最終章

第41話 指輪

「す……凄い。は……ぁッ」


 聖女エマは、頬を上気させて肩で息をする。今にも崩れ落ちそうな腰は、エドガーにガッチリ支えられていた。


「聖女エマ、まだいけるか?」

「ン……なんとか、後……一回くらいなら」


 ここまで身体を酷使したのは、久しぶりだった。聖女エマは疲労で今にもくっついてしまいそうになる瞼を気力で開き、エドガーの要求に答えようと必死だ。


「次の患者を呼べ」


 良く響く声でエドガーが言うと、扉が開いて男性が一人部屋に入ってきた。

 目尻に皺の目立つ顔は、オドオドとしており落ち着きがない。


「名前と年齢は?」

「マシュー・ヒラリー。十八歳です」

「神殿での所属は?」

「ユタヤ司祭様付きの下男です」


 とても十代には見えないその見た目に、聖女エマは痛ましそうに視線を落とした。ベールをかぶっているから、その表情は誰にも見られることはなかったが。


「君は、自分が伝染病にかかっているのはわかっているか?」

「……はい。その話は……神殿内でひっきりなしに聞きますから」

「では、この伝染病が性行為から感染し、さらには死に至る病であることは?」


 マシューはガタガタと震えながら頷いた。


「感染経路はわかっているか?」

「わかりません」

「それは、わからないくらい不特定多数の人間と性行為をしているということか?」


 マシューは最初は躊躇っていたが、最初的には肯定するように小さく「はい」とつぶやいた。


「思い出せる範囲で相手をあげてくれ」

「…………とカテリーナ様、ミア様、ユタヤ司祭、…………だと思います」


 あまりに神殿は腐敗していた。神殿下男と言う名目で、ユタヤ司祭は彼らに男娼のようなことを強要し、男女問わずに相手をさせていたらしい。


 エドガーは、マシューの言った人間を全て書きつけると、別に魔法証書に浮き上がったマシューの証言をマシューに確認させて、最後にサインをさせた。この魔法証書、真実の証言をすると文字となって浮かび上がり、サインをすることで真実の証明になるのだ。


 包み隠さず話せば治癒魔法を施すと言ってあるからか、ユタヤ司祭のすぐ近くで仕えていたマシューは神殿の内部事情に詳しく、神殿の不正や闇献金など、今回のことに関係のない罪まで暴露してくれた。


「治癒を」

「……はい」


 聖女エマはゆったりとした口調で詠唱を唱え、魔力を編み込んで大きな光のネットを作る。隙間がないように密度を濃くしていき、その光でマシューをすっぽりと覆った。


 すでにこの伝染病の治癒を行ったのは今日で三人目。ごっそりと魔力が抜けていく感覚がし、聖女エマの身体がフラリと傾いた。

 エドガーが間髪入れずにその肩を支え、聖女エマはなんとか踏みとどまる。


「……あ」


 マシューは信じられないように、自分の手を見る。老いた手はそのままだが、身体の怠さはなくなっていた。


「病気は治りました。でもごめんなさい、時間を元に戻すことはできないんです」

「いえ……いえ、十分です。ありがとうございました」


 マシューは深々と頭を下げた。


 部屋を出て行く後ろ姿を見ながら、聖女エマはカスカスになった魔力にため息をつく。

 聖女エマには司教並みの魔力がある筈なのに、この伝染病を完治させる為にはかなりな魔力が消費するから、せいぜい治療できて一日四人から五人。

 同じように治療できる治癒士だと、せいぜい一日一人が限界、二人目で魔力が底が尽きて昏倒するだろうから、驚異的な魔力量と言えるのかもしれないが、それでも最高五人。もどかしい気持ちになる。


 この病は発病すると待ったなしだ。日に日に老化が進む。そして、さっき聖女エマがマシューに言ったように、老化してしまった時間は元に戻せないのだ。彼らの寿命は、老化した分だけ残り短くなるのだ。


「これを」


 エドガーが懐から指輪を取り出した。指輪にはまった赤い魔石は、エドガーの髪色に良く似ていた。


「これは?」

「そのブレスレットを見たうちの魔導具士が作った指輪で、魔力を貯められるようになっている。そのブレスレットと違い、取り外しは自由だがな」

「もしかして、伯爵様の魔力が入ってます?」

「ああ。魔力のないエマの為に作ったものだが、魔力供給にも使えると思う」


 エマは指輪をジッと見ると、それを指にはめずに握りしめた。

 指輪から魔力が流れてきて、ゾクゾクするような快感に聖女エマの身体が震えた。


「凄いです。後一人くらい治癒できそうな気がします」


 聖女エマは首に下げていたネックレスを外すと、鎖に指輪を通してまた首にかけた。


「つけないのか?」

「伯爵様、向こうの世界では指輪には特別な意味があるんですよ」

「特別な意味?」


 聖女エマは、左手の薬指を擦った。


「この指にピッタリな指輪を贈ることで、一生一緒にいましょうという意味になるそうです。また、貰ったその指輪をはめると、私はあなたのものですという意味だそうで、結婚する男女はお互いに指輪を贈り合うんですって。だから、この指には、好きな人からの指輪しかはめたら駄目なんですって」


