第24話 失われたモノが保つ熱

 いつからマフラーを巻こうかな、と考えてる。

 クローゼットの中に、女の子の僕が好きそうな、ピンクのチェックのマフラーを見つけた。マフラーより少し大きくて、ストールというらしい。

 その、複雑な使い方は姉ちゃんの部屋に駆け込んで教えてもらった。なんだこりゃ、だ。

 さすがにネックウォーマーはない。


 姉ちゃんは出かける時、ムートンのブーツを履くようになった。

「ファッションは季節を先取りしなきゃ」ってさァ、天使の仕事はいつしてるんだ?


 自己流で受けた中間の結果が悪くて、貴史にくどくど言われた挙句、いつも通り、勉強会を少し早い時期から始めることにする。

 前回、取りこぼした分もやり直さないといけないから。

 このことは、秀にはとても言えない。

 さゆりんも「言わなくていいこともあるよ」と、うんうんと頷きながら言った。

 真佑は「距離が広がるわけだ」。否定しにくい。


 秀の成績は特に高いというわけじゃなく、テストもそれなり、生き方に使うエネルギー消費と近い。

 いつも力をセーブしてる。

 そんなところが余裕そうに見えることもあるし、無気力に感じることもある。

 抜け殻みたい――海辺に落ちた貝殻。巻貝のように、キレイな外殻を残して魂はここにない。そんな風に見えるのはなんでなんだろう?

 キラキラしてるのは変わらないけど。


 ◇


「そこ、違う」

「あ、ホントだ」

 消しゴムで細かく消す。貴史はふん、とため息をつく。生徒の質が悪い。

 それでも良い先生だと思うのは、解き終わるまで、見守ってくれるところ。自分が勝手に解いてみせたりしない。

 そういうとこ、すごく良い。


「だからそこは教科書のここをよく読めば」

 貴史との距離は近い。幼馴染の距離ってヤツ。

 確かに異性の幼馴染とは違うのかもしれないけど、僕たちはすごく近い。熱が入ってくると、貴史のキレイに刈り上げた襟足も間近に見える。

「ここだ、ここ。見るのはこっち」

「あ、えっとどこ?」

「だから右ページの2段落目のところ。ここにテクニック使ってるんだ」


 うーん、難しい。

 どこがテクニックなのか、全然わからん。

 どの公式の応用なのかも。

「いいか⋯⋯」

「あ、わかったかも!」

 顔を上げるとそこには貴史の顔があって、うれしそうに目を細めていた。――こんな表情、いつもしたっけ?

「う、うれしいの?」

「教えたのがわかってもらえるとうれしいよ」

 そんなものなのか、と思う。


 ページがペラペラめくられて、その応用問題を解いてみるように言われる。応用だから難しい。似て非なるもの、とはこのこと。

「いい線行ってるのに。ここが山場だ」

「えー? ちょっと、どこよ?」

「うん、ここ⋯⋯」

 身を乗り出した貴史の手が、手の先が、床の上の僕の手にほんのちょっと触れた。

 あの日のことが思い出されて、ぼぼぼぼぼ⋯⋯と熱が顔に上がる。


 ぱた、と、不意に手の上に大きなゴツい掌が乗る。

 熱が、頭の芯まで上がってきて心臓が、もたない。勉強、そう、勉強⋯⋯。

「貴史⋯⋯その、勉強」

「わかってる。少しだけ手を貸してくれ。対価みたいなもんだ」

 それは狡い。僕の頭がもし良かったら、こうはならなかったってこと? その程度のこと?

「小さいよな、まぁ、昔からだけど」


 目が細い。

 昔を思い出してるのかもしれない。

 確かに水風呂でギューギューになった時、僕の身体は丸みを帯びてきていたかもしれない⋯⋯。女の子の時の記憶だ。

 男の時の記憶では、やっぱり、貴史より僕は貧弱で、やわだったと思う。

 どっちにしても敵わない。比べ物にならないくらい、貴史の方がいつでも堂々としてて、僕は力は8割って感じで。


 貴史は、12とは言わないけど、11割くらいの出力だよな、いつでも。だからただ立つ姿も――。

「悪い、止まらない時もある。この前みたいに」

 強く手を引かれ、柔道技がキレイに決まった時のように僕は組み敷かれていた。

 ――密着。

 秀の時とは違う。秀にはこんなに重さはないし、故意的に僕に重みがかからないようにしてくれてたから。慣れ?


「あのー、純粋に重い」

「わかってる。でも少し我慢してくれ」

「あのー、なんかさ、当たって⋯⋯。まだ何もしてないよ」

「生理現象だ。止められるほど器用じゃない」


 ドキドキした!

 キスはしたことはしたけど、ただちょっと手に触れただけで?

 やだ、なんかそれっていやらしい。

 重みが、ただ乗ってるだけなのに、じわじわその重みが身体に馴染むのがわかる。

 指先が震えてる。けど怖くはない。

 よく知ってる、コイツのことはよく知ってるんだから······。


「⋯⋯女の子の身体って、そんなに魅力的?」

「相手にもよる」

「でも僕が男だったら、好きな女の子とふたりきりでもこんな勉強会ごときでこうはならないよ」

「お前が男だと、もっと忍耐が必要になる。ハードルが高い。手を握っても、お前、気持ち悪いと思うだろう?」

「⋯⋯ゲイなの?」

「ゲイなら押し倒してない」

「バイなの?」

「お前になら」


 言葉を交わす度に吐息が耳にかかる。

 ただ乗られてるだけなのに、細い息を吐く。呼吸が重い。

 これよりもっと経験値、積んだはずなのに、なんでこんな。されない時の方が、焦らされてるみたいな気になるからか?

