#08 わたしの代わりに

「それ、どういうこと…?」


「学校の休みのじかんにみんなが、お外で鬼ごっこしてたの。のんちゃんね、入りたかったから『いれて』っていったの。そしたら『やだよ』っていわれたの。『足がおそい人は入っちゃダメ』って、さんが…」


 のんちゃんは比較的落ち着いた様子で、静かに語る。でも、その体は震えていた。


「ほかのみんなは『いいよ』っていわれるのに、なんでのんちゃんだけダメなのかな…」


 その瞳からは、堪えきれずに涙がポロポロと溢れ出していた。


 この子の話からは、『仲間外れ』や『いじめ』という言葉が真っ先に浮かんだ。ママが、小さい頃に繰り返しわたしに聞いた言葉だ。


 わたしが深堀したせいで、のんちゃんに辛いことを思い出させてしまった。そう思うと、申し訳ない気持ちになった。


 「な、泣かな…」


 わたしは咄嗟にそう言いかけたが、途中で言葉が止まってしまった。


 ふいに、小さい頃の自分と、この子の姿が重なった。


 昔のわたしは、いつだってどこにいたって周囲との壁を感じ、いつもひとり孤独だった。


 わたしはこの少女が受けている『いじめ』のように、意図して周囲から仲間外れにされていたという訳では無かった。


 単純に、自分から周囲と壁を隔てていただけ。ひとりで居ないといけないと思っていたから。

 

 でも今思えば、本当は友達が欲しかったのだと思う。

 

 家のすぐ目の前に公園があり、自室の窓からちょうどその公園の様子がよく見えるのだ。

 

 わたしは自室の窓から顔を覗かせて、同年代の子達が楽しそうに遊んでいる様子をいつも眺めていた。


 同年代の子供たちがが楽しそうにはしゃぐ声が、部屋の中までよく聞こえてくる。

 

 いいな、楽しそうだな。

 

 わたしもあの中に入れるのかな。入ったら、きっと楽しいんだろうな。


 でも、自分の真っ白な肌が目に入るたび、そんな希望はすぐに崩れ落ちた。


 やっぱりわたしはがいこくじんだから、みんなと遊べるわけないんだ。


 そう思い諦めて、聞こえてくる楽しげな声を聞きながら、自由帳を開いて絵を描いていた。


 絵の中では、絵の中だけは、理想の自分の姿を自由に描き続けながら。


『五線譜で結ばれた音符たちと同じように、音楽で繋がれている人たちはみんな友達なんだよ。』


 わたしはかつての、ユキちゃんから聞いた星楽ちゃんの言葉を思い出す。


 ユキちゃんに出会えて、トッくんに出会えて、北上先生に出会えて、みんなに出会えた。


 どうしてわたしの毎日は、こんなに変わったんだろうか。


 わたしはホルンを横に置くと、手を大きく広げ、『おいで。』と言う。


 すると、すぐにのんちゃんがわたしに抱き着いてくる。まるで助けを求めるかのように。


「ねぇおねえちゃん…のんちゃんも、みんなと仲良くしたいよ。ひとりぼっちなの、やだよぉ…さみしい…」


 わたしの胸で、精一杯声を張り上げて泣いている。


 心の、叫びだ。孤独なこの少女の、悲痛な叫び。


 どうしたらいいだろう。この子を、どうしたら笑わせられるだろうか。

 

