婚約破棄されてお気の毒? 貧乏草令嬢は『真実の愛』を仕留めて勝ち逃げしますわ!

来住野つかさ

第1話

 多年草の草花としてポピュラーなハルジオン。

 

 いつの間にか『貧乏草』などという俗名で呼ばれるようになっている不憫な植物だ。

 暖かくなると田舎町や庶民街であればどこでも目にすることが出来、田舎貴族の我が家にも咲いているがこれには理由がある。

 なのにどこから知ったか、「庭の手入れも出来ない貧乏な家だから貧乏草が生えている」と揶揄してくる人がいる。

 

 たしかに我が家は裕福な家ではない。だけどなんだ、『貧乏草』って! 植物を勝手にランク付けするな! 野に咲く可憐な花のひとつではないか!




 私はオーブリー・ケラー。田舎伯爵の娘で、両親と年の離れた弟、妹の五人家族。現在私は王都の学院に通っているため、領地を離れ利便性の良いタウンハウスに暮らしている。領地の屋敷に比べてこぢんまりとした邸ではあるが、メインガーデンの奥に造ってもらったスペースに趣味と実益を兼ねてキッチンガーデンや薬草温室を設えているのが秘かな自慢だ。活字を追うことに疲れると、こうして土に触れて癒やされ、野菜がうまく出来た時にはその日の料理に使ってもらったりしている。


 基本的な毎日は学院とタウンハウスの往復で、読書や自身の研究などなど地味だが落ち着いた生活をしているので、時々こちらに仕事がある両親に連れられて弟妹がやって来ると、彼らの成長に比例した賑やか具合に当てられてしまう。それでもいざ帰った後には子どもの声の響きが恋しくなるのが不思議だ。  

 家族団らんの食事を思ってさみしくなる時があっても、王立学院の図書館の蔵書量を思うと、これに慣れた身が田舎暮らしが耐えられるだろうかなどと考えたりもする。

 私は特に着飾ることや流行りのものを食べるなどには興味が薄いので、今のところはあくまで王都暮らしで覚えた充実した文化的環境の恩恵をもうしばらく受けられないものかと思っているところだ。


 というのも。

 こんな乙女らしからぬ私にも婚約者がいるわけで。


 親同士が決めたものなので、恋だとか甘い関係ではないけれど、婚約者とは今まで特に大きな波もなくお付き合いをさせていただいている。双方の親の了承のもとに、私が無事に今年度で学院卒業をした暁には早々に結婚をという運びになっている。


 婚約者ケネス・ビーズリー様は広大な領地を持つビーズリー侯爵家の嫡男でいらっしゃる。伯爵家の私の方が身分は下だが、予てよりお互いの領地の作物や肥料、薬品を融通しあっていることから、今後もより良い繋がりをということで成り立った婚約だ。


 ニ歳年上のケネス様は現在、王都にてビーズリー領産のフルーツを王都風に加工したものの流通販売の業務を担当されている。販路拡大を押し進めているためかあまり領地に戻っていないようだが、結婚後はビーズリー侯爵様の後を継ぐために本格的に領地の事を学ぶことになるので、現在の仕事は徐々に減らしていく、らしい。

『らしい』と推量形なのは、このところケネス様とお会いしていないので、過去にそうおっしゃっていた約束事から変更があったのかが分からないからだ。

 責任の重いお仕事を任されるようになった『らしい』ケネス様は、とても疲れておられるようで、月に一度と定めた面会もかれこれ半年ほど延期されている。


 他家のことなので詳しくは分からないが、ビーズリー侯爵様もまだまだご健勝でおられるので、そう早い引き継ぎも必要ないかということなのかもしれない。ケネス様が今のお仕事に真剣に取り組まれていることも大きいのだろう。卒業後、特に希望がなければ子供が出来て落ち着くまでは侯爵家でゆっくり仕事に慣れなさいと言って下さっている。

 ビーズリー侯爵夫妻はどちらも大変温厚で、格下の私にも細やかな気遣いをして下さる優しい方々だ。


 元からあまり社交界に出ず、その土地にあった肥料開発や庶民向け薬品製造に勤しみ過ぎて、領地に籠もりきりのケラー伯爵家。

 どこで聞いたか一部の心ない方が私のことを『貧乏草令嬢』と笑ってからは、時々学院でもそのような陰口を叩かれているなとは思っていた。

 だけどその声は、大抵着飾ることこそ女性の正義としている一部の方達からだけ聞こえてくるもので。私はそういう『華やかな』集団とは真逆のグループ――真面目に勉強に励むような令嬢方と親しくしていたので、雑音は極力聞かないようにしていたが、とにかくうっとおしい。


