末神、転職します。

青時雨

末神、転職します。

「ちょっと末神まつがみ君、頼んどいた資料のコピーまだなの?」


「すみません。すぐにコピーします」


「この街の建設にはもっと山を切り崩す必要がある。でも問題が……おい末神、隣の科行って神山課長呼んできてくれ」


「はい、今すぐ」



神田部長は今日インターンシップに来た学生を案内しているから不在だ。ホワイトボードに赤い太字で書かれている。

 彼が不在の時は大体この科は混沌とする。

 神田部長は仕事ができる人で上手く社員を動かすことが出来るけれど、彼がいないと素晴らしいスケジュールが徐々に崩れていき、小さな仕事は全て僕に回って来る。そしてその小さな仕事が沢山積み重なると、大きな仕事二つ分くらいになる。

 僕にだって僕の仕事があるのに。

 毎日担当しているの報告書を出さないといけないのはみんな同じ。なのに僕だけこき使われている。

 元々僕は手先が器用で、物作りなら自分でも何かの役に立てると思ってこの会社に入社することを目指した。それに給料もよかったから入った会社だったけど、そろそろやめたい。



「なあ末神」



寝不足の目を血走らせながら振り返ると、同期の仲神が珈琲の入ったマグカップを片手に近づいて来た。これはまずい。

 コピー機の前で神宮寺さんに頼まれた資料を必要部数印刷しながら、彼に今超絶忙しいから話しかけないでよオーラを放つが無意味だった。



「恋愛相談」


「桃神さん?」


「そそ。彼氏いんのかどうか探りいれてくれない?」


「いるんじゃない?、彼女かわいいし」


「あの子植物科だから俺全然接点ないじゃん?。突然話しかけたら変に思われるかもしれないだろ」



無視かーい。



「だから元植物科の僕に彼氏の有無を探れと?」


「頼む」



 顔の前で両手を合わせる同期。

 桃神さんの彼氏の有無を聞いたところで、いないとわかった後突然仲神が食事なんかに誘っても変に思われるんじゃないか?なんて本音は言わず、頷いてやる。

 彼には膨大な仕事を手伝ってもらうことがままある。そんな彼のお願いを無下にはできまい。



「わかったよ、いいよ」


「友よ!。今度飯奢るよ、何食いたい?」



思わず嘆息がこぼれ、苦笑する。



「じゃあウナギで」


「りょ」



印刷し終えた資料をさりげなく仲神は手に取り、「神宮寺さんにだろ?」といいながら笑顔で去っていった。

 次に隣の自然科に小走りで向かい、神山さんにうちの科に来てほしいとお願いする。この科は僕の科と同じくらい多忙なので、返事は返ってきたが実際に来てくれるかどうかはわからない。



――――――



 昼休憩の際社員食堂で桃神さんと会ったので、さりげなく恋人がいるのかどうか探りを入れる。どうやらいないらしい。

 味のしない昼食を食べ終え、その旨を仲神に報告した後、やっと僕は自分の仕事に取り掛かることが出来た。

 今日のノルマは、新作のデザイン案50個と、イベントの企画書3つからの報告書。はぁ、無理だろこんなに沢山。帰りたい。

 キャスター付きの椅子の背もたれに全体重をかけて天井を仰ぐ。が、すぐにデスクと向き合う。

 僕の担当しているは、前の担当者からの引き継ぎなので、ある程度完成している。完成しているところに足したり引いたりする作業なので、一から作りあげる社員の大変さに比べれば楽な仕事なのだろうが、僕にとってはこれだけでも疲労困憊の毎日だ。

