3話 溺れるのは一瞬

 トニーの<熟練者>としての仕事が突発ではいってきた。バイロンの説明では、担当するはずだった者が急遽、別件にかかることになった穴埋め。

 これが本当だとしても、ソニの試用試験の要素が少なからず入っていた。

 トニーの仕事なら、ソニが補佐で入る。問題なくこなしていくほど、ソニの構成員での採用が現実味をおびてくる流れだ。

 心の内に波立つものを感じながら、トニーはピストル・クリーニングにとりかかった。

 火薬カスなどの残留物を取り除く作業は、いつも使用後に欠かさない。

 使うかもしれない仕事前にも、儀式のようにやっているのがサビ防止の手入れだ。湿度が多いこの土地では手抜きできなかった。

 普段の食事で使っているダイニングテーブルが作業机のかわりになる。

 油染みのついた大きなウェスをひろげ、その上に分解したオートマチック・ピストルのパーツを並べた。

 ばらばらにしたパーツの表面をウェスできれいにし、乾いた布で油を塗布する。銃身内部を洗浄し、スライドやフレームの可動部分にもブラシを各種使って埃をとる。

 こういった退屈な作業を黙々とおこなった。おまけに使用場面が少ない道具だから張り合いもない。

 そのくせ、手が抜けなかった。銃の作動不良で死んだりしたら、これほどバカバカしいことはないし、業界内での笑い物になる。

 実のところ最近のトニーは、この作業をサボっていた。危険に直結するとわかっていても、やる気がおきなかった。

 銃のクリーニングだけではない。

 時間も手間もかけなかった食事が、さらに機械的にとるだけになり、ときに面倒で抜くことすらあった。睡眠にしても、ベットに入れば一分かからず寝入っていたのに、一時間経っても眠れない。

 どこも悪くないのに、どこか調子がおかしい。

 食住をともにする教育係をしぶったのも、このところの生活がソニを通して、バイロンにばれることを危惧してのことだった。

 もっともこれは杞憂におわった。ソニがきてスイッチが切り替わったように、元来の生活パターンに戻っている。

 思い当たる理由はあったが、トニーは認めたくなかった。

 ソニは、ソニでしかない。



 わずか数日一緒にいただけで、ソニはトニーの日常にとけこんでいた。

 自由時間になると、テレビを見るでもなく、バイロンから渡されたテキストを開いている。必要がなければ、おしゃべりすらしない。静かに過ごしてくれるソニを厭う理由はなく、逆に大人しすぎて気になるぐらいだった。

 クリーニングを始めてからも、ソニは一度も口を開かない。オートマチック・ピストル自動式拳銃のパーツを磨くブラシの音だけが、静かに充満していた。

 トニーが座る九〇度の位置で、成長途中の小さな手が、慣れた手つきでブラシを動かしている。

「ハンドガン、アサルトライフル突撃銃サブマシンガン短機関銃、クリーニングやってました。私の仕事でした」

 そう言っていた言葉に嘘はなかった。作業がこなれていて、使い慣れているものなら、目隠しをしていても分解から組み立てまで出来そうにみえる。

 ソニがいま手にしているのは、シグP224。スライドやフレームの角をとった丸みを帯びたシルエットで、コンパクト。ソニの手の大きさに合わせて、バイロンが調達してきた。

 銃規制がうるさいこの国で、どういう抜け道を使って用意したんだか。

 ただ、持ち歩きやすそうな見た目に反して、弾を装填すると意外に重さがある。成長途中のソニの身体では、使い勝手がいいとまではいかない。さすがにバイロンでも、これが用意できる限界だったようだ。

 すっかり気温が低くなった十二月でも、昼間の明るい日差しが差し込む部屋にいると暖かい。

 明るい室内で、暗い色に染めたソニの髪に光の輪っかができていた。

 アッシュブロンドからブラウンヘアに。髪色を変えるだけでも印象がかわる。ソニの顔立ちから違和感がない程度の、濃い髪色に染めていた。

 ——やめなよ、もったいない!

 言うと思ったリザヴェータ。染める色の相談をしたら、まだ十代のソニの髪が傷むと反対されたが、安全が最優先と納得してもらった。

 のどかな空気が満ちた静かなテーブルで、子どもが学校にもいかずに銃器の手入れをしている。

 一般人が見れば、さぞ異様な光景に見えるのだろうなと思う。

 おかしいと感じないトニーは、これと似たような十代を送っていたからだ。ペンを持つよりナイフを握っている時間のほうが長かったのは間違いない。

 更生施設に入ったこともある。

 入った当初は、変われるかもしれない淡い期待が残っていた。

 しかし、すぐに逃げ出した。

 うまく説明できない憤懣ふんぬのはけ口を求めているトニーにとって、学校も更生施設も、解決策を示してくれる場所ではなかった。

 もっと時間をかければ、あるいは別の施設だったら、違っていたかも——とは思わない。怒りのエネルギーをもてあますトニーにとって、刺激のない静かな生活は、ストレスを増大させるものでしかなかった。

 勉強なら、バイロンが準備した通信制でカバーできた。学生らしい余暇活動にも興味がない。慕ってくるフロラに応えているときが、何よりも気持ちがやわらいだ。

 生活を楽しむ感覚が、トニーには欠落していた。

 この点で、ソニも同じ傾向にある。

 バイロンから生活の準備にと、いくらかの金を受け取っているのに、ソニの身の回りのものは、ほとんど増えていなかった。

 逃げてきた組織の目があるから、気ままにショッピングとはいかないが、工夫をすれば出来なくはない。教育係の名目で、トニーを護衛代わりにすることもできる。

 なのに自分から外出を言い出すことはなかった。

 ソニの荷物は必要なものだけを買い足しただけで、小さなボストンバッグが、やっと一杯になる量しかない。それ以上を欲しがらなかった。

 最低限の必需品しかない殺風景な部屋がしめすとおり、トニーは物を持たないし趣味もない。育ってきた環境の影響と、「金は妹のために」が過ぎた結果だ。

 ソニの場合も、遊ぶということを知らないできた。

 これは非合法組織に強制的に加入させられる以前からの話になるだろう。

 原因と解決法の想像がついても、何かしてやるつもりはなかった。面倒なわけでも、教育係の仕事の範疇ではないからでもない。

 深入りすると、きっと止まらなくなる。

 自身の破滅を招くだけだとトニーは自重しようとした。

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