第四章

四月十五日 水曜日


 朝、俺は学校へ向かいながら、秀と雪桜に夕辺のことを話していた。

 繊月丸は東雲と会うためだろう、今日もいてきていた。


「へぇ、猫なのに人間に執着するなんて珍しいね」

「そう思うだろ」

「うん、猫って薄情なものだと思ってたよ」

「俺も」

「きっと小早川さんが相当可愛がっていたのね」

 雪桜が同情するように言った。


 小早川もミケを残して死ぬのは無念だったろうな。


 だから心配でミケにいているのかもしれない。


 今日も学校にいる間中、ずっと視線を感じていた。


 学校から帰り道、俺達はいつも祖母ちゃんと合流するところへ着いた。


「朔夜!」

 祖母ちゃんがまた俺達の方を見ながら言った。

「……じゃないわね。ぼうはここにいるから十六夜いざよいね」

「その通り」

 その声に後ろを振り返ると、高樹そっくりの少年がいた。


 高樹と瓜二つだ。

 しかし黒い着物を着ていて宙に浮いていた。

 文字通り空中に浮いているのだ。

 空を飛んでいる化生を見たのは初めてではないが、こいつは人間の姿をしている。


「誰? 誰がいるの?」

 雪桜に見えないと言うことは、普通の人間には見えないのだ。

 まぁ宙に浮いてる時点で人間ではないのは間違いない。

「兄がいるって言うから会いに来たんだが……」

 十六夜はそう言うと高樹を見た。

「お前が俺の兄か」

 何か含みのある口調で言った。

「それがどうした」

 高樹が、何か文句あるか、と付け加えたそうな表情で答えた。

 十六夜は左右を見回した。


「よくこんなところに住んでられるな。殺風景だしビルは無味乾燥だし……」

「文句があるなら帰れ」

 高樹が言った。

 そうだ、言ってやれ、言ってやれ。

 俺はここが好きだ。

 姉ちゃんも東京が好きで、外国から来た客に、「(ビルは)墓石みたいで味気ないでしょ」と言われて「私は綺麗だと思いますけど」と胸を張って答えたという。

 俺も東京という街が好きだ。


「わざわざ来てやったのにその言い草か」

「来てくれと頼んだ覚えはないし、人の住んでる町をけなすのはどうかと思うが」

 高城がそう言った時、突然、黒いものが空から降ってきて十六夜に飛び掛かった。

 十六夜がその黒いものを殴る。

 黒いものが地面に転がった。

 それとほぼ同時に十六夜の両側に黒い翼をはやした着物姿の男が二人降りてきた。


無月むげつ!」

 祖母ちゃんが、転がった黒いもの――十六夜の両側にいる奴らと同じく黒い翼をはやした渋い着物姿の青年に向かって言った。

雨月うげつか」

 無月と呼ばれた青年が祖母ちゃんに向かって答えた。


〝雨月〟


 そう言えば、桜の木にいた化生も祖母ちゃんのことをそう呼んでたな……。


 どうやら祖母ちゃんの本当の名前は『雨月』というらしい。


「兄弟で何やってるのよ」

 てことは無月は十六夜の兄か弟ということだから高樹の兄弟でもあるのか。


 一人っ子から一気に兄弟が増えたな、高樹。


「何? 何やってるの?」

 俺は雪桜のために状況を説明した。

「見れば分かるだろう。こいつを殺すんだ」

 無月が言った。

「そう言うことは地元でやりなさいよ」

 祖母ちゃんは「殺す」という台詞はスルーした。


「こいつが逃げてきたから……」

「逃げたんじゃない。兄貴がいるって言うから会いに来たんだ」

 みんなの視線が高樹に集まった。

「オレになんの用だ」

「今度、俺が山の長になることになった。それに異存ないか聞きに来た。半分人間の兄貴にも興味があったし」

「どこの山だか知らないが興味ないな。なりたきゃなればいい」

「俺はあるぞ」

 無月が言った。

 供の二人も同じ意見のようだ。


「俺は完全な大天狗だし年上だ。十六夜は半分からす天狗じゃないか。俺はお前なんか認めない」

 俺が無月の言葉を雪桜に伝えると、

「天狗にも種類があるんだ」

 雪桜が俺にささやいた。

