第38話「だから愛して⑧」
壁時計を確認すると、時刻は11時になるかならないかという微妙な頃合いだった。
いつもならまだ起きている時間だが、今日はいろんなことがあってさすがに疲れたから少し眠たい。
それは片桐さんも同じで、うとうとと船を漕ぎ始めている。
「そろそろ寝ようか。僕はリビングで寝るから」
「いえ、一緒に来てください?」
「はい?」
「一緒に、私の部屋まで、来てください……」
キュッと、片桐さんは僕のスウェットの裾を掴む。
まるで子供のが駄々をこねるように、僕の裾を掴んで離さない。
彼女は少し顔を赤く染めて、下を向いていた。
ひょっとしたら、そういう合図なのかもしれない。
僕だってそういうことに興味がないわけではないけれど、まだプラトニックな関係を続けていたいというのが本音だ。
臆病だと言われるかもしれないけれど、まだその一歩を踏み出せる自信がない。
何かが起きたとき、責任が取れないから。
「僕は何もしないよ」
「わかってます。一緒に、いてくれるだけでいいので」
少し腕を動かして振りほどこうとしたけれど、頑なに彼女は手を離してくれない。
仕方がないので、僕は片桐さんに付いて行って、彼女の部屋に入ることにした。
マンションの中に入る時よりも緊張感がある。
「し、失礼します……」
片桐さんの自室は、やはりリビングと同じくらい質素で殺風景なものだった。
グレーのカーペットが敷かれてあるくらいで、真っ白に統一された家具から生活感は感じられない。
とはいえここが片桐さんの部屋であることに間違いはない。
緊張感は拭えず、バクバクと心臓の鼓動がうるさくなる。
「こっち、来てください」
片桐さんが手招きをして、僕をベッドに誘う。
彼女のベッドは無駄に大きくて、僕が一緒に入っても十分スペースがあった。
彼女は部屋の明かりを消し、僕の後ろに抱きつく。
「今夜は、私の抱き枕になってください。それさえしてくれれば、他には何も求めません」
ぎゅっと、片桐さんは僕の腰元に腕を絡めた。
最初は、バクバクと心臓が痛いくらいにうるさかったけれど、今日の弱った片桐さんを思い返すと、自然と緊張もほぐれ、今の現状を受け入れるくらいの余裕は生まれていた。
「寂しいの?」
「そう、ですね……ご名答です。もしかしてエスパーの持ち主ですか?」
「違うよ。なんとなくそう思っただけ」
片桐さんの雰囲気を見ればなんとなく察することができる。
やっぱり明るく振る舞っていても、心の奥底は暗く淀んでいるのだ。
だから誰かにすがってしまう。
見知らぬ誰かだったり、僕だったり。
今日、本当の意味で初めて彼女の弱い部分を見ることができたような気がする。
誰にも見せることがない、自分の弱さ。
僕なんかが知ってしまっていいのだろうかと思うけれど、多分僕だから片桐さんは見せているんだろう。
自惚れかもしれない。
だけど、そうだと言い切れる自信はあった。
根拠なんてものはどこにもないけれど。
「村山くんの背中、思っていたよりも大きいんですね。なんだか、男の子って感じがします」
「僕は男だよ。何を今更」
「そうですね。ごめんなさい」
ふふふ、と僕の背後で彼女は微笑んだ。
それに比例して僕を抱きしめる力がほんの少し強くなる。
抱き枕になるのも楽ではない。
寝返りもできないし、大変だ。
「だけど今日の村山くん、とてもカッコよかったです。まるで白馬の王子様みたいでした」
「そんなことを言われると照れるな……」
「だって、本当に私のところに助けに来てくれたんですもの。そう見えてしまうのも当然です」
「僕、何もしてないんだけど」
僕がやったことと言えば、片桐さんの話を聞いて、みんなで花火をしたことくらいだ。
相手をコテンパンに打ちのめしたとか、やっつけたとか、そういうことは何一つしていない。
そもそも容姿も整っている方ではないし、僕を王子様だなんて少々買いかぶりすぎではないだろうか。
「私にとっては、あなたがそばにいてくれるだけで、とても心が救われたんです」
「そんなもんかな」
「そんなもんです」
ならそういうことにしよう。
僕は片桐さんの方を向いた。
寝返りができないのはやっぱり窮屈に感じる。
「な、何ですか?」
「いや、僕だけ一方的に抱き枕にされるのはどうかなって思って」
だから僕も片桐さんを抱きしめた。
華奢で、小柄で、僕が想像していた以上に女の子らしかった。
最初は驚いていた片桐さんも、僕を受け入れ、また同じようにぎゅっと腰回りに手を伸ばす。
「これからもそばにいてくださいね」
「いるよ。必ず」
口約束なんて簡単にするものではないけれど、ちゃんと言葉にしておきたかった。
彼女の居場所になると決めたから。
それもあるけれど、一番は単純に僕が一緒にいたいからでもある。
そう言ってしまうくらいには、僕の中で片桐さんの存在は大きなものとなっていた。
「何があっても、そばにいます。片桐さんのことを守ります。だから、片桐さんも僕のそばにいてください」
「……はい」
僕たちはぎゅっと抱きしめ合ったまま、眠りに落ちた。
深く深く、夢の世界へとまどろんでいく。
あたたかくて幸せな時間だ。
この瞬間がずっと続けばいいのにと願ってしまうくらいに。
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