第三章 ー後編ー

「これ、どうするの?」

 秀が鬼の腕を指して訊ねた。

「鬼は死んだ訳じゃないんだろ?」

「一時的に姿を隠しただけよ。後で取りに来るわ」

「じゃあ、今度こそ倒さないと。繊月丸、手伝ってくれるか」

 高樹がそう言うと繊月丸は黙って頷いた。


「今夜、大森か内藤の家に泊まってることにしていいか? 遅くまで帰らないと母さんが心配するから」

「なら秀の家にしてくれ。俺も秀の家に泊まるってことにして付き合うよ」

「じゃあ、僕はアリバイ工作するね」

 秀が言った。

 用がある時はスマホに掛けてくるはずだが、秀の家に電話して来ないとも限らない。

 特に高樹の母親は高樹が初めて秀の家に泊まるからと言う事で掛けてくるかもしれない。

 その時、秀に電話を取って誤魔化ごまかしてもらう必要がある。


「雪桜は帰ってくれ」

 俺は雪桜にそう言った。

 雪桜は鬼が見えないのだからいても危険なだけだ。

「うん、みんな気を付けてね」

 今の激しい攻防を見ていた雪桜は「自分も一緒に残りたい」などと言ってごねたりしなかった。


「祖母ちゃんはどうする?」

「しょうがないわね。残るわよ」

「俺は一旦いったん家に戻って弓取ってくる」

「え、弓道やってるのか?」

「アーチェリーだ」

 俺は中学の時、アーチェリー部だったが高校にはアーチェリー部がないのでめてしまった。

 すべり止めの高校はアーチェリー部があるところを選んだが第一志望に合格したし、どうしてもアーチェリーを続けたいというわけでもなかったから徒歩で行ける上に秀や雪桜と一緒に通える今の高校を選んだのだ。


