第55話「いなくなった君を想う⑥」

 その夜、詩乃は僕が横になっているベッドに潜り込んだ。

 さすがにシングルベッドで並んで寝るのは少々キツい。


「狭くない?」

「大丈夫です。むしろ、この密着具合がいいんです」

「ならいいけど……1カ月これだからね。何だったら敷布団用意するけど」

「いえ、構いません」


 詩乃は僕の背中に身体をうずめた。

 前と同じだ。

 あの時は彼女が弱っていたから、何とかしてあげたいという気持ちでいっぱいだったけれど、今は特にそういうこともないから、ドキドキしてならない。


 風呂上がりのため、ほんのりと石鹸の匂いがする。

 僕がいつも使っているものと同じだ。

 当然と言えばそうなのだけれど、それが僕を静かに興奮させてしまっていた。

 ちゃんと眠れるだろうか。


 これが、少なくとも1カ月は続くと思うと、睡眠不足にならないか心配だ。

 羊を数えようにも、余計な雑念が邪魔をする。


「大好きです」


 僕の背中で、詩乃はまた告白した。

 どうしてこんなタイミングで、という僕のちょっとした疑問が、心臓の鼓動を冷静にさせた。


「いきなりどうしたの?」

「いえ。私、あなたに会えなくなってから気づいたんです。ちゃんと自分の気持ちは言葉にしなければいけないと、一生後悔することになるって」

「それは……僕もそう思ってた。だから今日君に会えて嬉しかったし、自分の想いを伝えることができてよかった」


 もし会えていなかったら、ずっとこの後悔を引きずりながら生きていくつもりだったから。

 そんな悲しいことにならなくて本当によかったと僕は思う。


 くるりと振り返り、僕は彼女を抱きしめた。

 やっぱり細くなっている。

 服は僕が普段使っていないものを着てもらっているけれど、その上からでも彼女の骨がちゃんとわかった。


「母さんに料理、教えてくれてありがとうね」

「私は何もしてませんよ。ただ、コツを教授しただけです」

「それでも今日の料理はすごく美味しかった」

「それは、たっぷり愛情を込めたからですよ。もちろん、お義母さんから太一くんへの愛も」


 どちらも十分伝わった。

 あったかくて優しさのある味付けだったと思う。


「母さんの料理、美味しかった?」

「はい。前に食べたときより随分とお上手になられてました」

「よかった。君に褒められて、僕も嬉しい」

「もう、お義母さんのことなんですけど」

「わかってるよ。それでも嬉しいんだ。昔の僕ならこんな事絶対思わなかったのに」


 変えてくれたのは、きっと詩乃のおかげだ。

 詩乃がいたから、僕は母さんとちゃんと話そうと腹を括ることができた。

 そのおかげで現在があるのだから、彼女には感謝しないといけない。


 僕は詩乃を抱きしめ、彼女の目を見た。

 暗闇なので鮮明にはわからないけれど、詩乃は微笑んでいる。

 それだけはちゃんとわかった。


「ありがとう、詩乃」

「どうしたんですか、いきなり」

「僕も言いたくなったんだ。ちゃんと伝えられるうちに伝えなきゃって」


 君がいなければ、僕はここまで変わることはできなかっただろう。

 母さんにずっと支配されたまま、一生を終えていたかもしれない。

 きっとそれを詩乃に言えば「私は何もしていないですよ」と言うだろう。

 だけど僕にしてみれば、詩乃と出会ったことが大きな変化をもたらしてくれたのだ。


「これからもずっと一緒にいようね」

「はい、もちろんです」

「1年後も、10年後も、100年後も、ずっと君のそばにいたい」

「私もです。でも100年したら私たちもう死んじゃってますよ」

「だったら、また来世でも結ばれたいな」


 重たいだろうか。

 引かれたりしないだろうか。

 そんな不安は彼女の態度から察した。


 詩乃は僕の腰回りに腕をやり、ぎゅっと抱きしめ返してくる。


「私も、生まれ変わってもまたあなたの隣にいたいです」


 そんなことを言ってくれるから、大好きが溢れ出てくる。

 嬉しくて、胸の内から熱いものがこみ上げてくる。


 この先、どんな未来が待っているんだろう。

 少し考えてみた。


 海や山にも行きたいし、花見だってやりたい。

 夜空の景色を眺めるのもいいし、朝焼けの風景を見るのもいい。

 知らない場所に訪れて、行き当たりばったりの旅をすることだって面白いはずだ。


 その隣に、詩乃がいないという選択肢は僕の中にはなかった。


 詩乃はこれからもそばにいる。

 何があっても彼女のことは僕が守る。

 そう約束したのだから。


「キスしてもいいかな」

「もちろん、ご自由に」

「じゃあ」


 僕は再び彼女と唇を重ねた。

 ファーストキスよりもほんの数秒だけ長かったような気がする。


 詩乃はぽやぽやとどこか夢見心地な表情をしていた。

 暗闇の中だって、彼女が紅潮していることくらいはわかる。

 僕だって、世界中にこんなに甘くて柔らかいものがあるのかとドキドキして仕方がない。


「もう一回」


 今度は詩乃の方からキスをせがんできた。

 時間は先ほどと同じ、刹那のような、永遠のような時間だった。

 幸せな瞬間だった。


 そしてこの幸せはこれからもきっと続いてく。

 キスだけじゃない。

 ただ一緒にいてくれることだけで、僕は幸せなのだ。

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