第015話 三つの黒子(エドガー目線)

「団長、第一鍛錬場で騎士と獣人兵士がいざこざをおこしたようです」


 エドガーが団長室で執務していた時、副官のルイスが団長室にやってきた。


「何があった」


 エドガーは書類から目を離さずに尋ねる。


「報告では、騎士が魔法訓練をしていたところ、誤って獣人兵士に被弾してしまったそうで。それがわざとだとか誤射だったと揉めているとか」

「被弾した獣人兵士は?」

「かなり酷い怪我をしたようです」


 エドガーが書類から顔を上げ、眉を顰める。


「それは誤射とかそうじゃないとかの問題ではないだろう。怪我人は?」

「ボアという猪獣人の少年兵と、キララという白鼠の兵士です」

「キララ?彼女は今どこだ」

「彼女をご存知でしたか?今は医務室です」


 エドガーは席を立ち、足早に執務室を出て医務室へ向かう。


「団長、団長が間に入るような話では……」

「……」


 ルイスが後を追ってきたが、エドガーは無視して足を速めた。


 医務室の扉を開けると、ベッドにうつ伏せで横たわるボアと、その背中にすがって泣くキララがいた。


「何があった?!」


 キララは顔を上げると、グシャグシャの顔でさらにボロボロと涙を零した。


 その衣服は全面が切り裂かれており、胸元がザックリと見えていた。肌に赤い筋が三つ並んだ黒子まで続いていて……。


 エドガーは強い衝撃を受けた。あの黒子は?!


「ルイス!おまえは外で待て。いや、状況を説明できる奴を連れてこい」


 医務室のドアを閉め、キララの……いやエマの側へ行き、その涙を拭って長めの前髪を耳にかけてやると、美しい菫色の瞳が現れた。

 獣人だという思い込みから、何度も顔を合わせているのに、エマだと気が付かなかった自分の間抜けさに腹が立つ。


「私を庇って、ボアが酷い傷を!」

「……キララ、俺は大丈夫だから」


 ベッドに横たわっていたボアが、呻きながら言う。


「だって!あいつ、絶対に許さない!私を狙うんなら、堂々とやればいいのに、いきなり魔法で襲ってきて、私を庇ったボアにこんな酷いことを!」

「……これも、そいつがやったのか」


 エドガーが、エマの胸元を指差して言う。


 どういう経緯で獣人のふりをして騎士団に入団したのかはわからないが、白鼠獣人のキララはエドガーの愛する妻エマだった。その妻の衣服が破かれ、肌に傷痕がある。

 エドガーの怒りは、一瞬にして沸点を超えた。その怒気が医務室に広がり、医務室にいる全員が身動きできなくなった。


「も……申し訳ありません!俺がお守りできなかったから」

「ボア?何を言ってるの?ボアが守ってくれたんじゃん。ってかお守りって?ボアは私なんかの盾になったら駄目だよ。子供を大人が盾にするとか情けなさ過ぎるでしょ。もうあんなことしたら駄目」

「キララ……」


 ボアの小さい目にも涙か浮かび、枕に顔を押し付けて号泣しだした。そんなボアを見て、エマは初めて会った時にやはり号泣していたボアを思い出す。


「ボアは泣き虫なんだから」


 ボアの頭を撫でるエマの手を奪い取りたい衝動に駆られながら、エドガーは上着を脱いでエマの身体を包んだ。

 とりあえず今は何よりも傷の手当てと着替えが先だ。エマがキララと名乗って獣人のフリをしていた理由を聞くのは、エマが落ち着いてからの方が良いだろうとエドガーは判断した。


「キララ、君はその傷の手当てと衣服を着替えたほうがいい。看護婦、彼女を隣の部屋に。手当てを頼む」


 キララが隣の処置室へ入ると、医務室の扉がノックされて、ルイスに連れられてイアンとシュナイダーがやってきた。ピエールを取り押さえたのはイアンだが、ジャンを取り押さえたのはシュナイダーだったのだ。


「何があった?」


 シュナイダーがビクビクしながら話しだした。


「最初は……ピエールさんとジャンさんが向かい合って魔法操作の練習をしていたようでした。僕は離れた木陰にいたのでよくわからなかったのですが、キララさん達が第一鍛錬場にやってきて、キララさんが転びそうになったのを、そこにいる獣人の彼が支えたかと思ったら、いきなり彼がキララさんを押し倒したんです」

