2章 不滅の職業

1話 悪食メニューを奪え

 選択したときの最優先事項は彼女だった。

 選んだ先の至難も、危地も、承知している。

 彼女のためなら、燃えるゲヘナ地獄に投げ込まれる罪も厭わない。


     ***


 この街の食べ物店舗のラインナップをみると、食道楽が集う街と呼ばれることに納得がいく。

 セレブ御用達の高級レストランから、庶民が日常で利用する屋台まで。さらにメニューのバリエーションは、まったりした味の郷土料理にはじまり、近隣のアジア諸国を中心に、移民の故郷の数だけある料理、さらにすすんで国籍不明な創作料理と多岐にわたっていた。

 そんななかでもめずらしい、バルト料理のレストラン。

 店の明かりが落とされた深夜、表通りから外れていることもあり、繁華街の人通りもここまでおよばない。

 その店の裏口に張り付いている男がいた。

 ノーネクタイでもだらしなく見えない、ホリゾンタルカラーのシャツ。髪はサイドをきれいに刈り上げた七三分けで、デスクで電卓を叩いていそうなルックス。

 もっとも、いまやっていることはピッキングだった。

 鍵を二十秒で解錠した類沢〝ルブリ〟ルーシャンは、道具をポケットに戻した手で、ハンドガンのグリップ銃把を握った。親指でセイフティレバーを外す。

 左手をドアノブにのばそうとしたところで、肩を叩かれ振り返った。

 トニーだ。先鋒をかわれと手振りで言ってくる。

 今日、扱うのはデリケートな〝商品〟だ。ふた呼吸ぶん考えたものの、黙って先を譲った。

 ここでもみ合っても益はない。自分のほうがキャリアも歳も上だが、できるやつが先鋒をやればいいだけだと割り切れた。

 ただこのところ、この相棒には気がかりがあった。

 原型をとどめていない変死体の回収作業を、危険な切り込み役を、率先してやっていた。

 妹のことには同情しているし、仕事で気を紛らわせようとしているのだと理解している。とはいえ、気持ちの波が仕事に出ているのだとすればマズイ。ボスに報告せざるを得なくなる事態は避けたかった。