 確かに、烏天狗だろうが大天狗だろうが、天狗には代わりはなさそうだが当人達にとっては大問題なのだろう。


「やれ!」

 無月が合図すると、供の二人が十六夜に飛び掛かった。

「やめろ!」

 高樹が止めに入ろうとすると、

「お前の相手は俺だ!」

 無月が高樹に殴り掛かった。

「よせ! 高樹は関係ないだろ!」

 俺は無月に飛び付いた。

 しかし簡単に振り払われてしまった。

 高樹と無月が掴み合って転げ回る。

 俺が何度掛かっていっても無月にあっさり弾き飛ばされてしまう。

 これが完全な化生と四分の一の差か。


「高樹!」

 友達一人助けられない自分が情けなくて悔しかった。

 あの時もそうだった。

 人喰い鬼が人を喰ってるのに止めることが出来なかった。

 結局あの鬼を倒したのは妖奇征討軍だ。


 どうしてもっと力がないんだ……。


 なんでこんなに中途半端なんだ。


 完全な人間ではなく、かといって化生でもない。

 自分の無力さが悔しかった。


 俺はなんとか高樹を助けようと再度無月に飛び掛かろうとした。


 その時、

「やめなさい!」

 祖母ちゃんが一喝した。

 全員の動きが止まる。


「無月、ぼうは関係ないでしょ」

「こいつも俺の弟だ。長になる資格がある」

「望は人間よ。放っておきなさい。手出しは許さない」

「しかし……」

「黙りなさい! ここはあんたの土地じゃない! 続きは帰ってからやりなさい!」

「分かったよ」

 無月は渋々答えた。

「なら早く帰りなさい」

 無月は祖母ちゃんには頭が上がらないらしく素直に引き上げていった。


「雨月の言うことは聞くんだな」

 十六夜が言った。

「無月って言うのは私にちなんで名付けられたのよ。無月が生まれる前、朔夜と私は付き合ってたから」

 となると、おそらく〝望〟や〝十六夜〟もだろう。


 もしかして朔夜は祖母ちゃんに未練たらたらなんじゃ……。


「じゃあ、無月さんのお母さんはお祖母さん?」

 雪桜が訊ねた。

「いいえ、無月の母親は大天狗の暁よ」

「あ、そっか。無月さんは完全な大天狗って言ってたんでしたね」

「祖母ちゃんってどれくらい生きてるんだ?」

「化生になる前のことは覚えてないわね。化生になったのは江戸城が造られ始める少し前よ」


 という事は四百年くらいか。

 広大な関東平野の真ん中にいても冬になれば遠くの山が見えた時代だ。

 春から秋に掛けては木々の葉で目隠しされてしまうので丘の上に登っても見るのは難しいと言っていた。


 あれは昭和の話ではなく明治時代より前のことだったのか……。


「あれ? じゃあ、もしかして蛍を見たって言うのも戦後じゃなくて……」

「源蔵さんと知り合った頃にはもういなかったから終戦よりもずっと前ね。大正とか明治とか」

 現代でも地平線の辺りというのはビルに遮られてない場所でも木々に遮られてしまって高層階に登らないと関東山地は見えない。


 俺は、狐の雨月が俺の祖母ちゃんになる前の長い歳月を思った。

 その中には朔夜や無月との交流もあったのだろう。


 その時、

「こら!」

 大声に驚いて振り返った。

 壮年の和服の男性が腕組みをして険しい顔で立っていた。


「ああ、根岸の」

 祖母ちゃんがそう言ったということはこの男性も人間ではないのだ。

「十六夜! こんなところで何をしておる!」

「な、何って兄に会いに……」

 十六夜がたじろいだ様子で答えた。

 どうやら十六夜は根岸の化生には頭が上がらないらしい。


何用なにようか」

「あ、山の長になったから異論はないかぼうに聞きに……」

「異論ないか」

 根岸の化生が高樹に訊ねた。

「ない」

 高樹が即答する。

「その言葉に偽りはないな」

「ない。オレに父親はいないし、『ぼう』でもない。オレの名前は『のぞむ』だ。こいつらも山もオレとは無関係だ。この先も一生関わる気はないし、こいつらにも関わってきて欲しくない」