『若いのだから何でも経験すればいい』

 先日侯爵様はそのようにおっしゃって下さった。それなのでまずは結婚した後、前々からの夢に挑戦させていただこう。ケネス様ともこのお二方や両親のように穏やかな愛を育んで行かれたらと思っていたのだが。




     ◇     ◇     ◇




「ごめんなさいね、ケネスを愛していたのでしょうけど、彼が愛していたのは私なの。私達の真実の愛を女神様がお認めになり、この度結晶を授けて下さったのよ。······わざわざ来て下さったのにお気の毒さま」


 つい先日。無事に学院を卒業した私は、結婚準備のために一度領地へ帰ることにした。その前にケネス様へご挨拶をして今後の予定のすり合わせをしようかと思っていたらば。


 呼び出された先は、最近オープンして瞬く間に王都で大人気となった喫茶室。

 私は久しぶりに会った婚約者の横に座る『真実の愛の相手』ノイジー公爵家のご令嬢アレクサンドラ様から突然宣言を受けた。学院の同級生として『運命の出会い』を果たしたお二人。その後なんやかんやがあって······、要するにお二人の愛が溢れた結果、めでたく妊娠したので、邪魔な私との婚約は当然解消する。そういうことらしい。


「······ケネス様、いえビーズリー侯爵令息様、婚約破棄・・、承りました」

「オーブリー、ずいぶんと殊勝だな、そんなに簡単にいいのか?」


 拍子抜けするケネス様。訝しそうに眉間にシワを寄せる仕草を見せている。

 その横では何故か自信満々のアレクサンドラ様が、華奢な指でケネス様の袖を引きながら首を振る。


「ケネス! 彼女はあなたのために辛くても身を引いて下さったのよ。私と『貧乏草令嬢』さんでは、ほら······、色々と・・・差がございますでしょう?」


 ······堂々と言ったよ、この方。

 そういえば学院でこの呼び名が流れたのも、アレクサンドラ様の取り巻き令嬢からだったかもしれない、と突然思い出した。

 帰郷前に人気のケーキが食べられると思って、ケネス様が来るのをじっと待っていたというのに、すっかり頼む気が失せてしまった。

 私はため息を一つ吐くと、改めて二人へ向き直った。


「こちらの方こそお気遣いいただきありがとうございます。また初めましてノイジー公爵令嬢様。あなた様におかれましてもこの度のことは大変お気の毒さまです」

「はあ?」

「ちょっ、オーブリー何を!」


 アレクサンドラ様、可憐な仮面が一瞬剥がれましたわよ? ケネス様の袖を掴む手に力が入りすぎて、生地に皺が入ってますわ。

 

「それから『貧乏草』とはハルジオン、学名エリゲロン・フィラデルフィクスのことでしょうか? 生命力旺盛な野草と認識しておりますが、何故私をそのように?」

「ふふふ、だってあんな貧乏草を抜かない家なんておかしいわ。庭師を雇えないのじゃなくて? 皆さんおっしゃってますわ」


 そもそも不思議なのですが、公爵家の方でもハルジオンのこと知ってますのね?

 庶民向けの公園だとか、牧歌的な土地ではもちろん多く目にする野草だけれど、ああいう華やか令嬢達は作り込まれたガーデンだとか薔薇や美しい園芸品種の花しかご存知ないものと勝手に思い込んでいました。


 っていうか、交流のない家の方が何故我が家にハルジオンがあることを知っているの?


「たしかに我が家にはハルジオンがございますわ」

「ほらごらんなさい! お家が大変だから彼との結婚を頼みにしていたのでしょう? 叶わず残念でしたわね」

「ただ不思議でございまして。何故当家のキッチンガーデンや薬草温室の様子をノイジー公爵令嬢様がご存知なのですか?」


 小首をかしげてお二人を見てみると、全然残念がってくれていなさそうなアレクサンドラ様のその横で、ケネス様があからさまに目を背けましたわ。

 ······お前か!


「とにかく俺との結婚を心待ちにしていたオーブリーには本当に申し訳ないと思っているのだが、真実の愛の結晶はもう彼女の中にあるのだ。辛いだろうが汲んでもらいたい」

「ええ、理解はしましたわ」


 年長者二人の語る愛って軽くて下品だなということをね!


