第37話「だから愛して⑦」

 後片付けを終えて、僕と片桐さんは須藤たちを駅まで送り届けた。


「今日はありがとうございました」

「このくらいお安い御用さ。また何かあったらいつでも呼べよ。村山に襲われた時なんか、こいつ蹴っ飛ばしてやるから」

「しないよ、そんなこと」

「わっかんないよー? 村山くん、むっつりだから」


 余計な風評被害が生まれる前に退散してほしいものだが、生憎電車はあと10分しないと来ない。


 案の定、片桐さんはニヤリと不敵な笑みを浮かべて僕の顔を覗き込んだ。

 僕がよく知っている片桐さんの顔だ。


「へえ。村山くん、むっつりなんですね」

「うるさい」

「おや、否定しないということは認めるんですね?」

「……うるさい」


 顔が熱くなった。

 だって実際そうなのだから。

 自分で指摘するのは恥ずかしいけれど、オープンかクローズか、どちらかと問われたら僕は間違いなく後者ではある。


 3人はその後も電車が来るまで僕をからかい続けた。

 あまりこの手の話は好きじゃないし、終始恥をかかされたままだった。

 相手が片桐さんたちでなければ立腹していたところだろう。


「もういいよこの話」

「ははは、悪い悪い。じゃ、俺たち帰るわ。何かあったらすぐに相談しろよ」

「ああ、わかってる」

「お前じゃねえよ。片桐さんに言ったんだ」


 当然片桐さんも「もちろんです」と笑顔で答えた。

 明るくなった彼女の表情を見届けた須藤は、優しく微笑み、藤堂さんの手を取って電車に乗り込む。

 長いようで、意外と短い10分だったと今更ながらに思う。


「それで、あなたは帰らなくていいんですか?」

「あはは、そうだね……でも、今日、母さんのところから飛び出してきたんだ。だからちょっと帰りづらくて」

「そうなんですね」

「でさ、もし、君さえよかったら、今晩だけ泊めてもらえないかな」

「構いませんよ。私を助けてくれたお礼です」


 即答だった。

 断られたら野宿でもするかと覚悟していたのに、こうもあっさりしてしまって少し拍子抜けする。


「では戻りましょう」


 片桐さんは僕の手を握り、また自宅へと戻った。

 初めて足を踏み入れるときよりも緊張感はない。

 とはいえ、白くて何もない部屋に入ってしまったら、緊張とは別の圧迫感が押し寄せてくるけれど。


「先、お風呂入っちゃいます?」

「いいよ、遠慮する」

「そういうわけにもいきません。エチケットというものをご存じないのですか?」

「……それを言われたら手厳しいな」


 仕方がないので彼女の浴室を借りることにした。

 浴槽の隅から隅まで綺麗で、カビの痕跡すら見つからない。

 ちゃんと手入れはされているようだ。


 ここで、いつも彼女はお風呂に漬かっているんだ。

 そう思うと妙な興奮が抑えきれない。

 僕はシャワーを浴びてすぐに浴室から出た。


 着替えは片桐さんが、父親の使っていたスウェットを貸し出してくれた。

 下着はさすがにキャンセルしたけれど。


 身体を拭くバスタオルも丁寧に用意されていた。

 ふんわりと柔らかくて、柔軟剤のいい匂いがする。

 片桐さんの匂いだ。

 まるで彼女に包まれているような温かさがあって、疲れもあるからそのまま眠ってしまいそうな抱擁感があったけれど、人様の家で真っ裸で寝るのもよろしくない。


「もっと長くお風呂しててもいいんですよ」

「平気、大丈夫。申し訳ないから」


 更衣室の向こうで彼女の声が聞こえた。

 逆に覗かれるのでは、という不安もあったけれど、そんなことはなく、スウェットを着て脱衣所を出た。


 扉を開けると既に片桐さんがスタンバイしていて、少し驚いた顔でこちらを見る。

 そんなにお風呂に入りたかったのか。


「あの、村山くんの服、洗濯しちゃいますね。多分朝には乾いていると思いますけれど」

「じゃあ、お願いしてもらえるかな」

「かしこまりました」


 僕と入れ違う形で彼女が入浴する。

 さっきまで僕が使っていた浴室で、彼女がシャワーを浴びている。

 なんだか言葉にしがたい罪悪感に苛まれそうになり、僕は急いでリビングに戻った。


 やはり女子の入浴時間は男子の僕と比べると明らかに長い。

 僕が短かった、というのもあるけれど、それでも片桐さんの入浴時間は長かった。

 母さんでももう5分くらいは短いだろう。


 彼女が上がってくるまで、何気なくスマホを眺める。

 やはり母さんからの鬼電と大量メッセージは見ていてあまり気分のいいものではない。


『一人にしないで』


 その言葉を見て少し胸が切なくなる。

 母さんが僕を支配しようとする根底にあるのは、孤独から逃れるためだと僕は勝手に思っている。

 もしそれが本当だとしたら、環境は、母さんは、変わるかもしれない。


『明日帰る。友達の家に泊まるから、心配しないで』


 それだけ打ち込んで、またメッセージアプリを閉じた。

 必要最低限の情報しか伝えていないから、これ以上詮索されるのも面倒だし、お礼参りされるのもなんだか嫌だ。

 そもそもお礼を言われるような親御さんなんていないし、今の母さんと片桐さんを会わせたくはない。


 ガチャリ、とリビングの扉が開いた。

 風呂上りということもあり、片桐さんの髪はいつもよりしんなりとしていて、パジャマという比較的ボディラインが出やすい服装であるから、妙に色気があった。


「村山くんのえっち」


 ニヤリとまた彼女は笑う。

 うるさい、と言って僕は彼女から目線を逸らした。

 いつも通りの片桐さんに戻ってくれたのは嬉しいけれど、そういう悩殺するようなことは今後しないでいただきたいものだ。

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