 高樹がきっぱりと言い切った。

 男性は十六夜の方を向いた


「聞いたとおりだ。ぼうはこの土地の人間だ。山とは関係ない。分かったらさっさと帰れ」

 化生の言葉に十六夜が反論し掛けたが、

「十六夜、無月にも言ったけどここはあんた達の土地じゃない。ここの天狗が出ていけというなら従いなさい」

 祖母ちゃんが言った。


「天狗!?」

「新宿に天狗が!?」

「孝司、綾さんが根岸って言ってたでしょ」

 秀が冷静に突っ込んできた。


 相変わらず動じないヤツだな……。


 根岸って上野の辺りだから東京の、それも二十三区内だぞ。


 高尾山ならまだしも二十三区内に天狗がいるとは……。


飯綱権現いづなごんげん様のお顔に泥を塗るような真似はつつしめ!」

 根岸の天狗に叱り付けられた十六夜は渋々帰っていった。

 十六夜がいなくなると天狗の姿も消えた。

 文字通り消えたのだ。


 さすが天狗……。


「飯綱権現って言うのは……」

「山岳信仰の対象ね。大天狗は飯綱権現の使いだから。今の根岸の天狗も大天狗なのよ」

「都内に天狗がいたんですね」

 雪桜も驚いた様子で言った。

「天狗って言うのは高い木に住むから大木があるところには割といるわよ」

「東京でも?」

「昔は今よりも大きな樹が沢山あったから。街中をそまが歩いていたくらいだし」

「そま?」

「今で言うきこりよ」

 祖母ちゃんの答えに雪桜が感心したような表情を浮かべていた。


 みんなと別れた後、俺は家に帰る気にはなれず近くの公園へ行った。

 何をするでもなくブランコに座り込んでいた。

 俺は無月に手も足も出なかった。

 友達が襲われてたのに。


 無力感にさいなまれていると、

「こーちゃん」

 と言う声がした。

 顔を上げると雪桜が立っていた。


「なんだ。どうした?」

「ほら、これ」

 雪桜はそう言うと古びた下手くそな木の箱を差し出した。

 昔、俺が作ってやった小物入れだ。

 まだ小学生の時だったからすごく不格好だ。

 作るのにかなり苦労したことだけはよく覚えている。

 釘を打つ時に何度も指を叩いてしまった。

 あれは痛かった。

 雪桜のためでなかったら途中で放り出してただろう。


「まだこんなの持ってたのかよ。いい加減捨てろ。今度もっと可愛いの買ってプレゼントするよ」

 俺が手を出そうとすると、雪桜は箱を引っ込めた。

「ダメ。これはこーちゃんが作ってくれたんだから私の宝物だよ」

 雪桜はそう言って手の中の箱を見た。

「落ち込んだ時はね、これを見るの。そうすると元気になれるんだよ」

「雪桜……」

 俺が落ち込んでるのに気付いて励ましに来てくれたのか。

「サンキュ、雪桜。元気になったよ」

「ホントに?」

「ああ」

 俺がそう言って笑みを浮かべると、雪桜も笑顔を見せた。

 雪桜が心配してわざわざ来てくれたことが嬉しかった。


 雪桜がブランコに座る。


「ブランコ、こんなに低かったんだね」

「スカートの中が見えるぞ」

 俺が笑って言うと、

「嘘!」

 雪桜が慌てて立ち上がる。

「もうっ!」

 雪桜が怒った振りで拳を振り上げた。

 俺は雪桜を家に送ってから自分の家に帰った。

 雪桜のおかげで大分気が楽になった。


四月十六日 木曜日


「僕さ、今シナリオ書いてるんだ」

 登校途中で秀が言った。

「シナリオ? なんの?」

「自主制作映画の」

「あれは口実だろ」

「そうだけど、シナリオがあった方が信憑性しんぴょうせいが増すかなって思って」

 確かに演技だと思ってもらえれば少々おかしな振る舞いをしても変な目で見られることはないだろう。

『芝居だ』と言ってシナリオを見せれば何もないところに向かって何かしていても納得してもらえるはずだ。

 やはり秀としてもまた仲間外れにされるのは嫌なのだ。

 いくら一人ではないと言っても周囲から孤立しなくて済むならその方がいい。

「どんな話なんだ?」

「怪物を退治する話だよ。実際とあんまり掛け離れた話書いたら、演技とあわなくて困るでしょ」

「そうだな」

 そんな話をしてるうちに学校に到着した。


 学校に着くと秀は書き掛けのシナリオを見せてくれた。

 秀は戦えないことを気にしているのだろう。

 こうして、せめてフォローだけでもしてくれようとしているのだ。

 戦えないのが普通なのだが、戦えないのが秀だけでは肩身が狭いのだろう。

 雪桜も戦えないが、彼女はそもそも戦闘に参加していない。させるつもりもないが。

 秀は秀なりに俺達を支援する方法を考えてくれているのだ。


「面白い。続きが気になる」

 本心だった。

 ホントに面白い。

 秀に文才があるとは知らなかった。

「ありがと」

 俺がシナリオを返すと、秀は続きを書き出した。


 俺は秀と話している振りをしながらさり気なく繊月丸を呼んだ。


「雪桜に気付かれないように高樹だけ呼んできてくれ」

「どうかしたの?」

 秀が訊ねた。

「雪桜へのプレゼント、思い付いたんだ」

「なに?」

「お前、祖母ちゃんに誕生日がないって言ってただろ」

「うん。けど、雪桜ちゃんと何か関係あるの?」

 そこへ高樹がやってきた。


「雪桜は来てないな」

「ああ、友達と話してた」

「秀と高樹と俺の三人で金を出し合って雪桜の誕生会をしないか? それを誕生日プレゼントって事にするんだ」

「綾さんと関係あるの?」

「祖母ちゃんの誕生日会も兼ねるんだよ。そうすればお前は祖母ちゃんへのお返しにもなるだろ」

「あ、それいいね!」

「オレも構わないぜ」

「じゃあ、計画立てようぜ」