 淡々とした私にあからさまにホッとするお二人。ケネス様はまだそれと分からないアレクサンドラ様のお腹に優しい目を向けて、アレクサンドラ様は頬を薔薇色に染めながらケネス様の肩に体を預けている。


「ねえ、お祝いにあれをお持ちして!」


 アレクサンドラ様が慣れた様子で店員に指示すると、あれ――大ぶりのフルーツがたくさん盛られたタルトがホールのまま届けられた。

『お嬢様、今日はどのくらいにお切りしましょうか?』と言っているところからすると、もしかしなくてもこの店はノイジー公爵家がオーナーなのかしら?


「ケネスの分はいつもくらいにする?」

「サンドラに任せるよ」

「うふふ」


 私は何を見せられているのでしょう?

 婚約者と浮気相手の逢瀬を前に、王都一と言われるケーキも美味しくいただける気がしない。

 しかもこれ、ビーズリー領のフルーツを作ったタルトみたいね。

 私は一度も訪れたことがないお店だったけれど、遅れてやって来た二人は、『いつもご利用ありがとうございます』って店員が挨拶を受けていたし。ケネス様の仕事は順調と聞いていたけど、単に浮気相手の権力利用してたってわけね。


 もう色々諦めて、新しい紅茶とタルトも切り分けていただきましたわ。胃もたれ予防にタルトの上のチャービルも全部もらいました。

 ······あら、このチャービル、うちで改良したものじゃないかしら?


「あなた、なんでそう草ばかり食べるの? やっぱり草がお好きなの?」

「いえ、フルーツも大好きですわ。特に今年のビーズリー産のブルーベリーは大粒で甘みも強く出ていますね」


 ブルーベリーをフォークに刺しながら気づいてるぞ、という牽制を入れてみたが伝わっていない様子。ではもう一つ。


「ところで一口に草とおっしゃいますが、このチャービルは今のノイジー公爵令嬢様にぴったりなものですのよ」

「どういうことよ?」

「毒素排出、消化促進、血行促進、美容などなど多くの効果が認められている『魔女の常備薬』チャービルですが、これには妊娠した女性が不足しがちな栄養が入っています。また古来より妊婦はチャービルを滲出した湯に入っていたという伝承記録が残っておりますので、どのような効果がお有りかぜひお試しになっていただきたいものです」

「いやよ! 草の絞り汁に浸かるだなんて」

「そうですか、当家が改良したチャービルは美味で柔らかく、薬効あらたかなのですが」


 ちらりとケネス様を見ると、ようやくお気づきになったご様子。そうですよね。あなた、このチャービル横流ししてませんか? 

 私の魔力を加えてチャービルの改良に成功したのはつい半年ほど前。改良者は当然私。実家に送るついでにビーズリー侯爵家にも数株お裾分けしましたけれど。それはあくまで高血圧に悩む侯爵様の食卓へとお届けしたもので、まだどこにも販売していない。たかが草とはいえ、我が国の種苗法に基づき品種登録済の商品が、売買契約も結ばず勝手に王都の有名店で使われているとは思いませんでした。

 このチャービルを魔力検出したら、株分けしたものであっても私の登録品種だと分かるんですけど。素材入手にいい加減なところがあるお店ですのに大繁盛してるなんて、王都って怖いですわね。


 この状況に慣れてきた私は、しっかりタルトを食べ果せた。こんな時でなければさぞおいしかったろうと思われるが、いかんせん環境が悪いですわね。

 

「ごちそうさまです。すみませんが、婚約破棄手続きを進めるにあたってここでは何ですので、ビーズリー侯爵家のタウンハウスへ移動させていただきたいのですがよろしいですか?」

「え、何でだ? ここで構わないだろう」

「ですが、こちらは行列のできるお店でございましょう? 長く席を温めるのも申し訳ない気持ちになりますし、人目もあります。ノイジー公爵令嬢様のお体のためにも落ち着いた場所に変えたいのです」

「そうね、私達がこれから暮らすところになるのだもの。私もお伺いしたいわ」


 未来の生活を夢見てか、アレクサンドラ様がすんなり賛同して下さったので、我々はスムーズにビーズリー侯爵家のタウンハウスに席を移すことが出来た、


 その際、私は別立てで向かうからと伝えて店先で彼らと一度別れた。とにかく離れたかったのと、侯爵家と我が家へ先触れを出したかったのと、この店でお土産が買いたかったからだ。


