第13話 愛とかバカじゃないの!?

 朝から気持ちが揺れる。

 ぐずぐずの曇り空のように。


 これはしていいのかな?

 言っておいた方がいいのかな?

 いや、僕は僕のままでいたい! 例え女になったって、僕は僕だ。

 誰にも揺るがせない。


 ◇


「おはよ」

「おう」


 ある意味、いつも通り。なんだ、こんなものか。

 何がそんなに怖かったんだろう?

 何が――何かが変わってるかもしれないことが。

「忘れ物でもした?」

「あ、ううん。大丈夫そう」

 じゃあ行くか、と貴史は言った。


 変わったのは、空の色だ。

 季節がすこぅしだけ、秒針を進めた。


 自転車をいつも通りしまってくれる姿を、じっと見てる。手を出そうと思うことなく、待ってる。

 頼もしいゴツゴツの手が、僕の自転車を並べる。ガタガタ、音がする。その中、待つ。


「ありがとう、すごく助かった」

 こんなこと、今まで思ったことはなかった。いつも自分の非力さばかりに目がいってたから。

「珍しくしおらしい」

 ははっと、貴史こそ珍しくパッと笑った。


 僕は貴史のことなら大抵のことは知ってるつもりだった。

 自分が男だった時から全部――。

 思えば、貴史はあの日から変わらない。

 あの日、僕の人生が180度、変わった日。その前からずっと変わらないもの。


「ん? どうした?」

「なんでもないよ」

 汗ばんだうなじを、風が撫でる。

 視線を感じる。気のせいでなければ――。


 ◇


「どうしたの、今日は?」

「ん?」と、秀の顔を見る。今日も仲良く並んでランチだ。

「緑が足りない」と言ったら、姉ちゃんが冷凍食品の野菜を買っておくといいと教えてくれた。

 けど、今日はまだ買ってないのでキュウリの輪切りとチーズを楊枝で刺してみた。味はわからない。けど彩りは違う。


「なんか違うと思ったから、弁当に緑を入れてみた。美味いかどうかはわかんない」

「そういうことじゃなくて、そうだなァ、何だか女の子っぽい」

「なんの話!?」

「さぁ、ボクにだってわかんないよ。髪は昨日からアップだったし、昨日と今日で何が違うんだろうね?」


 ドキッとする。

 コイツに隠し事はできないんじゃないか、と。

 それともコイツにも天使が⋯⋯ってことはないだろう。あんな天使、ひとりで十分。


 うなじに手が回る。ひゃっとなる。

 いや待て、汗かいてるし。

 ベビーパウダーを家を出る前に叩いてきたけど、この残暑、もうべとべとじゃないか?

「ダメかな?」

「だって、汗すごいよ」

「そんなのいいよ、ここに初めて触るのがボクでありたい」

 ドキッ、目が合う。キス⋯⋯はしない。


「期待させた?」

「冗談、キス魔じゃないんだから」

 くくっと秀は笑って、僕の肩にもたれかかった。

 ああ、汗の匂い。そして、秀の匂い。

 屋上の日陰、コンクリートの熱が僕たちを微睡みに誘う。このまま眠れたら、しあわせ。


 そう言えば、一緒にいても何も気兼ねしなくなったなァ。もし僕が男だったとしたら、いい友だちになったかもしれない。

 僕の空気と、秀の空気が重なる。

 そぅっと、いつものように手が触れて、僕は目を閉じたまま、知らないフリをする。


 ――愛ってヤツ。

 世の中にそんなものがあったような気がする。

 いつもは忘れてるけど。


 ◇


 家に帰ると、僕の部屋に無断で姉ちゃんが入っていた。もちろん、文句を言う。

「純が悪いんでしょ? アンタこれからどーする気なのよ!?」

「な、なんのこと」

「もうさァ」

 天使はお怒りだ。

「愛とかバカじゃないの!?」

「はぁッ? 他人の頭の中、覗くな!」


 天使ってさぁ⋯⋯遠慮なしなのかよ。

 プライベート、僕、ないじゃん。


「別に、秀ちゃんと上手く行っても別に構わないんだけどさァ、でもやーっぱり! ⋯⋯貴史はどーすんのよ。中途半端はまずくない? つーか、アンタは秀と付き合ってんだから『愛』ってゆー未来もあるだろうけど、でもさァ」

「さっきから『でも』って何?」

「いやー、なんていうの? 企業秘密? 守秘義務?」

 こっちこそ「はァ?」だわ。


「あー、『愛 』もいいよね、大事、大事。シャワー浴びてくるから、お弁当に困ったら呼んで!」

 じゃ、と姉ちゃんは風呂にダッシュして行った。⋯⋯なにしに来たんだ? 謎。


 ◇


 愛? 愛⋯⋯。なんだろう? 愛おしいってヤツか?

