第39話 媚薬は状態異常です(聖女エマ)

「ㇵァッ……」


 エドガーが執務室にたどり着いた時には、かなり動悸が激しくなり、エドガーの雄の部分が緩く反応してきていた。


「クソッ!」


 エマが聖女エマと入れ替わってから、エドガーは自慰すらしていなかったので、ほんの僅かな刺激でも、箍が外れそうになる。といっても、どんなに強力な媚薬を盛られたとしても、誰彼構わず襲いかかる程理性をなくすことはない。

 せいぜい自家発電にいそしむくらいだが、それだと媚薬に負けたような気がして、なんとか瞑想して鎮めようとする。


 しかし、こんな時だからか、瞼の裏に映るのはエマの姿で、無性にエマが恋しくて、切なくてしょうがない。


「エマ……」


 一人用の椅子に座り、身体に渦巻く欲求を抑え込もうとする。エドガーだからこのくらいですんでいるが、一般人ならば意識朦朧とする中、目の前にいる人間を襲っていることだろう。


 特殊な呼吸法で理性を繋ぎ止めていた時、扉がノックされて嗅ぎ慣れた匂いがエドガーの執務室に入ってきた。


 エドガーの鼓動がドクリと大きく跳ねる。


「聖女……」

「さっき、帰られたと聞いて……、どうしました?具合がお悪いんですか?」


 聖女エマが慌ててエドガーに駆け寄る。魂が違うだけで、器はエドガーの愛したエマと同じだから、見た目、匂い、触り心地は同一だ。


 エドガーの中で何かがスパークしたのように弾ける。エドガーの身体はエマに反応し、理性も目の前にいるのがエマだと誤作動を起こしそうになる。


「……待っ……た。近寄るな」


 エドガーの苦痛の表情に、聖女エマの足が止まる。


「どうしましたか?怪我なら治します。あ、病気も治せますよ」

「怪我でも病気でもない」


 エドガーは、走り寄り抱きしめたい、キスをしたい、それ以上の欲望をぶつけたいという欲求を抑える為、目を瞑り視界からの刺激をシャットアウトする。


「でも普通じゃないです」

「……媚薬を盛られた。だが、しばらく放置すれば落ち着く筈だ。聖女エマは部屋を出て」

「なんだ。媚薬ですか。ならば、薬の効果を無くすことは可能です。あれっていわゆる状態異常ですから」


 聖女エマは事も無げに言うと、エドガーに近寄りその肩に手を触れて詠唱した。その長い詠唱の間、エドガーは両手で自分の太腿をきつく握り、聖女エマに襲いかかりたい衝動を抑え込んだ。


 聖女エマの魔力に包まれると、エドガーは身体の中で荒れ狂っていた情動がスーッと覚めていった。


「助かった……」


 いまだ滾る部分はあれど、こんなものは放置しておけば自然と鎮まる。


「聖女エマ?」


 すでにエドガーから媚薬の効果は過ぎたのに、聖女エマはエドガーの肩に置いた手をそのままに硬直している。その視線はエドガーの股間を凝視しており……。


 エドガーは、何となく居た堪れない気分で、然りげ無く手を組んで股間を隠す。媚薬の効果だとはわかるだろうが、これもある意味状態異常で、堂々と晒せるのは愛する妻くらいだ。


「それ……、一般的な男性もそんなに大き……いえ立派……その……逞しい感じになるんでしょうか」


 聖女エマの顔色が青褪めているのは、エドガーのエドガー君に恐怖を感じたからか、瞬きもせずにガン見している様は、逆に見られている方がかなり怖い。


「いや、他人と比べたことはないが……、通常の状態でも他の騎士よりはデカい……かもしれんな。俺は体格もいいから、それに比例はしているかもしれんが」


 エドガーは、顔が引き攣りそうになりながらも、聖女エマの質問に誠心誠意答える。

 エドガーとエマは、すでに初夜を経験済みだ。あの時、かなり積極的に攻めてきたエマではあるが、身体は処女であったから、聖女エマは男性経験はなかった筈で、興味というより男性の身体に恐怖を覚えても仕方がないだろう。


