第七章

五月三日 日曜日


 夕方、俺達は中央公園に来ていた。

 昼間はうちに皆で集まっていたのだが、解散した後、雪桜から連絡が来たのだ。


 妖奇征討軍の二人を見掛けたが雪桜には化生が見えない。

 それで神社に行って繊月丸を呼び出して中央公園に同行してもらい、化生がいるかどうかを聞くと猫又がいるという。

 そして俺が助けた狸が駆け寄ってくると、雪桜に帰るように伝えろと繊月丸に言ったそうだ。

 それを繊月丸から聞いた雪桜が俺達に報告してきた。


 そこで俺はアーチェリーのケースを持って急いで駆け付けたのである。

 秀は古いビデオカメラを持ってきていた。

 あからさまに撮影中だという事を示せるカメラの方がいいだろうと判断したようだ。

 カメラを回しているのが明らかにアマチュアだとしても本格的な撮影だと思えばけてくれる通行人は多い。

 祖母ちゃんに化かしてくれるように頼むにしても、いざというとき誤魔化ごまかせるように備えておいた方がいい。


 俺達が到着した時、妖奇征討軍はいなかったが、その代わりゾウと同じくらいの大きさの巨大なネズミと、同じく虎のような大きさの猫が対峙していた。

 虎サイズの猫は尾が二本ある。

 あれが猫又だろう。


「雪桜、家に帰れ。あの大きさじゃ公園内のどこにいても巻き込まれる可能性がある」

「うん、気を付けてね」

 雪桜は素直に帰った。

 賢明な雪桜は、足手纏あしでまといになる自分がいたせいで結果的に俺達が被害を受けたりしないようにと考えたのだろう。


「祖母ちゃん、この公園全体、幻覚でなんとかなるか?」

「白狐が手助けしてくれるなら」

「スマホで呼べるか?」

「呼ばれるまでもない」

 白狐の声に振り返るとそこにいた。


 今日も来てたのか……。


「手伝ってくれるか?」

「良いだろう。油揚あぶらげ一つだ」

「油揚げ!?」

「油揚げってお稲荷さんじゃないの!?」

「狐ってホントに油揚げ食うのか!?」

 俺達が同時に声を上げた。


「冗談だ」

 白狐が真顔で答える。


 時と場所を考えろよ……。


「雨月は人間が中に入ってこられないようにしてくれ。私は中にいる人間達を追い出す」

 俺は急いでアーチェリーのケースを開いた。

 誰かに見られて通報されても祖母ちゃんと白狐が警察を化かしてくれるだろうし、秀だってそのためにカメラを持ってきたのだ。


「繊月丸!」

 高樹が繊月丸を手に取る。


 猫又が大ネズミに飛び掛かった。

 ネズミが前脚を払う。

 猫又は宙でたいを開いてかわす。

 ネズミが猫又に飛び掛かる。

 猫又はけずに爪を振り下ろした。

 鼻先の敏感な部分を引っ掻かれたネズミが飛び退いた。

 猫又とネズミは着地と同時に、また互いに飛び掛かっていった。


 猫又とネズミが二度、三度とぶつかり合う。

 動きが速くて狙いが定められない。

 それは高樹も同じらしく繊月丸を構えたまま二匹の様子をうかがっている。


 祖母ちゃんや海伯、白狐は手を出す気がないのか、高樹や俺同様、助太刀しようがないのか離れたところから見ているだけだった。

 頼母も来ていると言う事は介入の余地がないのかもしれない。


 取っ組み合って転げ回っては飛び退き、またぶつかり合う。

 その繰り返しだった。

 ネズミも傷付いているが猫又は全身血塗ちまみれだ。


「猫又! ここは一旦引いて作戦を考えた方が……」

「そう言うわけにはいかぬのだ」

 頼母が俺の言葉を遮った。

「天命とか言うヤツだからか? そんなの……」

「あのネズミは猫又の飼い主を狙っておるのだ」

 白狐が言った。

「え?」

「飼い主は今日渡米する。ここで足止めして時間を稼げば飼い主を助けられる」

「なんでアメリカに連れてかないんだよ」

 連れて行くなら検疫を受ける必要があるから今ここにはいないはずだ。

 外国へ行くのに飼い猫を捨てていくような飼い主を命を掛けてまで守る必要があるのか。


「猫又は飼い主があのネズミに狙われているのを知って空港に連れていかれる前に家から逃げ出したのだ」

 俺の表情を見た白狐が言った。

「じゃあ、探してるんじゃ……」

「そこら中の掲示板にあやつの写真の付いた貼り紙がある。ネットにも迷い猫として載せている」

「だったら……」

「言ったであろう。天命は変えられぬと。今日ネズミに襲われて死ぬのは変えようがない。それなら飼い主の命だけは助けたいと思ったのだ」

「あやつの死体を見なければ二度と会えずとも野良猫としてどこかで生きていると思えるからな」

「そんな……」

 俺は改めてアーチェリーを構えるとネズミに狙いを付けた。

 頼母まで来たのは最期を看取みとるためではなく助太刀のはずだ。


 だったら俺達が手助けすれば……。


 限界まで引いた弓で狙いを定める。

 互いに飛び退いて着地した瞬間を狙って矢を放った。

 矢が掠めたネズミの踵の一部が消える。

 俺は即座に二の矢をつがえた。


 掲示板やネットに出ているのなら助けて連絡すれば飼い主の元に行かせてやれる。

 探しているくらいだから飼い主だって会いたいだろう。

 例え命が尽きるとしても、猫又も飼い主も最期まで一緒にいたいはずだ。


 絶対に助ける!


