2話  プランC

 ソニの教育係を引き受けたものの、トニーには気が重いばかりだった。

 仕事が大雑把になっているという自分から、ソニが得るものがあるのか疑わしい。むしろ、一緒にいることで危険が増すデメリットのほうが大きくなっていないか……というのは教育係としての建前。

 ロクでもないやつとの縁を切るのには苦労し、大切な人間はあっけなく失ってしまう。人に関わることが億劫になっていた。ただ、 

 ——家の中、壊れてるもの、ありません。きれいです。

 初めてアパートに来たときの反応から、ベットを共にしたときの仕草から、ソニが求めているものを薄々ながら感じとっていた。

 非合法の巣窟でも人の繋がりはできる。世間が眉根を寄せる組織であっても、居場所を求める気持ちは理解できる。

 そのせいで、ドライに突き放すことも難しかった。

 感情の決着のつけ方がわからない。バイロンに言われた通りに動いていれば、大きく間違うことはないのだが、考えなしに動くこともしたくなかった。常に考えろと言ったのは、バイロン本人なのだし。

 誰かの知恵を拝借することにした。交友関係の狭いトニーが思い当たる「誰か」は少ない。 

「ふたりで遊びにでも行ったら?」

 レジカウンターで小休止のコーヒーを飲んでいたリザヴェータが、顔を見るなり提案してきた。

「まだ、なにも言ってないんだけど」

「入ってくるなりブレッドより、あたしを見つめてきたなら、口説きたいか相談ごとかの、どっちかじゃない」

「前者はありえないし、相談ってほどでもないし」

「そりゃよかった。コーヒーでいいよね? 新しく紅茶入れるのめんどいから」

 そっけない返答もジョークで流し、話すほうに誘導してきた。

 こういうところがバイロンとは違う意味で頭が上がらない。こちらが言いたいことをさりげなく引き出し、楽に話せる流れをつくってくれる。

 小麦粉にまみれて工房にいる流花ひとり残して出ていけない。

 店内で話すべくトニーはジャケットを脱ぎ、自分用の椅子を勝手に用意した。カウンターそばの狭いスペースに、丸椅子タイプのフォールディングチェアをおく。隙間をうめるように座った。

「相談……ってほどじゃない相談だって、よくわかったね」

 意固地に悩み相談だと認めようとしないトニーに、

「コミュニケーションど下手なアントニアさんだよ? そろそろソニのことで、困りごととか、ストレスとか、欲求不満なんかが出てくるタイミングだろうなっと」

「最後の項目は聞かなかったことにする」

「話すだけでも楽になるもんよ。相手になったげる。ところでさ——」

 コーヒーを手渡しながら、リザヴェータが目を輝かせた。

「バニツァって食べたことある?」

「バニ……また新しいやつ作ったの?」

 トニーは渋い顔をしてみせる。

 仕事をブレッド一本にしぼれないながらも、新しい商品開発は熱心にやっている。おかげで最初の試食チャレンジャーをしょっちゅう割り当てられていた。

 世話になっているから引き受けているのであって、喜んでとはいえない。

「ブルガリアのキッシュみたいなものなんだけど、試作品をあげる。チーズとほうれん草がソニ、ネギと米のほうは、あんたが食べて感想聞かせて」

「ネギと米って……キッシュにしないほうがいいじゃない?」

「固定観念を捨てなきゃ美味しいものはつくれない。初めて食べた人がいるから、ドリアンやルートフィスク(タラの灰汁漬け)も定着したんじゃない」

 初めて食べて酷い目にあった……なんてことも絶対あったと思う。話さないと損な気分になってきた。



 ソニの仕事ぶりはクレバーだ。

 実年齢以上に幼く見える容姿の使いどころを心得ていて、足りない体力の補い方もわかっている。だからといって、このまま<ジュエムゥレェ掘墓人ン>にいさせていていいのか。迷いの表層をトニーは話した。