「伯爵様は……私いえ、あなたの妻であるエマさんと、何度も……そういったことを経験しているのですよね?」

「そうだな。夫婦だからな。しかし、だからって、聖女エマとどうにかなろうなどとは思わないぞ。これはただの状態異常で、聖女エマに反応した訳では断じてないからな」

「わかってます。ただ、私の身体でも壊れることなく受け入れることができるということを確認したかっただけです」

「壊れ……まぁ起き上がれない日も……いや、問題はなかった」

「そうですか……」


 聖女エマは、脱力したように手をエドガーの肩から下ろすと、ソファーの所まで歩いて行き、ドサリと腰を下ろした。


「私……、第三王子のことを好きではないということもありましたが、初夜が凄く……とてつもなく怖かったんです」

「あぁ、まぁ、そんな女性の気持ちもわからなくはない」

「この身体から抜け出し、私は異世界に転生するつもりで、このブレスレットを作ったんです」


 まだ三分の一程度も色の変わっていないブレスレットを掲げてみせ、聖女エマは罪を懺悔するかのように両手を組み祈りの姿勢を取る。


「しかし、実際に起こったのは魂の転移でした。しかも、キララという女性との入れ替わりです。それがわかった時、あの過酷な状況を何もわからない他人に押し付けてしまった罪悪感から、すぐに戻らなければと思いました。けれど、私が転移したことで助かった命があった。しかも、私は彼に惹かれてしまったんです。私の転移には意味がある、勝手にそう思い込み、罪悪感から目を背けました」


 聖女エマの瞳から、ボロボロと涙が落ちる。

 それを見て、エドガーは喉をグッと鳴らした。


「頼む。エマの顔でそんな泣き方をしないでくれ」


 最愛の妻が泣いているのに、抱き締めてその涙にキスを落とせないことがもどかしく、エドガーの胸をきつく締め付けた。


「すみません。私は加害者なのに、こんな涙なんかずるいですよね」


 聖女エマはゴシゴシと涙を拭くと、真っ赤になった瞳を数回瞬いた。なんとか涙を止め、無理に笑顔を浮かべる。


「エマは、俺の妻のエマは、多分その過酷な状況とやらにいたとしても、十分自分で切り抜けるだけの気骨がある女だ。この辺境の生活にも、柔軟に順応して楽しんで生活していたしな。身体を動かすのが好きで、獣人に変装して騎士団に入団してみたり、奇天烈な武器を考案しては実用化してみたり。働き方改革をするんだと、騎士団の内部改変を提案したりしてな」

「随分と行動的な方なんですね」


 フッと、エドガーがいつにない笑顔を浮かべた。


「ああ。変な固定観念がないから誰にでも平等で、獣人や孤児とも仲良かった。俺の領地では獣人奴隷は廃止しても、まだその地位は低かったし、孤児達にも積極的にアプローチはしていなかった」

「それでも、他の領地よりは断然住みやすい筈です。私がいた王都では、孤児は搾取されるのが当たり前の存在でしたから。ここの孤児達は、見るからに健康そうですもの」


 聖女エマは、痩せてガリガリで、なかなか身長も伸びなかった自分の子供時代を思い出す。それでも、光魔法を使えるとわかってからは、多少の食事の改善はあったのだ。それがなければ、栄養失調で今ここにはいなかったかもしれない。


「エマを慕う者は多い。俺もその一人だが。聖女エマがあちらに転移したのが天命ならば、エマがこちらにきたのも天命だ。どちらの転移にも意味があったと、俺はそう思いたい」

「はい……、はい、それが本当ならばどんなに……」

「また、さらなる転移にもまた意味があるのだと思う。実は……」


 エドガーは、王都で流行っている伝染病について、聖女エマに話した。また、その奇病がカテリーナ達のせいで辺境にも流行りだしたことも。主に神殿にだが、神殿経由で領土内に広まっている可能性も考えられた。


「では、まずは神殿に参りましょう。魔力を大量に消費する治癒魔法ならば、今まで以上にブレスレットに魔力が貯まる筈ですもの」


 カテリーナ達はとりあえず置いておいて、聖女エマはエドガーと神殿へ向かうことになった。






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