 雪桜の誕生日はもうすぐだ。

 急ぐ必要がある。

 俺達はどこで誕生会をするか話し合い、月曜が雪桜の誕生日だから一日早い日曜に秀の家に集まることになった。


 次の時間も高樹がやってきた。

 雪桜も一緒だから誕生会の話ではないだろう。


 高樹によると神田川の近くで人が消えるという噂があるらしい。


「じゃあ、帰りに祖母ちゃんに聞いてみるか」

 俺はそう答えた。


 夕方、中央公園でいつものように祖母ちゃんと合流すると、初顔の男性がいた。

 二十歳くらいの一見普通に見える青年だ。

 というかサーファーみたいな格好をしている。


 だが、

「その子、見えないから姿あらわして」

 と祖母ちゃんが雪桜に視線を向けながら青年に言ったので化生だと分かった。

「こんにちは」

 雪桜が挨拶すると、

「ちっす!」

 と今時の青年としか思えない挨拶が返ってきた。


 でも祖母ちゃんの知り合いなら相当な年のはず……。


「名前は? なんて名乗ってんの?」

 祖母ちゃんが青年に訊ねると、

「名乗る必要がないんでなぁ」

 と頼母マムシと似たような事を言った。

 間違いなく化生だ。

「まぁいいわ」

 祖母ちゃんが頷く。


 良くないだろ……。

 なんて呼べばいいんだよ……。

 てか、こいつ誰だよ……。


「それより雨月、神田川の化生はどうするんだ?」

「祖母ちゃん、知ってたのかよ!」

「当然でしょ」

「どうするってのは?」

 俺が訊ねた。


「この前、桜の木にいたヤツ、上野に追い払ったでしょ」

「あいつは妖奇征討軍が倒したんじゃ……」

「あれは退治されたけど、不忍池しのばずのいけぬしが私が上野に追い払った事に文句言ってきたのよ。厄介事を押し付けるなって」

 人を喰う化物を上野に行かせたため、不忍池の主が化物退治に来た妖奇征討軍に手を貸したらしい。


 それで見えないのに倒せたのか……。


 ただ妖奇征討軍は不忍池の主の助力があったとは気付いてないそうだ。


「それで意趣返いしゅがえしにあの辺りにいた化生をこっちに追い払ったから今は明治通りの辺りで人を襲うようになったらしいのよ」

 そのため近所の化生達から責任を取って退治しろと迫られてるらしい。

「ま、私は別に放っておいてもいいんだけど……」

「待て、人が襲われてるんだろ」

 俺が言った。


 神田川と明治通りが交差しているのは高田馬場と早稲田の中間辺りだから人通りは少なくないはずだ。

 人が多い場所に人間を襲うような化生を放置しておく訳にはいかない。


「ところでその化生ってなんだ?」

 高樹が訪ねた。

「さぁ? 川なら河童か川獺カワウソじゃない?」

 祖母ちゃんは聞いてないらしい。

「カワウソって絶滅したんじゃ……」

生物いきもののカワウソはね。でも化生になったのは別だから」

「ていうか、東京に河童もいたのか」

 意外だった。


 昔はカワウソがいたと祖母ちゃんが言っていたが、今の口振りだと祖母ちゃんが言ってたカワウソはニホンカワウソではなく化生の方の川獺カワウソの事だったのかもしれない。


「深川で売ってた河童から作り方教わった薬とか有名だったのよ」

「いつの時代の話だよ」

「薬は江戸」

「明治になってからは医学は西洋式になったんでな~」

「あの薬、ホントによく効いたのにね」

 祖母ちゃんと海伯が交互に答えた。


合羽橋かっぱばしって名前、聞いた事あるでしょ。あれは河童が作るのを手伝ったから合羽橋って言うのよ」

「あそこにはもう橋はないぞ。川が無くなったからな」

 化生が言った。

「その橋って、えっと……」

 青年に質問しようと仕掛けた雪桜が口籠くちごもる。

「ほら、話をするなら名前が無いと不便でしょ」

 祖母ちゃんの言葉に青年が頬をいた。

「そう言われても人間の名前はよく分からないんだよなぁ」

「川の河童が河伯かはくだから海伯みかみでいいんじゃない?」

 祖母ちゃんがいい加減な名前を言った。


 また適当に……。


 と突っ込みたいところだが、それより――。


「川の河童って、川以外にも河童がいるのかよ」

「そりゃ、お堀とか海とか水があるところには大体いるわよ」

尾籠びろうな話だがかわやにもいるんでな」

「お堀!?」

「海!?」

 俺達が同時に声を上げたが祖母ちゃんと海伯は当たり前のような顔をしている。


かわや……ってトイレだよな。水洗になってからの話か?」

尾籠びろうって言ったでしょ。汲み取り式の頃よ」


 てことは河童がいたのは……。

 あまり想像したくない……。


「びろう?」

 雪桜が首を傾げる。

「不潔とか、見苦しいとか言う意味。海伯みかみ、あんた言葉づかいが古いわよ」

「いや~、浜にいる人間の言葉を真似してるつもりなんだよね~。ウェ~イ、とか」

「川やお堀で河童に引き込まれそうになった話とか江戸にも一杯あるわよ」

「未遂てことは殺されてはいないって事か……」

「死んだら話せないから」


 死人に口なし……。


「お薬の作り方教えたもらった話がいくつも残ってるんじゃ……」

「そういうのは人間を襲って返り討ちにった河童が許してもらう代わりとして教えたってのがほとんどだよ。ウェ~イ」

 海伯が言った。

「つまり、海伯さんは……」

「海の河童よ」

「じゃあ、江戸前の河童……」

「カッパ巻きがシャレじゃなくなったね」

 秀が呑気に笑った。

「河童が喰われた事はないけどね~」

 海伯もあっけらかんとした表情で笑いながら答えた。


 河童がって……人間の方は喰われた事があるって事か……。