 愛想がなくてストイック、酒盛り仲間ににはならないが、察しがよくて組みやすいのがトニーだ。つまらない失敗をさせたくなかった。

 細いながら、かっちりした肩が、すれ違って前に出た。

 呼吸は、ゆったりと静か。いつもの落ち着きよう。

 ひとまず大丈夫かとルブリは思う。

 ただ、トニーはまだ二十代でしかない。将来有望なのか、どこか壊れているのか、ルブリはふと考えることがあった。

 ボスが目にかけているところを考えると、たぶん前者なのだろうが……。



 非常灯だけの店内に、テーブルに上げられた椅子の脚がシルエットになって林立している。

 ルブリと入れ替わったトニーは、壁にそって先に進んだ。

 フロア奥のスタッフルーム手前でとまる。ドア越しに人の気配。ルブリに目配せした。

 トニーは、ドアを開けたときに死角となる壁際に立つ。ハンドガンをホルスターに戻し、状況に合わせた得物に変えた。

 ドアを挟んだ反対側に相棒が潜む。

 視線で合図を送ると、ルブリがかかとで小さく床を鳴らした。

 すぐにスタッフルームのドアが開いた。身長は高くないが、肩幅の広い男が姿を現した。薄暗い店内を見まわす。

 ここでもう一度、ルブリの踵が床を軽く打つ。

「誰だ⁉︎」

 男が靴音がした方へと身体を向ける。その背中に、トニーがとりついた。

 口と鼻を手のひらで圧さえつけ、ナイフを腎臓に突きたてる。男が静かになり、絶命したことを確かめてから、ふさいでいた手を離した。

 ナイフが肉を割いて入るおぞましい感触も、相手の身体から力が抜けていく感覚も、すべて受け取っていた。それでも、トニーに気持ちの揺れはない。

 暴力への抵抗が薄いのだ。

 決定的な暴力をふるったのは、妹を守ろうとして父親に応酬した十六歳のとき。

 倒れた父親を見下ろしても、怯えも後悔もなかった。感じたのは、やっと安全を手に入れた安堵感だけだった。

 普通なら問題となる心理状態も、この仕事では有利になる。精神を平静に保ったまま、仕事を継続することができた。

 ルブリが、スタッフルーム内の気配を探る。無人と判断すると、ドアの内側へと身体を滑りこませた。得物をナイフから銃に戻したトニーもあとに続く。

 散らかった机の上にコーヒカップが二つと、小さなブラウン管テレビの横にもう一つ。最低三人いたとしても、まだ二人いる。その行き先は——

 床の一部が跳ねあがっていた。空いた空間から地下へと通じる階段がのび、その先に明かりがもれている。

 ここか……。

 眉をしかめた。地階を攻めるのは厄介だ。限られた出入り口で、敵に姿をさらすことになる。腕時計を確かめた。通報されてパトカーが来るまで、使える時間を予測した。

「一〇分以内に終わらせよう」

〝商品〟の移動に差し支えが出るから、催涙ガスや閃光弾の類も用意してこなかった。

「何かアイデアあるか?」

 ルブリの問いにうなずく。

 手近な椅子をとると、頭上に振り上げた。



 もうすぐ迎えのバンが来る。〝荷物〟の運搬に備えて地階に降りていたベルーシは、思わず階上を見上げた。

 くぐもった物音が聞こえた気がした。

 一緒におりていたパシャも同時に見上げていたから、気のせいなどではない。

 確かめなければ。見張り役は何をしているのか。苛立たしさをおしこめ、パシャを先にして階上へと向かう。

 ハンドガンを抜き、上階にむかうまえに〝商品〟に警告しておいた。

「物音を立てたりしたら、この場で始末するぞ」

 すぐさまパシャをおいかけたが、スタッフルームに上がる手前で停止している。階段に這いつくばり、クソ丁寧にスタッフルームをうかがっているのだ。

 べルーシは、その尻を乱暴に押した。さっさとあがれ。最初の一撃をくらうのは俺じゃない。

 ようやくあがったスタッフルームは無人だった。

 ただ、キャビネットが凹んで、部屋のドアも開いている。さっきの物音は、侵入者が暴れたせいか。

 ただ、コソ泥だったとしても妙だった。見張りの姿が見えない。どこにいった?

 まもなく配送の引き継ぎがある。コソ泥程度の侵入者を追いかけて、持ち場を離れるとは思えなかった。

 何かが変だ。

 しかしべルーシには、警戒心より面倒くさい思いが先にたつ。面倒な子守りに、あと少しでカタがついて休めるというところだった。

 ここにあるのは、売るには特殊なルートがいる商品だ。

 手間のかかる商品を奪いにくるやつはいないし、レストランの売り上げ金を狙ったとしても、すでに引き上げてあった。事情を知らない空き巣狙いでも、確かめておかねばならない。

