第33話

「おい、風呂もういいんじゃないか?」

「あっ!そうだ、忘れてた!」


 ピッと、リモコンでビデオを一時停止にし、公一はパタパタと風呂場にむかう。2人暮らしになった時、役割分担を決めたのだ。

 風呂担当は公一。

 しかし、俺が注意していないとすぐ、公一は時間を忘れてしまう。

 湯をわかしすぎて煮えくり返っていたり、湯船から湯が溢れていたり。

 公一曰く、


「だって、やったことねーもん」


(ま、しょーがねーか)


 止まったままのテレビの画面を、何とはなしに見ていると、電話が鳴った。


「はい、土屋です」

「……純平さん?」


 唯志からだった。


「どうしたんだよ、全然……」


 ついつい声が大きくなり、あわてて公一の様子をうかがう……と、バシャバシャと湯をかきまわしている音が聞こえる。


(ホッ……気づかれてない)


「全然連絡もよこさないで」


 唯志の声を聞くのは、ひと月半ぶりだった。会った、となると、最後に会ったのはもっと前だ。


「すいません、ちょっと色々と……公一はそばにいるんですか?」

「いや、風呂場だ」

「そうですか」

「で、どんな具合なんだ、その……」

「あいつですか?」


 心なしか、唯志の声が弾んでいるような気がする。


「幻覚が見えはじめたようですよ」

「幻覚?」

「そう、実はね」


 純平ーっ!と、公一の元気な声が割り込んできた。

 パタパタと足音が近付いてくる。


「お風呂オッケーだぞっ」

「そうか。じゃ、先に入っちゃえよ」

「うん。そうする。……それとも純平」


 妖しげな目で公一がにじり寄って来た。


「一緒に入る?背中、流してやろーか?」

「ば……ばかっ。いいから早く」


 唐突に、ガシャっと受話器を置く音がし、電話は切れた。


(……唯志?)


「いいから早く、何?早く、一緒に入ろうって?」

「お前なぁ……」


 ため息まじりに受話器を置く。


(唯志は、何を話したかったんだ?)


「あれ、電話いいの?」

「ああ、切れた」

「誤解されたかな?」


 公一がにやにや笑いながら俺を見ている。


「は?」

「純平には男の恋人がいる、って」

「……はぁっ?!」


 クックック、と笑いながら、公一はバスタオルを手に風呂に入ってしまった。


(……誤解?唯志が?まさか、なぁ……)


 ふぅ、と溜め息をつき、再び受話器を取る。

 3コール目で唯志が出た。


「どうしたんだよ、さっきは。いきなり切って」

「ごめん、手が、すべって……」


 苦し紛れの言い訳。

 嘘に決まっている。


(唯志が、公一の半分でも素直だったらなぁ……)


「お前さ、さっき何か言いかけたろ?」

「え……あ、うん」

「何だよ、何、言おうとしたんだ?」


 声をひそめて公一の様子をうかがうと、シャワーの音に混じって鼻歌が聞こえてくる。


(よし、大丈夫)


「今、公一は風呂に入ったばっかりだから大丈夫だぞ」

「あれ、純平さん、一緒に入るんじゃないの?」


 受話器の向こうで、唯志は皮肉混じりに笑った。

 その表情は、容易に想像がつく。

 口の端を少しだけ上げて、目を細め、ポーカーフェイスのまま笑っているのだろう、きっと。


「唯志……」

「ねぇ、兄さん、今度時間取れない?」

「え?」

「会いたいんだ」

「電話じゃ、だめなのか?」

「だめ、じゃないけど……会いたいんだよ、僕は。息がつまりそうなんだ。ねぇ、時間、取れない?」


 そのセリフは、その声は、全くいつもの唯志らしくなく、何だか気になった。

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