Friendly Fire

名南奈美

Friendly Fire



 さて大事件。弟のクラスの西脇薫子ちゃんが自殺してしまった。

 西脇ちゃんは子供の頃からずっと病を抱えていて、二十歳まで生きられないことが確定している子だった……というのは、弟は西脇ちゃんと三年間くらい友達だから、姉の私も以前から知っている話だ。

 十五歳。ごく普通の高校一年生として進学した西脇ちゃんは、先生がやたら「将来」「社会人になったら」と言うから否が応でも寿命を意識してしまっていたらしく、よく弟に不安を解消してもらっていた。弟はその度に友達として真摯に慰めてあげていたそうだ。

 優しい子。

 しかし不安って言うのは往々にして、解消してもらえてもそれを上回るペースで積もっていくものだ。特に思春期だし、思春期じゃないにしても自分の死の問題だ。漠然と「いつか死んだらどこへ行くんだろう」とかじゃなくて、五年後にはほぼ死ぬことが確定しているのだ。忘れることなんてできない――考えないことなんてできない。

 苦しみ/悩み/悲しみ/嘆き/怒り/叫び/吐き/泣いて、行き着いた先は自殺だった。

 西脇薫子ちゃん享年十五歳。三月十四日生まれの、バラエティ番組とか火曜のドラマとか観るのが好きだったごく普通の可愛い女の子。米津玄師よりもハチのほうが好きだとか言ってたっけ。一緒に弟へのバレンタイン作ったりしたねえ。すべてが懐かしいし寂しいよ。



 まあでもそれは問題じゃない。本題じゃない。問題にして本題なのは、その後、彼女の逝去を悼むクラスメイト達が弟に同情の目を向けたとき、弟がうっかりこう言い放ってしまったことだ。

「めっちゃ寂しいなあ。でも可哀想だとか悲しいとは思わんな。むしろ早く死ねてよかったんじゃねえかな?」

 弟からそのときの話を聞かされて、姉としては、ぎゃー馬鹿だーとしか思えなかった。普通に一般的な受け答えすればよかったのに。あんたがそう考えるのを理解できるのは、あくまでも西脇ちゃんとあんたの関係性と、西脇ちゃんの生々しい苦悩や悲鳴を知っている人間だけだ。

 ただのクラスメイトがそこまで汲み取れる訳がない。

 だから嫌われて、あるいは嫌がられて虐められるのも流れとしては自然だろう。仕方ないことだとも自業自得だとも言わないが、不自然だとも言えまい。

 そして、ずっと傍にいた友人を亡くしてすぐに虐められた弟が学校に行かなくなるのも無理はない。悲しくなくても寂しいし、寂しい気持ちは傷であり脆さである。

 放っておく訳にはいかないので私は弟に心境とかどう過ごしたいかについて色々訊く。弟は言う。

「俺さ、わかんねえわ」

「わかんない?」

「んー。俺のことを優しさ? 人としての心? が欠けてるって言って嫌がらせしてくるやつらに優しさや人としての心があるとは思えないんだけど、なんで自己矛盾とかしねえんだろ」

「訳わかんないよね、そういうの。たぶんきっと、あんたのこと正当っぽく叩きたいだけというか、あんたが欠けてるから虐めていいって理由付けしてるだけだと思うよ」

「えー……めんどくさ。じゃあ俺は全く悪くないの?」

「悪いんじゃない? 空気読んだコメントできなかったから嫌われたんだから、勉強しなきゃね。でもそれは指摘や叱りだけで済ませるべきことで、ネチネチ嫌がらせする必要はないから」

「なーんで必要もない嫌がらせするんかな?」

「さあ。勉強やスポーツや芸術と違って指導係も教本もないから、自分の発想だけでやれる楽しみでもあるんじゃないの?」

 知らないけども。

 高校の夏休みが明けてまだ間もない九月七日、昼下がり。大学生だからあと二週間くらい休みが残っていて暇な私は、弟とそんな会話をしながら大乱闘スマッシュブラザーズで対戦をしていた。弟はひたすらメタナイトを使う。特にそういう病み方とかじゃなくて昔からそんな感じだ。変わらない。いまは少しだけ寝不足だからか顔色がよくないけれど、そんなの変化に入らない。


