お隣さんクライシス

そうざ

The Neighbor's Crisis

 お隣のナオさん宅から作業服の男が数人、汗を拭き拭き出て来るのを、カズコは劣化したブロック塀に出来た穴から見ていた。男達は皆、茶髪だったり、ピアスを付けていたりと、灰色の作業服を着ていなければ如何にもちゃらちゃらとした若者だった。

 彼等のワゴン車が走り去るのを確認すると、カズコは直ぐ様ナオさんのもとに駆け付けた。

 だが、当のナオさんは暢気のんきなものだった。

「若い人達とお喋りするのは楽しいですよ。おほほほっ」

 笑っている場合じゃないでしょうが――カズコは心底そう思った。

 御年九十歳になるナオさんは、早くに夫を亡くしたその後も、息子さん夫婦が同居を望まないようで、もう何十年も一人暮らしを続けている。幸いにして矍鑠かくしゃくとした毎日を送っているものの、カズコは例の作業員達の事が気になって仕方がなかった。

「この家、古いでしょ。私と同じで彼方此方あちこちにガタが来ちゃってね。おほほほっ」

 冗談を言っている場合じゃないでしょうが――カズコは真剣にそう思った。

 近年、住宅ラッシュに沸くこの地域において、ナオさんの老朽化したお宅は一際ひときわ異彩を放っている。タールを塗りたくった下見板の上に古めかしい銀色の瓦が重たくし掛かっている風情は、正に昭和の遺物と言った感じで、それなりの築年数を経ているカズコの住まいと比べても可哀想なくらい見劣りする物件だった。

 そんなナオさん宅に作業員は毎日のようにやって来ては、縁の下や屋根裏に入り込み、トンカントンカン何やら工事をして行く。どう見ても怪しい。

 ナオさんは質の悪い詐欺に騙されているに違いない――カズコは、再びナオさんを訪ねた。

「ナオさん。私が預金通帳と印鑑を預かってあげましょうか?」

「はい?」

「一人暮らしは何かと無用心でしょう?」

「あぁ……ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。ちゃんと仕舞ってありますから……」

「遠慮する事ないのよ。私達、お隣さん同士でしょ」

 結局、この時は意固地なナオさんに根負こんまけしたカズコだったが、普段から隣同士のよしみで何かと世話を焼いていた。スーパーで安売りがあればまとめて買って来てあげ、家の前に捨て猫を見付ければ保健所に連絡し、訪問販売の類が来れば直ぐに追い払ってやった。しかし、それらを当然と思っているのか、ナオさんはお裾分け一つ持って来ないのだった。

 好い年をして近所付き合いの基本が出来ていない――そう思いつつ、放って置けないカズコだった。


 或る日、カズコがベランダの洗濯物を取り込んでいると、お隣から和気藹々わきあいあいとした会話が聞こえて来た。縁側で茶菓子をつまみながら一服している作業服の面々に交じり、ナオさんが快活に喋っている。

「皆さんみたいに親切な人ばかりだったら、もっと住み良い世の中になるのにねぇ」

 親身な聞き役に徹した作業員達は、そうだそうだとばかりに頷いている。

 ナオさんは相変わらず危機感の欠片もない。情けないやら腹が立つやら、カズコは我慢の限界に達し、お隣に乗り込んで行った。

「まぁまぁ、一体どうしたっていうんですか、一緒にお茶でも如何いかがですか?」

 カズコは、目を丸くするナオさんを家屋の裏手に引っ張って行き、叱り飛ばした。

「あの連中はね、ナオさんの財産を目当てに何の意味もないリフォームをしてるのよっ。どうしてそれが解からないのぉっ!」

 ナオさんは、カズコの説教に恐縮しつつも震える唇で懸命に訴える。

「大災害が起きるって言うのよ。そうなったらこんな草臥くたびれた家は簡単に潰れちゃうわ。この家には思い出が染み付いてるの。この家を失くしたくないのよ」

 そのかたくなさが、カズコの喉元まで上って来ていた台詞を遂に吐き出させてしまった。

「どうせ老い先短いんだから、今更リフォームなんかしたってしょうがないでしょうがっ!」

 それ切り、ナオさんはもう何も言わなかった。

 二人が縁側に戻ると、そこにはもう人影はなく、工事が完了した事を示す請求書が一枚、湯飲み茶碗の下に添えられているだけだった。よく解らない工法や器具名が細かく列記され、欄外に振り込み先の口座番号が記されている。法外と思える額だった。

 カズコはもう、こんな金を払う必用はないわよ、とも言わず、そそくさと帰ってしまった。


 数日後、ご近所一帯は水没した。台風の通過中に起きた大地震と大津波は、何もかもを濁流の中に呑み込んでしまった。

 一面に広がる泥の海原の只中、カズコは何とか板切れにしがみ付いて浮いていた。

 家を失い、家族の生死も判らない。当然、ナオさんの家も押し流され、ナオさん自身も水の底に沈んでしまったかも知れない。

 もし万が一生き延びていたら、謝らなければならない。リフォーム詐欺の真偽は兎も角、大災害は本当に起きたのだ。

 次第に冷たくなって行くカズコの耳に、奇妙な電子音が聞こえて来た。音は鉛色の空の彼方から徐々に近付き、やがてカズコの上空で停止した。

 それは、ナオさんの家だった。

 真下から見た床下は精密機械で埋め尽くされ、所々に色取り取りのランプが規則的に点滅していたが、それ以外は元のままの草臥れた外観を保っている。一体どんな仕組みで中空に浮いているのか、見当も付かなかった。

 カズコが口を閉じるのも忘れて見上げていると、以前から建て付けが悪いと聞いていた硝子窓がスムーズに開き、ナオさんがひょっこりと顔を出した。そして、壁板の一部がスライドし、如何いかにも頼もしい大きなマジックハンドが伸びて出た。

 ナオさんは、眼下の光景を感慨深く見ていた。

 有り金の全てを注ぎ込んですっからかんになったものの、出入り業者は完璧なリフォームを施し、その上でちゃんと『人工大災害』を引き起こしてくれた。これでもう長年にわたる隣人のお節介から解放される。

 頼んでもいない安売り品を押し付けられた事、飼おうと思っていた猫を取り上げられた事、訪問販売員との愉しいお喋りを邪魔された事等々、口惜しい記憶の数々がナオさんの脳裏に蘇っていた。

 一方、九死に一生を得た思いのカズコは、近所付き合いの大切さはこういう時にこそ功を奏するのだと満悦の境地にあった。

 ナオさんにとって、隣人がしぶとく生き残っていた事は、寧ろ願ってもいない好機と言えた。ナオさんは自らの手で溜飲を下げるべく、マジックハンドの操作レバーに容赦なく力を込めた。

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お隣さんクライシス そうざ @so-za

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