第23話 身体だけの関係

『悪い。ちょっと明日の昼休みは友だち優先で』

 即レス。

 マメな男は違う。

『わかったよ。さゆりちゃんたちに、よろしく』


 さゆりんは僕のスマホを覗き込んで「あーあ」と言った。

「学年一のカップルに最大の危機!」

「そんなんじゃないよぉ」

 イヤだなぁ、と僕は苦笑い。さゆりんは、たまにはそれもいいと思うよと笑った。


 女子だけで食べるなら遠慮ゼロなのでコンビニでメロンパンと焼きそばパンを買ってきた。

 それを見た真佑が「焼きそばパン、難易度高ッ」と言い、芽依ちゃんは「好きな物を食べたらいいと思う」と言った。

 さゆりんは常にニュートラルで「何食べても遠慮することないよ。尽くすのは自由だけど、息抜きも必要でしょ、たまには」と言った。


 まったくその通り。


 秀の健康を思って始めた弁当作り。

 それはそれで楽しいんだけど、ふたりで屋上にいるのはちょっと⋯⋯今日は気が引ける。お弁当のおかずは渡してきた。

 この、秀が作ったおにぎり。机の上で存在感を増している。


「大体、こういうのは最初が楽しくって、段々、慣れてくるとねー」

「慣れると?」

「負担になる。面倒臭い。当初のモチベが保てなくなる。それ系じゃないの?」

「そうなのかな?」

 答えにくい。

 自分の中でもモヤモヤしてるので尚更。


 貴史は教室の向こうで鏑木たちと弁当をがっつり食べてる。貴史のお母さんは男兄弟ふたりをガタイ良く育てた。

 鏑木がまたつまんない話をして、皆を笑わせてる。

 通常運転。

 目が合うかなーと思うけど、合わない。そんなもんだな。⋯⋯意識してるのはこっちだけかもしれないし。


 僕にとっては昨日のことは突発的なことで、貴史の言葉を信じるなら、向こうにとっては連続的なことなのかもしれない。


 気持ちの差分。

 どっちが上でどっちが下とか、量るなら『どっち』というのは曖昧だ。ただ、男女的なものだとしたら、僕がそれを受け止めるのは⋯⋯今は難しい。


「そんなに気にしてんの? 櫻井の気持ちばっかり気にしてビクビクするくらいならやめちゃいな」

 真佑の言葉はいつも、スパーンと切るようで潔い。男どもよりさっぱりしてる。

「純ちゃん、悩んでるならいつでも聞くよ?」

 さゆりんは天使の笑顔でそう言った。


 ◇


「運命の輪ってあるのかねー」

 自称天使が、まるで信仰心があるのかわからない言葉を放つ。意味不明。

「運命の輪って何さ」

 僕の部屋に入ってきたかと思うと、ピンクのくまを膝に乗せて、くまの頭に顎を乗せた。


「こればっかりはわたしも神様も介入できないっつーか。そもそも櫻井がまさかそんなに熱くなるとは、神様でも予測不能だったんじゃないかなァ?」


 ◇


 秀とは普通に手を繋いで帰ってきた。

 指を絡めて。

 少し前のめり、いつもは駅で別れるところを、今日は僕の駅まで送ってくれて駅のホームで手を振った。

 秀に変わったところはなかった。むしろ、友だちに『彼女の手作り弁当』を見せて冷やかされたらしい。顔から火が出そう!


「もっとマシなもの、作ればよかったなぁ」

「何言ってんの? 最初に比べたら雲泥の差。料理の腕、めきめき上がってるじゃん! 手作りのハンバーグの日には、ボクは涙が出たよ」

 大袈裟な、と思う。

 でも確かに男だった頃には考えられなかったことだ。

 そういう風にしてあげたいと思う気持ちが恋だったなら、今は冷めてきたってこと?

 それとも愛に変わるってこと?


 考えてもわからん。


 恋も愛も、まだまだ履修中だ。

 秀を相手に。

 じゃあ貴史は、っていうと、あれは永久不滅ポイントみたいなもので分別はできない。愛とか恋とか。そういんじゃないんだ。


 秀に対する気持ちとは違う。

 秀とは心地いい関係でいたい。小説を読むような、ちょっと恥ずかしくて、ちょっと切ないような。

 貴史とは――重ねてきた時間が、離れがたく感じさせる。磁石のS極とN極のように、一度くっついたら容易に離れないみたいな。


 ◇


 悶々としてても朝は来る。

 今朝も寝ぼけた顔して、弁当を持って家を出る。

 姉ちゃんが珍しく見送りに出てきて「考えすぎるな。なるようになる!」とあんまり役に立ちそうにないアドバイスをくれた。


「おはよう」

 あれから貴史はより寡黙になった。

 怒ってるわけじゃなさそうだから、多分、照れてるんだろう。僕にしてみたら一瞬の交錯みたいなものだったけど、貴史は、女に疎いからなぁ。

 避けて生きてるとしか思えない。

 自転車に勢いをつける。

 黙って風に乗る。手袋が――温もりがちょっとしたしあわせを感じさせる。


 好き?