 助けて、飼い主の元に送ってやる。


 ネズミが威嚇いかくするように俺に牙をいた。

 俺に飛び掛かろうとした時、高樹が反対側から斬り掛かった。

 ネズミが横に飛び退く。


 俺は弓を引き絞った。

 ネズミが俺に近付けないように高樹が間に割り込む。

 空を飛んで俺の身長より高い位置にいるから射線上には入らない。

 ネズミが高樹に飛び掛かる。

 だが高樹が更に高く舞い上がり、僅かに牙が届かなかった。


 俺は矢を放ったがネズミの背を掠めただけだった。

 飛び上がって隙を見せたネズミの腹に猫又が食らい付いた。

 猫又とネズミが一緒に転がる。

 ネズミが猫又の背に牙を突き立てた。

 だが猫又はネズミを放さなかった。

 互いに噛み合って塊になる。


 俺は限界まで弓を引き絞った瞬間、

「猫又、離れろ!」

 と怒鳴った。


 猫又が後ろに飛び退く。

 牙を突き立てられたままの背が大きくける。

 俺はネズミに矢を放った。

 だが間一髪のところでけられてしまった。


 猫又はネズミに飛び掛かると前脚を振った。

 爪が右目をかすめたのかネズミが叫んだ。

 高樹がすかさず斬り掛かる。


 不意にネズミの姿が消えた。


「え!?」

 勢いが付いていた高樹がたたらを踏む。

「下よ」

 祖母ちゃんの声に地面に目をやると小さなネズミが植え込みに駆け込んだところだった。

 ネズミを追い掛けようとしたが見失ってしまった。


 俺は急いで猫又の方に戻った。

 地面に血塗ちまみれの猫が倒れていた。

 尾が二本ある。


「猫又!……………………だよな?」

 俺は猫を抱えると祖母ちゃん達の方に顔を向けた。

「他にケガしてる猫なんかいないでしょ」

「尾が割れてる猫もな」

「まだ息がある。なんとか助けられないのか!? 河童の傷薬は効くんだよな?」

 俺はすがるように海伯を見た。

「儂の事は良い」

 猫又が掠れた声で言った。

「なに言って……」

「儂より自分の心配をしろ」


 え……?

 ネズミが仕返しに来るかもしれないという事か?