 それから三日後、弟は母の実家に預けられることになった。発端となったのは弟の深夜徘徊。学校に行きたくないだけで外に出るのは好きな弟は、同級生に見つからない夜間に家を出て、駅前や住宅街や公園を練り歩くのにハマってしまった。私や両親がいくら止めても続けるので、ならばいつ出ても同級生と合わないほど遠くに住めばいいのではないかという話になる。母の実家は二県隣だから、会う可能性はほぼないだろう。

 母の実家は一軒家で広くて、男子高校生がひとり増えたところで、さして問題はない。祖母も祖父を亡くしているので、孫が来てくれて嬉しそうだ。

 田舎でもないので人目を気にする必要はない。一週間経って様子を聞いてみると、隣家に住んでいる女の子と友達になって毎日昼から遊んでいるらしい。

「へえー。コミュ力あんね。楽しそうでよかったけど、勉強もしときなよ?」

『わかっとるよー。五十分授業とかの仕切りのない勉強も楽しいなあ』

「ふーん」

 学校に戻ってきたときに云々、みたいな話はなるべくしない。話題に出すことで言外に急かしているみたいに受け取られても困る。留年もよくないが、まあまだ出席日数は大丈夫な筈だ。伸び伸びと休養していてほしい……という思いを込めて弟の担任には祖母の家にいることは伝えていない。重要な連絡は弟に伝言するが、それ以外の小言や心配は母か私のところで止まっている。



 そんな感じで一ヶ月が経過して、私の大学も始まって弟との連絡も減る。私は私で色々と忙しいのだ。

 友達が彼氏と別れて滅茶滅茶荒れたりとか。

「『君は僕と別れたほうが幸せになれる』ってふざけんな案件じゃない? じゃあうちが今まで感じてた幸せはなんだった訳? そりゃ優しさじゃなくて自分が不幸にしてしまうのを怖がってるだけじゃんね!」

 と酒を煽りに煽る十九歳を慰めながら、いやそれも優しさでしょ、と私は内心で思う。

 この子の彼氏は二十九歳の清掃業者で、ギャンブル依存症で借金があって実家との折り合いも悪いそうだ。そんな自分の人生に十九歳の女の子を付き合わせちゃ駄目だと考えての別れだろう。自分の孤独よりも恋人の若い時間を優先したのだ。偉いとは言えないが、強い選択だ。

 でも友達の憤りも理解できる。彼女にも思い描いていた未来があるし、自分達の強い愛ならばどんな風でもやっていけると信じていたのだから、それをシビアに否定されたら辛いに決まっている。たとえ本当は優しさだと理解していたとしても。

 どうして人は時に、優しくしたせいで傷つけてしまうんだろう?

 文系大学生だから登場人物の気持ちは理解できるけれど、その気持ちが発生してしまうような構造がある理由はよくわからない……。

 もっと単純ならいいのにね、で片付けてしまいたくなるが、なんだかそれも、色んなことを軽視しているみたいだし……内心でのことなら許されるだろうか?

 許すのは自分で、私はひとまず私を許す。優しいね私。甘さだってタメにならないだけで優しさ……ということにならないかな。

 あーあ。私も優しくされたいな。



 優しくされたいって思っている人は世の中にたくさんいる。ありとあらゆる場所にいる。あまねく世界に溢れんばかりだ。そしてそういう人のなかには、その願いを叶えてくれた他者のことをとびっきり好きになってしまう人もいる。人間としても恋愛対象としても。

 母実家の隣家に住む皆島青里ちゃんもそうで、弟の優しさを毎日受けた皆島ちゃんはすぐに胸キュンして一ヶ月でフォーリンラヴしちゃう。

 十月末、久々に弟の様子を見にきた私は、家に遊びに来ていた皆島ちゃんとも顔を合わせる。皆島ちゃんはなんだか和やかで近寄りやすい雰囲気を持っている子だ。西脇ちゃんよりオーラが明るい気がする。