 嫌いなわけはない。

 じゃあ、好き? 好きだよ、どんな意味かはわからないけど。まだわからないけど。


「どうした? その、体調不良の日?」

「違ッ! そうじゃないよ」

 そのー、と自分でもなんなんだよ、と思う。

 キスしたんだ。そういう事実がある。強引に奪われた⋯⋯そういう事実がある。

 だから普通の顔ができずにいるんだと、言わなくてもわかってほしい。わかってくれよ。

「スカート丈、良し」


 吊革がギシギシいう。

 左に引かれる。揺れに合わせて、不満を言うように軋む。貴史に身体が当たる。

「ごめん!」

「おう、いつものことだろう? お前とは体幹も違うしな」

「体育会系が」

「そうだな。そこがお前とは違う。そもそも鍛え方が違うんだ」


 悔しいけど貴史は電車が揺れても1ミリも動くことがない。慣性の法則はコイツを揺るがせない。たまにはその足が動くくらいの揺れが来れば――。

「大丈夫か!?」

「⋯⋯ありがとう、大丈夫。驚いたけど」

「危なかった」

 貴史の腕の中に倒れ込んだのは、当然、僕だった。


 ◇


 手がかじかみそうな屋上で、カイロを握りしめる。

 これから先は吐く息も白くなる。

 秀は隣で何を考えてるのか、手の親指と人差し指で90度を作って、その窓から空を見てる。青空。

 秀を悲しくさせるのがその色だということを、僕はなんとなく気付いていた。

 真っ青な夏空が好きだと言ったけど、空の色は秀の気持ちをそぞろにする。


「母親が――母親が出て行った日がさ、よく覚えてないんだけど暑い日で。よくあるドラマみたいに『ごめんね』って言って、あの人の影が黒かった。追いかけなかった。父さんがボクを抱いていたし、母親はボクを振り返らなかった。謝ったくせに、だ」


「珍しいね、自分語り」

「ごめん、空が青くないと気持ちが暗くなる。或いは――悲しい話のひとつでもして慰められたいのかも」


 そう言うと彼は僕の身体と太ももの間に、頭をごろんと転がした。

 よしよし、とその頭を撫でてやる。

「さみしいのかも」

「僕がいるのに?」

 撫でられながら、身動きせずじっとして目を閉じてる。

 僕も悲しくなることはある。恥ずかしいことじゃない。


「だって最近、なんか冷たい」

「⋯⋯冬だからじゃない? 寒いよ、ここ」

「だよねー。アスファルトもあんなに熱かったのに、転がってると身体の熱、持っていかれるし。

 ごめんね、本当は純が寒いのわかってるんだ。本当はボクが後ろから抱きしめてあげればいいんだけど、ボクは甘えん坊なんだよなァ」


 じゃあどうして、と聞こうとして、ん、と口付け。挨拶程度の。


「唇も冷たい。かわいそうに。でもさ、他にふたりきりになれるいいところ、見つからないんだよなァ。ベタに倉庫とか空き教室とか? そういうとこは埋まってそうだし、何より純が埃まみれになるのがイヤ」

「そんなに僕って大事なの?」

「大事だよ。なんで今までそれに気が付かなかったんだろう? 運命の相手ならビビッと来るんじゃないのかな? それとも運命の相手じゃなかったら、どうしよう?」


 僕の膝の上から、秀は僕を見上げた。

 その瞳にどこまで僕の心の中が映ってるのか⋯⋯。母親を見ていた秀の丸い瞳を見た気がした。

 僕が揺れていることを、秀は知ってるのか?


「寒いよ。もっと温めて?」

「どうやって? カイロ、ふたつあるから⋯⋯」


 キスをすればする程、気持ちは深まるのかな?

 心はギュッと繋がるのかな?

 それはいつでも気持ちがいいけど⋯⋯女の子は便利だ。本当に感じてるかどうか、外目にはわからないから。

 秀はどうなんだろう? いつでもたっぷり感じてる? ――足りないから、欲しいんじゃないかな?

 埋め合うことがいつからかできなくなってきた。

「足りないよ、もっと」

 そう言いながら秀は、僕の『初めて』に手を付けない。太ももにちょっと触れるくらいで止まる。


 足りないなら、欲すればいい。奪えばいい。

 それに、僕から与えてもいいんだ。ホントは。

 この先、どうしたらいいのか、秀をもっと歯止めが利かないくらい煽る方法を知らないわけじゃないんだ。

 自分が気持ちよくなるようにしてあげればいい。普通の女の子よりよく知ってる。


 だけど『身体だけの関係』になりたくないんだ。そのベルトを外してあげるのは、簡単なんだけど。



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