「頼みがある」

「なんだ」

「儂の死骸が消えるまでには時間が掛かる。儂の死を知られぬよう……」

 最後まで言い終える前に猫又は息絶えた。

「猫又……」


 飼い主の元で最期を迎えさせてやりたかったのに……。


 助けられなかった。


 飼い主だって猫又を看取みとってやりたかっただろうに。


「見られないようにするなら埋めた方がいいのか?」

 高樹が言った。


 そうだ。

 高樹の言う通り、せめて最後の願いだけは聞き届けてやらなければ……。


 迷い猫の写真と同じ猫の死体があったという連絡をされてしまったら飼い主に猫又の死を知られてしまう。

 人に見られない場所に猫又の遺体を隠す必要がある。


 そうなると埋めるしかないだろうが……。


 俺は辺りを見回した。


 中央公園は植え込みが多いから地面は沢山あるのだが――。


 すぐ側の植え込みには、

〝球根が植えてあるので入らないで下さい〟

 と言う小さな立て札が立っている。


 植え込みはどこも花か球根が植えてあるから掘り返して埋めるというわけにはいかないだろう。

 植え込み以外の地面は土だがかなり硬いから人間の手で掘るのは難しそうだ。

 低木の向こうなら大丈夫だろうか。


 そう思った時、

「私に貸せ」

 白狐が言った。

「埋めるなら穴を掘るの、手伝うよ」

「いや、埋めなくても消えるからそれまでの間だけ人目ひとめに触れなければ良いだけだ。穴を掘る必要はない」

「じゃあ……」

「人間が入れない場所に置いておけば良い」

「埋葬とかそういうのは……」

「こやつの供養をしたいというのなら、お前のうちの仏壇で手を合わせる時に猫又の事もついでに祈ってやれ」

「それだけなのか……」


 俺はホントに何も出来なかった……。


 俺は無力感に打ちひしがれながら猫又の遺体を抱いている腕に力を込めた。

 力一杯抱きめても猫又は「痛い」とも「苦しい」とも言わない。

 本当に死んでしまったのだ。


 もう何も出来ない。

 何もしてやれない。


 俺は無念の思いで白狐に猫又の遺体を渡した。

 白狐は猫又を抱えて帰っていった。


「師匠、ここ二、三日、白狐がこの辺に来てたのは……」

「天命は変えられぬが本懐ほんかいげる助力は出来る故な。とはいえ、あんな化物とは思わなんだが」

 頼母がなんとも言えない表情で呟くように答えた。

 考えてみたらマムシもネズミを餌にしているのだから猫同様ネズミの天敵である。

 猫又ネコだけではなく頼母マムシまでいたのにネズミに敵わなかったという事になる。


 そう言や高樹に剣術を教えているとはいっても頼母の被害は騒音だけ……。


 人を傷付けないどころか太鼓を叩かれたら大人しく家に帰っていたというのだから無害だったのは言うまでもない。

 近所の人は騒音被害があったのだから無害ではないというかもしれないが。


 もしかしてホントはマムシじゃなくてシマヘビかアオダイショウなんじゃ……。


 噛まれた人がいなくて毒があるかどうか分からないなら実際にはマムシではないのかもしれない。

 河童と川獺かわうそを区別していなかった時代なのだからシマヘビやアオダイショウとマムシを全て蛇と一括ひとくくりにしていてもおかしくない。


「雨月の孫よ」

 頼母が声を掛けてきた。

 俺が顔を上げる。

「ネズミは逃げただけだぞ」

「猫又がネズミを追い掛けなかったのは飛行機が離陸したからであろう……ウェ~イ」

 頼母と海伯が言った。

 猫又は飼い主が安全な場所に行ったから逃げるネズミを無理してまで追わなかったのだ。

「狙っていた人間がいなくなってしまったのだ。別の人間を襲うぞ」

「あっ……!」


 そうか……。


 猫又が言っていたのはその事か。

 化猫でさえ敵わないようなネズミが人間を狙っているのだ。


「策を講じておいた方がいいであろうな。ウェ~イ」

「ウェ~イはいいから」

 祖母ちゃんが海伯に突っ込む。

「猫が敵わないんじゃ鼠捕りワナは通用しないよな」

 高樹が言った。

殺鼠剤さっそざいもな」

 頼母が言った。

 どちらにしろ薬はともかく、あの大きさのネズミが入れる罠は売ってないだろう。


「蛇ならお酒を用意して酔わせるとか出来たんだろうけどね」

 秀が言った。

「蛇は酒など飲まん」

 頼母が言った。

「え、でも、八岐大蛇やまたのおろちとか……」

「あれは化生より神に近いものだからな」

「昔話だと猿とかだね~。狐もあった気がするけど~。ウェ~イ」

「河童もなかった?」

 祖母ちゃんがむっとした表情で言った。


「まぁ八岐大蛇を除けば姿が人間に近いものだな。狐や狸なんかも人に化けてる時の話だ」

「え、人の姿になるのは化かすためだろ」

「酔って正体を失って、正体がバレたとかか?」

「化かそうと思って変化へんげするところを人間に見られていて逆にだまされたというオチの話が狐狸こりの類には良くあるのだ」

「へ、へぇ……」

「え、えっと、あのネズミは人間に変化へんげするの?」

 秀がフォローするように言った。


「化けぬであろう」

「人を取って喰うのに人間の姿になる必要はないからね~」

「喰うのに姿を見せる必要はないし、それならわざわざ変化へんげしても意味がないのでな」

「じゃあ、お酒は無理だね」

「どっちにしろ未成年のあんた達じゃ売ってもらえないでしょ」

 祖母ちゃんの言葉に俺達は考え込んだ。

 小細工が通用しないとなると正攻法で戦うしかないが、猫とまむしがいても敵わなかったようなネズミ相手に俺達の腕で倒せるかどうか……。


「とりあえず、今日はもう帰りなさい。孝司、雪桜ちゃんに連絡するの忘れないようにしなさいよ」

 それを合図に俺達は家路にいた。


五月七日 木曜日


 昼休みの次の休み時間、高樹と雪桜が俺達の教室にやってきた。

 午前中の休み時間に高樹が来られなかったのは女子達からゴールデンウィーク中に聞いた噂の報告を次々と受けていたから席を立てなかったかららしい。


「てことは大漁?」

「大豊作だ」

 秀の問いに高樹がげんなりした表情で答えた途端、スマホの着信音が鳴った。

 高樹は一瞬画面に目を落としただけで無視した。


「いいのか? 誰かからの連絡だろ」

 俺が訊ねると高樹がスマホ画面をこちらに向けた。

 メッセージがずらっと表示されている。

 どれも怪奇現象っぽいものを見聞きしたという報告だった。

 俺は画面をスクロールしてみた。


 名前が全部違う……。


 しかも全て女子だ。


「こんなに沢山の女子と連絡先交換してんのか。すごいな」


 色んな意味で……。


「交換したのは全員今日だ」

 高樹が腹立たしげな表情で雪桜を睨んだ。

 俺は訊ねるように雪桜に視線を向けた。

「ゴールデンウィーク中、化生が出てないかずっとやきもきしてたでしょ。だから教えてくれる女子と連絡先交換しておけば休みの日でも情報もらえるんじゃないかと思って」

 雪桜がさわやかな笑顔で答える。


 それはそれで高樹は迷惑だと思うぞ、雪桜。


 雪桜の勧めに従い、うっかり教えに来てくれた女子と連絡先を交換したら、我も我もと次々に女生徒達が押し掛けてきたらしい。

 俺は高城に同情した。


 モテるのはうらやましいが流石さすがにこれは……。


 ひっきりなしに鳴る着信音に高樹がうんざりした表情を浮かべている。

 まぁ可哀想だとは思うが女子がよりどりみどりだと思えば悪い事ばかりではないはずだ。

 それに大勢の女子達が始終気を引こうとしてくるなら雪桜に目を向けている暇はなくなるだろう。

 高樹がモテるならこれくらいのハンデを俺にくれてもいはずだ。

 もっとも、他の女子達に連絡先を教えまくらせたと言う事は雪桜は高樹の気を引きたいと思ってないと考えていいのだろうか。

 高城が好きならライバルを増やすようなことはしないだろう。


 もしかして、雪桜に関しては俺の方がちょっとだけ有利だったりするのか?