「オレはここで見張ってるから、戻ってくるとき弁当買ってきてくれ」

「分かった」


 俺がアーチェリーを入れたケースと弁当や夜食を持って神社に戻ると高樹達の姿が見えない。


「高樹?」

 俺は声を潜めて呼び掛け、辺りを見回した。

 すると石碑せきひの陰から高樹が顔を出して手招きした。


 この神社は鳥居を入ってすぐのところに、いくつかの大きな石碑が建っていて表から姿を隠すには丁度いい。

 俺も石碑の裏に回った。

 少し離れたところに鬼の腕が置かれている。


 最初のうちは緊張して待っていたが、いつ来るか分からないことから次第に緊張はゆるんでいった。


「お前の名前、なんだったっけ?」

 高樹が刀の化身に訊ねた。

骨喰ほねばみ繊月丸せんげつまる

 刀の化身――繊月丸が答えた。


「どうして鬼と戦ってたんだ?」

「ここにいたら襲い掛かってきた」

「どうしてここにいたんだ? それも人間の姿で」

「分からない。何かに引き寄せられてここまで来た」

 繊月丸の答えに高樹と俺は顔を見合わせた。

「例の儀式か」

「多分ね」

 祖母ちゃんが答える。

 ホントにハタ迷惑な連中だな、妖奇征討軍ようきせいとうぐんは。


「繊月丸、持ち主は? 当然いるだろ」

「少し前に死んだ」

「じゃあ、秋山さんかな? 刀集めが趣味だったって言うし、しばらく前に亡くなったって聞いた」

 俺は母さん達の噂話を思い出しながら言った。

「家族は?」

 高城が訊ねてきた。

 家族がいるなら所有者は遺族だからだ。


「いないらしい。役所が告知かなんか出すみたいだけど、多分遺産は全部国のものになるだろうって言ってた」

 俺は高樹の問いに答えた。

「じゃあ、繊月丸は返さなくていいよな?」

「いいんじゃないか。繊月丸がいなくなったことにも気付いてないだろうし」

「そうだよな」

 高樹は心なしか嬉しそうだった。


「お前、繊月丸を返したくないんだな」

「繊月丸がいなくなったら大幅な戦力ダウンなんだぞ。鬼みたいな大物と戦うのにナイフじゃ手に負えないだろ」

「まぁそうだな」

 何より刃物は持っているのを見付かると色々と面倒だが、繊月丸なら戦う時以外は人間の姿になっていれば銃刀法違反で捕まる心配はない。


「上着持ってきてもらえば良かったな」

 高樹は両手で襟元えりもとをあわせた。

「確かに花冷えがするな」

 そんな話をしている間に夜は更けていった。


 深夜、もう親が電話をしてこない時間になったところで秀がやってきた。

 これより遅い時間に他所よその家に電話をするのは非常識だから何か用があればスマホにしてくるだろう。


「寒いんじゃないかと思って」

 秀はそう言って高樹と俺にセーターを差し出した。

「助かったよ」

「でも、戦いで汚れたり破れたりするかもしれないぞ」

「いいよ、別に」

 秀の返事に俺達は有難く受け取るとセーターを着込んだ。


 それからしばらくは会話も途絶え、俺はうつらうつらしていた。


「孝司!」

 祖母ちゃんの声にハっとして目覚めた。

 見ると鬼の腕から細い煙が立ちのぼっている。


「繊月丸!」

 高樹の声に反応して繊月丸が日本刀の姿に戻った。


 高樹が刀を鬼の腕に突き刺す。

 咆哮とともに鬼が姿を現した。


「祖母ちゃんは腕を見張っててくれ」

 俺はそう言うと弓に矢をつがえた。


 秀がスマホを構える。


 日本刀は化生だから普通の人には見えないかもしれないが、アーチェリーは間違いなく見えてしまう。

 撮影の振りをしていなければ通報されるだろう。

 祖母ちゃんは秀の横に立っている。


「高樹! 何とか足を止めてくれ!」

「おう!」

 高樹が鬼に斬り掛かっていく。

 鬼は片腕で刀を振り払った。


 鬼の足が止まった瞬間、俺が矢を放つ。

 矢は鬼の右肩をかすめて飛んでいった。

 高樹が鬼に斬り込んでいく。

 鬼が後ろに飛び退いた。


 俺は再び矢をつがえた。

 鬼の足が止まるのを待つ。

 高樹が繊月丸を振り下ろす。

 繊月丸をけた鬼の足が一瞬止まる。


 俺は矢を放った。

 矢が鬼の足に刺さる。

 しかし全くダメージを与えられてないようだ。


 鬼が俺の方に向かってきた。

 俺はとっさに反応出来なかった。

 鬼が腕を振りかぶる。


 やられる!


 そう思った時、誰かが目の前に立ち塞がった。

 後ろ姿だけだが男性のようだ。

 その男性の向こうで銀光ぎんこうひらめく。

 鬼が後ろに退いた。


大事だいじないか!」

 男性は俺に背を向けたまま言った。

「は、はい!」

 俺がそう答えると、男性は鬼に向かっていった。


 着物に袴姿。腰に鞘を二本差している。

 時代劇に出てくる武士みたいな姿だ。

 流石さすがにちょんまげは結ってないが。


 武士が鬼に駆け寄り刀を振り下ろした。

 それをけた鬼が腕を振る。

 鬼の振り下ろした腕を武士がたいを開いてかわす。

 身体の向きが変わって武士の顔が見えた。


 右目に黒い眼帯……!


 まさか……柳生十兵衛の幽霊!?


 新宿に柳生十兵衛ゆかりの地なんてあったか?


 諸国漫遊しょこくまんゆうの話が残ってるから新宿にも来た――というか、どこかへ行く時に宿場町である新宿を通り掛かったとか?

 通り掛かっただけの場所に幽霊が出るものなのか? とも思うが。


 幽霊になっても諸国漫遊しているとか?


 武士の刀をけた鬼が神社の社殿の左側に激突した。

 戸板が壊れて中に置かれている販売用のお守りなどがのぞく。

 そこに破魔矢が入れられた矢筒があった。


 もしかしてあれなら……。


 俺は鬼が高樹の方に向かっていくのを待ってそこへ駆け寄った。

 破魔矢は一本千円と書いてある。

 俺は財布から千円札を出して、破魔矢を立ててある筒の下に置くと一本取り出した。

 破魔矢に付いている飾りを取り払う。


 俺は破魔矢を弓につがえた。

 高樹が刀を振り回し、鬼は後ろに下がりながらけている。

 武士も刀を構えて鬼を攻撃する隙をうかがっている。


 鬼が真っ直ぐこちらに後ずさってくる。


 高樹に当たるなよ……。


 俺は破魔矢を放った。

 矢が鬼の右肩に当たる。

 右肩が大きくえぐれた。


 よし!


