#10 あの音が響く先で

「あたしさ…」


 そのまましばらく、走り回って遊ぶ四人をぼんやりと見つめていたが、ふとユキちゃんが口を開く。


『ん?』とわたしが聞き返すと、ユキちゃんは静かに目を伏せる。


「あたし、あんたが羨ましいんだ。」


 ユキちゃんの口から出た言葉に、わたしは驚いて『え?』と声を上げる。


 彼女は大きなため息を吐く。でも、なぜか顔は笑っていた。


「あんたはどんなときだって辛い顔なんて見せないで、笑ってる。そんで、みんなを笑顔にさせてる。」


 いつもの怒ったような彼女の声より、なんだか優しくて柔らかった。


 わたしはなぜユキちゃんが突然そんなことを言い出したのかが不思議で、首を傾げる。


「知ってた?あんたが居るときと居ないときじゃ、音楽室の空気全然違うのよ。あんたが居るだけで、雰囲気が一気に明るくなる。」


「……そうなの?」


「そうよ。もはやあんたのそれ才能でしょ。カリスマよカリスマ!凄いんだよ、あんたは。」 


 ユキちゃんは吐き捨てるようにそう言い切ると『あたしにはそんな才能ない』と投げやりに言い放つ。


「凄いって…」


「凄いに決まってんじゃん!あんたは自覚ないかもしれないけど、そもそも家は金持ちのお嬢様だし。天然ボケの割には成績いいし。みんなに好かれてるし。『勝ち組』っやつよ」


 ユキちゃんが何を言っているのか、理解しようとしてもやっぱり分からない。


 才能?カリスマ?勝ち組?こんなわたしが?そんなこと初めて言われた。全然、ピンと来なかった。


「…あんたが吹奏楽部を作ろうって言ってきたときから、ずっと疑問だった。なんで、そこまでして吹奏楽部にこだわるの?なんで、そんなにみんなを笑顔にさせようとするの?」


『教えてよ。』と、ユキちゃんはわたしの目をじっと見つめた。


 ユキちゃんがずっとわたしにそんな疑問を抱いていたとして、何故今このタイミングでそれを打ち明けたのだろうか。


……わたしのそういう言動は、今に始まったことではないのに。


「わたしは…」


 わたしはそう言いかけたが、すぐに言葉を失う。そして自分の腕の中に眠っているホルンを見ながら、いままでのことを思い返していた。


 ユキちゃんとふたりでオルガンを弾いた。


 オルガンをとっても上手に弾きながら、悲しそうに泣いていたユキちゃんの、初めて笑っている顔を見たとき。


 わたしは、心の底から何か強い感情が湧いてきたのを覚えている。

 

 それが、『嬉しい』という感情だと知ったとき、わたしの夢は始まりを告げた。


 クラスのみんなが、わたしとユキちゃんの演奏を聴いて楽しんでくれた。 


 笑ってくれた。


 また、『嬉しい』が溢れた。


 音楽は、人を笑顔にするのだと知った。


 だから、今度はクラスメイトだけじゃなくて、もっとたくさんの人に演奏を聴いてもらいたいと思った。 


 中学の部活で吹奏楽部に入れば、それが可能になると思ったのだ。


 学校の体育館のステージで演奏すれば、生徒のみんなが笑った。


 お祭りや公民館でのステージで演奏すれば、町のみんなが笑った。


 コンクールの県大会で演奏していい賞をとったら、部員のみんなが笑った。


 中国大会に行けたら、今度はもっとたくさんの人に演奏を聴いてもらえるかもしれない。


 もし奇跡が起きて全国大会まで行けたら、もしかしたら全国の人々に演奏を聞いてもらえるかもしれない。

 