「これだけあるとなると、勘違いが相当混ざってそうだよね」

 秀が高樹のスマホ画面をスクロールしながら言った。

 今日、連絡先を交換したばかりという話なのに延々と下に続いている。

 その上で着信音が鳴ってどんどん新しいものが増え続けている。

「全部に目を通した上でホントっぽいのを見付けるだけでも時間が掛かりそうだよね」

 秀の言うとおりだ。

 そもそも俺達は化生退治で食ってるわけではない。

 俺達の本業は学生なのだし、出費がかさむだけで一円にもならない化生退治に時間と小遣いを全振りするわけにはいかないのだ。


 目下の課題は――。


「ネズミ……だよな」

「でも、姿が見えないんじゃネズミって言葉で検索するわけにもいかないんじゃない?」

「ネズミより人が消えたりするものを探した方がいいだろうな」

 そうだとしてもあの長いリストから拾い出すのは相当大変そうだが。

 高樹も同じ事を考えたのだろう。

 深い溜息をいていた。


 放課後、俺達は校門から出たところで白狐の姿を見掛けた。


「白狐――」

 俺は声を掛けようとしてから、雪桜の方を向いて、

「――雪桜、見えてるか?」

 と確認した。

 周りに他の生徒達がいるところで見えないものに話し掛けたりしたら頭がおかしいと思われてしまう。

「姿を見せぬなら人間に化けたりせぬ」

 白狐が言った。


 そう言や頼母も同じ事を言ってたな。


 東雲は元々人間と同じ見た目の化生だし、繊月丸は日本刀の形では歩けないから人の姿を取っているのである。

 祖母ちゃんを始めとした他の化生達は基本的に俺達と話をするために人間に化けているのだ。

 だから退治した化生の中に見た目が人間だった者はいない。


「なら誰かに用って事だよな」

 人間の、と声を出さずに付け加えた。

「ここの生徒か? それとも通り掛かっただけか?」

「通りすがりだ。用があるのはそこだからな」

 白狐はそう言って近くの駐車場という名の空き地を指した。

「あそこで怪異が起きているという噂を流しておいたのでな」

 白狐はそれだけ言うと歩き出した。

 俺達は顔を見合わせてから跡を追った。


「怪異が起きてる噂ってなんでそんなこと……」

「おいで尾裂おさきの事を警告しに来たであろう。だが雨月は動きそうにないのでな」


 そうだった……。


 あの時は人喰い鬼が出てたのと被害の話が無かったので忘れていた。

 白狐が駐車場(という名の空き地)の前で立ち止まる。


「お主はそこで待っておれ」

 白狐が雪桜に言った。

 雪桜が歩道で立ち止まると白狐は駐車場に入っていく。

 俺達は白狐に続いた。


「白狐は化生退治をしてくれる化生なんだな」

「いや、私も本来ならせぬ」

「じゃあ……」

「尾裂を放置しておいて王子の狐が出てきても面倒なのでな」

「王子の狐?」

「人間には王子稲荷おうじいなりの方が通りが良いか」

「王子稲荷ってことは神様か!?」

「神様が出てくるほどの大事なのか!?」

 高城と俺が同時に言った。


「そうではない。だが、この辺りは王子稲荷の支配ゆえ、尾裂が入り込んでる事にい気はせぬだろうし、それで機嫌を損ねたら何が起こるか分からぬでな」

 確かに神社でまつるのはたたりを恐れての事が多い。


 神様の怒りともなると災害レベルか……。


 それはちょっと勘弁して欲しい。

 その時、妖奇征討軍の二人がやってくるのが見えた。


「えっ!? まさか……あいつら、狐だったのか!?」

「あやつらは人間よ」

「化生なら鬼や河童が見えたはずでしょ」

 秀が俺に突っ込んだ。


 それもそうだ……。


 妖奇征討軍の二人は桜の木の人喰いも河童も見えなかった。

 血が薄くなりすぎていて先祖が誰か分からないほどの秀ですら見えるものが見えないのだからほぼ純粋な人間だろう。

 おかしな儀式をしていた事を考えると狸が見えたのも、化生の血が入っているからではなく修行か何かでそう言う能力ちからを得たのかもしれない。


 そして、能力ちからは得たものの未熟すぎて役に立たない、と……。


 俺は頭を抱えたが、後始末をして回っている麗花は頭痛どころではないだろう。

 胃に穴が開いているかもしれない。


 妖奇征討軍の二人が駐車場に入ってきた。


「お主らが持っているものを渡してもらおう」

 と白狐が妖奇征討軍に言った。


びゃ……お前、なんでカツアゲしてんだよ!」

「孝司、今、尾裂の話してたところでしょ」

「あ……そうだった」

「なんのことだ!」

 妖奇征討軍の片方が答えた。

茶筒ちゃづつつぼか、とにかく小さな入れ物を持っておろう。それを渡せ」

「誰が渡すか!」

 もう一方がそう答えると二人は踵を返して歩き出したがその場をぐるぐる回っている。


「おい、この駐車場、こんなに広かったか?」

「いや、そんなはずは……」

 二人はそう言いながら狭い駐車場を歩き回っている。

「入れ物を渡せ。さすれば……」

 白狐がそう言った時、妖奇征討軍の片方の懐から黒い影が飛び出してきた。

 そのまま俺達の方に向かってくる。


「ヤバい!」

 俺は秀をかばうように前に立った。

「繊月丸!」

 高樹が急いで刀を掴むと影に斬り掛かる。

 けられてしまって切っ先が掠めただけだったが、それでも影の方から骨が砕けるような音が聞こえた。


 相変わらずすごい威力だな、繊月丸。


「おい、お前ら、離れろ!」

 俺は妖気征討軍に声を掛けた。

 振っただけで骨が砕けるのでは人がいたら高樹は思うように戦えない。

 駐車場から出そうにも二人がいるのは奥で、間に尾裂がいる。

 ぎりぎり脇を通り抜けられない事はないが、それは尾裂があいつらを攻撃しないなら、と言うただし付きだ。


 用済みと思えば――。

 と考えた側から尾裂が妖奇征討軍に向かっていった。


「マズい!」

 尾裂の向こうに妖気征討軍がいるから高樹も手が出せない。

 突っ立ったまま目をいている妖奇征討軍に突っ込んでいった尾裂が何かにぶつかったように後ろに下がった。