 ケーキや焼き菓子を包んでもらっている間に、私は少しだけ頭を休めた。

 



     ◇     ◇     ◇




 ビーズリー侯爵家のタウンハウスは、当家よりも中心地にありながらなかなかの広さを擁した邸宅だ。建国当初からの由緒あるお家はさすがだ。立地や敷地面積から言ってもご先祖様はよほど篤い忠誠心をお持ちでいらしたのだろう。お金を出してもこの場所でこの広さの住居は構えられない。ノイジー公爵家のタウンハウスも見学させていただきたくなってしまうが、これは脱線のし過ぎ。

 馬車から降りた私は、頭を切り替えて中へ通してもらう。


 家令によると、お二人は半刻程前に到着し、応接室に入っているという。

 先に大事な確認だけ済ませてから、私も入室しましょうか。




「遅いな、ケーキ買うのにそんなに手間取ったのか?」

「お買い物に慣れていないのじゃないかしら? 『貧乏草令嬢』さんは」

「いやいや、さすがにそんな」


 応接室に通されて早々に毒舌ですわね。お二人は喫茶室の時と同じく並んでお座りになってと甘々ですのに。

 そういえばケネス様って、アレクサンドラ様が私を『貧乏草令嬢』って呼ぶのを一度も否定しませんわね。ではやはりケネス様が噂の発信源ということでクロ確定かしら?


「すみません、何を買うか悩んでしまって。ではお話進めてまいりましょうか」

「ええ、早くしましょう!」

「その前に。このお話はビーズリー家とケラー家の両当主の合意の元で締結された婚約です。ですので子ども同士のみでは当然のことながら簡単に破棄はかないません。ですのでスムーズに両当主に報告をして破棄手続きに入れるように、我々で意見書を作成したいと思います」

「意見書?」


 お二人はベッタリと寄り添いながら、同じ方向に頭を傾ける。そんな仕草までリンクするようになったのですね。さすが『真実の愛』の二人!


「そうです、『このような事情だから婚約破棄が望ましいと当事者は思っている、ついてはそれを認めて欲しい』という意見書というか要望書というか、まあ名称は何でもよいのですが」

「それはあれだな、読めば『この婚約は破棄が正しく、僕らの真実の愛を認める』と、そういうことを分かりやすく書くということか?」

「ええ」

「素敵ね! あなた良い方じゃないの! 『貧乏草令嬢』なんて誰が言い出したのかしら?」


 アレクサンドラ様はすっかりリラックスしてケネス様の手をいじったりして遊び始めた。いやいや、そんなにのんきにされても困るのですが。


 お茶を入れ終えた侍女にお願いして筆記用具を用意してもらう。さて始めますか。


「ではまず時系列から。ビーズリー侯爵令息様、あなたとノイジー公爵令嬢様との『真実の愛』はいつ頃生まれたのですか?」

「ええと、それは······」

「学院在学中ですわ! 出会ってすぐに雷に打たれたように電撃的に恋に落ちたのよ」


 学院で知り合っただけでなく、本当にすぐ浮気したのですね。


「ただ初めは俺達も互いに婚約者がいたし、思いを抑え込んでいたのだ。だが林間実習の時についに」

「なるほど、三年次に一斉に行われる林間実習の時に思いが溢れたと」

「そうよ! お互いに助け合って過ごして······、周りにも理想のカップルねと言われるまでになったのよね」


 では、具体的な浮気は二年前から始まってたのですね。

 私は白い目になりつつも、適度に相槌を打ちつつ二人の『真実の愛』を記録し続けた。


「ありがとうございました。これで『破棄相当』の理由付けの部分は完成かと思います。次は、破棄に伴って生じる両家の不利益をどう補填していくかという提案の部分ですね」

「ちょっと待って! 何よ不利益って! 結婚するのが公爵家の私になったら不利益も何もないじゃないの!」

「そうかもしれません、ですがより良い婚約破棄に向けてのことですので、参考までにお伺いしたいのですが、ノイジー公爵令嬢様が結ばれていた婚約はどのように終了されたのですか?」


 社交に疎くて詳しく知らないのですが、たしかノイジー家はアレクサンドラ様お一人しかお子がいらっしゃないから、分家から優秀な伯爵家の方を婿入りさせるというお話しではなかった?

 そもそもそれだと、ビーズリー家もケネス様が嫡男。お二人はどちらの家を継承するおつもり? ケネス様にはまだ弟様がお二人いらっしゃるからビーズリー家的には替えはきくけれど、······ケネス様ったら公爵になる気なのかしら?