「は?」


 エドガーの尖った声に、ボアが慌てて話を足す。


「キララが風魔法で攻撃されたので、盾になっただけです!」

「俺は、キララに第一鍛錬場に呼ばれたから行ったら、背中がズタズタなこいつがうずくまってて。あのピエールって男が風を魔法で操ってんのがわかったから、確保したんだ」

「すみません。僕は、キララさんが彼に襲われたんだと思い、助けに行こうとしたんです。そうしたら、こっちの彼がピエールさんに飛びかかって。で、よく見たらそっちの彼は傷だらけだし、キララさんには土の拘束魔法がかかっているしで、僕は土魔法を使っていたジャンさんを取り押さえました」

「なるほど……。ピエールとジャンが故意に二人を襲ったってことか」


 怒りが溢れるエドガーに、三人は真っ青になる。


「俺の妻を襲うなど……」

「えっ?妻?!」

「団長、気づいてたのかよ?!」

「伯爵様、いつお気づきに?!」


 シュナイダーだけが驚きで固まり、イアンとボアはお互いに顔を見合わせる。


「イアン、君、エマ様のこと気づいてたのかい」

「おまえこそ。えっ?何?どういうこと?」


 イアンはエマとの出会いから話し、エマが辺境伯夫人だと知った経緯を話す。エドガーは黙ってそれを聞いていた。そして、エマが騎士団に入った理由、イアンにバレても続ける理由を知り、表情には出さないが内心喝采を上げる。


「エマは……騎士団を辞めたくないと言ったんだな」

「まぁ、そうっすね。騎士団のカッコイイ団長を見たいからって。いや、家で見とけよって話なんですけどね」

「執事のセバスチャンさんは、エマ様が騎士団に入団してから、生き生きしてらっしゃるから、様子を見守ろうっておっしゃってます。とりあえず、エマ様が危ないことに巻き込まれないようにと、俺を護衛に任命してくれたんです」

「君は?」

「ボアです。庭師のドンの息子です」

「ドンの……」


 確かに庭師のドンは獣人だが、子沢山でどの子がボアだか思い出せなかった。


 セバスチャンまでエマが騎士団にいることを把握していたのかとエドガーは驚きながらも、彼が様子を見ようと言うのなら、それなりに理由があるのだろうと思った。


「俺がもっとちゃんと周りを警戒してたら、エマ様に傷なんか……。俺、俺……自分が情けなさ過ぎて」


 ダーッと涙を流すボアに、イアンが肩を叩いて「おまえは良くやったよ!」と励ます。それが傷の上だったらしく、ボアは涙も止まって呻いた。どうやら、痛みでは泣かない性質らしい。


「いや、ボアは良くやった。しかし……エマをどうするべきか」


 キララがエマだと気がついた理由が理由なだけに、気づいた理由を問われたらなんとも答え辛い。しかも、エマは騎士団を辞めるつもりはないと言う。


 危ないことはして欲しくない。しかし、無理に辞めさせてエマの楽しみを奪うのも嫌だ。


「……俺、もう二度とこんなヘマしない。絶対にエマ様を守る。だから伯爵様、エマ様に騎士団を辞めさせないで欲しい!」


 キララがエマだとわかっているなら、討伐の時などは待機組に入れれば良いだけだし、何よりもエマが提案する武器は特殊で、獣人達にはむいているようだった。


 キララのおかげで獣人兵士達が戦力アップしたのは確かで……。


「ボア、今まで通りエマの護衛を。イアン、君もエマの正体を知ったのなら、護衛を頼みたい」

「俺?護衛なんかしたことねぇしな」


 イアンが頭をボリボリ掻きながら言う。


「特別手当てをはずもう」

「よし、任せとけ!」


 イアンは調子良く答える。そこでシュナイダーが恐る恐る手を上げた。


「あの……、僕がこの場にいても良いのでしょうか?今更ですが」


 辺境伯夫人の秘密を共有した形になってしまい、シュナイダーは恐れ多いと身体を縮こませる。


「わかっていると思うが、この話は他言無用だ」

「はい、もちろんであります」


 こうして、エマが知らないところで護衛が二人つき、さらにキララに好意的だった獣人兵士達の間にエマが辺境伯夫人であることが秘密裏に広がり、自称夫人の護衛兵士が増えることになる。


 ピエールとジャンは、獣人を魔法で攻撃した罪により、騎士の位を剥奪され、以降騎士には魔法使用について厳しい規律が追加された。


 しばらくはエドガーの手のひらの上で、エマは辺境伯夫人と獣人兵士の一人二役をこなしながら、推し活にいそしむのだった。



☆★☆第一章 完☆★☆





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