 これはくようだ。

 鬼がこちらを振り向く。

 その隙に高樹と武士が鬼に斬り掛かる。

 鬼は咆哮を上げると高樹と武士に注意を戻した。


 俺は更に二千円出して筒の下に置き、破魔矢を二本取る。

 破魔矢の飾りを取ると矢をつがえた。

 今度は鬼の足を狙う。

 肩と違い足はよく動く上に肩より幅が狭いから中々狙いが付けられない。


 俺が足を狙っているのに気付いた武士が刀をさやに収めると、鬼が振り下ろした腕を掴んで自分の脇で押さえ込む。

 鬼の足が止まった瞬間、矢を放った。

 矢が当たった鬼の腰の一部と右足の付け根が消える。

 足一本では体を支えきれず鬼がその場に倒れた。


とどめを!」

 武士の言葉に高樹が鬼に駆け寄ると刀を鬼の左胸に突き立てる。

 鬼が咆哮を上げてちりになった。

 同時に腕も消える。

「消えたわね」

 祖母ちゃんがそう言うと、俺はほっとして弓を下ろした。


「遅かったじゃない」

 祖母ちゃんが武士をとがめた。

「え、綾さんの知り合い?」

 秀が驚いたように訊ねた。


 ということはやはり柳生十兵――。

「こいつは小石川に住んでる大マムシよ」

「えっ……!?」

 俺達が同時に声を上げる。


 予想外の答えに俺達は言葉を失った。


 まさかのマムシ!?


 シマヘビやアオダイショウ、それにヤマカガシは新宿区内に今でもいると聞いているがマムシもいたのか……。

 いや、小石川は文京区か……。


 小石川というと植物園か後楽園の辺りか?


「今はなんて名乗ってるの? 井上頼母たのも?」

「冗談は休み休み言え。儂の片目を奪った家の当主の名など名乗らぬ」

「じゃあ、なんて言うの?」

「名などない」

「だそうだから大マムシよ」


 えぇ……。


 祖母ちゃんにしろ繊月丸にしろ、高樹の父親にしろ、みんな名前があるから化生にもあるのが普通だと思っていたのだが……。


「大マムシさんって呼ばないとダメですか?」

 秀が訊ねた。

 人――〝人〟ではないが――を人前でマムシと呼ぶのはどうなのだろうか。

 世の中にはマムシという名字の人もいるかもしれないからいのかもしれないが。

〝大マムシ〟と〝大〟が付けば問題ないのか?


「人とは関わらぬゆえ

「関わってるでしょ。天井裏ってる音がうるさいって、近所の人達がしょっちゅう太鼓叩いてたじゃない」

「た、太鼓?」

 秀が戸惑い気味に言った。

「太鼓を叩くと井上家に帰るから、うるさい時はその家の人が太鼓叩いてたのよ」

「……うるさかっただけなのか?」

 高樹が訊ねた。

「相当うるさかったみたいね。井上家の当主がブチ切れて弓で打ったから片目なのよ」


 江戸時代から生きてる隻眼せきがんの大マムシという設定盛々の蛇から受けた被害が騒音……。


 最近猫又になったばかりで人を殺したり化けたりしてるミケ以下……。


 そもそも太鼓の方がよほどうるさくないか?


「けど大マムシって呼ぶのもな」

 高樹が俺の気持ちを代弁するように言った。

 表情からして秀も同じ思いらしい。


「なら頼母たのもでいいでしょ」

「だから井上家の当主など……」

「頼母なんて名前、いて捨てる程いたじゃない。第一頼母たのもが当主になった頃には住み始めてから百年以上ってたんでしょ」

 綾の言葉に大マムシが黙り込んだ。

 ありふれた名前と言っても〝頼母〟という名前が出てきたのは当主の一人が井上頼母だったからなのだからなのだから、少なくとも祖母ちゃんが提案した〝頼母〟の由来は井上家の当主だと思うのだが。