 弟曰く、定時制の高校に午前だけ通っている子で、夕方のバイトの時間まで弟と遊んでいるらしい。バイタリティがいかついな。

 最初は私と弟と皆島ちゃんで楽しく話していたのだけれど、弟が祖母に呼ばれて部屋を出たとき、皆島ちゃんはすぐに真剣な表情になって「あの、お姉さん」と言う。

「何?」

「ひとつ相談していいですか?」

「はい」

「あの、あたし、……弟さんのこと好きなんですけど」

「え? あ、そうなの? なんで?」

「弟さん、すごく優しくて面倒見がよくて。あたしの話をたくさん聞いてくれて。そういう人、ここ二年くらいいなかったから、すごく救われて」

「へえー」

「それで、弟さんってあたしのことタイプだと思いますか?」

「え?」

 わからない。弟が西脇ちゃんのことが恋愛的に好きだったならもしかしたらタイプじゃないかもしれないが……たぶん、そうではなかっただろう。西脇ちゃんのことは終始『友達』だったから。

 うーん。

「まあ、大丈夫じゃない? あいつ、好みのタイプとかそもそもなさそうだし。前に可愛いと思う芸能人訊いたときも『特にない』って言ってたから」

「そうですか」

「皆島ちゃん美人だし明るいからいけるよ。頑張れ」

「あ、ありがとうございます。明日言ってみます」

「ふふ。いいね、アクティブで」

 弟が戻ってくる足音がしたので別の話をしていた振りをしながら迎える。巨峰ぶどうを三人で分ける。美味しい。果物はいつだって正義だ。

 それから私は、長居せずに家に帰る。弟と皆島ちゃんが手を振ってくれる。皆島ちゃんファイト、という気持ちとあんた皆島ちゃん泣かせたら怒るよ、という気持ちを込めて笑いかける。



 翌日の夜。告白の結果が気になって、探りを入れるために弟に電話をかけてみた。

 電話に出た弟は泣いている。さっき泣き始めたばかりという勢いで。

『ふぐっ、うう、もしもし。姉ちゃん? っく、何?』

「何? って……え、そっちこそ何? なんで泣いてるの?」

『う、んん、姉ちゃん、俺、俺なー、もう、ふうう、人に冷たくしたほうが、いいんかな』

「いや話が解らない。落ち着いて。洟を噛んで。深呼吸して。大丈夫だから大丈夫だから」

『大丈夫、って、何が』

「それは知らない」

 電話越しにティッシュで洟を噛む音が聞こえて、深く息を吸って吐く音も聞こえて、それらが収まるのを私は待つ。心の準備をしながら。

『……落ち着いた』

「ん。で? 何?」

『……あんな、俺な』

「うん」

『昨日、会わせた子いるだろ』

「皆島ちゃんね」

『うん、友達、だったの』

「だった?」

『あいつ、俺に告ってきた』

「そう。それで?」

『優しいところが好きって、優しくしてくれるから好きになったって言ってきた』

「それで?」

『でも俺、青里は友達としか思えないから付き合わないって、断った』

「そう。おつかれ。それから?」

『で、気まずくなって、俺が、これからも友達でいてほしいって言ったら、無理って言われた』

「あー。無理かー」

『なあ、これって俺が悪いんかな。俺が青里に優しくしたから友情が壊れたんかな。俺はただ、友達に自分を卑下してほしくなかったし、友達が困ってたり大変そうだったら手助けしたいと思っただけなんだけど、付き合ったりできないんなら、そんなことしないほうがいいのかな』

