第16話

 霜の声が聞こえる季節、庭の草木は枯れ、窓から見える景色は蕭然しょうぜんとし、夜空に浮かぶ月も冴え冴えと澄み切っているように見える。


 足元からひんやりとした冷気が上がってきて、ミュリエルはぶるりと身を震わせベッドにもぐりこんだ。風呂に入る前に温石をベットに入れておいたおかげで布団の中はぬくぬくとしている。


 カルヴァン邸を探らせている鳥たちから、ようやく有力な情報が入ってきた。幸運をもたらすミュゲの花が咲く、来年夏の初めに密輸船の出航があるということだった。


 密輸船の尻尾を掴むことと、その密輸船とミュリエルの父であるロベール・カルヴァンを結ぶ証拠を見つけなければならない。全ての証拠を揃えてからアンドレに伝えて現場を取り押さえてもらう算段だ。


 カルヴァンが密輸に関わっていると知ったのは昨年の夏、偶然だった。いつものように人々が寝静まった時間に図書室へ向かっていたミュリエルは、カルヴァンと見知らぬ男が密輸品について話しているのを聞いてしまった。暗くてよく見えなかったが大柄な男で、鼻が曲がりそうな程に体臭が匂った。


 それからは夜な夜なその男や密輸品について調べ、密輸品がアヘンだということ、自領で育てたアヘンを輸出し収益を得ているにも関わらず、国に報告せず懐にしていること。


 また、『東方貿易会社』の二重帳簿の在処も突き止めた。ブリヨン大聖堂の祭壇の床下。


 誰もが立ち入るのを躊躇し、床板を剥がすなんて罰当たりな行為だと思う聖域。ミュリエルの信仰心は薄かったが、それでも祭壇で悪事を企てるなど罰当たりなことだと嘆いた。


 会社の実態を記した帳簿とは別に、貿易収支を偽った帳簿が存在し、それを公に申告することで、出資している貴族や王族たちの配当金を低く見積もり、その差額で懐を肥やしていることを知った。


 だが密輸船についてだけがどうしても分からなかった。カルヴァンは密輸船とのやり取りに手紙や電信といった、便利だけれども足がつく可能性の高い通信手段を使用せず、最大限の注意を払っているようだった。


 ミュリエルが会話を聞いてしまったあの夜は、例の男が不意打ちで訪ねて来たのだろう。きっとトラブルがあったに違いない。そうでなければあの狡猾で強欲なカルヴァンが、他人に会話を盗み聞きされるなんてへまをするとは思えない。


 そこまで徹底して密輸船を隠そうとするのは何故なのか、何か知られてはならない大きな秘密があるはずだ。ミュリエルはきっと大物が関わっているに違いないと考えていた。


 密輸船の出港を取り押さえたところで、言い逃れされる恐れがある。トカゲの尻尾きりで終わらせるわけにはいかない。カルヴァンに痛手を負わせるだけじゃ満足しない、必ず社会的に抹殺しなければ。


 実の父親をそこまで恨みに思う理由がミュリエルにはあった。幸運の風が自分に吹きつけるのを何年でも待つつもりだった。



 ミュリエルが眠りに就きしばらくすると1階から店のドアを叩く音が聞こえてきた。

 ミュリエルはベッドから起き上がりローブを羽織ると、ローソクに火を点け1階に下りて行った。


 ドアを叩いていたのはギャビーだった。ギャビーは小さな男の子の手を引いていた。

「ギャビーさん、こんな時間にどうしたのですか」


「ミュリエルさん、弟が、弟を助けてください」顔中を涙で濡らしたギャビーは必死に懇願した。


 ギャビーの背後に目をやると、30歳くらいの顔面蒼白の女が10歳くらいの男の子をおぶって立っていた。


「どうぞお入りください」ミュリエルはドアを大きく開けてやり、中へ通した。

 物音を聞きつけたモーリスとジゼルが護身用にと火掻き棒を持ってやってきた。


「こりゃ何事だ、ギャビーじゃないかどうしたって言うんだ」


「モーリスさん急患です」ミュリエルは診察室のドアを開けた。「男の子をそこに寝かせてください」


 言われた通りおぶっていた子供をベッドに寝かせ、女は震える声で何とか説明した。「こんな時間に失礼だとは思ったのですが、息子が熱を出して…… 話しかけても何も喋らなくて……もうどうしていいか——」


「熱を出したのはいつ頃ですか?」ミュリエルはマジックワンドを取り出しスキャンした。


「朝から少し調子が悪そうにしていて、寝ているよう言って仕事に出たのです。帰ってきてみると熱を出して寝ていました。でもその時はただ寝ているだけだと思って起こそうとしなかったのです」母親はポロポロと涙をこぼした。「仕事を休めばよかった、帰ってきたときすぐに起こしていれば」