 わたしは救いを求めるよう、咄嗟にベンチに置いた自由帳に手に伸ばす。あの絵は、まだ残っているはずだ。


「……泣かないで。」


 わたしはのんちゃんを膝の上に座らせる。そして自由帳のとあるページを開くと、顔を隠すように持ってくる。


 ねぇ、『君たち』の出番だよ。


 お願い、この子を笑わせて。


「泣かないで。のんちゃん、僕たちが君を笑顔にしてあげるよ。」


 わたしは幼い頃描いた『おんぷちゃん』たちが全員集合して決めポーズを取っている絵を、のんちゃんに見せる。過去最高の自信作だ。


 のんちゃんは突然のわたしの奇行に、『え…?』ときょとんとした顔をする。


「始めまして!僕たちは、『おんぷちゃん』だよ!僕らのことは、知っているかな?」


 わたしは自由帳を左右に揺らし、声をアニメに寄せるため不自然に高くする。


 あくまで『自分はカナちゃんじゃなくておんぷちゃん』だと強調するため。


 のんちゃんはしばらく呆然としていたが、こくりと頷いた。


「『カナちゃん』は僕ら『おんぷちゃん』の仲間で、笑顔を守る戦士なんだよ。」


 わたしの言葉に、のんちゃんが『おねえちゃんもなの?』と首を傾げる。


「でもおねえちゃんは、テレビに出てきたことないよ?」


「そうだね。カナちゃんは、僕らとは違う街の平和を守っているから、テレビには出られないんだよ。」 


 ちらっと自由帳から顔を覗かせて様子を伺うと、のんちゃんは『信じられない』と言った具合に呆然としていた。


 内心では気が気ではなかった。小学生相手に、こんな幼児向けの子供騙し、流石に通用しないだろうか。


 不安ながらも、わたしは『おんぷちゃん』になりきって強引に話を進める。


「若の宮中学校の吹奏楽部は、カナちゃんが作ったんだ。カナちゃんの仲間の『ユキちゃん』と『トッくん』の三人で一緒に作ったんだ。そして、『吹奏楽部』は出来たんだよ!」


「…そうなの?」


 のんちゃんは驚いている。わたしは『そう!』と頷くと、話を続けた。


「カナちゃんは、僕たち『おんぷちゃん』と同じで、ずっと音楽室のみんなの笑顔を守るために頑張っていたんだ。でもね、もうすぐカナちゃんは音楽室から居なくならないといけないんだ。」


