講堂に響く音

優たろう

講堂に響く音

 俺が勤務している高校にはこんな怪談がある。

 10年以上前のこと、この高校の軽音部には松戸という部員がいた。彼のドラム演奏は天才的で、音楽事務所からスカウトが来るほどだった。しかし、オーディション前日の練習中に突然倒れてきた本棚の下敷きになり、左足を思うように動かくすことできなくなった。そして、そのオーディションに落ち、失望の中、踏切に飛び込み帰らぬ人となってしまった。それでも、ミュージシャンの夢をあきらめられなかった彼は夜な夜な講堂でドラムを奏でているという。


 その話を聞いてからしばらくは戸締りをしたり、残業後に講堂の前を通るのがこわかったが、赴任して3カ月過ぎたが今のところその演奏を聞いたことはない。

 目を開けると、窓ガラス越しに真ん丸な月が目に入り、正面を向くと白川先生がこちらを覗き込んでいた。彼女は「おはようございます」と天使のように微笑んだ。少し早い夏休みをもらって、2日会ってなかっただけのに、彼女と目が合っただけで心躍るようだ。白川先生は合唱部、俺は軽音部の顧問で、担当科目は違うが接する機会は多い。

 見回りの途中、音楽室でピアノの練習をしている白川先生に会って、音色を聞いている間に寝入ってしまったようだった。汗だくの額が気持ち悪い。

 「おつかれですか」と彼女は小首を傾げた。

「大丈夫です。昨日、寝付けなくて」

 立ち上がると、呼び止められた。

「ところで、この後はご予定空いてますか」

「空いてます空いてます」

 俺は即答する。彼女は明るく笑った。

「そうですか。では、9時にあの丘の展望台の前で」

 窓の外から見える山の一つを指さした。隣町との境にある丘で、そこからの夜景は隠れたデートスポットとして有名だった。夏は女性を積極的にするというがこれは、なんと。

 「わかりました」と平静を装って見回りに戻った。白川先生はピアノの練習を再開した。


 少し歩いたところで、ピアノの音が聞こえなくなった。自分の足音だけになる。

 カツカツ、カツカツ……

 うたた寝したせいで周りはいつもより暗くなっていて、足音がやけに響いた。

 カツカツ、カツカツ……

 しばらくして、例の講堂にたどり着いた。

 え……、

 ドラムの音が聞こえてくる。

 講堂は演奏会ができるほど防音性が非常に高い。こんな時間でなければ聞き逃してしまっただろう。

 耳を済ませる。だいぶ前に流行ったリズムが叩かれている。そんな中、左足が担当するパートだけが歪だった。よく聞けば聞くほどに、気持ち悪いほどにあの話のとおりだった。いつもの自分だったら素通りしていただろう。でも、先ほど白川先生とデートの約束をしたせいでこれ以上ないほどに舞い上がっていた。

 ドアノブに手をかける。

 この決断を俺は一生後悔することになる。

 ライブハウスのように重い扉を一気に開く。

 ドラムのリズムが止まる。

 ドラムセットの中央に座る人物と目が合う。


「池田せんせい?」

 柔道部顧問の池田先生が右手のスティックを大きく降り上げた姿勢のまま静止している。池田先生は俺だとわかると、「なんだ。脅かさないでくださいよ」とスティックを下した。

「池田先生こそ、どうしたんですか」

「どうしたって、この前の飲み会のときに、ドラム叩かせてくれるって約束したじゃないですか」

 ん? よく考えれば、そんなこと言ったような。あの日は泥酔していて記憶があまりない。

「池田先生、とにかく、もう帰ってください」

「夏休みだからいいじゃないですか。せっかくノってきたのに」

 池田先生は大学時代、柔道で全国大会に出場し、もう少しのところで左足を大けがして優勝を逃したことがあると言っていた。だから、左足の操作が。

「とにかく、もう終わりです」

 「これから白川先生とデートなんです」と口を滑らせたところで、池田先生の動きが止まる。俺の顔を見て、目を丸くし、そして、笑った。

「何を言ってるんですか? 白川先生は一昨日お亡くなりになったじゃないですか」

 今度は俺の動きが止まる。

「わかったわかりました。もう帰ります」と背を向ける池田先生を問い詰めた。


 一昨日の夜9時ころ、あの丘で交通事故にあって白川先生は亡くなったとのことだった。池田先生に学校からの訃報のメールを見せてもらった。そこには、確かに亡くなった日と、通夜・告別式の日程もあった。嘘ではなさそうだ。通夜は明日の日にちだった。

 無駄に広い講堂にひとり残された俺は、スマホを確認するが例のメールは来ていなかった。

 目を閉じて、ゆっくり一呼吸する。

 彼女は俺と待ち合わせをして何をしようとしたのだろうか。あの丘で会って、俺にどんな言葉を、表情を向けるつもりだったのだろうか。その答えを知りたくて、約束の9時にあの丘へ向かおうと思う。

 もし、ここに帰ってきたら、この続きを書こうと思う。

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