平行世界人来訪

生きていると変な事が起こるというのは、誰が言った言葉だったか。支払いに困っているタイミングで大金を持った人間がそれを差し出してくるなどということがあるものなのだろうか? しかし実際そうなっている。現実というのは不条理なのだ。


「さて、あなたにはお礼を言わなくちゃいけませんね」


「やだなあミスタ・ヒラガ、敬語なんてよしてくださいよ、私たちもうビジネスパートナーじゃないですか~」


薄暗かった研究所の中にも明かりが灯り、清潔な白はありとあらゆる電気照明が出した光の集合体だ。その中に、自分とこの距離感のバグった営業マンは立っている。見る限り男でもツーブロでもないようだが、なんか異常に精神の距離が近い。あと、臭い。びっくりするほど臭い。草の焦げたようなにおいと寝起き一発目の尿、水に落とした灰を曖昧に混ぜたみたいな悪臭がする。この電気のにおいのする研究所で潔癖ともいえる日々を過ごす電源内蔵にはそれが酷く堪えた。


「あっ申し遅れました。私はノキュアプムカ・ウペドアキュデシスといいます。管理番号は筆記で使う名前なので、わたし、ノーキュアプムーカのことは是非ユーピドと呼んでくださいね」


「ユーピドさん。本当に助かりました、僕は電源内蔵です。長いと思ったら気軽に源ちゃんと呼んでください。僕はこの研究所で……電気の素晴らしさを人に伝える仕事をしています。それで……その、ここまでくるのは大変だったんじゃないですか? シャワーを貸すので、浴びていってください。どうぞ、遠慮せずに」


「えー、そんな、悪いですよ~」


「そう言わず是非。あとここ土足じゃないので靴も脱いでください」


シャワールームに客を押し込め、電源内蔵は換気扇を回しながら床を拭いた。普段来るメンツの群を抜いて変な客だった。筆記のくだりは正直何をいっているのかわからなかったが、とにかくユーピドと呼べばいいらしい。自分は今、この人間ではないらしい薬物中毒者に膨大な借金がある。そう、薬物中毒者だ。日本国内で大量のドル札を持っていたことも含め、どう甘く見積もっても尋常の人間ではなかった。靴を玄関に放り、アルコールで手を洗う。水は嫌いだった。


「お借りしたシャワー返しますねぇ。ときにミスタ・ヒラガは改造人間だと窺いました。我等が次元との交易に興味はありませんか? こちらの言葉ではトランスヒューマニズムって言うんでしたっけ? より正しい形の暮らしをすることでこの世界をもっと合理的なものにしようという運動があるんです。技術提供するので、あなたはそれを広めてください。のんでくれますね?」


「詳しい話は後で聞きます。身体は乾かしてから出てきてください。タップ近くに水を撒かないでください。機器がショートしたらどうするんですか」


「え? こんなにきれいな建物なのに水をぶっかけてくる装置がないんですか? 煙草吸うのも安心ですね」


腰の辺りから予備動作無しに紙巻きのジョイントが出てきたので、すんでの所でひったくる。触れ合った肌がさざめいて、恍惚とした表情が顔に広がる。薄々そうじゃないかとは思っていたけどこいつ本当に話が通じない! 改造人間の語彙を使っているなら、多分こいつは異次元人だ。別次元からやってきた人間は頭の中身も異次元級だ!


「所内は禁煙だこのタコ助が! 考えてんだあんた、頭沸いてるのか?」


言ってから、沸いているんだったな……と思った。ラリッている相手に電源内蔵ができることは一つ。ジョイントを取り上げたまま、研究所の壁にかかっていた違法改造除細動器のパッドを両手に持つと、電源内蔵はユーピドと名乗った女へ押しつけて強い電気ショックを与える。触れてしばらくは痙攣していたが、数回繰り返すと女はぶっつり動かなくなった。


「ふう…… なんでこう次々とトラブルが舞い込むんだ…… 金の取り立てに、次は……なんだ、テロ勧告? 異世界の尖兵を招き入れた時の罪状ってどうなるんだろ。勘弁してくれ……」


