前でも落ち込んだり怒ったりしている兄なんて見たこともなかった。でもそれは兄が若葉高校に行くまで、虎太郎が小学校五年生になるまでは、だ。虎太郎は体を起こした。高校生になってからはメールはしていたが実際に兄の姿は見ていない。兄に何かあって悩んでいたり落ち込んでいたりしたとしてもそんなのメールではわかるはずがない。ここに帰ってきても家族もいないしたったひとりだ。兄は寂しくはなかったのだろうか。自分が昔、兄の病院に泊まりに行った時のように急に寂しくなって泣きたくなる時はなかっただろうか。いや、高校生にもなって泣くなんてことはあり得ないが、毎日毎日遅くまで部活をして帰ってきてもたったひとり。短い休息の時間で洗濯もしなければならなかっただろうし、食生活も大事だと言っていたからご飯も作ったりしていたかもしれない。自分とメールもしてちょっとしかとれない睡眠をとってまた朝早くから練習に行く。兄の一日をシミュレーションしながら考えていた。自分に同じことが出来るだろうか。もしそれが自分だったら。そう考えると虎太郎はさらに兄をすごい人だと尊敬するのと同時に兄の体やメンタルが心配になっていた。

 (兄ちゃんごめん……僕、何にも気づいてあげられなかった)

 あの頃はまだ小学生だったとはいえ虎太郎は自分の鈍感さに腹が立ってきてさえいた。兄から連絡がなかった次の日はどうしてメールしてくれなかったのかと兄に文句を言った時もあった。疲れていたはずなのに、忙しくしていたはずなのに兄は怒りもせずごめんと謝っては自分の心配ばかりしてくれた。兄を追い込んでしまったのはもしかすると自分なのではないのか。自分が負担だったのは間違いないだろう。虎太郎は頭を抱え込んでいた。

 (兄ちゃんごめん……ごめんなさい)

 心の中で何度も何度も謝っている時だった。

 ――カサッ

 玄関の方から音が聴こえた。虎太郎は一瞬長谷川が来たのかと思って時計を見た。が、まだ昼過ぎだ。長谷川たちはまだ授業中のはずだ。運動部の応援に行く時は朝から何処へ何部の応援へ行くかを指定の用紙に書いて学校に提出する。そこで渡されたバーコードのついたストラップを持って行き現地に到着した時と帰る時に担当の先生が持っているタブレットにバーコードをかざすのだ。そうするとその日はもう学校に戻らなくてもいい、直帰ということだ。

 虎太郎は耳をすませていたがもう音が鳴ることはなかった。郵便だろうか。でもポストは一階の入り口にちゃんとある。電気代やガス代の明細書もそこに入っているからわざわざ部屋のドアまで持ってきて入れるという人はいないはずだ。虎太郎は不思議に思いながらも玄関ドアに付いている小さなポストを開けて見てみた。中に入っていた紙切れを取り出してみた虎太郎は「はっ?」と小さく叫んでいた。その紙には印刷された文字でこう書かれていた。


『ミズサワイブキノコトヲシラベルノハヤメロ』





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