「能力の使い方、間違えてる気がするんだよね」

 コーヒーにむかって独り言のようにつぶやくトニーに、

「法にむかって舌を出している構成員が、正職や進学のアドバイスするの? 笑い話の主役になれるよね」

 やや自嘲気味にリザヴェータが笑った。

「ソニがこの世界でやる気を出してるのは、こんなとこしか知らないせいっていうのもあると思う」  

「しかるべき場所にいかせるなら児童養護施設なんだろうけど、ソニのこれまでの経緯を思うと、受け入れ側の力量も問題になる。お役所的対応しかできない職員を回避できるか、運試しになるかも」

「リーザにしては真面目な答えだね」

「いや、この話題で遊べんでしょ、フツー。どのみち、うちらの業界から抜けるのは難しい。バイロンが子ども相手にどうするかは、わかんないけど」

 組織に入ってしまえば最後、脱退はまずできない。バイロンが見逃してくれたとしても、前にいた組織の問題がある。<ジュエムゥレェン>に身を寄せていることで、守られている側面もあった。

 どこでならソニの安寧あんねいが得られるのか。

 警察の保護下に入ったとしても安心はできない。それなりの組織になると、街の表通りから刑務所の中まで、追っ手の及ばないところはなくなる。

「部外者がこれがいいとか言いづらいよ。結果に責任もてないし。

 でも、ソニって十四だっけ? その歳で、よくこんな仕事やって堅実でいられるよね。候補扱いでも、うちのボスはちゃんとした報酬を出すじゃない。大人でも浮かれて金遣いが荒くなるの、めずらしくないのに。まあ、そこもバイロンは抜かりなくチェックしてるんだけど」

「十四じゃなくて、十五。そりゃ、うちを放り出されたら、文字どおり生死に関わるから、真面目かつ必死になるでしょ」

「アントニアのためだったりして」

「どうして、あたしが出てくるの?」

「んー……この先の展開が楽しみになるから?」

 リザヴェータがいつものペースに戻してきた。トニーは表情を凶悪にして、無言で圧する。

「はいはい。最初の問いに真面目に答えるね」

 コーヒーを一口含んで口を湿らせる。

「常識でいくのが可能なら、世間にかえしてやるのが正解。だけど、常識がいつも正解なわけじゃない。

 それから、ソニが助けてくれたアントニアを慕うのは自然な成り行きで、その気持ちを無視するのはこく……っていうのは、あたしだからそう思った甘さかもしんない。でも『甘い』の一言で切り捨てられるのも、なんだかなって思う。

 あと、いい意味で意外なのが——」

 カップを置いて、居住まいを正した。

「あんたがソニの先々のことまで考えてたこと」

「いや、これぐらいは考えるでしょ。教育係だったら」

「アントニアが他の人間に関心を向けるの、いいなって思ってる。理由も対象も、なんだっていい。ひとりにしとくと、あんたどっかに行っちゃいそうで、ちょっと怖かったんだよ」

 リザヴェータが危惧するのは、物理的な「どこか」ではないことだ。

「誰かがそばにいる方が、あんたにとっても……いや、ごめん。これ以上は、おせっかいが過ぎる。忘れて」

 トニーが黙って考え込むと、生来のきつい顔つきで不機嫌に見えたようだ。このあたりはリザヴェータでも、まだ誤解されてしまう。

「いや、いい。ちゃんと俎板まないたにのせて話してくれる人は少ないから」

 そういえばソニも、尻込みすることなく最初からくっついてきた。物怖じしない子なんだろうか。

 リザヴェータが空になったカップを回収する。

「ソニのこれからは、もう少し時間をかけて考えるのでもいいんじゃない?」

「まあね……万一の展開のはしてあるけど」

 リザヴェータが相手で気が緩んでいたせいか。つい、ぽそりとこぼしてしまった。

「用意って?」

 まずい。逃げることにした。

「そろそろ、おいとまするよ。相談のってくれて、ありがとう」

「ソニも仕事に連れてくのはボスの指示だろうけどさあ……」

 失敗。話の転換に気付かないふりをされた。

「ソニを遊ばせることも考えてる?」

「遊ばせるって……遊園地とか動物園とか?」

「まあ、そんなとこ。ソニだってまだ子どもだよ。アパートと葬儀屋との往復ばっかってどうなの。いい機会だから、アントニアも一緒に気分転換したらいいよ。そしたら妙案もでる……でたらいいね?」 