 そうすれば、もっともっとみんなが笑顔になれる。


 音楽には、人と人を繋げる力がある。


 人と人が繋がり、仲間になれば、自然とそこに笑顔が生まれる。


 五線譜上の音符たちが連鎖しているように、みんなの笑顔の連鎖が続いていく。


 わたしが笑顔になれたのだって、仲間ができたのだって、音楽のおかげだから。


 音楽は、みんなを笑顔にさせる力がある。


───わたしの夢は、音楽で世界中のみんなを笑顔にさせること。


 その夢を叶えるために、わたしはいままでずっと頑張ってきた。


 人生でたった一度しかない中学校生活の青春、すべてを掛けてきたんだ。


「やっぱり今はまだ、ユキちゃんには秘密!もう少しだけ後に、ちゃんと話すね。」


 わたしはこの思いをそっと胸にしまうと、ユキ向かって誤魔化すようにへへっと笑う。


「……なにそれ。」


 ユキちゃんは不満げな顔を見せたが、次の瞬間にはふふっと可笑しそうに笑っていた。


「なにもう、急に変なこと言って」


『びっくりしたじゃん』と不満を零しながら、わたしもユキちゃんにつられて笑った。


「ま、何はともあれコンクール頑張ろうね!めっちゃ上手いソロ吹いて、審査員をビビらせよ!」


 わたしはユキちゃんの肩をポン!と叩く。


「…そうね!」


 ふたりで顔を見合わせて笑い合っていると、ユキちゃんが突然ハッとしたような顔をした。


「あ、そろそろ第二部が始まるかも!」


 ユキちゃんが自分の手首につけている腕時計を見る。『やばいじゃん!』と、わたしたちは焦り出した。


 川岸で走り回っているトッくんを呼び戻し、会場の中に戻ろうとした。


「あっ!まっておねえちゃん!」


 そのとき、後ろから服の裾を引っ張られて止められた。


 振り返ると、そこに居たのはのんちゃんだった。川岸から急いで戻ってきたのか、ハァハァと息が切れている。


「あの、あのね…おねぇちゃん!」


『えっと…』と躊躇するようにもじもししながらも、意を決したように顔を上げる。


「わたし、大きくなったら絶対に吹奏楽部に入るね!」


 のんちゃんは満面の笑顔を浮かべてそう言った。


 わたしはハッとする。彼女の一人称が『のんちゃん』から『わたし』へと変わっていたのだ。


「そしたら、お姉ちゃんと楽器吹きたい!わたしがおねえちゃんみたいに吹けるようになったら、いっしょにふいてくれる?」


 その瞳は、どこまでも希望に満ち溢れていた。


 ついさっきまでずっと泣いていた面影は、もう彼女からは消えていた。


 誰にも気にも止められず、気が付かないまま踏みつけてしまいそうな雑草から、ひょこっと蕾ができた瞬間のような、そんな笑顔だった。


 小さくて、か弱くて、でも確かに立派な花の蕾。


「……そっか。」


 わたしは優しく笑った。その場でしゃがんで、のんちゃんと目線を合わせる。


「じゃあわたしも、のんちゃんが大きくなるまで、ずっとここで、待ってる。」


 わたしはのんちゃんの目の前に、小指だけ立てて差し出した。


 あぁ。この子が大きくなった姿を見てみたい。


 小さな小さな蕾のこの子が、やがて大きくて美しい花を咲かせる瞬間を。


 わたしたちのように楽器を吹いて、かげがえのない仲間たちと笑い合っている姿を。


『吹奏楽部に入ってほしい』だなんて、この子達に真剣に願った訳では無いのに。


 そんな未来が本当に起こればいいなと、心の何処かで想っているわたしが居た。


「約束だよ。」


「……うんっ!」


 のんちゃんも指を出した。それは本当に小さくて、いとも簡単に折れてしまいそうだった。


 互いの指を混じり合わせ、固く結んだ。解けないように。千切れてしまわないように。


「カナ!早く!」


「カナちゃん、始まりますよー!」


 と、遠くからユキちゃんとトッくんの声が聞こえた。わたしは『はーい!』と返事をする。


 急がないと、もうすぐ本番が始まってしまう。


 と、その前に、後ろを振り返ってのんちゃんに『じゃあね』と手を振った。


 のんちゃんも『うん!』と満面の笑みを浮かべた。


 どこまでも広くて青くて大きい空の下、風を切って勢いよく駆け出した。 
























『Beyond that sound』







 ーーーーーーーーーもしも、わたしが消えてしまったとしても。






 わたしの音は響き続ける。


 もし、わたしの音が誰かに届いたら。


 わたしの音が響く先で、また。


 どこかの誰かの音が、ずっと響き続けるから。 




 音楽は、鳴り止まない。




















【2020年4月9日】


「うーん、やっぱり似合ってない…」


 鏡の中に移る自分の姿を凝視し、眉を潜める。その姿は、まだ違和感しかない。


 新品で汚れ一つないポロシャツは、なんだか動きづらく感じる。


襟にきつく結んだ緑色の紐リボンのせいで、首を絞めつけられているような気分だった。


 数年前に従来のセーラー服の制服から、女子はチェック柄のジャンバースカートの制服に移行された。


 デザイン自体はとても可愛い。だが地味な自分にはとても派手で、きっと似合っていないだろう。


「のんちゃん!もう出なきゃ!遅刻するよ!もう、中学校は遠いんだから!」


 そんなことを考えていたら、お母さんに怒った声で呼ばれ、「はーい」と返事をする。


 ああそうか。中学校は山の上だ。


「あ、忘れ物…」


 『若の宮中学校 篠宮しのみや花音かのん


 今日から通い始める学校の名前と、自分の名前が彫られた名札を胸につけると、通学用のリュックを背負って部屋を出る。


 まだ履きなれない黒のローファーを履くと、玄関のドアを思いっきり開けた。


 早朝の清々しい空気を、花音は胸いっぱい吸い込んだ。



「……行ってきます!」  


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あの音が響く先で 前奏 秋葵猫丸 @nekomaru1115

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