 まぁ大マムシよりはマシか……。


 というか井上頼母がいつ頃の人かは知らないが、江戸時代にその人が当主になった時点で百年以上経ってたなら今は最低でも二百五十年歳以上のはずだ。

 頼母は高樹に目を向けた。


「そこもと、剣の使い方がなっておらぬな」

「そりゃ、今は大小だいしょうして歩いたりしないから」


 それ以前に高樹は武士じゃないだろ……。


「教えてやってよ。その子はぼう――」

のぞむだ」

 高樹が訂正する。

「――朔夜の息子よ」

 祖母ちゃんは気にした様子もなく続けた。

 頼母は少し考えた後、頷いた。


「まぁ、良かろう。一応武芸十八般じゅうはっぱんたしなんでおる故な」

「武芸十八般って弓術も入ってるわよね?」

「そうだが――」

 頼母が俺のアーチェリーに視線を向けて、

「――それは洋弓であろう。洋式の弓は分からぬな」

 と言った。

 なんだかよく分からないうちに高樹は頼母に剣術を教わる事になってしまったようだ。

 俺はさっき放った破魔矢を探し出して拾った。

 一本千円もする矢を使い捨てにするわけにはいかない。


 高樹が、

「帰るか」

 と言ったのをに、俺達は神社を後にした。


「ではな」

 頼母はそう言って帰っていった。

 今でも小石川の辺りに住んでいるのだろうか。


「繊月丸、人間の姿になってくれ」

 高樹が言うと繊月丸は人間の姿になった。

「繊月丸はどうするの?」

 秀が訊いた。

「高城の家に連れてくのか?」

 俺がそう訊ねると高城が困ったような表情を浮かべた。

 突然少女を連れてこられても高城の母親も困るだろう。

 かといって日本刀が部屋に置いてあっても不安を覚えるに違いない。


「私と一緒に来ればいいわ」

 祖母ちゃんがそう言うと繊月丸が頷いた。


 勝手に神社に住み着いていいのかよ……。

 ホントにばちは当たらないのか?


 高樹と俺は秀の家に泊まってることになってるので、秀の家に向かった。

 祖母ちゃんと繊月丸とは近くの神社で別れた。


 家の人たちを起こさないように静かに秀の部屋に入る。

 秀の部屋には俺達の分の布団も引いてあった。

 俺は秀の心遣いに感謝しながら布団に倒れ込んだ。


 しかし秀の家では俺達が泊まっていることなど知らないのだから、秀の家族が起き出す前に家を出なければならない。

 もう深夜を大分過ぎているから眠れるのは二、三時間だ。

 明日――もう今日か――は寝不足で、眠くて仕方ないだろうな……。

 そんなことを考えながら眠ってしまった。


四月十四日 火曜日


 早朝、目覚まし時計は容赦なく俺達を叩き起こした。

 家族が起き出す前に高樹と俺は自宅へ戻った。


 家族を起こさないようにこっそりと自分の部屋に入る。

 部屋にはミケも幽霊もいなかった。

 今は朝だということもあるが、ミケがいない時は幽霊も出ないと言うことは小早川はミケと行動を共にしているのだろうか。

 だとしたらそれほど怖がる必要はないのかもしれない。

 少なくとも取りかれる可能性は低いのではないだろうか。

 そうはいってもやっぱり怖いことは怖いのだが。


 朝食の時間になり階下に降りていくと母さんは驚いたようだったが朝ご飯を用意してくれた。


「秀君と喧嘩でもしたの?」

「まさか。着替えも鞄も持ってかなかったからだよ」

 俺の答えに母さんは納得したように頷いた。


 さすがに二、三時間の睡眠はキツい。

 眠い目をこすりつつ学校へ向かった。

 途中で秀、雪桜と合流する。

 秀も眠そうな顔をしている。

 雪桜も何故か眠たそうだった。


「お前はゆっくり寝たんじゃなかったのか?」

「こーちゃん達が心配で眠れなかったよ。結局どうなったの?」

 秀と俺は夕辺のことを雪桜に話した。


 神社の前を通り掛かった時、繊月丸が出てきた。

 鞠の柄の着いた赤い着物を着て黄色い帯をしている。


「どこに行くの?」

 繊月丸が訊ねてきた。

「可愛い! この子、知り合い?」

 雪桜が目を輝かせる。


 昨日は見えてなかったのか……。


 どうやら今は姿を現しているから見えるようだ。


「繊月丸だ」

 雪桜にそう言ってから、繊月丸に、

「学校だよ」

 と答えた。


「学校って何?」

「勉強するところだよ」

「勉強って? 一緒に行ってもいい?」

「姿を消せば来てもいいぞ。けど学校では話し掛けてくるなよ。話し掛けてきても答えないからな」

「うん!」

 繊月丸は嬉しそうに後からいてきた。

「あ、消えちゃった」

 雪桜が残念そうに言った。

 どうやら姿を消したらしい。


 学校に着くと例の白い着物の女の子が教室にいた。

 繊月丸と白い着物の女の子はすぐに仲良くなった。

 考えてみたら白い着物の子は周りに大勢の人間達がいるのにずっと話し相手もなく独りぼっちだったのだ。

 きっと淋しかったのだろう。


「……それで……」「……だから……」「……でね……」

 二人のお喋りを訊くともなく訊いていると、また視線を感じた。


 またか……。


 辺りを見回してみたが誰が見ているのか分からない。


 俺は誰かに恨みを買うようなことでもしたか?