 尾裂が振り返って白狐を睨む。

 白狐が何かしたようだ。

 と思うと妖気征討軍が倒れた。


「おい!」

 俺が白狐を振り返ると、

「眠らせただけだ。これで邪魔にはなるまい」

 という答えが返ってきた。


 なるほど……。


 繊月丸を下に向かって振らなければ地面に転がっている妖奇征討軍は巻き添えにならずに済む。


 高樹は素早く尾裂に駆け寄ると繊月丸を横に払った。

 尾裂が飛び上がってける。

 高樹が更に踏み込んで下から上に斬り上げた。

 尾裂が妖奇征討軍の向こうに弾き飛ばされる。

 高樹は二人を飛び越えると尾裂に繊月丸を振り下ろした。


 尾裂が絶叫を上げる。

 胴体が真っ二つになった時、何故か重い物を叩いたような大きな金属音が聞こえた。

 尾裂の叫び声に被さるように車の警報音が鳴り始めた。


「げっ!?」

 高樹が後退あとずさる。

 見ると車のフロント部分が裂けていた。

 繊月丸が尾裂ごと、その向こうに止まっていた車まで叩き切ってしまったのだ。


 切れ味良すぎだろ……。


「白狐、これで終わったんだよな!? 妖奇征討軍こいつらはここに放っておいても大丈夫だよな?」

「うむ」

「よし、逃げるぞ。繊月丸、人の姿に戻れ」

 俺はそう言うと歩道で待っていた雪桜の腕を掴んで駆け出した。

 秀と高樹、繊月丸が後に続く。


 中央公園で祖母ちゃんと落ち合うと、いつものファーストフード店に入った。

 何故か一緒にいてきた白狐も同席している。


「わざわざ退治したの」

「王子の狐が怒ったらどうする」

「怒らないと思うわよ。尾裂が入ってきたのはこれが初めてじゃないんだし」

 祖母ちゃんはどうでもよさそうに言った。


「もしかして、化生を呼び寄せたのは尾裂のせいだったのか?」

「取りかれていたわけではないから、化生退治をしたいと言った彼奴あやつらに儀式の方法を教えただけであろう」

「尾裂は何かに入ってたんだよな?」

 俺が訊ねた。

 白狐は入れ物を出せと言っていた。


「尾裂を封じ込めていた物を持っていたのであろうな」

 小さな容器に尾裂を封じ込める時、大量のケシの実を一緒に入れておくと一年に一粒ずつ食べるから中から出てこなくなるらしい。

 そうやって封じ込められた状態の尾裂狐おさきぎつねが王子稲荷の支配地域であるここに持ち込まれてしまったのだろうと言う話だった。


「おそらく封じ込めてある事を子供に伝え忘れたか何かで中にケシの実を足すのを忘れたのであろうな」

 それで食べる物が無くなり、封印が解けてしまった――というか尾裂が出てきてしまったのだろうという事だった。

「それをなんで持ち歩いてたんだ?」

「何かを与える事と引き替えに彼奴あやつらに知恵を授けていたのであろう」


 例えば化生を退治する方法とか、か……。


「白狐にバレて用なしになったからあいつらに襲い掛かったのか?」

「取りこうとしたのだ。お主が離れろと言ったのを聞いて人間にいてしまえば手出し出来なくなると思うたのであろう」

「取りけなかったってことは全くの無能じゃないって事か」

「あれは私が邪魔したのだ」


 なるほど……。


 憑いたり憑かせたりという事が出来るのなら憑くのを妨害するのも可能という事か。


「どっちにしろ尾裂を倒したならもう尾裂の悪知恵は使えなくなったって事だね」

 秀が安心したように言った。

「儀式の効果自体は残ってるがな」

 白狐の言葉に俺達は肩を落とした。


五月八日 金曜日


 放課後、俺達はいつものように中央公園に向かった。

 尾裂もいなくなり、高樹は高樹で報告された数が多すぎて退治に行かなければならないかどうかを絞り込めないというので、とりあえず今日は今まで通りに下校する事になった。


 中央公園で祖母ちゃんと落ち合う。

 公園には妖奇征討軍がいてき火をしていた。

 季節外れな連中だ。


 てか、公園内での焚き火は禁止じゃなかったか?

 それに尾裂がいなくなったのになんで未だに坊さんみたいな格好してんだ?


 そう思った時、通りの向こうに知っている顔が見えた。


「小早川!」

 俺は道の向こうを見て声を上げた。

 小早川が時折現れたり消えたりしながらこちらに近付いてくる。


 小早川の跡をミケが走って追い掛けていた。

 その跡を拓真が息を切らせて追っている。


 俺達の後ろには妖奇征討軍がいた。

 妖奇征討軍の二人は焚き火のようなものの後ろで呪文を唱えている。

 小早川の姿が焚き火の上に現れる。


『あや! あや!』

 ミケは真っ直ぐこっちの方――俺達の背後の焚き火を目指して駆けてくる。


 あいつら、ミケを退治する気だ!


「ミケ! 罠だ! 来るな!」

 しかし、ミケは俺の制止を無視して炎に向かってくる。


 このままではミケが焼き殺されてしまう!


 俺はミケを止めようと飛び付こうとしたが、すんでの所で捕まらなかった。

 ミケは焚き火に向かって駆けていく。


「ミケ! 止まれ!」

 俺が叫んでもミケは立ち止まらない。

 脇目も振らずに焚き火を目指して走っていく。

「ミケ!」

 そのとき突然、木の陰から黒い物が飛び出してくるとミケにぶつかった。

 後ろに弾かれたミケの足が止まる。

 黒い物は狸だった。


 あの狸だ!

 妖奇征討軍がいるのになんで出てきたんだ!?


 狸はミケが前に進めないように邪魔をしている。


『邪魔よ!』

 ミケの爪が狸を切り裂く。

 狸が悲鳴を上げて転がった。

「ミケ! 何すんだ!」

 俺は慌てて狸に駆け寄って抱き上げた。

 ここに放っておいたら妖奇征討軍に殺されてしまう。


 だが、ミケも……。


 ミケが焚き火に向かっていく。


「ミケ! 止まれ! それは本物の小早川じゃない!」

 俺の制止も聞かずミケは焚き火に一直線に駆けていく。

 人間の足では猫の全力疾走には追い付けない。


 もう間に合わない!

 これまでか……!

