第15話 しあわせって怖くないか?

 そわそわ。

 週末の駅の改札口はいつもと違う人波で、決まったホームに進む人たちに混じって、笑顔が多い。

 皆、どこに行くのかな? それより我々はどこへ行くんだろう? さっぱり想像できない。


 僕はいつものんびりなんだけど、昨日の夜、あの小うるさい姉ちゃんに「5分前! いや、10分前行動!」とか耳元で大きな声出されて、はいはいはい、とベッドに向かった。

 ピンクのくまを抱きしめて、明日のことを考える。

 んー、なんかピンと来ない。

 初めてだからかな?


 そう言えば、中学の時にはデートなんてしなかった。放課後、どこかに寄るのも気恥ずかしかったし。

 男だった時はとても誘えなかった。いつも、相手の女の子のペースについていくのに精一杯で。

 女の僕の記憶によると、女子の僕は誘われないことに僅かな失望感を抱いていたようだ。自分にはそんな価値ないのかな、とかつまらないことを考えていたらしい。


 今思うと、バカげてる。

 会いたいか、会いたくないか、2択だ。


 ◇


「お待たせ」

 秀は息を切らせて走ってきた。

「待たせてないよ? そんな、走ってこなくても30分くらいなら待つよ。僕は自分が遅刻、多いし」

「そういう問題じゃないよ。今日は絶対、先に来ようと決めてたんだから」

 ふぅん、と、悪い気はしない。

 腕にさげていた日傘を、秀は素早く自分で持った。

「日傘くらい」

「そうじゃないよ。約束だもん」

 割と、堅苦しい男だな、と思う。


 まだ肩で息をしてる湿ったTシャツの肩に手を乗せて、「気楽に行こう」と言った。

 秀は微妙な笑いを浮かべて「緊張してたかも」と言った。

 デートなんてし慣れてるだろうに、と秀の行く方向に着いて歩く。まるで鳥のヒナになった気分。


 ◇


 電車はいつも通り、ガタゴト揺れて、途中で席がひとつ空いて、秀に座るよう、促される。

「別にいいよ」と言ったけど、結局座らされて、その前に秀が立つ。いつもの僕は背伸びしがちな吊革、秀から見たら遊具みたいだ。彼はいつもよりいい笑顔を浮かべた。


 ライトグレーのTシャツに、白い、アイロンのかけてないシャツ。

 夏は行き過ぎて、Tシャツ1枚では夕方が心許ない。

 でも足元はくるぶしが出て、そこに残った少しばかりの夏を感じさせる。


 僕は髪を結んで、なんだかリボンの付いたアクセサリーを着けられた。くすんだピンクのリボン。ますます僕はピンク好きみたいだ。

 姉ちゃんはどこからか調達してきたワンピースを僕に着せた。ノースリーブの、臙脂色、ウエストでキュッと絞られている。そこに、生成りの薄いニットのボレロを着せられた。

 なんだかUVカット仕様らしい。


 初秋もまだ、紫外線は手強い相手みたいだ。


「ねぇ、耳に着けてるの何?」

 隣の席が空いて、心持ち人が少なくなった車内で秀は座った。肩が触れる。

「イヤーカフのこと?」

「多分、それ」

「うーん、ピアスだと穴開けなくちゃいけないけど、これは被せるだけなの。ちょっとはオシャレかと思ったんだけど、こういうの、嫌いだった?」

「いや、珍しいものだと思ったから」

「そっか、あんまりメンズファッションには興味がないよね」


 メンズファッション!!