「パシャ、明かりを点けろ」

 ぞんざいにハンドガンをふって命令した。

「だめだ。点かないぞ」

 配電盤をいじったのか。

 ベルーシの警戒レベルがやっと上がったところで、パシャの身体が跳ねた。

 発砲音が連続して二発。

 確実に動きを封じるためのダブルタップ射撃でさとった。同業者か、警官か。

 撃った男の姿が、マズルフラッシュで一瞬だけうかびあがった。銃口をすぐさま、そちらへ照準する。

 銃声が重なった。

 意図せず膝が折れた。発砲音をあげたのは、べルーシのハンドガンではなかった。

 首を回した先にいたのは、もうひとりの細身の影。

 暗くなっていく視界の中で、故国に残した情人の姿がだぶった。



 地階から上がってきた最初の男をルブリ、二人目をトニーが片付けた。

 銃は通報されるデメリットがあるが、手っ取り早くすむので、つい使ってしまう。

「急ごう」

 どちらから言うでもなく、ピッチをあげて仕事にとりかかる。

 路面の水たまりをまたぐ感覚で、心臓が止まった身体を飛び越した。地階への階段を駆け下りる。

 食材や酒瓶の保管棚をすり抜けた奥、少し開けたスペースがあった。

 足を踏み入れるなり、トニーは渋面になる。知ってはいても目の当たりにすると生理的嫌悪感があふれでた。

 対するもう一方からも、似た反応が返ってくる。

 地下室に閉じ込められていた商品——結束バンドで両手の自由を奪われている子どもたちが、トニーとルブリを見るなり顔を引きつらせた。

 自分たちを拉致した犯行グループの仲間だと勘違いしたようだ。そろって壁にのめり込む勢いで後ずさった。

 子どもの年齢は七、八歳から十代前半ぐらいまでの六人。人身売買でのレパートリーのひとつになっている。

「レストランを中継地点にするとは、とんだ悪食だな」と、ルブリ。

 自分たちだって責められる立場にない悪党だが、この商品だけは虫唾むしずが走る。

 高額で客のもとへと買い取られたあとの用途はさまざまだった。子どもでないと勃たないゲス野郎の相手やら、信仰心あつい人間すら一瞬で無神論者にかえるスナッフムービーの素材やら。

 まだ鼻にしわを寄せている相棒をおいて、トニーは告げた。

 子どもだからという配慮はトニーになかった。助けに来たわけではない。

「自由にしてやるから両手を前に出せ。バンドがとれたら、縛られていない足で逃げろ。おまえたちを捕まえたやつの仲間が、すぐにやってくる。助かりたかったら、ぐずぐずするな」

 子どもたちが、ここを逃げ出したあとのことは知らない。

 葬儀社<テオス・サービス>の本業ともいえる裏の組織、<ジュエムゥレェン掘墓人>の今回の目的は、商品を逃すことで相手組織の収入源、および客の信頼を失わせること。

 トニーとルブリは、その命令のみを実行する。 

 結束をといた子どもから、ルブリが先導して送り出していった。

 逃げ出す元気が残っていたのは助かった。予定時間内に仕事を片付けることができそうだ。

「ほら、さっさと立って腕を出せ……?」

 膝を立てて座ったまま動かない女の子を急かして気付く。トニーは、その子のそばに片膝をついた。

「どうして、おまえだけ足も縛られてるの? 逃げ出そうとでもした?」

 女の子が、ぼんやりとした眼差しを返してきた。

 中学生ぐらいの年頃。アッシュブロンドに目尻が少しだけ垂れ気味の、くっきりした瞳。薄暗い照明でもわかる、抜けるように白い肌は、まるで……

 トニーは浮かび上がってきた過去を払いのけた。目の前に集中する。

 女の子の足の拘束を切った。それから、お腹に抱え込むようにしている手元に目をやり、眉がさらに不審の形になった。

 手錠だ。

 ほかの子どもはナイロンの結束バンドだったのに、この子だけはスチール素材、トリプルリンクの手錠で拘束されていた。

「また頑丈なやつで……」

 外すための道具を探している時間はない。

「とりあえず手錠のまま走れ」

 子どもを逃し終えたルブリが、引き返してきて怒鳴った。

「急げ、トニー!」

「トニー」呼びを許しているのは、ふたりだけだ。ボスと、もうひとりは——

 わきおこった激情が爆発する。

「誰がその名で呼んでいいと言った⁉︎」

 怒鳴ってからトニーは我に返った。

「ごめん、悪かった。その……急に思い出して」

「いや、おれもつい。あとで謝るから、いまは——」

「……トニーさん⁉︎」

 反応の鈍かった女の子の表情が、初めて動いた。大きく目を見開き、裸電球の逆光になっているトニーの顔をよく見ようと身を乗り出してくる。

「トニー……あなた、トニーさんだったですか⁉︎」

 トニーは思わず後退った。

 なんなのだ、この子どもは。

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