「それは······」

「いいよ、サンドラ。代わりに俺が話すから。彼女の婚約者だった男は俺と決闘をし、気持ち良く譲ってくれたんだ」

「はあ?」


 元婚約者様も同じ学院の同級生。二人の愛を目の当たりにした彼は激昂したが、互いの思いを乗せた剣の腕を見せ合った後に、彼は潔く彼女を守る資格を譲ってくれたのだという。

 でもケネス様って剣技はあまり得意ではなかったような? 決闘で勝ったとは明言しないのは、もしやそういうこと?

 ノイジー公爵家分家の方ですと、無理やり条件を飲まされることもあったでしょうし。

 というか、私の婚約者ってこんなに変な方だったかしら? 学年も違うし、月一度話すくらいでは分からないものね。


「では先方様とは円満解消ですのね? 良かったです」 


 私を巡って決闘してくれたの! と言いたくて仕方なさそうなアレクサンドラ様ですが、いつまでもいい顔していると長くなるのでお遊びはここまでですよ。

 イチャイチャも目に余るようになってきましたので、そろそろ反撃しますか。


「それでは、本件についてまとめさせていただきます。まずお二人の『真実の愛』について。ノイジー公爵令嬢様、改めまして大変お気の毒さまです。

 家格も上の方ですのに、彼はあなた様と結婚するつもりもなく安易に体を繋げる関係を続けていたのでしょう? あなた様を軽く見ているということですわよね? それで何の対策も行わずに子が出来るという失態を犯した。

 避妊薬を用いるなどいくらでも気を遣えたはずなのに、まるで子が出来ても構わないという扱いであなた様との関係を続けた結果、かような事態となったので、ようやく重い腰を上げてくれることになったと。

 そうじゃなかったら結婚なんてする気はなかったと同義ですよね? あなた様も、子が出来なかったら、そのまま都合のいいお相手としてお付き合いを続けるおつもりだったのですか? あなた様は婚約者と別れて後が無いのに? 行き遅れ目前、お腹はこれから大きくなる。そこまで切羽詰まってからようやく婚約破棄だなんて随分待たされましたわね。ずるずる引き延ばされてさぞお辛かったことでしょう。

 本当にお気の毒さまでした。

 私は彼のような女性を物のように扱う男性は好みではありませんので、婚約破棄となり今とても安心致しました」


 一息に話してお茶を入れる。キリッとして飲みやすいわ。侍女さん、ナイスセレクトね。


「家格が上の俺達を馬鹿にしてるのか? 不敬だぞ!」

「そんなことございませんわ。むしろ馬鹿にしているのはそちらではないですか?」

「は?」

「いいですか? ここ半年、ビーズリー侯爵令息様にはのらりくらりと面会をスルーされてきましたが、我々は私が学院を卒業したら可及的速やかに結婚するという契約を結んでおります。そのためにこちらは一年前から準備を進めておりました。

 先日卒業を迎え、準備が佳境を迎えるというこの時期の婚約破棄ですので、結婚式にかかる諸々の諸経費やスケジュールを仮押さえしている参列者へのお詫び、準備をしている業者へのキャンセルにかかる保証などを、お二人とも軽くお考えではないですか? ただ取りやめる、結婚相手を変えればいい、ではないのです。私の領地で準備をしてきたものに対しては業者が今後得られた経済波及効果の損失分を含めた賠償をお願いします」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔になってますわねケネス様。アレクサンドラ様は意味が分からないながらも、すぐに頭に血がのぼったようです。


「キャンセルの賠償はするわよ! 貧乏草令嬢のくせに我が家を舐めないで!! ······ん? 経済効果って何よ?」

「何度も何度も『貧乏草』とハルジオンを馬鹿にしないで下さいませ。

 経済波及効果の損失分というのは、注文した品が不要になったからキャンセルする、それではその店がそのために準備に掛けた時間も、その後に結婚式でお披露目されて、他の方々に目を留めてもらって次の商売に繋がった可能性を潰していますし、そもそもこの仕事の後に大きな仕事をキャンセルしていたかもしれませんから、そういう意味でも賠償は3倍にしてあげて下さいませ。

 またキャンセルともなれば大量の不良在庫が出てしまいます。庶民は貴族用の高価な生地も多くの花も捌ききれません。それなのに私の結婚式のために通常より多く花を栽培したり、高価な生地やレースをあれこれ取り寄せてみたりと価格以上のことをしているのですよ。雇用も増やしたでしょうしね。そこまで賠償してこそ貴族です」