 一つのミスで全ての歯車が狂ってしまうようなものだ。緊張状態がずっと続くのは体に毒だと思う。

 転職を考え始めたところで、頭上から苦手なまま神我かみがさんの声が振って来る。



「末神、この仕事代わりにやっといて」



社長ジュニアの最悪な一言かつ断りにくいそれに追い打ちをかけるように、他の社員もここぞとばかりに僕の名前を呼ぶ。



「ねえ末神ちゃん、これ動物科からの苦情100件。対応よろしく」


「ちょっと聞いてもいいかい。君の担当しているについて光科の神白さんが質問があるって言ってて」


神事じんじの方が仲神に用があるって言ってたんだけど、末神彼がどこにいるかわかる?」


「末神君」


「なあ末神」


「こらッ、末神」


「まっつがっみくーん」


「…末神」


「これお願い末神」



末神末神末神末神って…末神まつがみ優弱ゆうじゃくはそんな何人もいないっつの。

 こんなブラックな会社、今すぐやめてやる。

 いつもは穏やかに困った笑みを浮かべてみせる末神優弱だったが、怒りの勢いのまま力強くデスクを叩いた。

 すると、彼の担当しているから、水色と緑色に輝く球体がころころと転がり、隣のデスクとの間にある隙間へと落下した。

 しかしそのことに誰も気がつかなかった。入社以来一度も怒ったり苛々した素振りを見せなかった末神の激怒している様子に、皆呆気に取られていたからだ。

 今日の今日こそ胸に忍ばせていた辞表を神田部長のデスクに置き、末神はここ数年ぶりの晴れやかな笑顔で転職サイトを開いた。






―――三ヵ月後






末神のいなくなったオフィスでは、今日も忙しなく社員が働いていた。

 あいつが担当していた仕事は桃神さんとお付き合いすることになった俺が担当することとなり、そこで判明したのだが末神が担当していた仕事は俺や他の社員よりも随分と多かったということ。神田部長に報告したところ、一人の社員に仕事を押し付けるのはやめるようにとのことだった。注意はされたがこの部署はそれだけの多忙さに鬼気迫っている。次の標的は誰になるのやら。自分にと任された仕事以外の他人の仕事を断れる俺には関係ないことだが。

 末神が激怒した時に事業内容の一つがどこかへいってしまったが、仲神がペンをデスクの隙間に落としてしまった際偶然発見出来たため問題にならずに済んだ。紛失していたら大変なことになっていた。

 仲神のデスクには末神が担当していたが広がっている。

 本来は儘神我ジュニアが担当しているはずの金星に木星、神宮寺さん担当予定だった土星に欠勤続きの後輩、人相神にんそうじん君担当の火星。それから誰が担当かよくわからない太陽に月など。

 見えない輪をゆっくりと周回する末神に押し付けられた惑星事業たち。末神が落としてしまった地球を適切な場所に戻し、仲神は報告書を広げペンをカチカチと鳴らす。



「ええっと今日の報告箇所は…地球にある日本の…東京ね」



2023年8月13日と書かれた報告書にはなどについて記載する空欄がいくつもある。それを仲神は丁寧な字で埋めていった。

 この事業は数日したら鳥科や魚科なんかの他の科にも確認をお願いして、最後に必ず自然科にも確認をしてもらわなければはならない伝説クラスの忙しさだと噂されているだ。

 地球には入社したての頃に研修で視察に行くくらいで、ほとんどの社員はこの地球事業に一度も関わらないまま退職する。だから俺も地球のことは噂でしか聞いたことがなかったし、実際に存在する事業だとも思っていなかった。

 最近忙しそうだな大丈夫かなとは思っていたが、まさか末神が実在していたそのの担当になっていたとはな。相談しろって、本当に。

 この地球事業はボトルシップが趣味の社長が腕によりをかけてつくった人間のいる唯一の惑星。人間科の仕事は人間に関わること全てだから、結構忙しい。器用貧乏な末神には向いていない科だなと思っていた矢先に退職したもんだから、思わず「だよな」と苦笑してしまった。

 末神が無理矢理押し付けられていた仕事を本来の担当者へと淡々と返し、有無を言わさず規定時刻に退社する。

 仕事終わりに会社前でひとつ伸びをすると、仲神はかかってきた一本の電話に出た。



「よお、久しぶり。どうした?」


『ウナギ、食べさせてもらうの忘れてたなと思って』


「そうだったな。新しい職場どこ?」


『ウナギ屋と同じ大通り沿いの。ほら、INORIってとこだよ。ネクターシェイクの店の真向かいのさ』


「新しく入ったそのINORIって会社、楽しいか?」



仲神はウナギ屋で足を進めながら、電話越しの末神に問う。



『楽しいよ、充実してるし無理な仕事量じゃないし。なんか前職があの会社の人間科だって面接の時話したら、気に入られちゃって』


「ほとんどの神は人間自体知らないもんな。きっと人間に詳しい人材が必要だったんだろうよ。で、どんな仕事してるんだ?」


『毎日人間からのお便りを読んでるよ。僕は病担当だから、お便りに書かれている「おじいちゃんの腰痛をよくしてください」とか「母の病気が治りますように」とかそういう願いを読んでは、人間のために健康を祈ってるんだ』


「誰かの役に立てる仕事だな。よかったじゃん、高校の時言ってたろ僕でも誰かの役に立ちたいんだって」


『そうだね。三十半ばで夢が叶ったよ』


「まあ詳しくはウナギ屋で。俺も桃神さんにどうプロポーズするかの案をお前に聞いてほしいし」


『気が早くない?。それにプロポーズのことくらい自分で考えろよ笑』


「じゃあウナギ屋で」


『無視かーい』



くすくすと笑う末神の声を聞きながら電話を切った仲神は、ウナギ屋を目指して神々が往来する雲の上を歩いた。

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末神、転職します。 青時雨 @greentea1

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