 覚えはないが、大抵の場合、加害者は被害者のことを覚えてないものだ。

 しかし、それでもやっぱり身に覚えがない。

 それとも好意を持ってくれている誰かだろうか。


 女の子だとしたら可愛い子がいいな。


 虫が良すぎるというのは分かっているが、やはり好意を持たれるなら可愛い子がいい。

 秀にも彼女が出来たのだ。

 俺にだってそろそろ出来てもいいはずだ。


 まぁ、高樹にもまだ彼女はいないが。

 高樹にまで彼女が出来てしまったら大打撃だ。

 当然高樹もそう思ってるだろうから、これは競争だ。

 だから視線の主は俺に好意を持ってる可愛い子がいい。


 ……いや、やっぱりダメだ。


 俺が好きなのは雪桜だ。

 他の子に乗り換えるのは雪桜に振られてからだ。


 でも、やっぱり……。


 考え込んでいるうちに放課後になった。


 俺は秀や高樹、繊月丸と共に帰路にいた。


「繊月丸も来てたのか」

 高樹が言った。

「学校がどういうところか知りたいって言うから連れてきたんだ」

「そうか。まだ見られてるな」

「そうなんだ。私にはよく分からないんだけど」

 雪桜が振り返りながら言った。


「繊月丸ちゃんがいるの?」

 雪桜の質問に繊月丸が姿を現したらしい。

「あ、繊月丸ちゃん」

 雪桜が繊月丸に笑顔を向けた。


「武蔵野と会ったらしばらく立ち話しててくれ」

 高樹が言った。

「分かった」

 俺がそう返事をすると高樹は手を振って脇道に入っていった。


 俺達の後を視線の主もいてくる。

 何度こっそり振り返っても視線の主は突き止められない。

 高校生でこれだけ尾行が上手ければ、卒業したらすぐに探偵になれるのではないだろうか。


 と、その時、不意に嫌な考えが浮かんでしまった。


 普通の高校生ならいいが、まさか化生に目を付けられたんじゃないだろうな。


 祖母ちゃんと高樹が身方だからそう簡単に殺される事はないと思うが化生に付け狙われるなど冗談ではない。


 中央公園でいつものように祖母ちゃんと合流した。


「高樹に、しばらく立ち話しててくれって頼まれてるんだ」

「そう。繊月丸、学校はどうだった?」

 祖母ちゃん繊月丸に訊ねた。

「楽しかった」

「そう言えばあの女の子、名前なんて言うんだ?」

東雲しののめ

 繊月丸の答えでようやくあの女の子の名前が分かった。

 学校では話し掛けることが出来ないので名前を知らなかったのだ。


「女の子って?」

 雪桜に聞かれた。

「学校にいる白い着物を着た女の子だよ」

「繊月丸と同い年くらいに見えるね」

 俺と秀が答える。

「そんな女の子がいたんだ」


 そういえば雪桜には見えないんだったな……。


 祖母ちゃんは姿を見せているし、見えない場合でも話を信じてくれるから、つい忘れがちだ。

 俺達はとりとめのない話をして時間を潰した。

 やがて高樹がやってきた。


「すまん、取りがした」

 どうやら視線の主を捕まえに行っていたらしい。

「どんな人だった?」

 秀が訊ねた。

「割と可愛い女子だった」

〝女子〟という言葉を聞いて初めて男子の可能性があったと言う事に気付いた。


 そうか、男だったかもしれないのか……。


 その点は喜んでいいのか?