 ようやく鳩から人間に戻られたケネス様が慌てて割って入ります。


「そんなの俺達がそのまま使ってやるのに」

「そうよ、馬鹿にしないで!」


 残念、貴族にはお戻りになっていなかったようです。


「それは無理ですよ? 私の領地の者は『ケラー家の娘の結婚式だから』あれこれしてくれたので、あなた様のためではありません。我々の領地が潤うための契約結婚でしたのに、それを簡単に反故にする方の裏切りの式に花など渡したくないでしょう。我が領地が誇る領花をふんだんに使う予定でしたしね」


 わざとらしいほどに大きなため息をついて、話を続けます。がんばれ私。


「ビーズリー侯爵令息様のおっしゃりようは、我が家、ひいては我が領民を下に見ておられる。馬鹿にしてるのはそちらだと言っているのです」


 あら、お茶を飲み切ってしまいました。お代わりがほしいところですが言いにくいですね。


「ここから先のお話は、侯爵様にも同席していただきましょうか」

「父上は領地だ。それに何の用があるという?」

「あなた様過失での婚約破棄となりますので、違約金等のお話はご当主様にしないといけませんもの。今日の会合では、お二人の愛の話が長すぎて、我々の婚姻が無くとも両家にとって良い展望を見つけるまでには残念ながら辿り着きませんでしたけど。

 本件、私もも父に余すところなく報告いたしますが、そこのすり合わせが終われば晴れて婚約破棄ミッション達成ですわ」


 私が書類をまとめながら笑顔を見せたことに腹が立ったのか、アレクサンドラ様が激昂して立ち上がった。


「小賢しい女ね!! 弁えなさいな」

「そうでしょうか?」

「そんなこと言ったって、所詮あんたなんか結婚式直前に他の女に男を取られて惨めに婚約破棄される女なのよ! ペラペラと賢しいふりして生意気なのよ! あんたなんかこのまま行き遅れ決定でしょ? 彼を愛していたから負け惜しみ? ざまぁないわね!」


 ケネス様が心配してアレクサンドラ様をなだめようとするが、アレクサンドラ様の口撃は止まらない。ちょうど良い頃合いね。援軍に来ていただいて仕留めにかかりましょう。


 目立たないようにこっそり魔力の空砲を作って窓に3回当てる。小石が当たったくらいの振動だから割れはしないし、子供の頃から私は魔力の調整は得意だったのでしれっと行った。


 さて。


「私、先日の学院卒業式では総代を務めましたの」

「はあ?」

「首席卒業でしたから。だから『賢しいふり』ではなく『本当に賢しい』のですわ」







「何をしている?」


 突然応接室の扉が開き、ビーズリー侯爵様がいらっしゃった。盗聴魔道具で室内の話は漏れなく聞いておられたようで、私に万事理解しているというように一度目を瞑って合図を出してくださる。いつもの柔和な印象を消し険しい顔をしておられるのを見ると、海千山千かいくぐった歴史を持つ侯爵家の当主様だなと気付かされる。


「オーブリー嬢、助けに入るのが遅くなってすまない」

「父上、本日はこちらにいらっしゃらないはずでは?」

「お義父様はじめ······」

「ああ、構わない。今日は義娘・・が挨拶に来ると言っていたからな、当主として迎え入れようと仕事を切り上げて来た」


 慌てて立ち上がるケネス様だが、侯爵様の返答にグッと口を引き結んでしまった。アレクサンドラ様も未来の義父へ優雅に挨拶をするつもりが軽くいなされ、『義娘』のところで自分ではなく私を見ていたことに、ショックを受けている。


「先日の私の卒業式には、ご夫婦でご出席賜りましてありがとうございました」

「えっ? 父上······母上も?」

「ビーズリー侯爵令息様宛にも卒業式の案内は出しておりましたが、『急なお仕事』で不参加でしたわね。卒業パーティのドレスは侯爵夫人からお贈りいただきましたが」


 侯爵様が入られたことで、新しいお茶が供された。今日はお茶ばかり飲んでいる気がするけど、話しすぎて喉が渇くのでありがたい。

 よく見るとアレクサンドラ様にはジンジャーミルクが用意されている。妊婦向けってことね。 

 何故かご本人が納得行かなさそうなお顔をされているけど、妊娠中でも紅茶をガブガブお飲みになられているのかしら? 紅茶やハーブティーは妊婦に出すなとよく聞くけれど、もしかして妊娠なさっていないとか? まさかね。


