第27話 統計的に0.7パーセント

「ねぇ、ちょっと熱い!」

「仕方ないだろう? 欲しがったのは純なんだから。俺は金を払ってやっただけだ」

「がーッ! そんな言い方するなら金は払うよ! 奢ってくれって頼んだ覚えはないし!」

「冷めるぞ」


 僕たちは自転車を停めて、コンビニ近くの、子供の頃によく遊んだ公園に来ていた。

 あの頃は鉄棒代わりに遊べたブランコの金属製の柵も、今じゃ座るにしても低い。

 コンビニで買った中華まんはちょっと「食べたい」と言ったら、「買っていこう」と貴史はコンビニに入っていった。

 ちょっと言っただけなのに。


 確かに中華まんは熱々だったのが、表面が少しずつ水分を失って冷めていった。

 手に持てないほどの熱いものもいつかは冷めるんだ。

「上手いか?」

「おう」

 スカートの下は黒タイツで、女子ってホント、「冷える~」とか当たり前じゃん、と思う。でもその話をすると貴史は、スカートが悪いと極論を言い出しそうなので、何も言わない。

 ⋯⋯何も言わなくてもいい相手っていうのが、この世にはいる。


 はぐっと、頬張る。

 貴史は何口で食べたのか、もうホットコーヒーを飲んでいた。


「思うように進まないこともあるし、時間をかけないといけないこともある。我慢や忍耐を強いられることもあるし、負けそうになることもある。――例えばこんな時だ」


 ふたりの間には程よい距離があったのに、貴史は長い腕を伸ばして僕を抱き寄せた。

 ペットボトルのふたはいつの間にかしっかり閉められていて、僕はただそのまま、もたれかかった。

 貴史のジャケットはいつの間にかボタンが外されていて、僕はジャケットの中に包まれた。


「俺の人生の中じゃ、お前のことしか考えられなかったから女子にこんなことをしてやるなんて想像もしなかったがな」

「なんだよ、それ。男の僕にもしないだろう?」

「いや、した。コートの内側とかいいじゃないか。俺とお前の背丈なら、お前をすっぽり包んでやれる」

「チビって言いたいのかよ」

「まぁ、そんなに吠えるな。ピョン太だけで十分」


 ちょっと、聞いてみる。

「ピョン太より、大切?」

「バカかお前」

 頭上から降る声は、少ししっとりした大人の声で、思わず頭の中で反芻する。

「お前こそ、いつになったら俺が一番になるんだ? 俺はいつまででも待つけどな。割って入ったらすまない」

「⋯⋯ごめんなさい」

「まぁ、女になったってのも、意味があるんだろうし。女なら皆、櫻井みたいなのに憧れるのもわかる」

「貴史、モテるよ」

「そういうのはいらない」


 もぞもぞ、まだ食べていると、取り上げられて一口で食べられてしまう。うー、人のものを!