「海の河童は放浪してる事があるから。海伯みかみも東京湾に住んでるわけじゃないけどね」

「合羽橋みたいに人間に協力した話より殺されそうになったって話が多いからね~。ウェ~イ」

 海伯みかみが言った。

 つまり基本的には害をなすのだ。


 となると江戸前の河童はとりあえずおいといて、

「また化生退治に行かないといけないのか」

 俺は溜息を吐いた。


「どうする? また秀の家に泊まってることにするか? それとも夜中にこっそり抜け出すか?」

「夜は無理だ。場所が悪い」

 高樹がスマホを見ながら難しい顔で言った。

「なんで?」


 確かに明治通り沿いは車の通りは多いかもしれないが、走行中に未成年を見たという理由で通報する者は少ないだろう。

 だが繁華街ではないからコンビニ以外で深夜まで営業している店もないだろう。

 大通り沿いは住宅地との間に大きな商業ビルが建っている場合がほとんどだから道路沿いにいれば民家からはビルに遮られて見られる心配はないはずだ。


「そこは警察署の真ん前だ」

 高樹がスマホを掲げて地図アプリを見せた。

 表示された橋の目と鼻の先に警察署が表示されている。

「それはマズい……」

 繊月丸が見えないとしても夜中に高校生が出歩いていたら補導される。

 秀も高樹も俺も祖母ちゃん達のように人の目から見えなくなる能力ちからなどない。

 とりあえずどうやって化生退治をするか各自で考えておくという事になった。


 夕食後、部屋に戻るとミケが窓辺にいた。


『ねぇ、あやはいる?』

 ミケが聞いてきた。

「いや、いない」

『そう。出掛けるから窓開けて』

「どこ行くんだ?」

『どこだっていいでしょ!』

「帰ってくるんだろうな」

 捨てないと小早川に約束してしまったし、戻ってこなかったら姉ちゃんは俺が捨てたと言って責めるはずだ。

 俺が窓を開けるとミケは何も言わずに出て行った。


四月十七日 金曜日


 翌日、俺達はファーストフード店にいた。

 海伯も一緒に。

 そしてもう一人、知らない男性が。


「えっと……」

「尾張家下屋敷の辺りの狐。今、なんて名乗ってるの?」

 尾張徳川家の下屋敷の辺りというと今の戸山公園だ。

 早稲田駅の近くから高田馬場駅の近くまで続く広い公園である。

「人とは関わってないのでな」


 化生ってみんなそう言うんだな……。


「じゃ、白狐びゃっこで」


 また適当に……。


「ていうか、白い狐なのか?」

「八百年も生きてるから白髪しらがになっちゃったのよ」

白髪しらがとは失敬な。私は生まれた時から白狐だ。それに八百年というのは二百年前の話だ」

「え、じゃあ、千歳近いって事ですか……」

 雪桜が驚愕したような表情を浮かべる。

「うむ、そろそろ寿命も近いだろうな」


 寿命……。


 初対面でも老い先短いと聞くとしんみりす――。

「せいぜいあと百年というところだな」


 千年生きててもまだ残りが百年もあるのか……。


「それはともかく、困ってるんでしょ。こいつ、物知りだから」


 他人事ひとごとみたいに……。

 そもそも化生がこっちに来たのは祖母ちゃんがあいつを上野に追い払ったのが原因だろ。


 もっとも俺がなんとかしろと要求してしまったからと言うのもあるのだが。


「で、困り事とは?」

 白狐の問いに俺達は事情を話した。

「ああ、神田川の」

「知ってる?」

「うむ、河童だ。それはともかく、夜がマズいなら昼にやれば良かろう」

「え?」

「夜中でも撮影の振りはするのであろう。ならば白昼堂々と撮影の振りをすれば良い」

「一理ある」

 高樹が頷いた。


「けど、そうなると俺は無理だぞ。繊月丸は姿を消せば高樹は何も持ってないように見えるだろうがアーチェリーはそうはいかないし」

「特定の範囲内にいて移動しない者、と言う条件付きならかせるんだがな」

「通り過ぎるだけの人間となるとね」

 白狐と祖母ちゃんが言った。


 化かす……。

 そういや二人とも狐か……。


「食い逃げの時みたいに眠らせたりするわけにもいかないからね~、ウェ~イ」

 海伯が呑気のんきな口調で言った。

「食い逃げ!?」

「ちょっと! あれは私じゃないわよ。私は市内には住んでなかったんだし」

「私も違うぞ」

「狐は一杯いたから話が沢山残ってるのよ」

 祖母ちゃんと白狐が食い逃げを否定した。


 てか、狐が食い逃げ……。


「それはともかく、狐の手が借りられないならしゃーない。オレが手ぇ貸すよ」

 海伯が言った。

「助かるよ」

 俺達は海伯に礼を言った。

「明日は土曜だし、早い方がいいよな」

「一応オレも師匠に何か方法がないか聞いてみたんだがアーチェリーの誤魔化ごまかし方は分からないって」

「師匠?」

頼母たのもでしょ。小石川の大マムシ」

「ああ。師匠って呼んでるのか」

「師事するなら師匠って呼べって言うから……」

 高樹が気恥ずかしそうに言った。

 とはいえ相手がマムシだろうと教えてもらうなら敬意は払うべきだろう。


 そもそも江戸時代から生きてる時点で相当年上って事だしな……。


 俺達は待ち合わせの場所と時間を打ち合わせた。


四月十八日 土曜日


 早朝、俺はアーチェリーのケースを持って家を出た。

 通報を受けた警察官が来たら祖母ちゃんが化かしたらどうかと白狐が提案してくれたのだ。

 普通、最初に来るのは制服警官が一人か二人だし、仮に機動隊が集団でやってきても範囲や相手が限定されてるならその場から逃げるくらいの目眩めくらましは祖母ちゃんなら容易たやすいだろうとの事だった。