 お茶を飲んでいる間に、侯爵様は意見書の名目で作成した二人の『真実の愛』報告を読みながら、しきりにこめかみを揉んでおられた。お気の毒だ。


「それにしても、お二人が『真実の愛』に目覚めてから二年ですか。もっと早くにお知らせして下されば、王城文官の職も経験出来ましたのに。何故今まで報告して下さらなかったのですか?」

「文官試験に受かっていたのか、お前?」

「ええ。というよりは、歴代の首席卒業者は王城文官としてスカウトされて要職に就いてるじゃないですか。私にも当然お声がかかりましたよ」


 私が呆れたように言うと、改めて私が首席卒業ということが耳に入ってきたらしい。ケネス様って本当にこんなポンコツではなかった気がするのだが、『真実の愛』以降の彼はこういう人になってしまったのかもしれない。


「オーブリー嬢、それについては王立植物研究所の特任研究員と兼務出来るのか、急ぎ確認を取ってある。問題はないが勤務時間の関係で研修期間が他の者より少し長くなるとのことだ」

「王立植物研究所? 特任研究員?」

「なんだ、ケネスは知らなかったのか? 彼女は学院在学中に書き上げた植物改良の研究論文が認められて、学生の身でありながら特任研究員になったのだよ」

「······知りませんでした」

 

 それきり沈黙してしまったケネス様。

 そうしたら、今まで侯爵様の圧で黙りこくっていたアレクサンドラ様が、ついに耐えられなくなったのか突如キレ出した。


「『貧乏草令嬢』のあなたに触れると貧乏が移るって噂ですわよ!」


 子どもの悪口か!


「ずいぶんと低次元のお話ですわね。なら試しに触って差し上げましょうか?」

「いやぁ!!!!!!」

「サンドラ、落ち着いてくれ!」

「······はあ、本当にお可愛らしい······なのですね」


「そういえば先程買ってきてくれたケーキのことだが」


 アレクサンドラ様のヒステリーを横目に、侯爵様がなんてことないように話題を変えた。


「これは王都で人気の店のものということだね。ノイジー公爵家肝入の店だと聞いたことがある。このフルーツタルトのこともよくよく吟味・・してみるよ」


 真実の愛で結ばれたお二人は仲良く蒼白となった。なにか不味いことが起きていることにようやく気づいたのだろうか。


「オーブリー嬢、君が嫁いでくるのを妻も私も楽しみにしていたが、これではもう無理だろう。諸々のことはお父上と精査して、婚約解消ないしは破棄の手続きを迅速に行うことを約束する。今まで良くしてくれてありがとう」

「私も残念ですが、『真実の愛』には対処のしようもありません。もちろん今後も侯爵様ご夫妻とは個人的にお付き合いできればと思っておりますので、お体に合う薬草が見つかればお声がけしますね」

「本当にすまない。妻もハルジオンの湯に入るようになって冷え性やむくみが解消されたらしい。それを『貧乏草令嬢』などと······。オーブリー嬢、君の未来が明るいものであるよう祈念しているよ」




     ◇     ◇     ◇


 


 久しぶりに領地へ戻り、畑にてつかの間の休日を満喫している。ぽかぽかとした日差しは強くはないが、一応私も令嬢なので、農民がかぶるような麦わら帽子に長靴姿で日焼け対策はバッチリこなしている。


 結局ケネス様とは円満に婚約解消した。破棄ではなかったのは、ビーズリー侯爵家が最大限の誠意を見せてくれたことと、婚姻という形でなくとも両家の業務提携は続けていこうとなったためだ。


 もちろん当家にも利点はある。我が領よりもビーズリー領の方がはるかに広大なので、うちが改良した肥料や植物をいろんな条件で栽培してみるという実験がやりやすいこと、また果樹園や農場、農園を多く持つビーズリー領には、ますますの自国の食料自給率アップに向けて領民には元気で頑張ってもらいたいのだ。


 ただ、ご子息が勝手にチャービルを横流ししたことは厳重に注意をしてもらった。何年もかけて研究した成果物だけ、その苦労も良さも分からない者に横から掻っ攫われてはたまらない。

