第03話 辺境伯に嫁入りしました

 とりあえず置いてあったタオルで身体を拭き、髪の毛をタオルドライ……って、この長さを乾かすのは半日かかるかもしれない。


(なんかないかな……)


 エマは頭をタオルでグルグル巻きにした状態で、素っ裸で歩き回った。とりあえずガウンを見つけて羽織ってみる。あの薄汚れた服を再度着たくなかったし、鞄に入っている他の二着も洗濯ができなかったから似たようなものだったからだ。


 鏡台の引き出しに小さなナイフを見つけ、エマはタオルを外して髪を束ねて持った。細くてサラサラした髪の毛は手触りがよく、これをカツラ用に売ったら高く買ってもらえるかも……なんて考えながら、首元にナイフを当てた。


「お嬢様!!」


 部屋に入ってきた女性が、いきなり大きな声をだしたものだから、エマはビックリしてそのままザックリ……。


 床にプラチナブロンドの長い髪が散らばる。


「……!!!」


 声にならない悲鳴を上げた女性は、走り寄ってきてエマの手からナイフを取り上げた。


「何をなさるんです!」

「乾かないし、鬱陶しいから切っちゃおうかな……って、駄目だった?」

「髪は魔力の貯まる場所です!それを切り落とすなんて……」


 魔力?

 魔力無しの無能の自分には不必要なものだった。


「なら問題ないよ。私、魔力がないみたいだから」

「そんな馬鹿な……。お嬢様は獣人には見えませんが」

「獣人?!獣人がいるの?」

「えぇ、辺境には多いですよ。奴隷としての獣人ではなく、傭兵としてですが。彼らは魔力はないけれど、力が強かったり俊敏だったりと、戦力として優秀ですから」


 女性は散らばったエマの髪の毛を残らず拾うと、「ああ……もったいない」と言いながら数束の三つ編みを作り始めた。


「何してるの?」

「とりあえず、簡易的ですがお嬢様のカツラを作ってます」

「何で?」

「髪が短い人間はいないんです。髪が短いのは獣人と……うちの伯爵様くらいです」


 女性はアンと名乗り、デュボン伯爵家の侍女とのことだった。エマ付きになると聞き、自分専属侍女など畏れ多いと断ったが、エマは伯爵様の決定ですからと、短くなったエマの髪の毛をアン作のカツラで補いつつ結い上げ、化粧までしてくれた。その出来栄えにの良さに、エマはホーッと感嘆のため息を漏らす。


「特殊メイクみたいですね」


 頭の中にはキララの時の顔があるから、ある意味本当に特殊メイクのように感じる。衣装はアンがどこかから調達してきてくれた。多少色んなところ……主に胸とか胸とか胸を詰めたが、ご愛嬌の範囲内だと思いたいエマである。


「さぁ、伯爵様がお待ちです」


 アンに案内され、エマは書斎のような部屋に通された。壁一面の書庫に、大きくガッシリした執務机。その前には短髪で赤毛の男性が座っていた。座っていてもその体格の良さは見て取れる。


 黒い瞳が手元の書類から離れてエマを正面から見た。


 その鋭い眼光と、右目尻から頬骨にかけてある引き攣れた二本の傷跡は、男の人相を険しく見せていたが、エマは特別怖いとは感じなかった。根っから体育会系のエマ(キララ)は、柔道部だとか空手部の厳つい先輩達にも可愛がられるような脳筋少女だったから、強面に偏見はないのだ。

 はっきり言って、ナヨナヨしたイケメン(第三王子のような)よりは、多少顔は岩っぽくても筋肉質な逞しい男の方がタイプだ。彼氏は二人ほどいたことがあるが、友人からは「キララはいつも顔は二の次だよね」と彼氏に対して失礼な感想をもらったこともある。


 それで言うと、目の前の男性の筋肉はまさに推せる!

 見せる筋肉も悪くはないと思うが、実用的な筋肉、特に戦う筋肉は美しいと思う。執事のセバスチャンも年のわりには素晴らしい筋肉の持ち主だとは思ったが、目の前の彼はまさにパーフェクト……。できれば待ち受けにして愛でたいくらいだ。


「お嬢様、伯爵様が話しかけていらっしゃいますよ」


 アンに耳打ちされ、目の前にいるのがエドガー・デュボン辺境伯だと知る。筋肉に見惚れていたから、周りの音が聞こえていなかった。


「初めまして、相良キラ……じゃなくてエマ・ブランシェです」

「エドガー・デュボンだ。君は……いくつだ?」

「二十歳……だと思います」


 キララは二十歳だ。しかし、エマは何歳かはわからない。でも多分同じくらいだろうと適当に答えた。


 しかし、エドガーからしたら、正確な年齢を言えないだろうエマの環境に思い当たり、聞いてしまったことを後悔する。

 エマのことを詳しく知っている訳ではないが、聖女認定されているのはこの国に三人、かなり高齢な聖女(貴族)と、第三王子の婚約者となった聖女と、この間認定されたばかりのまだ子供の聖女だけだ。