 すると、のんちゃんが『え…?』と声を上げた。


 それは出任せでも何でもなくて、本当のことだった。


 この定期演奏会が終われば、次は吹奏楽コンクールがある。 そのコンクールが終わってしまえば、わたしたち三年生は引退しないといけない。


 ずっと、音楽室にいるわけにはいかない。どれだけまだここに居たいと願っても。


「カナちゃんたちが居なくなっても、演奏は終わらない。次の代へと誰かが、つないでいかなきゃいけないんだ。」


「ツ…ナグ…?」


「だからカナちゃんは、君にお願いをしたいんだって。」


 そこまで話すと、わたしは左手でのんちゃんの顔に手を伸ばす。彼女の純粋な瞳に、僅かに涙が残っていた。それを、優しく拭き取った。


 わたしは息を大きく吸う。


「君が今よりもっと大きくなって、中学生になったら、吹奏楽部に入ってほしいんだ!」


 わたしが演じる『おんぷちゃん』にそう言われたのんちゃんは、大きく目を見開く。

 わたしはのんちゃんの小さな、小さな手をぎゅっと強く握りしめた。


「…すいそう…がくぶに…?」


「カナちゃんはもう、みんなの笑顔を守れない。だから、君がカナちゃんの代わりに音楽室に行って、みんなの笑顔を守る、次世代の戦士になってくれ!」


『僕らからもお願いだ!』と、わたしは頭を深く下げる。


 わたしは決して、本気でこんなことを言っている訳ではない。のんちゃんをわたしの代わりにしようだなんて、常識的に考えて本気で思うはずない。


 この少女はたまたま演奏を聴きに来てくれた大勢の観客の中の、たったひとりでしかない。ましてや、世の物事を完全には理解しきれない年頃で。


 そんな少女に向かって本気でそんなことを願うなんて、それはそれは馬鹿げた話だろう。


 ――――そう、これはちょっとした『賭け』なんだ。


 もし仮にこれでこの子が将来、本当に吹奏楽部に入ったら、それはそれは『大当たり』だ。だけど、外れたら外れたで別にそれでもいい。


 むしろ、その可能性のほうが高いだろう。この子がもしわたしのこの言葉を本気にしたとしても、それはきっと今だけだ。


 この子のこれからの人生はずっとずっと長い。だから、すぐに今日のことなんて忘れるだろう。


 覚えていたとしても、それは幼少期の楽しかった思い出の一ページにとしてでしか残らないと思う。


 でも、別にそれでもいい。


 ……わたしの目的は、ただこの子を笑顔にさせることだ。


 不遇な幼少時代を生きる少女に、わたしのこの言葉で、一瞬だけでも確かな希望と使命を与えられるならば。


 もしかしたらそれは、この子がこの先強く生きるための大きなかてになるかもしれないから。


 不遇な境遇を生き抜き、この子が心からの幸せを掴んだその時、わたしの存在は忘れられていたとしても構わない。


 のんちゃんは、しばらく考え込むように俯き、黙っていた。


「すいそうがくぶに…」


 のんちゃんは俯いたまま、わたしの手を強く握り返した。


「すいそうがくぶにはいったら、のんちゃんもおねえちゃんみたいに、おともだちできる?もう、ひとりぼっちじゃなくなるかな…?」」


 のんちゃんのその言葉に、わたしはハッとして、自由帳を顔から外した。


 すると、目の前にはわたしの瞳をじっと見つめるのんちゃんの顔があった。


 不安そうな、泣きそうな、訴えかけてくるような瞳で。


 こんなに小さな瞳なのに、目を背けたくなるほどの真剣さや本気さを孕んでいた。


「……うん」 


 わたしは優しく微笑むと、自由帳を下ろす。今度は『カナちゃん』として、のんちゃんの頭をそっと撫でた。


「できるよ。きっと。たくさんのお友達に出会えるよ。」


「でものんちゃんはずっとひとりぼっちで、ともだちなんていちどもできたことないよ…?」


 のんちゃんは今にも泣きそうな瞳で、わたしに訴える。


「今はひとりぼっちかもしれないね。でも……」


 わたしは立ち上がると、ベンチに座るのんちゃんに手を差し出した。


 のんちゃんが恐る恐ると行った様子で、わたしの手を取る。その手は小さく震えていた。


 わたしはその小さな手を力いっぱい引っ張る。のんちゃんが『わぁっ?!』と声を上げる。


 走って、走って、走ると、目の前にはなだらかに流れる川がキラキラ光っていた。


 わたしは河辺に立つと、再びのんちゃんの目線に合わせてしゃがみ込む。


 手で風を切って、空を指さした。きょとんとした顔の少女に『見て!』と笑いかけた。


 わたしの指さした先には、果てしなく大きな空が広がっていた。


 どこまでも青くて、広くて、終わりなく遠くまで続いていく空が。


「こんなに世界は広いのに、のんちゃんとお友達になってくれる子がひとりもいないなんて、そんなはずないよ。」


 さあっと強い風が吹く。のんちゃんが摘んできた白詰草が、風とともに空に舞い上がる。


「今、きっとこの広い広い空の下のどこかで、のんちゃんに出会えるときを待っているんだよ。」


 のんちゃんも、わたしと同じように空を見上げた。


「でも…もしずっと出会えなかったら…?」


「大丈夫。出会えるよ。だって、わたしだって出会えたんだもん。あの場所吹奏楽部があったから」


 あとは、のんちゃんの返事を待つことにした。


 のんちゃんは空を見上げたまま黙り込んでいた。が、少しの間を置いた後、小さな声が返ってきた。


「わかっ、た。」


 のんちゃんは大きく首を縦に振って、意を決したようにわたしと目を合わせる。『ほんと!?』とわたしが再度聞くと、


「わたし、大きくなったら、すいそうがくぶにはいる!ぜったいはいる!」


 のんちゃんは息つく間もなく、そうはっきりと言い切った。


「それでおともだちがたくさんできたら、わたしもあのステージで吹くんだ!」 


 そう言って、のんちゃんは笑った。思いっきり、心からの笑顔で。


 初めてのんちゃんの笑った顔を見た。その顔が予想以上に可愛くて、気づいたらこっちまで笑っていた。

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