「この子の名前はなんですか?」ミュリエルが訊いた。


「ユーグです」


「ユーグさんは流感にかかっているようです」


「流感……」近所の人が流感で死んでしまったことを思い出した母親は、我が子が死んでしまうのではと思い青褪め、ギャビーと幼い我が子を引き寄せ抱きしめた。


「ユーグさんは脱水症状を起こしているようですそのため意識が混濁しているのでしょう。今から点滴を打ちますので待合室でお待ちになって下さい」


「ですが、息子から離れたくありません。どうか側にいさせてください」


「ユーグさんのことは私に任せてください。でもギャビーさんやもう1人のお子さんのことは、あなたが見ていてあげてください。同じ症状で倒れるかもしれません。変わったところがあったらすぐに知らせてください」


 ジゼルは眠そうに目を擦る幼い男の子を抱きかかえ、母親を診察室の外へ出るよう身振りで促した。


「分かりました」母親は断腸の思いでユーグから手を離し診察室を出て行った。


 モーリスが外に漏れないよう声を潜めて言った。「流感がとうとう始まったか、今年は酷くならないといいんだがな、年寄りと子供は体力がなくて大抵死んじまうからな。ちょっと待ってろ、生理食塩水を持ってくる」モーリスは工房の方へ生理食塩水と点滴の道具を取りに行った。


 モーリスは持ってきた生理食塩水を点滴棒に引っかけ、ミュリエルに点滴の道具を渡した。


 「ありがとうございます」ミュリエルはそれを受け取り、ユーグの腕に針を差し込んだ。「朝には目を覚ますでしょう。それからポーションを飲ませます。モーリスさん、ここはこれから患者さんで溢れかえるでしょう。よく効く流感用のポーションを作ろうと思います」


「ああそうだな。それがいい、配るのに俺も手伝うよ」


「戦場では負傷兵を収容するために、野戦病院というものが設置されるのだと本で読みました」


「そうだ、臨時の施設をテントと簡易ベッドで作るんだ。俺は若いころに戦争を経験してる。この体格だからな、駆り出されて野戦病院に行ったよ」


「その野戦病院をここパトリーで出来ないでしょうか?」


「そうだな、広い場所の確保と人員の確保だろう?治安警察の許可がなけりゃ難しいだろうな」


「そうですか」アンドレに頼んで手を貸してもらおうかとも思ったが、これまでにも随分と手を貸してもらっているし、マドゥレーヌのことで隠していることがあるという負い目もあったので気まずいなとミュリエルは思った。


 診察室を出て家族を呼んだ。「治療が終わりました。皆さんどうぞお入りください」


 母親はユーグの腕に刺された点滴を見るなり、息子を不憫に思い涙しながら礼を言った。


「治療を施していただき、ありがとうございます」


「朝までには目が覚めるでしょう。それから流感のポーションを飲ませます」


「皆さん感染している恐れがありますから、3日間は注意が必要です。頭痛、発熱、倦怠感、その他いつもと違うことがあれば何でも言ってください。流感は恐ろしい病気ではありません。きちんと治療すれば治りますから、安心して下さい」


「ミュリエルさん、ありがとうございます」ギャビーは涙を拭った。


「よくここまで連れてきましたね。賢い選択でした」


 モーリスがギャビーの頭をポンポンと叩いた。「朝になるのを待っていたらきっと危なかっただろう。よくやったなギャビー」


「ユーグさんは私が見ていますので、皆さんは2階のゲストルームで休んでください」ミュリエルが言った。


「そんな、申し訳ないです。私たち親子はここで大丈夫ですから」


「こんなところで寝たら余計に体調を崩します。きちんとベッドで寝てください」


「そうだよ、遠慮なんてしなくていいから、ゆっくり休んでちょうだい。ギャビーの家族なら私たちの家族も同然なんだからね。それに幼いティボーはベッドで寝かせてあげないと」火搔き棒を抱えたままのジゼルが言った。


「ジゼルさん夜遅くにありがとうございました。もう戻ってお休みください」ミュリエルが言った。


「シャンタルさんのことも心配だし、私は母屋へ戻るとするよ。何かあったらいつでも呼んでちょうだい」ジゼルは母屋へと戻っていった。


「モーリスさん、ユーグさんのことを少し見ていてください」


「俺は大丈夫だ、行ってこい」


「それでは皆さん、ご案内します」


 2階に上がっていくミュリエルに親子はついて行った。


「あの、私動転してしまってご挨拶が遅くなってしまい申し訳ありません。私イザベルと申します。いつも娘のギャビーがお世話になっているようで、食事を分けてくださったり、服や靴まで買っていただいてなんとお礼を言ったらいいか」


「それはギャビーさんが仕事で得た報酬ですから礼はいりません。ギャビーさんはよく働いてくれてとても助かっています」ミュリエルはゲストルームのドアを開けた。「ここをお使いください」


「こんなきれいな部屋、私たちが使ったら汚れてしまいます」イザベルは何日も洗っていない自分たちの服が汚れていることに恐縮した。


「構いません。汚れたら洗えば良いのです。気にせず休んでください」


「何から何までありがとうございます」イザベルは深々と頭を下げた。


「おやすみなさい」ミュリエルはドアを閉め階下へ向かった。

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