 そして第三王子の婚約者となった聖女が、平民の孤児院出身であることは、周知の事実である。

 孤児であるなら、自分の年齢を正確にわからないことはざらで、それをわざわざ聞くなんて、イヤミかと言われてもしょうがない。


 手紙には、聖女であるエマ・ブランシェをスタンピードを収めてきた褒賞として娶るように……とだけ書いてあり、玉璽が押されていることから、王命であることを示していた。そして、エマのサイン(聖女だった頃にサインさせられたもの)が書かれている婚姻証明書が同封され、すでに神殿の認印が押されている為、エドガーがサインした瞬間に魔法が発動して、正式な夫婦として国に認められることとなる。


 エドガーは正直頭を抱えたかった。


 年齢的に、エマが第三王子の婚約者だった聖女だろう。聖女というからには、今は聖女の能力はなくなったんだろうが、何故なくなったのかわからない。考えられるのは魔力の枯渇だろうが、聖女の能力がなくなるほどの魔力消費とは、いったいどんな無理を強いられたのか。

 そして聖女と第三王子のロマンスの話は、辺境にも届いていた。平民と貴族の純愛とかなんとか、歌劇にもなって辺境でも公演されたくらいだ。

 それなのに、この婚姻証明書の彼女の名前の横に書かれるのは、第三王子の名前ではないのだ。


 目の前にいる小さく儚げ(エドガーから見れば誰でもそう見えなくはないが)な少女は、どれだけ辛い想いをしてきたことか。それなのに、さらに自分と、十も年上でしかも顔に傷のある強面な男と結婚しなくてはならないとは、傷口に塩を塗り込んでさらに踏みつけるくらい酷いことなんじゃないのか?


 そう思うと、少女が不憫でしょうがなくなる。


「エマ、この婚姻は王命だ」


 エマはコクリと頷く。


 ナヨナヨイケメンと結婚するくらいなら、強面辺境伯と結婚できるのはラッキーとしか言いようがない。そこに愛はあるんか?と聞かれたら、まだないとしか言いようがないが、彼の筋肉は推せる。誰かと結婚しなきゃならないなら、彼がいい!と思うくらいには好ましい。

 それに、キララの記憶を思い出したように、いつかはエマの記憶も思い出すのかもしれないが、今はこの世界の常識もわからなければ、生活する術もない。

 結婚すれば、旦那様が衣食住は提供してくれるよね?という打算もある。


 ゆえに、この婚姻はエマ的にはウエルカムなのである。


「君には大変申し訳ないと思うが、五年間我慢してほしい」

「五年?」

「ああ。五年間、白い結婚を貫けば婚姻の誓約は無効にすることができるんだ」

「はあ……?」


(白い結婚とはなんぞや?それに、別に無効にしたいとも思っていないんだけど)


「父親……には少し年が足りないか。兄……叔父……、俺のことは家族だと思って頼ってくれてかまわない。君は好きなことをして、のんびり過ごして欲しい。五年間も若い君を縛り付けてしまうのは申し訳ないが、これも王命だと思って諦めて欲しい」


 エマに向かって頭を下げたエドガーは、推せる筋肉マンなだけでなく、誠実で優しい人のようだった。


「エドガーさんこそ、私みたいな無能をお嫁さんにしなきゃいけなくなって申し訳ないです」


 別に自分を「能無し」だと貶めている訳ではなく、魔力なしを無能と呼ぶんだと、ナヨナヨイケメンに散々言われてからきたので、「魔力なし=無能」という名称のようなものだと思っていた。


「君は無能ではない!そんなことを言ってはいけない。君はこれまで沢山の人を光魔法で救ってきたじゃないか。慈愛の聖女と辺境までその名は轟く程だ。たまたま魔力が枯渇して光魔法を使えなくなってしまったのかもしれないが、ゆっくり休養すれば元に戻るかもしれないし、万が一戻らなくても、君の居場所はここにあるから」


 エドガーはそう言うと、机の上に置いてあったペンを手に取り、サラサラと流れるようにサインをした。

 エドガーがペンを置くと、紙は光を発して弾けたかと思うと、エドガーとエマを包んで消えた。


「今のは?」

「婚姻の誓約が成立した証だな。右手を見てごらん」


 エドガーに言われるまま右手を見ると、手の甲に薄っすら金色の模様が描かれていた。


「何これ?!」


 擦ってみたが落ちず、なんか少し暖かいような気がした。


「それが婚姻の誓約の模様だ。人によって形や大きさが違うんだが、これはまた……」

「何か変なんですか?」

「いや、こんなに複雑で美しい形は初めて見た。しかも金色とは、さすが聖女だな」

「元聖女ですけどね」


 エマはこうしてエマ・デュボン辺境伯夫人になったのである。



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