 それでケネス様は侯爵家の後継ぎではなくなったようだが、『真実の愛』以前は真面目な方だったし営業の手腕はあるようなので違う道で励んで欲しい。


 またアレクサンドラ様の方にもきちんと調査をした後に制裁を行った。ノイジー公爵家宛にアレクサンドラ様が当家の婚約を潰したことを余すこと無く報告したのだ。婚約破棄の原因は、二年に渡る不貞の後に婚約者とアレクサンドラ様の間に子どもが出来たと直接聞いたこと。娘を『貧乏草令嬢』などと揶揄し、分家の令嬢にもそう言わせるように誘導したこと。婚約者と共謀して娘の研究成果物を不当に持ち去り、無断で商売に使用して利益を得ていたこと。婚約が破棄になり、当家への不利益が生じたこと。ただの不貞を『真実の愛』などと美化して、不当に娘を貶めようとしたこと。などだ。


 ノイジー公爵家では、愛娘がケネス様に騙されていたという意識があるようだけれど、当家には明確に謝罪をしてくださることになった。まずは社交場にて公爵家ご夫妻による私の名誉回復、当家の研究への金銭的支援、窃盗等の賠償が決まり、アレクサンドラ様は当面謹慎させるとのこと。

 妊娠していると言い張るが医者に見せないで暴れるアレクサンドラ様を修道院にも送れず、自宅蟄居で様子を見ているようだが、後継ぎをアレクサンドラ様にするかどうかはノイジー公爵家が決めることなので、こちらはそれ以上は求めないことになった。


 ひとつ残念なのは、色々あってあの喫茶室が閉店したことだ。

 あのケーキを心から楽しむことが出来なかったのはもったいなかった。巻き込まれたスイーツ職人さん達、またどこかで続けてください。




「オリー、少し休憩しない? 新しいブレンドのハーブティーを試してほしいの」


 お母様が離れの研究棟から出て来て、お茶に誘ってくれた。本邸からも賑やかな足音が聞こえてきたので、弟妹も真面目にお勉強を終えたようだ。


「お母様、今行きます!」


 あの研究棟で母が何をしているのか気になったことがきっかけで、私も物心ついた頃から薬師の母に教わりつつ薬を作ってきた。

 一方の父は、土壌改良から始まり、麦の品種改良、作物への害虫対策、治水事業などを進めた研究肌の人。父の開発したあれこれで、さほど大きな土地ではないが毎年豊かな実りをもたらすことに興味を持って、私もまた薬草の品種改良を始めて現在に至る。

 どちらも両親ほどの成果は出ていないが、『仕事は楽しんでやればいい』という二人の教えを受けて、学院卒業後もこうして楽しく研究をさせてもらっている。


 父伯爵は男だからまだしも、伯爵夫人が薬師の資格を得て仕事をし、またその娘までもが薬師まがいのことをしているというのも、貴族社会では未だにあまり良く思われないのだけど私達は気にしていない。

 そもそも母が作っている薬は簡単に医者にかかれない領民に安価で分ける用なのだ。原則的には外に売り出していないのに、貴族が商売っ気がどうのとか陰口を叩く人もいる。

 そうは言っても母は時々すごい効果の薬を開発することがあり、そういう時は古巣の国立植物研究所の薬品製造研究室の方に新薬開発の届け出をしているようだが。

 私達がどう言われようと我が領民達は健やかに暮らしているので、領主家としてそれなりに任を果たしていると自負しているところだ。


 もうじき休みが終わる。そうしたら王都のタウンハウスに戻って、王城文官と王立植物研究所での研究に挑戦してみるつもりだ。

『貧乏草』――ハルジオンだが、王都と領地では生息するハルジオンの色味が違うことから調べようと思って家の片隅で育てていた。よくある白いものと薄ピンクのもの、それと領地に咲く薄紫のものの効果の差についてある程度判明してきた。これからもう少し薬効効果の上がりそうな濃い紫に改良して、ビーズリー侯爵夫人のように冷え性でお悩みの方向けに保温効果の高い入浴剤や石鹸が作れないかも試してみよう。

『貧乏草令嬢』の躍進となるか徒花となるか。それも世間が決めること。


 ケネス様とアレクサンドラ様の仲がどうなったのかは知らない。田舎だから耳に入らないのかもしれないが、お二人が信じる『真実の愛』がまやかしではないのであれば、万事快調となるのだろう。


『真実の愛』の女神様はハッピーエンドを求めているはずだから。

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婚約破棄されてお気の毒? 貧乏草令嬢は『真実の愛』を仕留めて勝ち逃げしますわ! 来住野つかさ @kishino_tsukasa

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