 俺はまた助けられないのか……。


 自分の無力さに唇を噛んだ時、

「ショコラ」

 優しい声が聞こえた。


 その瞬間、ミケの足が止まった。

 ミケが辺りを見回す。


『あや! どこ! あや!』

「こっちよ」

 偽の小早川が呼び掛ける。

 しかし、もうミケは騙されなかった。

 本物の小早川がミケの本当の名前を呼んだのだから。


『あや! あや! 出てきて! あや!』

 ミケが大声で鳴きながら小早川を探し回る。


 小早川が悲しげな顔でミケを見ていた。

 ミケには小早川が見えないのだ。


『あや! ねぇ、あや!』

 必死で小早川を呼び続けながら辺りを探し回っている。

『あや! あや! どこ!? どこにいるの!? 出てきて、あや!』

 ミケが何度も小早川の前を通り過ぎる。

 小早川にはミケを目で追う事しか出来ないようだ。

『あや! あや! あや!!』


「可哀想……」

 雪桜が目を伏せて呟いた。

 ミケの言葉が分からない雪桜にも、その響きは悲しく聞こえたのだ。


 そうだ、この声だ……。


 あの晩、まるで泣いているかのようなこの鳴き声に、放っておけなくて連れてきてしまったのだ。

 ミケは声の限り、ひたすら小早川を呼び続けている。


 あの晩も、ミケは泣きながら小早川の名前を呼んでいた。

 誰かが水を掛けたのか、ミケはずぶ濡れだった。

 それでもミケは小早川の名前を呼び続けていた。


『あや! あや!』

 辺りにミケの叫び声が木霊こだまする。

 ミケは声がれても鳴きながら小早川の姿を探して歩き回っている。

 見ているだけで胸が痛い。


『あや! あや! あや!』

 もう声になっていない。

 それでもミケは小早川を呼び続けていた。


 ミケには小早川が見えない。

 だから小早川も何も出来ないまま鳴き続けているミケを見ている事しか出来ない。

 つらそうな顔で、ただミケを見詰みつめる事しか出来ないのだ。


 小早川は泣きそうな表情で走り回るミケを見ながら立ち尽くしている。


 目の前にいるのに助けたくても助けられないつらさは俺には良く分かった。

 俺も何度も同じ思いをした。

 何も出来ないのが悔しかった。

 小早川にとって、ミケは心配のあまりこの世に留まってしまったほど大切な相手なのだから尚更何も出来ない事に胸が張り裂けるような思いをしているだろう。


 今ここで他の誰よりも悲しんでいるのは小早川だ……。


「いい加減にしろ!」

 俺は思わず怒鳴っていた。

 ミケが振り返る。

「お前がそんなだから! 小早川はお前が心配で成仏できないんじゃないか! これ以上、小早川に心配掛けるな!」


 俺の言葉にミケはうなだれると、

『成仏なんかしなくていい。側にいて欲しい。あやに会いたい……』

 と、悲しげに呟いた。


「騙されないぞ!」

「その猫は退治する!」

 空気の読めない妖奇征討軍がミケに飛び掛かろうとした。


「させるか!」

 俺は妖奇征討軍の一人に組み付いた。

 高樹ももう一人に掴み掛かる。

「拓真! ミケを連れて逃げろ!」

 俺の言葉に拓真は即座にミケを抱え上げると、うちの方へと走り出した。


「行かせるか!」

 高樹はさすがに半分化生なだけあって妖奇征討軍の片方を押さえ込んでいるが、俺は振り払われてしまった。

 秀が代わって妖奇征討軍に飛び掛かる。

「待て!」

 秀はなんとかしがみ付いているがすぐに振り払われてしまうだろう。


 俺はスマホを取り出すと、妖奇征討軍の姉、小林麗花の連絡先を出した。

 それを雪桜に手渡す。


「妖奇征討軍に襲われてるから急いで助けに来てほしいって伝えてくれ。それと公園の管理事務所に焚き火してるヤツがいるって通報してくれ」

 そう言うと俺は再び妖奇征討軍に向かっていった。


 随分長く揉み合っていたように感じた。


「ちょっと、ちょっと、あんた達なにしてんだ」

 声の方を向くと公園の管理事務所の制服を着た男性がいた。

 少し後ろに雪桜がいる。

 どうやら雪桜が呼んできてくれたようだ。


「あ、この人達が焚き火してて……」

 俺はそう言いながら急いで妖奇征討軍から離れた。

「これは化生退治の儀式だ!」

「はあ? 化粧?」

 男性が困惑した様子でもう一人の管理事務所の男性を振り返った。

 もう一人の男性も訳が分からないという表情を浮かべている。

「こいつらが飼ってる化猫を退治するんだ!」

「人を喰う化猫がいるんだ!」

「化猫ぉ?」