「孝司、良かったね。可愛いって」

 秀が言った。

「俺に好意を持っててくれるなら嬉しいけどな。恨みを買ってるとしたら……」

「可愛い女の子の恨みを買うようなことしてないでしょ」

 秀が笑った。


 遠回しに俺が可愛い女の子と関わるようなことはないと言ってるのだろうか……。


 いや、秀は皮肉を言ったりしない。


「ふぅん、やっぱり可愛い子が好きなんだ」

 雪桜の口調は心なしか冷ややかだった。


 誤解だ、雪桜。

 お前も可愛い。


 そう言いたかったが口には出せなかった。


「ぱっと見は普通の人間だったぞ」

「お前から逃げ切れたってだけで普通の人間じゃないような気がするが……」

 ますます化生の疑いが濃厚になる。

 祖母ちゃんだって女だけど化生でもある。

 視線の主が、可愛い少女の化生で俺を恨んでいるという可能性もあるのだ。


「きっと心配ないよ」

 秀が慰めるように言った。

 しかし恨まれてるのか好意を持たれてるのか分からない限り、可愛いからと言って単純には喜べない。


 いや、それ以前に俺には雪桜がいる。

 それでも可愛い女の子に好意を持たれているかもしれないと思うと少し期待してしまう……。


 その時、向こうから歩いてきた妖奇征討軍の二人と目があった。

 二人の着物は所々破れ、り傷だらけで泥まみれ、片方の肩には大きな血の染みが付いていた。


「上野の鬼を退治してきたぞ」

「見えないのにどうやったんだ?」

「捕まったら見えた」

「そうか」

 二人は俺が何か言うのを待っているようだった。

 褒めてもらえると思っていたなら失望することになったな。


「神社で怪しい儀式したのはお前らだろ」

「な、なんのことだ」

「ぎ、儀式ってなんだ?」

 しらばっくれているが動揺しているところを見るとこいつらがやったことに間違いはないようだ。

「お前らの姉さんが儀式跡を浄化したぞ」

「え! 姉さんが!」

「余計なことを……あ、いや……」

 俺達の冷たい視線に耐えかねたのか妖奇征討軍は逃げるように去っていった。


 一旦家に帰った俺は、鞄を置いて私服に着替えると祖母ちゃんがいる神社へ向かった。


 境内けいだいに綺麗なキツネがいた。

 俺は思わずキツネを凝視ぎょうしした。

 本物のキツネを生で見たのは初めてかもしれない。


 この前、新宿駅にタヌキが現れてニュースになってたがキツネもいるんだな……。


 確か、サルも新宿駅付近に出たことがあるから新宿には昔話に出てくる動物は一通りいるようだ。


 いないのはクマとオオカミくらいか……?


 などと考えていると目の前でキツネは祖母ちゃん――武蔵野綾――に化けた。


「ホントに狐だったのか!?」

 俺は今更ながらに驚いた。

「孝司、どうかしたの?」

「秀から聞いてきたから」

「なんて言ってた?」

「気を遣わなくていいってさ。だから特にないようだ」

「そう。有難う」

 俺は伝えるべき事を伝えると、家に戻った。


 深夜、目が覚めるとミケの側に小早川が座っていた。

 俺は恐怖を押し殺して起き上がると小早川の前に立った。


「小早川、ミケはうちで大切に飼う。だから安心して成仏してくれ。ミケって名前が気に入らないなら本当の名前を教えてくれればその名前で呼ぶよ」

 俺がそう言うと小早川は微笑んで立ち上がり一礼して消えた。


 ミケが心配だっただけなのか?

 ていうか人間の方が動物の守護霊になることがあるのか……。


 気付くとミケが俺の方を見ていた。


『今あやがいたの?』

「ああ」


 ミケには見えなかったのか?


『あや! どこにいるの! あや! あや!』


 ミケが大声で小早川の名前を叫び始めた。

「おい、静かにしろ! 何時だと思ってるんだ!」

『あや! あや!』

「静かにしろって! 痛っ!」

 俺がミケを黙らせようと手を伸ばしたら引っかれてしまった。


「孝司! なに騒いでるの!」

 勢いよくドアが開いたかと思うと姉ちゃんが怒鳴り付けてきた。

「ミケが鳴いてるんだよ」


『あや! あや! あや!』


「お前がいじめたのね!」

「誤解だ!」

「うるさい!」

 姉ちゃんは俺をげんこつで殴るとミケを抱き上げてあやし始めた。

「いい子ね。もう大丈夫よ。誰もいじめたりしないからね」

『あや! あや!』

「いい子、いい子。さぁ、寝ましょうね」


 姉ちゃんは、俺が小さかった頃でさえ向けてくれたことのないような優しい声でミケをなだめながら部屋へ連れていった。

 ミケは夜が明けるまで小早川の名前を呼び続けていた。


 猫って言うのは家につくものじゃなかったのか?

 人につくのは犬の方だと思ってたが……。

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