 秀や高樹、祖母ちゃんや繊月丸と落ち合った俺達は神田川にかる橋の近くに来ていた。

 目眩ましで人に見られる心配がないとは言え、万が一戦っている最中に誰かに見られて誤魔化す必要に迫られた時にフォロー出来るようにと秀も同行している。

 頼母マムシや白狐は「(海伯もいる事だし)たかが河童一匹」と言っていたとかで来ていない。


「車が多いな」

 高樹が辺りを見回しながら言った。

 わざわざ早起きしてきたのは人を巻き込まないようにするためだ。

 通報されても誤魔化せるとは言っても矢が人に当たったらケガをするか、最悪命を落とす。

 人に被害を出さないための化生退治で他人を巻き込んでしまうのは本末転倒だ。


 しかも繊月丸は繊月丸で『骨喰』の名前の由来が『切れ味が良すぎて向かいに立っている相手に切っ先が届かない距離から振り下ろしたにも関わらず、相手は骨が砕けて死んでしまった』というのだから人間の近くでは迂闊に振り下ろすわけにはいかないのだ。


 朝早い上に土曜なので出勤する人も少ないから人通りは無いのだが……。


 車の通りが多いという事は高樹や俺がうっかり車道に出てしまった時にねられる危険があるという事だ。

 高樹も俺も普通よりは頑丈、と言うだけだから車にぶつかればケガをするし、打ち所が悪かったりすれば落命する。


「夕辺下見しておいたのだが、少々狭くても良いなら川沿いに道があるぞ」

 海伯が川沿いの脇道を指した。

「あそこは車が入ってこられぬ故……ウェ~イ」

「私達しかいないところで人間の振りはいいから」

 祖母ちゃんは海伯にそう言った後で、

「この時間で、しかも歩道なら人間には見えなくすれば誰も来ないわね」

 周囲を見回した。

「小道沿いのマンションに住んでる人はどうすんだ? 裏にも出入口があるのか?」

「少し待ってもらいましょ。大急ぎで済ませれば遅刻したとしても大した遅れにはならないわよ」


「じゃ、ちょっくら呼んでくるわ」

 海伯はそう言うなり川に飛び込んだ。


「え!?」

 俺は慌ててアーチェリーのケースを開いた。

 高樹も急いで日本刀になった繊月丸を手にすると構えた。

 頼母に指導してもらっているだけあって以前よりかなりさまになっている。


 高樹あいつ殺陣たて専門のスタントマンとしてやっていけるかもしれないな。


 秀が邪魔にならないように後ろに下がる。

 祖母ちゃんも秀の横に並んだ。

 秀を守るためと言うより化生退治に手を貸す気がないからだろう。


 元凶は祖母ちゃんなんだが……。


 アーチェリーの用意が出来るのと水面が盛り上がるのは同時だった。

 水飛沫みずしぶきが上がったかと思うと二つの黒い影が真上に飛び上がった。

 対岸のマンションの三階の窓と同じくらいの高さだ。


 対岸へ行き掛けた片方をもう一つの影が蹴飛ばす。


 黒い影がこちらに跳ね飛ばされたが地面に落ちる前に川沿いに生えてる木に掴まった。

 枝からぶら下がっているのは小学生くらいの子供だった。

 見た目が、と言うべきか。


 水中から三階の高さまで跳んだ上に二階の屋根くらいの高さの枝に掴まっている時点で普通の子供ではない。


 というか、あの枝かなり細いぞ。

 なんで折れないんだ?


 高樹が子供――おそらく河童――に駆け寄ったがぎりぎりで繊月丸の切っ先が届かない。

 俺は破魔矢をつがえると化生に向かって放った。

 矢はけられてしまったが、そのはずみで枝から手が離れて子供が歩道に落ちる。


 高樹が駆け寄る前に子供が俺に向かってきた。

 正面から見た顔は人間とは思えない形相だ。

 急いで矢をつがえようとしたが――。


 間に合わない!


 その時、海伯が黒い影に抱き付いて相撲のような動きを始めた。

 高樹と俺の動きが止まる。


 正々堂々と勝負しているなら横から手を出すのは――。


「孝司! 望! 何してんの!」

 祖母ちゃんの言葉に俺達が我に返る。

 矢をつがえる動作が必要な俺より高樹の方が早かった。

 高樹が子供を背後から袈裟斬りにする。

 海伯が離れると子供が路上に倒れた。


「口ほどにもない」

 海伯が馬鹿にしたように言った。


 水中で話をしたのか?