 一人が頓狂とんきょうな声を上げ、もう一人が『大丈夫か、こいつら』と言う表情を浮かべて妖奇征討軍を見ている。


 管理事務所の人がもう一人に、

「通報するか?」

 と囁くと、聞かれた方の男性が、

「どっちに?」

 と返答した。

 警察か病院かという意味だろう。


「と、とにかく、公園内での焚き火は禁止なので消して下さい」

「先に化猫を退治してからだ」

 妖奇征討軍の言葉に、

「救急車の方が良さそうだ」

 と男性がもう一人の男性に囁いた。

「とりあえず、火を消して管理事務所に……」

「ダメだ。化猫を退治す……!」

「こら! あんた達!」

 麗花はやってくるなり妖奇征討軍を怒鳴り付けた。


「ね、姉さん!」

「何やってるの! 人様に迷惑掛けるんじゃない!」

「このお二人の保護者の方ですか?」

 管理事務所の人が麗花に声を掛けた。

「姉です」

 麗花は管理事務所の人としばらくやりとりした後、妖奇征討軍を自分のところに呼び付けた。

 妖奇征討軍が焚き火から離れると管理事務所の人達が火を消した。


「二度としないで下さいよ」

 管理事務所の人の言葉に、

「申し訳ありません」

 麗花は頭を下げた。


 管理事務所の人がいなくなってから頭を上げた麗花は鬼のような形相になっていた。

 妖奇征討軍に激怒しているらしい。


 しかし弟のくせにそれに気付かないのか、

「こいつらは化猫をかばってるんだ!」

「人を喰う化猫なんだ!」

 妖奇征討軍は麗花にそう訴えた。


「ミケは人なんか喰わない!」

「現に飼い主一家は全員無事だしな」

 高樹が冷ややかに言った。

「俺はミケに何度も助けられた。前の飼い主もだ」

 小早川の母親も飼い主と言っていいだろう。

「オレも助けてもらった」

「そうだよ。僕もミケが人を助けてるとこ何度も見たよ」

 俺達が口々に言うと麗花が妖奇征討軍を睨み付けた。


「こう言ってるじゃない! さぁ、帰るわよ! ほら、早く!」

「でも!」

「デモもカカシもない! 今後一切この人の猫に手出しする事は禁止! いいわね!」

「化猫は……」

「放っておきなさい! もしホントに人を殺したら、その時は私が何とかします! 迷惑掛けて悪かったわね」

 麗花は俺達に謝ると妖奇征討軍二人を引きずるようにして連れていった。

 安堵の溜息をいた時、腕の中で狸が身動みじろぎした。

 まだ息がある。


「祖母ちゃん、この狸、なんとか助けられないか?」

其奴そやつは儂がよう」

 不意にどこかから現れた年配の男性が近付いてきた。

 俺の困惑した表情を見た男性は、

「儂は近くに住む古狸ふるだぬきじゃ」

 と答えた。


 やはり他にも狸がいたか……。

 祖母ちゃんや白狐キツネが複数いるんだからそりゃ狸もいるよな……。


 俺は古狸に狸を手渡した。


「礼を言うぞ」

 古狸が言った。

「え? 礼を言うのは俺の方……」

「以前、此奴こやつを助けてくれたじゃろ。猫又ミケを止めようとしたのも此奴こやつなりの礼じゃ」

「助かりますか?」

「なに、大したケガではない。気が小さいヤツ故、驚いて気を失っただけじゃ」

 古狸はそういうと狸を連れて去っていった。


妖奇征討軍あいつらこれにりてくれれば良いんだがな」

 俺は溜息をいた。

「ていうか尾裂を退治したのにまだやってたってことは……」

「あの痛々しさはだったんだね」

 秀が同情した様子で言った。

 自分達の痛さに気付いていない妖奇征討軍に対してなのか、後始末をして回らなければならない麗花に対してなのかは分からないが。


「まだ儀式の効果は残ってるらしいから化生はこれからも出るだろうしな。あいつらの相手までしてらんねぇし」

 高樹もうんざりした表情をしている。


 一番大変な思いしてるの高樹だもんな……。


 俺は高樹に同情した。


 不意に繊月丸が、

「雪桜、気を付けて」

 と言った。

「え、繊月丸ちゃん?」

 雪桜が戸惑った表情を浮かべた。


「秀、雪桜ちゃん、こっちに。孝司、望、来るわよ」

「え……」

 不意に植え込みの中から何かが飛び出してきた。

 雪桜に向かっていく。


 飛び出してきたものと雪桜の間に割って入るように空中に日本刀――繊月丸が現れた。

 何かは繊月丸の刃先をけようとして軌道がれ、雪桜の脇を通り過ぎる。


 高樹が繊月丸を掴むと襲い掛かってきたものに向き直って刀を構えた。

 俺も何かの方を振り返る。


〝何か〟はこの前のネズミだった。


「今、雪桜を狙ったのか!?」

「この前の猫又の時に目を付けられたのね」


 ヤバい……!


