3話 忘れていない

 トニーに目標ができた。

 ソニを遊びに連れ出す。



 部屋に戻ったトニーは、おみやげの試作品——トニーにとっては、食べる運試し——バニツァをソニに渡した。

「ありがとうございます。紅茶、淹れます」

 踏み台を使って茶葉を取り出す後ろ姿を見ながら、トニーは切り出す言葉を探した。

 いつもの習慣でキッチンテーブルに座ろうとして思い直す。ソファーに移動し、折りたたんであったテーブルを用意した。少しは落ち着いて話せる。

 ふぞろいなカップが並べられ、ふたりしてソファーに落ち着いた。

 チーズとほうれん草のバニツァをかじるソニの表情は悪くない。リラックスしているタイミングでトニーは訊いた。気負う必要のないことだ。単刀直入に。

「次のオフ、気分転換に出かける。どこがいい?」

 バニツァを堪能していたソニの表情が途端にかわった。

「これから遊びに行こうって顔じゃないよね」

 眉を八の字にさげていた。ソニは明らかに乗る気ではない。想定内の答えが返ってきた。

「……部屋にいるは、退屈じゃありません。留守番、します」

 それでは意味がない。トニーは言い方を変えた。

「無理に連れ出すつもりはない。けど、この周辺地理を知っておくことは、ソニの今後の仕事に役に立つ。安全な範囲で出かけるなら、手始めにちょうどいいかと思ったんだけど」

「…………」

 ここで考え込むのがソニらしかった。

 トニーも人のことを言えないが、ソニは一般的な生活というものを知らない。娯楽をとおして体験して視野を広げれば、<ジュエムゥレェ掘墓人ン>以外での生活も考えられるようになるかもしれなかった。

 ソニの追っ手の有無など関係なく、普段から安全策は怠っていない。揉め事から距離をとり、目立つことも避けていた。それでも明日はどうなっているかわからないのだから、その時々の最適と思える判断で過ごしていたかった。

 そしてトニーは、ソニが喜ぶ顔を見たいという本意には、気付かないことにする。



 ソニはまだ、この街をよく知らない。

 この地に来てから、さして時が経っていないし、仕事での移動でしか街の中を見る機会がなかった。遊ぶ目的で出歩いたことは一度もない。

 興味をひかれる場所はあった。

 野球場、鉄道博物館、動物園……行ったことのない施設がいろいろあるし、遠目に見ただけの大きな城も、そばに行って観てみたい。

 行ってはみたいが、いま一番やりたいことではなかった。

「家で食べてばかりだったから、外食してみる? 栄養とカロリー摂取のためじゃなくて、楽しむための食事」

「リーザさん、ルカさんのブレッド、美味しいです。楽しいです。いいお店」

「それ今度、本人たちのまえで言っといて。永久三割引のVIPカードくれるから」

「あっ、行きたいところ、ありました」

 外食と言われて、ソニは思い出した。

 食材にさわらせてくれなかったトニーだが、最近はこの国の食材をおしえながら、まかせてくれる頻度も増えていた。それだけ信用されてきたのだとしたら、もっと頑張りたい。そのために、