 出てきてからは無言だったが……。


「帰ろうぞ……ウェ~イ」

「ウェ~イはいいから。孝司、早く弓をしまいなさい。幻覚解くわよ」

 祖母ちゃんの言葉に慌ててアーチェリーをケースにしまった。


 その瞬間、マンションの入り口から出てきた人が時計を見て慌てて駆け出していった。

 子供の死体に見向きもしないのは急いでいるからではなく見えないからだろう。


 俺達が小道から出ようとした時、妖奇征討軍とすれ違った。

 妖奇征討軍の二人は辺りを見回しながら歩いている。

 河童を退治しに来たのかもしれない。


「なぁ……」

 高樹が妖奇征討軍の方に目を向けながら声を掛けてきた。

 その視線の先を見ると妖奇征討軍が河童の死体に気付かないまま横を通り過ぎていった。

「見えないんだね」

 秀には見えているという事を考えると妖奇征討軍の二人は相当化生けしょうを見る能力ちからが低いという事になる。


 それで、よく退治屋になろうと考えたな。


 俺達は妖奇征討軍に構わず帰路にいた。


 午後、俺達はファーストフード店に集まった。

 雪桜を連れていかない代わりに結果をその日のうちに報告すると約束していたからだ。


 海伯がいたので河童退治を手伝ってくれた礼を言ってから、

「海の河童で、しかも放浪してるんだよな? 祖母ちゃんに会いに来たのか? 神田川の河童に用があったんじゃないんだろ?」

 俺は疑問に思っていた事を口に出した。


「いや、実は去年の夏に海でおぼれてる女の子を助けたんだがな……」


 助けた時にその少女が河童の子孫だと気付いた。

 海とはいえ河童が溺れるとは面白いと思って印象に残っていたらしい。


 そして放浪中、陸に上がった時に知り合いのむじなからネットで海伯を探している人がいると言ってスマホでSNSの画面を見せてくれた。


 狢がスマホでSNS……。


 秀達も同じ事を考えたのかみな微妙な表情をしている。


 狢によると少女が投稿した他の写真からして東京に住んでいるようだという。

 それなら祖母ちゃんに聞いてみようという事で訪ねてきたらしい。

 見せてもらった写真はどれも綺麗だった、との事だ。


「東京にどれだけ人がいると思ってるのよ。新宿だけだって数十万人よ。河童の子孫だってそんなに珍しくないし」

「そうなんですか!?」

 雪桜が驚いたように言った。

「そりゃ、河童は沢山いるし、化生は寿命が長いから数世代に渡って人間との間に子供を残せるから」


 そうか……。


 祖母ちゃんの血を引いているのは俺達だけじゃないかもしれないのか。

 今生きてる祖母ちゃんの息子は一人だが、それ以前にも人間との間に子供がいたならその子供達の子孫がいることになるし、姉ちゃんや俺が子供を残せばその子供達も狐の血を引く事になる。

 実際、秀にも化生の血が流れてるし、高樹も半分天狗だから高樹が子供を作ればその子達は天狗の血を引く事になる。

 子孫の数はどんどん増えていく。


 ネズミ算……。


 世代を経ると能力ちからが無くなって人間と変わらなくなるから大勢いても分からないだけなのだ。


「SNSのアカウントが分かるなら連絡取れますけど」

 雪桜が代わりに連絡しようかと申し出る。

「あか、うんと……?」

 海伯が首を傾げる。

 俺達は考え込んだ。

 アカウントというものを知らないならどのSNSなのかも分からないだろう。


「少女って言うなら学生だろ。なら使うのはメジャーなSNSじゃないか?」

 高樹が言った。

 海伯が綺麗だと思った理由が単に写真が珍しかったから、と言う事ではなく、〝バエ〟つまり見映え重視の写真を投稿しているからだとしたら注目を集めたいのだろうし、それなら知名度の低いSNSということは考えづらい。


「書いてあった内容が分かるならメジャーなSNSで単語検索すれば候補が出てくるんじゃないか?」

「それと溺れた日付と場所が分かれば大分絞れるよね」

 高樹と秀が言った。

 河童退治の礼として人捜しを手伝いたいのだろう。

 そうでなくても海伯がわざわざ東京まで出てきたというのなら俺も会わせてやりたいと思う。


 俺達は海伯が覚えていたテキストの内容と日付と場所を控えた。


四月十九日 日曜日


 午前中にケーキ屋に予約していたケーキを受け取りに行き、午後、雪桜と祖母ちゃんの誕生会を開いた。

 繊月丸や海伯達も呼んだ。

 雪桜は賑やかな方が喜ぶだろうと思ったのだ。

 それに祖母ちゃんは同じ化生がいる方が俺達に気兼ねせずに済むかもしれないと考えたからだ。


「俺達から雪桜と祖母ちゃんへの誕生日プレゼントだ」

「ありがとう!」

 雪桜が嬉しそうに言った。

「ありがと」

 祖母ちゃんも笑顔で礼を言った。


四月二十日 月曜日


「こーちゃん、秀ちゃん、おはよう。昨日はありがとう」

 朝、俺達はいつもの場所で落ち合った。

「おう。誕生日おめでとう」

「お誕生日おめでとう」

「有難う」

 神社の前を通り掛かると繊月丸が出てきた。

「よ、繊月丸」

「おはよう、繊月丸ちゃん」

 雪桜は明後日の方を見ながら言った。


 一時間目は英語の時間だった。


 せっかく予習してきたのに、小テスト、全然違うところから出題されてる……。


 騙された……!