 今日は何がなんでも倒さなければ雪桜が殺される。

 だが俺は今、手元に武器がない。

 部活をしているわけでもないのにアーチェリーのケースなど持ち歩くわけにはいかないからだ。

 走っても家まで帰ってアーチェリーを取って戻ってくるとなると十分以上掛かる。

 高樹一人でその間なんとかなるだろうか。


 しかし千年生きた猫又ですらかなわなかったような大ネズミ相手に素手では戦えないどころか高樹の足手纏あしでまといになりかねない。


 取りに戻るしかない……。


 十分間、高樹一人でなんとかして持ちこたえてもらおう。


 死ぬ気で全力疾走すれば……。


たか……」

「孝司」

 高樹に声を掛けようとした俺を祖母ちゃんが遮った。


 振り向くと祖母ちゃんがアーチェリーをこちらにほうったところだった。

 俺がそれを受け止める。


「祖母ちゃん、これ、どうして……」

 俺の疑問に祖母ちゃんが植え込みの葉をむしってみせた。

 葉っぱが矢に変わる。


「神泉がないから普通の矢だけど望の助太刀くらいは出来るはずよ」

「サンキュ」

 俺はネズミに向かって弓を構えた。


 葉っぱさえあれば祖母ちゃんがいくらでも矢を作れるなら無駄撃ちしても問題ない。

 植え込みの低木が丸裸になってしまうかもしれないが。


 繊月丸を手にした高樹とアーチェリーを構えた俺を見たネズミが身動みじろぎした後、戸惑った様子を見せる。

 それから身を翻して走り始めた。


「お祖母さん、今のは……」

「ネズミに戻って逃げようとしたのよ」


 祖母ちゃんが変化へんげを解かせないようにしたのか。


 しかし、あまり遠ざかられては射程外に出てしまう。

 俺は急いでネズミに狙いを付けた。


 高樹も同じ事を考えたのか、足止めするようにネズミの進行方向に回り込んで斬り付ける。

 ネズミが後ろに飛び退く。

 素早く反転したネズミがこちらに向かってくる。

 高樹が再度前に回り込む。


 俺は向かってくるネズミに狙いを付けた。

 弓を引き絞り矢を放つ。

 ネズミは横に飛んでけるとそのまま走り続けた。


 俺達に突っ込んでくるのかと思ったが一メートルほど横を駆け抜けていった。

 そのまま走り去るのかと思ったがネズミは円を描くように走っている。

 遠くにも行かないが近くにも来ないまま回っている。


 となると公園から出ていかずに走り回っているのも、昨日の妖奇征討軍と同じく化かされていて外に逃げられないのだろう。

 これなら清められた矢でなくても数を打ち込めばなんとかなるはずだ。

 雪桜を守るためには絶対に逃がすわけにはいかないのだ。

 俺はネズミに向かって矢を放った。

 わずかにネズミかられた矢が途中で葉っぱに戻る。


「孝司、物は騙せないから」


 あっ、そうか……。


 ネズミや人間は幻覚を見せることで出入り出来ないようにまどわすことが可能だが物理法則に従う矢は通り抜けてしまうのだ。

 しかし夜から明け方に掛けての人気ひとけのない頃ならともかく、この時間帯はどちらに向けて撃っても人に当たる可能性がある。


 確実に当てられるか分からない矢を無駄撃ちするわけにはいかないのか……。

 当てられれば矢はネズミの身体で止まるから問題ないが……。


 円をえがいているとは言っても高樹が攻撃しているから一定の速度で同じ軌道を回っているわけではない。

 止まったり反転したりするからここに来るだろうという予想を元に何もない空間に向けて撃つことが出来ないのだ。


 高樹がネズミに斬り掛かる。

 ネズミは身体を傾けてけると高樹に飛び掛かる。

 高樹がたいを開いてかわすと目の前を通り過ぎたネズミに斬り付ける。

 ネズミが身体を反転させてける。

 振り下ろした切っ先からネズミの身体がズレているからダメージを受けなかった。


 届かなくても切っ先の向かいにいたら無傷では済まないと学習してしまったようだ。

 ネズミは巨体の割りに素早い上に跳躍力もあった。


 高樹がネズミをけるために後退しようとして背後の木に羽を引っ掛けてしまった。

 思わず振り返って動きの止まった高樹にネズミの牙が迫る。

 俺は急いでネズミに矢を放った。


「高樹! 下へ!」

 俺の声を聞いたネズミが振り返り、矢に気付いて身体をひねった。

 ネズミの横を矢が掠めて飛んでいく。


 今、ネズミの反応が遅れた?


 ネズミが俺を振り返って牙をく。

 俺の方に向かってこようとしたネズミの背後から高樹が斬り付ける。

 ネズミは横に飛ぶと高樹と俺の両方が正面に見えるように身体を向けた。


 やっぱり……。


 右目が濁っている。

 猫又に引っ掻かれた右目が見えないのだ。

 俺は残っている矢を手に取った。

 弓に矢をつがえると構える。


「高樹! 役所へ!」

 俺の声に高樹が繊月丸を振る。

 ネズミが右に飛び退く。

 高樹が更に踏み込んで右へ右へと追い込んでいく。

 新宿区役所の出張所の事だと気付いてくれたようだ。


 高樹が二の太刀、三の太刀と続けざまに斬り付けていくがネズミは素早かった。

 流石さすが猫又ネコが負けるだけはある。


 ネズミも負けずに高樹に牙と爪で反撃していた。

 高樹もネズミの攻撃を避けながら斬り付ける。

 ネズミが高樹に飛び掛かった瞬間、俺は背後から矢を放った。

 高樹に伸ばした右前脚を矢が貫く。

 ネズミは死角から飛んできた矢に気付かずけられなかったのだ。


 怒って俺を振り返ったネズミに隙が生まれた。

 その瞬間、高樹が繊月丸を振り下ろした。

 ネズミの胴が真っ二つになる。

 絶叫を上げたネズミの死体が地面に転がった。

 繊月丸の刃渡りは一メートル程度のはずなのに体長二メートル以上のネズミが完全に両断されていた。


 うっ……グロい……。


 俺は目をらした。

 秀と高樹も嫌そうな顔で顔を背けている。


「雪桜、見えないよな?」

「うん」

「祖母ちゃん、あのネズミの死体、見えるようにならないよな」

 あんなものが突然現れたら大騒ぎになる。

「大丈夫よ」

「で、出来れば俺達を化かして見えないようにしてくれ」

「別にモツの……」

「祖母ちゃん! 食えなくなるだろ!」

 俺がそう言うと祖母ちゃんは肩を竦めた。

 高樹がネズミを見ないようにしながらこちらに歩いてきた。


「早く店に行こうよ」

 秀が急かすように言った。

 それにいなはない。

 俺達は逃げるようにその場を離れた。


終章


五月三十日 土曜日


 雪桜と俺は雨の中を二人で歩いていた。


 とうとう雪桜を――雪桜だけを――誘い出すのに成功した!


 ――と言いたいところだが単に今日は秀も高樹も用があって出掛けているだけだ。


 それでも二人だけには違いない。

 今日こそ告白するつもりだ。


 学校では相変わらず自主制作映画の真似事を続けている。

 校内に化生が出る事はあまりないが。


 秀と祖母ちゃんは上手くいってる。

 高樹はひっきりなしに鳴るスマホと女子達からの報告に頭を抱えている。


 ミケは相変わらず生意気な口をいているが、もう外に行くことはなくなった。

 本名は分かったが本人――〝人〟ではないが――の意思を尊重して俺達は『ミケ』と呼んでいる。

 あの名前は小早川とミケだけのものだ。


 狸も元気になって道で会うと会釈をしてくる。


「今日も伊藤君、来てるんだ」

 雨音に負けないように大きめの声で雪桜が言った。

「ああ」

 拓真はあの一件以来、今まで以上に頻繁にうちに遊びに来るようになった。

 ミケにいろいろな話をしているが、学校での出来事が多いと言うことは小早川にも聞かせているつもりのようだ。


 俺は今、小早川が四十九日に成仏してしまったことを拓真に伝えるべきか迷っている。

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東京の空の下 ~当節猫又余話~ 月夜野すみれ @tsukiyonosumire

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