「ショッピングです」

「何を買いたいの? それによって店を探しておく」

「砥石ほしいです。キッチンナイフだけで使うぶん。仕事のナイフと同じ砥石つかう、衛生よくありません」

 トニーが、がっくり肩を落とした。期待した答えではなかったらしい。



 これはケンカに明け暮れていた自分の十代の頃よりひどいかもしれない……。

 遊びにいくリクエストを聞き出すだけなのに、トニーはくじけそうになっていた。あきらめずに訊き直してみる。

「わかった。砥石は近いうちに買うから。ほかにない?」

「ほか……」

「ソニは、なんにもない状態に慣れすぎて、楽しむこととか欲しいモノが、わからなくなってるのかもね」

「欲しい、あります。アントニアさんと仕事していたい。この生活、ずっと欲しい」

 トニーは顔で苦笑し、頭で苦悩した。求めるレベルが低すぎる。

 そして、こんなことが望みであってはいけなかった。

「欲がないのを悪いとは言わない。けど、せっかく生き残ってきたんだ。楽しいと感じることを積極的に探してみて。あたしがいえた義理じゃないけど」

 ソニには、新しい生活の可能性がまだ残っているはずだ。

 ──人間は二ヶ月あれば、残虐性を習い修めて生まれ変われる。

 バイロンが話したとおり、人間が残虐になるのは案外簡単な実感がある。

 わかっていても希望は残したかった。

 変われるかもしれない機会を積極的にソニに与えようとするのは、トニー自身のためだった。しなかった後悔を残したくない。

「欲しいと思ってこそ、かなうってもんでしょ。最初は欲望だったとしても、意欲にも希望にもなることがあるんだから、持ち続けてみて」

 ソニが目をパチクリとさせた。

「よくぼう……欲望が、希望になる……」

「そう。……どうしたの?」

「アントニアさん、頭いいですか? 言葉、むずかしい」

 さりげに失礼な言い方も、語彙力の問題だけとは思わなかった。

「頭が良かったら、もっと違う生き方ができてたよ。ソニはもっと欲張りになれってこと。で、いまは——」 

「やりたいこと、仕事以外?」

「そ。気分転換で自分をクリーニングしたら、仕事の効率もあがる」

 例えが仕事になってしまった。まあ、こちらのほうがソニに伝わりやすい。

 うつむき加減になったソニが、バニツァを見つめて考え込む。

 しばらくして、顔を上げた。

「その……なんでもいい……欲張り、いいですか?」

「あたしのポケットマネーでおさまる範囲で」

「……海、行きたいです」

「こんな寒い時期に? かまわないけど、遠くの海には行けないよ?」

「近くの港、トッテイある聞きました。眺め、とてもいい」

「突堤? ああ、中央通りの先ね」

 車で三十分ばかり走れば着く距離だ。

「近くでって条件を出しといてなんだけど、たいしてきれいな海じゃない。まわりも倉庫ばっかで、少ない見所だって国内一低い山とかだし」

「ひと少ない、気持ち、楽です」

「追われてる状況でなきゃ、ボート遊びに連れてってあげるけど」 

「ボート、いりません。でも、ダメはどうして?」

「同業者と鉢合わせになる可能性が大きいんだよ。見栄でボートを持っていたり、取引や密談場所として使ったりするやつが少なくないから」

「海、眺める、充分です。眺めるだけ、何もしない、すごいゼイタク。やってみたかったです」

「そんな枯れたセリフ、十代の子の口から聞きたくなかったわ」

 我が儘を言わせるのにも、練習が必要かもしれない。

 ひとまずリクエストが出たことを良しとして、トニーはバニツァ試食チャレンジにとりかかった。

 真剣メニューなのか、天然のボケなのか。ネギと米のバニツァに、半分ヤケクソでかじりつく。



 明るい海岸線は、ソニにとって通りすがりの風景でしかなかった。

 この国にきてからも、命令されるまま仕事をこなす毎日に変わりはなかった。ヘマをすると〝先生〟に殴られ、食事を抜かされた。

 先生を憎いとは思わなかった。失敗した自分が悪いのだと。

 生き残ることに精一杯で、どんな景色を見ても、何かを感じるような余裕などなかった。

 そんな生活に変化が訪れるとは思いもしなかった。

 トニーについてやる仕事は、これまでと似たようなものなのに、追われている身なのに、自由を感じられるようになっていた。

 本当は、鉄道博物館や動物園にいきたかった。凱旋門とエッフェル塔を合体させたという展望台にも登ってみたい。

 こんな欲が出てきたのは、多少なりとも安全を得られ、守ってくれる存在があることが大きかった。

 それでも海に行くことを選んだ。何もしない贅沢もさることながら、見晴らしが良く死角がないことは、敵の姿を察知しやすくて安心できる。

 そして、トニーに打ち明けられる場所になると思った。

 なぜ「ウエダ・トニー」を探していたのか──。

 レストランから助け出されたあとも続いたドタバタで、トニーは忘れているようだが、黙ったままでいるわけにはいけない。

 さりげなく安全に目を配り、生活する場を与えてくれ、息抜きまで考えてくれる。

こんな大人は、トニーが初めてだった。つっけんどんな態度の狭間からのぞく温かさ。これが、この人の本当の姿なんじゃないかと思う。

 それだけに、「C.F.」のイニシャルが入ったブックマーカーを持ち続けているのは、苦しかった。



 ソニには目的があった。

 トニーに話さなければいけない。

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