 ⋯⋯焦らされてるって、待ってるみたいじゃない?

 カァーッと更に体温が上がる。


「お前、温かい」

「生きてるからな」

「まだ何もしてないぞ」

「うっさい! お前も局所的に熱いんだけど!」

「そういうお前は?」


 いや、だから僕は⋯⋯。

 貴史の手が遠慮なくスカートを捲って、僕は「やめれ! そこは初めてだから! 早い、早いよ! 待ってよ、今はダメ!」とわめいたのに手は止まらない。

 女の子ってどうすんだよ、こんな時? 蹴り飛ばしてもビクともしない身体の持ち主を!


「お前だって俺と同じくなってんだろ?」

 ⋯⋯え!? 

 僕の、なくなったモノ。二度と戻らない、他人のモノをお借りして欲求を満たしてたそれ。

「ねぇ⋯⋯貴史、あるんだけど」

「そうみたいだな。胸ってヤツ、触っておけば良かったかな? その時のお前の反応が見てみたかったな。ここも――さっきまで女の子だったんだろう? 初めてだとは、我慢してくれた櫻井に感謝だ。迷ってないで女のお前も押し倒しておけば良かった」


 呆然としたまま、よく知ったヤツのやわらかい目線を見ていた。その奥によく知った自分がいる。

 誰よりも信頼できるソイツの手が、つまり無くなったはずのソレをやわらかく掴んだ。

「んッ!」

 もう胸もなくなって、ペラペラに薄い身体の上からコイツはどくつもりはなさそうで⋯⋯。

 やめれ、やめれ、やめれー! 刺激が、他人の物を触ってた時より強くて生々しいんだが!


「貴史、やめてよ! それ、男のだよ」

「そうだな。どっちも変わらないよ。⋯⋯どっちがいい?」

 腰の辺りがムズムズして、どっちかって、そんなの、僕は僕のモノが欲しかったんだし――。

「離して! うわ、マジで、刺激が強いよ! これだって初めてだし」

 僕はもちろん女性経験もない。


 涙目になってジタバタしても、相手は微塵も動かない。僕も無意識に手が下がって、貴史のそれに触る。

「貴史、しっかりしろよ! 僕はやっぱり男なんだ! 理性も何もないだろう!?」

「安心しろ。お前がいつでも一番だ」


 待て、待ってくれ! 時間が有限だって言ったヤツ、呪ってやる!

 短い時間でどんな結論を出せっていうんだ。

 確かに望み通りソレは戻ってきたけど、僕は――僕はどうしたいんだ?


「ねぇ、熱い」

「同じく」

「おかしくない?」

「期待してたんだろう?」

「それは⋯⋯僕はさァ、なくしたモノを取り戻したいと確かに思ってたけど、だからってなんで男同士でこんなことになってるんだよー!!」

「⋯⋯俺が女子のスカートの中に手を入れるのに躊躇したからかもな」

「ハァッ? 僕が女でもしたのかよー!!」


 女のように涙がこぼれる。

 貴史の不器用で無骨な指が、それを拭う。「泣くなよ」なんて、甘く囁く。リードされてる。

 男でも女でも、リードされるのは多分僕だ。だってどんな時も僕を引っ張ってきたのは貴史だから。


「意地悪」

「静かにしろよ」

 この間とは比べ物にならないくらい、熱くて深いキスされて、内臓まで掻き回されるような気持ちになる。セーターはどっかに飛んで、シャツのボタンはいつの間にか外され、何にもない胸が露わになってる。


 手がゆっくり動く。

 これまで僕が秀にしてたことだ。

 男同士なんて、考えたこともなかったけど⋯⋯ダメだ、何も考えられない。

 息継ぎも難しい。やさしくない、本物のキス。

 やめれ、やめれ! やめてほしくなくなる前に!


 ぷはっとお互いに息が切れたのか唇は解放されて、呼吸を整える。平たい胸が上下する。それで精一杯なのに、まだ触ってくるのを止めない。指が、いやらしい。ゾクゾクする。

 声が出る。しゃくり上げながら、腰が動く。

 確かに僕は秀のを触らせてもらったけど、触られるのは初めてだから⋯⋯。


「なんだ、触りたいのか?」

 いや! いきなりいろんなの、無理!

 あたふたしてるうちに、手を導かれて。

 ふたりの吐息が重なっていく。

 お互い、直接ではなかったけど、気持ちが波に乗るようで、ふたりの呼吸は次第に乱れ、腰が⋯⋯。


「貴史、もう無理⋯⋯お願い」

 ハァッ、とヤツは息を吐いて、僕の上から退いた。

 くたくたの僕に無理やりキスをして⋯⋯抗う力もなく、切なそうに見つめられる。

「ずっとこうしたかった。櫻井が意外と紳士的で良かった。悪いが『初めて』は⋯⋯」

 僕の立てた膝と膝の間にいるのは貴史だ。

 僕は何も言わなかった。何も⋯⋯。

 ベルトを外す音が――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る