 そ、それは流石に飛び越しすぎっていうか。

 まだまだその最初の一歩手前、みたいな感じならあるかも。

 秀のこと、気になる。

 母親を覚えてないってのも気になるけど、それ以上にいつも独りでいる感じが拭い去れない。


 僕と一緒じゃない時、秀はたくさんの友だちと楽しそうにしてて、僕の入る場所はないし、入る必要もないと思ってた。

 男子にも女子にもウケがいいとか、すげぇなって。


 でもまさか、そういう裏事情バックストーリー知ると、知らない時に戻れるわけでもないし、やっぱり気になる。


『純ちゃん、何してる?』

『んー、ごろごろ』

『あ、ボクのがうつったね』

『バカ』


 これが恋人同士の会話かよ、と思わなくもない。

 でもさァ、これは僕が努力して、もっと女らしくしたら、変わるのかも⋯⋯とか、何度も余計なこと考えては否定する。

 僕は僕だし。


『明日は休業ってことにして、学校手前のコンビニで一緒にお昼買わない?』


 ハッ! それはつまり。


『そ』


 そ、それ⋯⋯ってさ。

 それいいねって打とうとして、指が動かない。

 なんで指先がこんなに反抗的なんた!?


『それはさ、やっぱり弁当は飽きたって』


 そこまで打って、全部消す。自意識過剰。そんなこと言われてない。考えすぎ。


『そうだね、たまにはいいね』


 弁当作るのも、それはそれで楽しかったんだけどなァ。うれしそうに食べてくれるのも、その顔を見るのも、いつも新しいものを見ているような気になって。

 自分にガッカリだ。最悪。

 ⋯⋯重い。重くないか、僕?

 こういうの、嫌われるんじゃないか? そもそも手作りって時点で、相当重いだろう。

 マジか。


 ◇


「そんなことで沈んでんの? まじウケるー!」

 さゆりんは様子のおかしな僕を見つけて、ふたりきりになれるベランダの教室からの死角に僕を誘った。

「悩み事があったらなんでも聞くよ」という甘い言葉に乗せられて、昨日のやり取りを話してしまった。


「えー、でも今朝は仲良く買い物したんでしょ? いいじゃん」

「そうなんだけどさァ、僕が勝手に始めたことだけど、秀の弁当があまりに貧しくて、もっとちゃんとした物をたくさん食べてほしくて」

「ふむふむ。両想いだわー。感動的! 彼女は彼の健康を考えて、彼は彼女の手間を考えたんだ」


 思わず目をパチパチしてしまう。

 そんなこと、全然、考えなかった。

 秀は僕の弁当はもう嫌だって遠回しに言ってきてるのかなって⋯⋯。


「聞くんじゃなかった! うらやましい」

「⋯⋯ねぇ、でもさ、さゆりんモテるでしょ?」

 さゆりんは微妙な顔をした。

 そして唇を少し尖らせて、抗議した。

「わたしはさ、誰でもいいわけじゃないの。告られても断ってる、基本。だけどいつか運命の人が現れてね、告られたらきっとわかると思うの。そしたらその時こそ『OK』だよ。恋人は一生にひとりでいい!」


 乙女⋯⋯だと思う。

 けど高校入ってから、もうふたりくらい付き合ったって噂は?

「勘は外れることもあるのよ! きっといつか、もっと強い確信的ななにかがね、教えてくれるの」

 なるほど。

 運命の人か~。考えたこと⋯⋯思わぬ人物の顔がふと浮かぶ。いやいやいや、そういう甘い関係には絶対ならないし!

 だって男だった時からずーっと一緒で、なんでも知ってるんだぞ。ないから!


 ⋯⋯運命の人と、恋人っていうのが同じじゃないってことは、あるんだろうか?

 都合が良すぎるかな? 良すぎるよな。

 でもさ、どっちともまだ離れたくないんだ。良くないことかもしれないけど、今はこのままでいさせてほしい。

 いつか、この関係が許されなくなる時まで。




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