 ⋯⋯確かにあまり意識したことない。

 皆と同じ店で買えばいいかな、くらいで。Tシャツはプリントが気に入れば良かったし、貴史と見に行くと、「それでいいんじゃん」みたいな雑な感じで服を買った。


 今はあの天使様がうるさいので、気を使うし、使わなくても丁度いい何かがサッと現れる。僕のセンスは関係ない。

 天使様のチョイスで女の僕が出来上がる。


「気に入った? 女の子のもあるよ」

 そこに、言外に『買ってあげる』とあるような気がして、「そういうオシャレってちょっとまだレベルが高いかな」と言った。

「そっか、純ちゃんのファッションてガーリーだもんね」

 ガーリー? 寿司屋のアレではなさそうだ。

 曖昧に笑う。冷や汗をかく。


 ◇


「海ー!!」


 電車を降りて手を引かれて連れて行かれたのは、海だった。視界いっぱいの。

 僕はもうすぐ季節外れになるサンダルを脱いで、パタパタと砂浜を走った。でも砂に足を取られて、上手く走れない。もどかしい。

「ねぇ! 秀もおいでよ」

 秀は僕のサンダルを、腰を折って拾い、砂浜に足跡をつけながらこっちに歩いてきた。


 あ、なんか――。

 こっちに向かってくる秀が、イケメンに見えた。

 バカか、今更。


「どうですか? 今日のチョイスは」

「⋯⋯大変、よろしい」

「良かったよ、うれしいな」


 僕はどんな反応をしたらいいのかわからず、少しだけ長めのスカートを摘んで、海水に足を浸した。

 少し冷たくて、潮の匂いが満ちる。

 風が吹いて、髪はすぐに乱れた。


 秀は後ろから走ってきて、僕の背中をポンと軽く押した。僕は心底、焦って、「もう!」と拳を振り上げた。

 秀は笑いながら僕の手首を捕まえて、実に満足そうだった。心から楽しそうな顔。無邪気で、かわいい。

 秀の茶色い瞳を、じっと覗き込む。

 秀もそれに気が付いたのか、少し落ち着いた顔になる。


 秋めいてきた砂浜は、サーファーが少し見えるだけでほとんど人がいない。

 だからって正当化されるわけじゃないんだけど⋯⋯。

 秀は僕の手首を掴んだまま、唇を重ねた。


 ――ふと、これでいいのかな、と思ったことのないことが頭に浮かぶ。

 何だか順調すぎる。

 悪いが、しあわせすぎるんだけど。

 人生って、いくら天使がついてるからって、こんなにスムーズにいい方向へ進むものなのか?


「どうしたの、急に黙って。てっきりボクは叱られるかと覚悟してたのに」

 僕はまだ、秀の瞳を見ていた。

 そこに映る自分も。

 気が付くと、この生活に何の疑問も持たず、馴染んでいる。何だか怖くなる。

 秀は僕を心配そうに見た。目が伏せがちになる。睫毛がキレイに影を落とす。


「いや、なんか、しあわせって怖いかも 」

「ボクといるとしあわせ?」

「おかしい?」

「おかしくない、かも。でもそんな風に誰かに言われたことないなァ。そんな風に、真剣に」

 唇はまた触れた。

 砂まみれになった荷物を拾って、小さな駅に向かって歩いていく。

 ――駅舎の影、人目につかないところ。


 本気のキスをするのは今日だって、神様のスケジュール帳には書かれてたんだろうか?

 受け入れる気持ちがもう、僕は女の子だと認めざるを得なかった。

「好き」なのかもしれない⋯⋯。


 ◇


「ただいまァ」

 家に帰ると足は疲れ果てていて、さっきまでそんなこと感じなかったのに、と不思議な気分になる。

 気怠い足からサンダルを外して、砂を叩く。その1粒さえ思い出のように思えて、バカになったような気がする。

 キスをした後に頬を撫でた秀の、いつも繋ぐ指先の感触を思い出して、そっと、頬に触れた。


 日焼けしたみたい。

 頬が熱い。

 確かに紫外線は強敵だ。


 その時、転げ落ちるような勢いで姉ちゃんが階段を下りてきて、僕に抱きついてきた!

「おかえり! どーだった? 初デート♡」

「⋯⋯嫌な気分にさせないでよ」

「ほうほう、今日は監視モード切ってあげたのに、そのリアクションはなくない?」


 監視モードって何だよ? そっちのが知りたいわ。

「えー? だってかわいい純にさァ、悪いことが起こらないようにこれでも気を付けてんだよ? まぁ、上司命令だしィ」

「生まれ変わったのは慣れてきたから、もう大丈夫だよ、変な心配しなくても」

「そうもいかないよ! 神様はアフターケアも大切にすることをポリシーにしてんのよ。わたしの一存じゃ決まんないわけ」


 神様のシステムはわからない。

 僕はとりあえず、足を洗うと言って、胡散臭い天使から何とか逃げた。

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