 だから、エドガーから貰う指輪を指にはめる訳にはいかないと、聖女エマはネックレスにぶら下げた指輪を握った。


 エドガーの魔力は聖女エマの身体に親和性があるようで、コップに水が溜まるように無駄なく聖女エマの身体に馴染んだ。


「とりあえず、ユタヤ司祭は王都に言ってしまったから治しようがないが、神殿の者はあらかた治癒したな。あとは、街の一般市民と権力者達だ」

「伯爵様のお母様と、元婚約者様もまだですが」

「あれらは最後だ。まだ証書にサインをしていないようだからな」


 それに、辺境に感染病をまん延させた当事者だ。無償で治癒させる訳にはいかなかった。


「そうですか。あまり悠長に待っている時間はないと思うんですが……。早く罪を認めてくれると良いですね。そうだ、これを見てください。ここ数日だけで、もうこんなに魔力が貯まったんですよ。十分の一……、十二分の一くらいは貯まりましたよね」


 聖女エマは嬉しそうにブレスレットを掲げて見せた。


「凄いな。これなら、あと半年くらいで入れ替われるんじゃないか?」

「かもしれません。この感染病は強烈ですからね。治癒力をごっそり持って行かれますから。でも、辺境だけ治癒しても、全体的に病を根絶しないと、またいつここに飛び火してくるかわかりません」

「そうだな。今回は、感染源がほぼ冬支度が済んだ冬の始めに辺境に来たから、領民達への感染が最小限で済んだんだ。皆、冬は家にこもって出歩けないからな。パートナー意外との接触が少ない時期で良かった」

「ちなみに……多い時期はあるんですか?」

「パートナーを決める秋と、雪が溶けて開放的になる春、祭りの季節だな」

「伯爵様もその時期は……」


 エドガーは厳つい顔を珍しく慌てさせて、聖女エマの肩をムンズと掴んだ。


「俺はエマだけだ!他の女性は知らん!」

「え?あ?え……っと、そうなんですね。それは失礼しました」

「いやすまない。エマと同じ顔だからつい……。疑われるのは我慢ならなかった」


 筋骨隆々ガッシリした体型に、恐ろしいまでに強面だけれど男らしく整った顔、辺境伯当主という貴族の中でも高い地位であるエドガーは、硬派なイメージから女遊びしているようには見えなかったが、それでも女性に不自由するようなタイプには見えない。

 年齢も三十を超えている筈で、この年まで……ということだったのだろうか?と、聖女エマに変な好奇心のスイッチが入る。


「もしかして、伯爵様も初夜が怖かった口ですか?どうやって克服できました?」

「いや、別に怖かった訳では……」

「でも、ご婚約者様とか多数いたんですよね?しかも、お試しに辺境に住まわれていたのでしょう?貴族の方は、婚約したら……その……あちらの面でもお試し期間を設けるとか、設けないとか。私は第三王子に疎まれていましたから、ありがたいことにお呼びはありませんでしたが」


 エドガーは、やはりエマは初めてだったのだと理解してホッとする。しかし、あの時のエマのあまりに慣れたアレやコレやを思い出すと、到底未経験とは思えない。


「辺境伯邸に部屋は与えたが、その部屋を訪れたことも、俺の部屋に招き入れたこともない。……あちらのエマ……キララであった時のエマのことを聞いていいだろうか?」

「はい?私が知っていることは少ないと思いますけど」

「とりあえず屋敷に戻ってから、夕食の後にでも俺の部屋で」

「はい。わかりました」


 屋敷に戻ってから、イリアとララに「晩にエドガーの部屋に呼ばれた」と話したことで、多大な勘違いをした二人が、「いくら早くエマ様を呼び寄せたいからと言って、聖女エマに手を出そうとするとは、エマ様に悪いと思わないんですか!」と、エドガーの元へ怒鳴り込みに行ったらしい。

主人想いの良い侍女達ではあるのだが、さすがにその時は「そんなことする訳ないだろう!!」とエドガーの雷が落ちたとか……。


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