4 美少年は天使様

 レンくんは教室を出てすぐに「どこか人がいないところに連れてって」と言った。

 だから、わたしは屋上に続く階段に案内した。屋上自体は開放されていないぶん、内緒話がしたいときは、その手前の階段に集まる。先客がいたら遠慮するのが、暗黙のルール。

「ここなら、あんまり人来ないよ」

 階段の踊り場で立ち止まる。

 レンくんは「ありがとう」とお礼を言った。

 きっと誰にも聞かれたくない話があるんだろう。

 わたしだって、聞きたいことは山ほどあるし。

「……きみ、なんなの?」

 歩きながら、何から尋ねようか考えた結果、最初の質問はこれだった。

 レンくんは笑顔を崩さないまま、

「ボクは、希が呼び出した恋のキューピッドだよ」

 と、言った。

 ……恋のキューピッド。

 なんのこと? とは言えなかった。

 その単語に、心当たりがあったから。

「呼んだでしょ? ボクのこと。おまじないで」

「…………」

 わたしはスカートのポケットから、スマホを取り出す。ロック画面に映るのは、白猫と天使の画像。

 ──この画像をスマホのロック画面に設定すると、天使様が片思いを叶えてくれるというおまじない。

 嘘だ〜と疑いつつも、試してしまった。

 このおまじないについては誰にも言っていないし、ロック画面を人に見られないように、細心の注意を払っていた。

 それを知ってるってことは──レンくんは本当に、わたしが呼び出した恋のキューピッドなの……?

 まだ信じきれないわたしに、レンくんは続ける。

「昨日の白猫はテストだよ。キミが本当に恋を叶えるのにふさわしい人間かどうか、確かめさせてもらった」

 テストって……家の前に、汚れた白猫の姿で現れて、助けるかどうかってこと……?

「そ。弱っている猫を見捨てるような人間なら、恋を叶える資格なし」

「…………」

 レンくんが本当に恋のキューピッドなら、今、レンくんがここにいる事実が、わたしの合格を示していた。

「まだ信じられない?」

 レンくんはふふ、と笑って、口元をわたしの耳に寄せた。

「希はさ、朝陽くんが、好きなんでしょ?」

「……っ!」

 小声で言われ、ぼっと顔が赤くなる。

 それは……本当にわたしだけの秘密……!

「どう? 信じた?」

 今までと同じように、レンくんは笑顔を向けてくる。

 わたしがおまじないを試したことを知っていて、わたしの好きな人も知っている──絶対に知られてはならない、大事な秘密を。

 恋のキューピッドなんて、半信半疑だったけれど……レンくんは本当に恋のキューピッドなのかもしれない。

 わたしはうなずいた。

「……信じる。レンくんが恋のキューピッドだって」

「よかった。キミの恋を成就させないと、ボクは天界に帰れないんだ。だから、協力してほしくて」

 レンくんは嬉しそうに両手を合わせる。

 ……ん?

 協力してほしい?

「キューピッドなら、何か魔法的な不思議な力で、簡単に朝陽くんと両思いにしてくれるんじゃないの?」

「ずいぶんと他力本願だねぇ」

 ハハッ、と乾いた笑い方をされた。

 キューピッドがどういう存在なのかは知らないけど、人間ができないような、なんか魔法とか使えそうなイメージがある。

 わたしの協力なんて、必要ないと思っていた。

 レンくんは「うーん」と悩むように腕組みをした。

「それはできないんだ」

「えっ……」

 キッパリと否定されて、わたしは面食らってしまう。

 レンくんは言う。

「ボクは確かに恋心を抱かせることはできるけど、それは元々持っている好意を恋に変化させられるだけなんだ。つまり、友達として好かれていないと、恋にまで発展させられない」

「じゃあ、そもそも友達ですらないんだから、意味ないじゃん!」

 リアルに頭を抱えてしまった。

 ただ遠くから見ているだけの存在だった朝陽くん。会話だって数えられる程度しか交わしていない。朝陽くんがわたしを友達と認識しているかどうかだって危うい。

 よくてクラスメイト、悪くて知り合い。

 好意なんてあるはずがない……!

「え? 友達ですらないのに好きなの?」

「うっ」

 改めて言葉にされると、胸に刺さるものがある。

 レンくんは悪意なく、心底不思議そうに、小首をかしげた。

「そんな関係なのに、希はなんで朝陽くんと付き合いたいの?」

「え……」

 なんでって……。

 自分でも考えたことがない──朝陽くんと恋人になりたい理由なんて。

 でも……。

 わたしは朝陽くんを思い浮かべる。

 いつも人に囲まれていて、みんなに優しくて、人気者の朝陽くん。

 笑った顔が似合う、太陽みたいな人。

 そんな彼と付き合えたら、いいところが何もないわたしだって変われる気がする。

 ──「お姉ちゃんは、優秀なのにねぇ」と言う母。

 ──「要領悪いと大変だね」と言う姉。

 中学受験に失敗してから向けられてきた、家族の哀れんだ目。

 嫌な記憶を振り払うように、わたしは頭をぶんぶんと振った。

「どうしたの?」

「……なんでもない」

「そう? すごく辛そうだけど」

 唐突に頭を振り始めたわたしを不思議そうに眺めるレンくん。

「大丈夫。ちょっと嫌なこと思い出しちゃっただけ」

「……そっか」

 できるだけなんでもない風に返す。レンくんはそれ以上、追求してこなかった。

「まぁ、希は朝陽くんが好意を持ってないって思ってるみたいだけどさ、やるだけやってみようよ」

「レンくん……ありがとう……」

 前向きな提案をしてくれる彼に、胸の奥がじんわりしてくる。

 レンくんは「いいんだよ」と薄く笑った。

「希の恋を叶えないと、ボク、天界に帰れないから。これはボクのためでもあるんだ」

 そういえば、そんなことを言っていたような。

「わたしが恋を叶えられなかったら、どうなるの?」

「またボクを呼び出した人のところに行って、その人の恋を叶える。その繰り返しだよ。人間の恋を叶えるまで、天界に帰れないんだ」

「そうなんだ……」

 なんだか、合格点を取るまで終われない試験みたい。

 キューピッドも大変なんだな……。

 それなのに、わたしはレンくんに頼ろうとしてばっかりで……。

「弱気になってごめん。……お願いします!」

「ふふ。こちらこそ」

 そう言って、レンくんは祈るように胸の前で手を組んだ。大きな瞳が、長いまつ毛に閉じられた。

 ばさっ。

 レンくんの背中から大きな鳥の翼が生えた……!

「わぁ……!」

 その姿は、まるで天使。

 いや、まるでじゃなくて、天使そのものだった。

 恋のお祈りを捧げているレンくんの姿は、教会に飾られている絵画みたいに神秘的だった。

 ここが学校の階段だって、忘れちゃうくらい。

 十秒ほど、お祈りを捧げたあと、レンくんは目を開いた。同時に、翼も消える。

「これで、朝陽くんの好意は恋心に変わったはずだよ」

 レンくんが言う。

 わたしはそれどころじゃなくなっていた。

「すごい……本当に、天使様なんだね……」

「ふふ、びっくりした?」

 見惚れてしまって、目をぱちくりさせたわたしが面白いようで、レンくんは楽しげにわたしの顔を覗き込んでくる。

 そして、とんでもない誘いをしてきた。

「空でも飛んでみる?」

「え?」

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