「またアバウトな……」

 言いつつ、リザヴェータの提案はもっともだと感じた。ソニに用心させる必要があるとはいえ、潜んでいるばかりでは息が詰まる。袋小路に入った機会に、いったん脇道に逸れてみるのもいいかと考えた。

「うん、遊びに行こうか」

「眉間にシワ寄せながら言うもんじゃないんだけどね」

 あきれた面持ちでつぶやかれたが、安心したようだった。

 しかし、重大な問題が発生していた。トニーは真剣な面持ちで訊く。

「で、ティーンの女の子って、どこ連れてけばいいの?」

「そこからなの?」

 リザヴェータが頭を抱えた。

 観光都市に住んでいながら、トニーはレジャーと無縁な生活をしてきた。そういった関係の情報は、ツアー客より乏しい。ソニが映画鑑賞や外食をしたいというなら、トニーでも対応可能な範囲なのだが。

「ソニの場合はティーンとかにこだわらなくて大丈夫だと思う。オーソドックスな観光スポット……は人が多いから場所をえらぶけど、なんかあるでしょ」

「なんかって言われても……」

 考え込むトニーに、

「とにかく。ひとりで考えてないで、ソニの希望を訊いて相談なさい。あんただけで決めると、的外れなとこに行きそうな気がする」

「わかった……」

 反論できなかった。

 トニーは空になったカップをリザヴェータからとった。お返しに洗っていこうと、パンスライサーの横にある小さな流しにむかった。

 水音を聞きながらリザヴェータが独り言のように言った。

「外歩きを勧めといてなんだけど……ソニはまだ、安全ってわけじゃないんだよね」

「警戒は緩めてない。遊びに行く先に悩むのは、それもあるんだけど」

「ソニって勘がいいじゃない? その逃げ足に頼ることはできると思うんだけど……」

 手を拭いたトニーは先をうながした。

「追っ手がソニの力量を正確につかんでるとしたら、敵もそれだけ手数を出してくる。使いっ走り程度に思ってるなら、手間ヒマかけて追いかけてこない期待がもてるんだけど。そのへんのこと、ソニから聞いたことある?」

 トニーは首を横に振った。過去のことは本人から話さない限り聞くことがないし、そこまで考えていなかったこともある。

「応援を頼んだ方がよくない?」

「プライベートの外出だからなあ……」

 バイロンに頼むのは気が引けた。

「わたしが行けたらよかったんだけど……カイシャに卸すぶんに追加注文があって、時間の空きがないの」

 葬儀社<テオス・サービス>の一階に、バイロンはカフェスペースを新たにつくっていた。リザヴェータのパートナー、流花がベーカリづくりにも本腰を入れるようになった時期とかぶっている。

「気持ちだけで充分。どちらにしろ近場にするつもりだったし、外出にバックアップが必要なら、バイロンが先んじて忠告してきてるはず。あたしたちが警戒するだけでいけるって判断されてるんでしょ」

 トニーはジャケットを手にとった。

「長居して悪かった」

「いいって。さて——」

 レジ横の包装紙のなかから一番小さい角底袋をとったリザヴェータが工房に入る。すぐに戻ってくると、嬉々として中身の入った紙袋を差し出してきた。

「味見たのむね。悪い評価でも、ブレッドの値段あげて報復したりしないから安心して」



 ソニへの土産を手に店を出るトニーを見送る。ドアが閉まると、リザヴェータは小さく溜め息をついた。

 カフェに卸すための仕込みがあるのは本当だった。とはいえ、冷凍生地を利用——流花いわく不本意——するなりすれば、時間のやりくりはできる。援護ができない、もうひとつの事情があった。

<ジュエムゥレェン>での仕事が入っていた。

 こちらの仕事がリザヴェータたちにとって絶対だった。気分はよろしくないが、逆らうことはできない。トニーの計画を補完する仕事なら喜んでやるのに……。

 すでに見えなくなっている背中へと、無言で謝罪した。

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