「俺の金だ」

「僕のだ」

「⋯⋯いくつでも買うよ。お前が欲しがるまで買ってやる。でもそうなったら金が足りなくなるだろうから、バイトしないとな。一緒に帰れないな」

 え、と思わず顔を上げてしまう。

 ⋯⋯かかった。と思ったけど、僕の髪を撫でただけだった。愛おしい、というように。


 その小さな動作のひとつひとつが僕を愛しているという意味だとわかるのは、疑わずにいるのは、時間が繋いだ信頼だ。

 秀にはものすごいハンデだ。これを超えるのは難しい。僕たち、濃密に過ごしてきたから。


「何度も言うのはバカげてるし、自己満足だと思うけど。愛してる。お前だけだ。他の女子は心底どうでもいいし、男なんて話にならない。俺の本気を見ただろう?」

「⋯⋯そういうのはちょっと、あんまりさ」

「お前の気持ち次第だな。無理やりはできればしたくない。が、状況によってはないこともない」

「怖いこと言うなよ」

「俺にとってお前は、それくらい重いんだ。ほら、風邪引く前に帰るぞ。⋯⋯今日は俺の部屋で勉強でいいんだな?」

「⋯⋯はい。バカでごめんなさい」

 ふたりになれるだろう、と背中を向けて貴史は自転車に向けて歩いて行った。


 ◇


「ちょっと、ちょっと、純! 噂聞いた?」

「はーい、わたし聞いた」

 芽依ちゃんも無言でそろっと手を挙げた。

 もちろん、噂というものは本人の耳には入らないように回るわけで、僕は何も聞いてない。

 でも周りの空気が変わるのは肌で感じる。

 やけに廊下でジロジロ見られたり。

 何も言ってないのに貴史は「気にすんな」と言った。疎いんだか、聡いんだかわかんないヤツ。


「あー、さゆりんにもすこぅし、責任あるからなァ」

「アンタまた変なこと教えたんでしょ?」

「えー、心外。相談に乗っただけだもーん」

 まぁまぁ、とヒートアップしてくるさゆりんと真佑を宥める。ふたりとも全然、本気でやりあってる訳じゃないのはわかってるんだけど、一応。

「まぁまぁ、じゃないよー。言ったじゃん、『少し距離を置こう』って言うんだよって」

「⋯⋯言ったよ」

「言ったの?」


 尋問、ではないけど、答えられる範囲で話はした。

 性的なことは喋れないけど、それ以外、普通の男女のこと。

 それでもって皆の中で出た結論は「東堂くんて押しが強い」だった。

「わたしさァ、押しが強かったら折れちゃうかもォ♡」

「お前の話じゃないし! 純のことでしょ?」

「えー? 女子なら一度は押されてみたい!! でも見た目的には櫻井くんみたいに線の細いタイプ⋯⋯」

 空気が重くなる。

「話やめないで。わたしのことはもういいんだよ。わたしは櫻井くんはある意味バツイチだから、東堂くんを推す!」

「え!? そういう問題~?」


「でもさァ、一応、熟慮期間ってヤツでしょ? 距離を置くってことはさ。だから純ちゃんもすこぅしね」

「ね?」

「皆、噂すごい。そもそも櫻井と純は有名人だから、純が東堂くんとしっかり手を繋いで歩い⋯⋯」

「うわぁ、やめれ!」

「やめてほしくば、噂の種を作るな!」


 ポリポリ、ポリポリ。

 ポッキーはどんどん減っていく。

 お喋りしながらポリポリ⋯⋯。


「でもホントのこと言うと、うらやましいな」と芽依ちゃんはぼそっと言った。

「えっと、そうじゃなくて、普通の話で、ふたりの男の子に想われるなんて小説みたい」

 真佑にポッキーでつつかれる。チョコつくし。

「コイツ、『僕』とか言ってるけど、黙ってるとかわいいしな。しかも喋ってみると天然でサッパリしてるから、男子的には好印象なんじゃん?」

「そういう目で見られるの、嫌だな」

「贅沢ぅ! あー、SNSに投稿するか」


「⋯⋯で、どうなの?」


「そこ、聞かない約束じゃん」

 真佑がさゆりんをまたしてもポッキーでつつく。

「いいじゃーん! 友だちだしィ♡」

「あざといんだよ!」

 僕は何も言えずに黙ってしまった。

 こういう時に黙るのは、協力してくれてる皆に対して不義理だと思うし、信用も損なうし、何より狡い。許されないことだ。

 けど⋯⋯上手く言えない。ホントの気持ち、まだ決まってないから。


「秀には悪いとは思うんだけど、少し考えたい。嫌いになったわけじゃないんだし、貴史は幼馴染だけど、幼馴染だからこそ、もしかしたら男女関係では上手く行かないかもしれないし⋯⋯」


 ふむふむ、と皆は神妙に聞いてくれた。

 その上でさゆりんが〆る。スマホで何か検索してる。

「そもそも、幼馴染で結婚する確率って、統計によると0.7パーセントなんだってよ! 1,000人に7人! すごくなぁい?」

「それってさ、つまり東堂くんに不利」

「え!? そういう反応? 幼馴染で成立しちゃうほうじゃなくて?」

「しない方が絶対的に多いって統計でしょ」

 しょぼん、とさゆりんはしぼんだ。


 ◇


「0.7。すごいな」

「僕たちに先はないってことじゃなくて?」

「いや、記録には挑むものだろう? 何事も」

 ⋯⋯脳筋だ。

「1,000人に7人か。1,000人出場する大会の、ベスト8に入れってことだな」

「ちょっと違う気がする」

「そうか? ベスト8なら行けそうな気がするんだが。あ、そこに櫻井が入ってるのか。なるほど」

 納得すんな!


 ◇


 秀はこの話、聞いたら喜ぶかな?

 秀の、儚ささえ感じさせる笑顔を思い出す。手を伸ばしても、そこにはない。

 出し惜しみしないで、やっぱり早く状況は違ったかもしれない。

 どんな風に?

 女の子としての自分に、もっと目覚めたかもしれない。女の子の感じ方、女の子の気持ち、秀ならそれを教えてくれる気がする。


 ピンクのくまを抱っこしながら、壁にもたれかかって考えてた。

 ああ、僕、秀と簡単に別れたくないんだ。情とかそういうの? ううん、秀のやさしさはかけがいのないものだから。

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