 見事に撃沈した俺は机の上に突っ伏した。


 学校からの帰り道、途中で、

「先に行っててくれ」

 と言って高樹は俺達を残して脇道に入っていった。


 俺達は言われたとおり中央公園で祖母ちゃんと合流すると、いつものファーストフード店に入った。

 海伯は東京見物を兼ねながら人捜しをしているとの事だった。


「これは何?」

 繊月丸がポテトを不思議そうに見ながら聞いた。

「フライドポテトだよ。うまいぞ、食ってみろ」

「私はものを食べない」

「そうか。それじゃあ、姿を消しててくれ」

 繊月丸は言われたとおり姿を消したようだ。


 雪桜が、

「あ、消えた」

 と言ったので分かった。

「どうして、繊月丸は姿を消さなきゃならないの?」

 雪桜が不満そうに訊ねた。

 姿を消されてしまうと声も聞こえなくなるから雪桜は直接話をすることが出来なるなるのだ。


「俺達だけ飲み食いしてて子供が飲まず食わずってのは体裁が悪いだろ」

「そっか」

 雪桜が残念そうにそう言った時、高樹が女の子を連れて入ってきた。

 女の子は髪の毛を肩の辺りで切り揃え、割と整った顔立ちをしている。

 俺達と同じ高校の標準服だ。


「高樹君、その人は?」

「彼女か?」

 俺は恐る恐る訊ねた。

 もし彼女だとしたら大打撃だ。

 俺が一番最後になってしまった。

 やっぱりもっと早く雪桜に告白しておけば良かった。


 チャンスはあったのに……。

 くそぉ……。


 でも相手が雪桜じゃないだけマシか。


「視線の主だよ」

 高樹の言葉に少し安心した。

 先を越されたわけではなかった。

「君が?」

「どうして、こーちゃんを見てたの?」

 声に嫉妬がにじんでいるように聞こえたのは気のせいだろうか。

 あんまり自惚うぬぼれるのは良くないよな。

 ただの思い込みだったと分かった時の痛手がデカいし。


「その前に君、誰?」

 秀が訊ねた。

「A組の山田洋子」

「俺達は自己紹介しなくても知ってるな」

 山田は肩をすくめた。

 知ってると言うことだろう。


「それで? なんで見てた?」

「大森君達、自主制作映画って言ってたけど、ホントは黒い影と戦ってたでしょ」

 俺達は顔を見合わせた。

「あれは一体何なの?」

「お前、親か祖父母に……」

 言い掛けた高樹の足をテーブルの下で蹴って黙らせる。


「黒い影って何? 僕はそんなもの見てないよ」

「私も見てない」

「嘘よ」

「嘘じゃないわよ」

 雪桜が珍しく不機嫌そうな声を出した。


 確かに嘘はいてない。

 俺達に見えているのは黒い影ではないし雪桜にはまるで見えてない。


「そんなこと信じないわよ。大森君、黒いもの掴んで走ってたじゃない」

「そうだったかな」

 俺はすっとぼけた。

「信じたくなければ信じなくてもいい。言いたいことがんだんなら帰っていいぞ」

「言いたいんじゃないわよ。なんなのか聞きたいのよ」

「だから黒いものなんか知らないって」

 俺が言った。

「そうよ」

「目の検査でもした方がいいんじゃないのか?」

「私は絶対騙されないんだから!」

 俺は肩をすくめた。

「好きにしろよ」

「絶対突き止めてやるから」

 山田はそう吐き捨てると出ていった。


「あいつも化生の子孫か?」

 俺は祖母ちゃんに訊ねた。

「河童よ。河童は数が多かったから」

「結構可愛い子だったね。良かったじゃない、孝司」

 秀が言った。


 俺は答えなかった。

 いくら可愛いと言っても俺に好意を持ってくれていなければ意味がない。

 さっきの様子はどう見ても敵意き出しだった。

 俺――と言うか俺達――に化物か何かを見るような視線を向けていた。

 小学校の頃、俺達を仲間外れにしていたクラスメイト達と同じ目付きだ。

 あんな女の子はいくら可愛くてもごめんだ。

 やっぱり雪桜の方が断然いい。


「それよりさ、どうするの? あの子のこと」

「今、武蔵野や繊月丸には気付いてなかったよな。それじゃ戦力にはならないぜ」

「そうだね」

「レフ板でも持たせるか?」

「山田さんが加わるんなら私も!」

 雪桜が手を挙げて言った。

「レフ板でも何でも持つから」

「大掛かりにするとホントに自主制作映画撮ることになるぞ」

 俺が言った。

 まぁ、秀はそれを望んでるようだから構わないのかもしれないが。

「彼女に何て言うかはお前に任せる」

 高樹は俺に山田の処理を押し付けた。


 しまった……!

 先に思い付いてれば高樹に押し付けられたかもしれなかったのに。


 俺は考え込んだ。

 山田を巻き込むのはどうだろう。

 祖母ちゃんも秀と山田の二人を守るのは、かなりの負担になるのではないだろうか。

 それに山田が加わるとなったら雪桜だっておとなしく家にいてはくれないだろう。

 戦力にならない彼女を仲間にしても祖母ちゃんの面倒が増えるだけではないか。

 ましてや雪桜まで出てきてしまったら。


 まぁ、祖母ちゃんが山田が助けるとして、の話だが。

 雪桜は助けてくれそうだが山田はどうか分からない。

 山田を戦闘に巻き込んでケガをさせたり、最悪死んだりしたら寝覚めが悪くなる。

 何より雪桜がとばっちりをくったりしたら大変だ。

 雪桜にケガをさせたくない。


 やっぱり普通の人間を戦闘に巻き込むのは良くないよな。

 山田がケガをして損害賠償請求してきても迷惑なだけだし。


 ばっくれよう。


 普通の人には見えないのだから他の誰かに訴えることは出来ないはずだ。

 言えば白い目で見られるのは山田の方なのだから知らぬ存ぜぬで押し通せばいい。

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