第10話

「初めまして。有野唯志と申します。弟がいつもお世話になっているそうで」


 そう言って差し出された手もまた、女の手みたいに神経質そうな華奢な手だ。


「あ、どうも。土屋純平です」


 その手を握り返しながら、俺も簡単な自己紹介。


「ははっ、兄貴が2人になったっ」


 ロレツの怪しい口調で、公一が嬉しそうな声をあげる。


「公一……お前もう酔っているのか?」


 俺が言おうとした言葉が、一瞬早く公一の兄さんの口から発せられた。

 途端、胸にちくりと痛みが走り、憶えのある焦燥感が俺を襲う。


(まただ……何だいったい?何なんだ、これは?!)


 テーブルを挟んだ向かい合い、俺の隣では、「酔ってねーよ」「嘘つけ。ロレツ回ってないぞ」「そんなことねーよっ」「顔も赤いし」「照明のせいだろ」などと、いつもの俺と公一のようなじゃれあいが始まっている。ただ、俺の役は公一の兄さんが全て担っていて……


(いや、違う。俺が、兄さんの代わりだったんだ)


 そう思った途端、俺の中を荒れ狂っていた焦燥感は、よりいっそうその激しさを増し、そして気づいた。


(なんだ俺、やきもち妬いてたんだ……そっか)


 気づいてしまったあまりのくだらない理由に、思わず苦笑する。


(ばかじゃねーの、俺)


「もう、やめた方がいいぞ」

「いいんだよっ。おれはまだ飲むの。こんな気分のいい日に飲まずにいられるかよ。そんな、おれのことはいいからさっ・・・純平と話しろよ。おれ、静かにしてるからさ。なっ、純平っ」


 トロンとした瞳と目が合う……公一は、ニコッと笑った。

 つられて俺も笑う。が。


「おれ、嘘ついちった」

「あ?」

「え?」


 おれと兄さんとを交互に見ながら、公一は言った。


「2人に、嘘ついちった。兄さんには、純平が会いたがってるって言ったし、純平には兄さんが会いたがってるって言ったし。でもほんとは、おれが2人を会わせたかったんだ」


 思わず、公一の兄さんと顔を見合わせる。


「2人ともおれのいい兄貴だしさ。絶対合うと思ったし。2人がいい友達になれば、おれも嬉しいし、2人にとってもいいと思ってさっ」


 公一は、本当に嬉しそうに俺達を見ている。


(まったく、ガキみたいなことを)


 と思いつつ隣を盗み見ると、同じくチラッと俺を見た兄さんと目が合った。


「ま……そういうことみたいなんで」

「じゃ、とりあえず……飲みましょうか」


 どちらからともなく笑いあっていて、俺はこの人なつっこい笑顔とは、何だか仲良くなれそうな気がしていた。


「何だかしょっちゅう泊めてもらっているそうで、本当に申し訳ありません」


 心から申し訳なさそうに頭を下げる公一の兄さんに、俺は何だか親しみを覚えた。


「いえ、いいんですよ、どうせ一人暮らしだし。……って、こんな堅苦しい言葉、やめませんか。確か、同じ年じゃなかったかな、お兄さんとは」


 俺の言葉に、公一の兄さんは照れたような笑みを浮かべる。


「お兄さん、は、やめてください。あなたに呼ばれると何だか、照れくさくて。唯志、でいいですよ。ああ、僕も貴方のことは、純平さんと呼ばせてもらっていいですか?」

「もちろん」

「そうですね、年は同じはずです。公一と僕は3つ違いですから。でも、僕なんかより貴方の方がずっとしっかりしている感じがしますね」

「なぁ、あの……疲れません?その言葉遣い」


 突然、クスクスと笑い声がし、見ると公一が笑っている。


「どうしたんだ?」

「無理だよ」


 公一は笑いながら言う。


「何が?」

「兄さん、家族にも友達にもそんな感じでしゃべってるもん。普通にしゃべるなんて、たぶんおれくらいで」

「公一……」


 公一の兄さん-唯志は困ったように俺を見た。


「すいません、何か、もう体に染みついてまして。気になりますか?」


 そう言って俺を見ている唯志は、公一の言っているような【しっかりした兄】という感じではなく、何だか心細そうな……公一よりも頼りなさそうな感じがする。


「いや。じゃ、俺はタメ口でいい……かな?」

「どうぞ。たぶん僕もそのうち……慣れてきたら普通に話せるようになると思いますから」


 ホッとしたように、唯志は笑う。

 目の前では公一が、ニコニコしながら満足そうに俺達を見ていた。

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