ため息をついて椅子に身を投げ出す。インプラントのボタンを指先で探ると脳の電極に微弱な電気が流れ、重くわだかまっていた疲労感がどろりと溶けていく。思考は歓喜に濁った。マッコウクジラも目を剥く甘露が狭い脳に詰まって溢れださんと沸いている。異世界人を殺したということさえ、さほどの罪ではないように感じられてきた。いや、実際さほどの罪ではないのだ。電気エネルギーは万物を駆動させる根源的な力で、それは人の死生さえ例外ではない。ぼうっとしていると、玄関で鍵の回る音がする。


「あー、しょうがない、やるか……」


電源内蔵はちょうど外回りから帰ってきた職員に床で伏せる女の身体を洗うよう言付けて、自身は窓のある部屋で寝転がった。どことも繋がっていない偽物の窓からは二百五十ワットの光が発されている。紫外線の含まれない冷たい光で身体を炙り、電源内蔵は整いを得ようとした。規定の時間を過ぎてもあまり元気が出なかったのでボタンを追加で十回押す。電流によって快楽のスイッチが乱暴に蹴飛ばされ、身体に眠っていたやる気がムラムラと応援されてくる。一転、身体の全てが活動に向けてさざめき立つ。


「あー、健康になってきた。手術がんばろ! 煙草撲滅、健康増進! 神様見てる~~? 侵略なんかに負けないぞ~!」


「所長、踊ってないで仕事してもらって良いですか? 誰なんですかこれ。また研究所に来た人を我慢できずに殺したんですか?」


「ごめん、今やるから携帯しまって。通報は勘弁して」


洗浄から戻ってきた身体は綺麗に乾かされていた。そこに針を細かく刺して、太陽光発電によって得られた電気を少しずつ流す。手順通りに事を進めれば、たちまち女は生き返った。死ぬ前と違うのは、その身体にバッテリーが増設されていることだ。本当は体内に埋め込もうとしたのだが、携帯をちらつかせる副所長に負けて外付けと相成った。


「ユーピドさん、朝ですよー。起きてくださいよー」


「はに……朝……なんか腰に箱ついてる! これなんなんですか?」


「異次元なあなたにサービスです。当研究所は禁煙を応援していますので。ちょっと今吸ってみてください」


「えー、ミスタ・ヒラガってば顔に似合わず野蛮だな~。人前でそんなことできないよ~……スウーッ……ギャッ!! 強電撃!」


「吸う動作を感知して電流が流れるようになっています。地熱から生産された電気は情熱的でしょう。これが要らなくなる頃にはあなたも天におわす電気の神に感謝するようになりますよ」


「えっ、えっ、もしかして私を改造したってこと!? なんでぇ!?」


「なんでもあさってもゴマも座布団もありませんよ。あなた方が僕にしようとしたことよりはいくらかマシな施術でしょう。知っているんですよ。あなたの世界では住人の完全な機械化が進んでいることも、薬物の禁止も、僕を機械にしようと狙っていることも! 生身の人間を初めて見たので、あなたがそうだとはここに来るまで気がつきませんでしたが……」


機械化された異次元人とは何度か会った。稲妻を詰めたバッテリーを振る舞ったときに文句をつけてきたことと、強い勧誘と謎の上から目線を除けば、おおむね気の良い奴らだった。部屋を煙で汚すことはなかったし、靴もきちんと揃えて入ってきた。宗教勧誘は突っぱねられたが。甘やかで刺激的な電気信号は生身でなければ効果がない。今回は生まれ持った身体にこだわるという共通項でこの最悪のヤク中が寄越されたのだろう。あまり理解したい話でもないが。


「あなたのやっていることは次元転移法違反なんですよ。しかるべき窓口に通報させていただきます」


「ゲエーッ! 困る!! 通報なんて酷いことせずに親善大使になってくださいよ! 故郷に錦飾らせてくださいよぉ~~~~私たちビジネスパートナーじゃないですかあ」


「いや、そんなことを言われましても……」

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