「……そんなことないと思う」

『だって、俺、もう嫌だ。なんで優しくしたら、友達のために動いたら何もかも上手くいかなくなるんだよ』

「……前にも、そういうことあったの?」言いながら私はあの子の顔を想起する。「もしかして、西脇ちゃんとも?」

『薫子はずっと友達だった。……でも』

「でも?」

 弟はまた泣き出す。泣きながら、絞り出す。

『俺、俺は、薫子が、うぐ、薫子が、いつか自殺しても悲しいことみたいに言わないでって言うから、言うから、だから、ふうぅ、だから言わなかった、薫子のために』

 そして弟は虐められた。

 本当は悲しかったんだろう。本当は死んでほしくなかったんだろう。本当はみんなと一緒に、みんなよりも深く強く悲しみたかったんだろう。だけれど、優しい弟には、西脇ちゃんの気持ちより自分の気持ちを優先することなんてできなかった。

 自分の優しさが誰かを傷つけ、自分を傷つけ、孤独を呼んでいく。


 どうして人は時に、優しくしたせいで傷つけてしまうんだろう?


 そして私は吐き出してくれた弟に何を言うべきだろう?

 決まっている。

「あんたは何も悪くないから」

『……でも、俺は、青里を』

「あのさ、友達だろうがなんだろうが、向こうが勝手に惚れて告ってきたから振ったら気まずくなったんでしょ? それであんたに非があるの? 好きでもないのに優しさで付き合ったほうがよっぽど残酷だよ? 他のどんな選択肢よりもマシだよ。悪くない」

『俺は青里と友達でいたかった』

「でも向こうは友達以上になりたかった。気持ちが致命的に擦れ違っただけだよ。誰かが悪いってことじゃないんだよ。理解しな」

『……誰も悪くない』

「それから西脇ちゃんの件だけど。あんたの優しさであんたは傷ついたかもしれないけど西脇ちゃんは救われたよ。それでいいでしょ? あんたが西脇ちゃんに優しくして、よく知らない馬鹿が勝手に引いて虐め始めただけでしょ? 原因はあんたの優しさじゃなくて虐めた周囲だよ」

『……姉ちゃん、なんか、ズバズバ言うね』

「当たり前でしょ? 優しい馬鹿なあんたが心折れて冷たい馬鹿になったら西脇ちゃんが悲しむよ」

 弟はまた泣き出す。何も言えないくらいに。よしよし……という気持ちで聞いていたけれど、長すぎてうざくなってきたので電話を切る。

 男子高校生の男泣きをずっと聞いていられるほど、私は優しくないのだ。

 さてと、レポートやんなきゃ。



 次の週、弟は私達の家に戻ってくる。

「明日からまた高校行くわ」

「ふーん」

 翌朝。一限からの私と弟の通学時間が被る。玄関先で立ち止まって足を踏み出せずにいる弟の背中を突き飛ばして無理矢理歩かせる。

「……ありがと」

「いやマジで邪魔だっただけだよ。いいから行け」

 と言うと弟は逃げるように走り出して、すぐに角で曲がって姿が見えなくなる。今日は少し暖かいから冬服で走ると暑いだろうな、と思いながら私は歩き出す。

 優しい風。風って別に意思を持って穏やかに吹いている訳じゃないんだから優しいも何もなくない? と思ってしまう。きっとそれは無粋でありつつも正しい。『優しさ』と違って『優しい』はただの評価だから、『優しさ』は必要ではない。

 勿論、逆のケースも多い。『優しさ』があったからといって『優しい』と評価されるとは限らない。

 つまりはそういうことなのだろう。



 そして十年後に弟の結婚式の二次会で私はお嫁さんに訊いてみる。

「ね、どうしてあの子と結婚したの? 優しいから?」

「それもなきにしもあらずですけど、まあ一番は顔と声が好みだったことですね」

 と真顔で返された私は思いっきり笑いながら、いい相手見つけたなあと感慨深い気持ちになる。弟は「またそういうこと言って……」と呆れ気味だから慣れているのだろう。

 顔も声も必ずしも不変とは言えないが、それでも人の優しさよりはよっぽど安定しているはずだし、案外、愛される理由なんてそれくらい欲っぽいほうがちょうどいいのだ。少なくとも私の弟にとっては。

 幸あれ、と祈りたくなるのは優しさとは別の何かによるものだろう。きっと。


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