桜の花弁【一話完結】

私について

一話完結


 私にはお気に入りの場所がある。


 母の故郷の小さな街の古びた祠の側である。毎年夏休み、私は母に連れられてその街に行くのだ。どうしてその祠がお気に入りなのかって?それにはとてもとても深い意味があるのだ、なんて言ってみる。実際はそんなことないのに。

 どうして私がその祠がお気に入りなのかというと、その周りが静かだからなのだ。なぜだかこの街の人たちは、この祠に近づきたがらない。お母さんだってそうだ。いつもは「千夏は自由に遊んでいいよ。子供は遊ぶのが仕事だもの。」なんて言う割に、祠に近づくのは止める。それでも他の街の人ほどは強くは止めない。私は、お母さんも昔はそこがお気に入りだったからなんだろうなと踏んでいる。きっとそうだ。そうに違いない。

 というのは、周りの人に聞かれた時に答える理由だ。実はもう一つ理由がある。それは、おじちゃんがいるからだ。おじちゃんと言っても、高校を卒業したくらいの見た目の若い男性だ。彼は私がこの祠を見つけた時よりずっと前から、そこで絵を売っている。誰も来ないから売れるわけないのにな、と私は思っているけれど、毎年売っているあたり、実は隠れて客が来るのかもしれない。

 私が初めて会ったときも、おじちゃんは地べたに座ってシートの上に広げられた幾つかの絵を売っていた。私がいくら?と聞いてみると、宜しく程度に髭を整えた口元をニッ、と変化させて「2億円」と言った。私はそのとき、コイツの絵は売れないだろうなと思った。でも、なぜ私にそんな意地悪をしたのか気になって、彼の隣に座って聞いてみたのだ。


 「どうして意地悪をするの?」


 というと、彼はその長い髪を指でくるくると絡めとりながら、答えにくそうにしていた。無視されたことに腹が立ったので、彼の前に立ち、目を合わせてもう一度聞いてみた。すると、彼は1度目を逸らし——けれど、もう一度目線を合わせ


 「なあ、嬢ちゃん。こんな怪しい男に話しかけちゃあいけないって、教わんなかったか?」


 と、ボソボソと聞き取りにくい声で言った。私に向かって言っているようでもなかったけれど、ここにいるのは彼と私だけだったので、私は


 「習ってない!」


 と答えた。彼は驚いたように黒目を小さくし、今度は本当にこちらを見た。


 「そんなことはないだろう。こんなに髪は長いし、服も取り立てて清潔なわけじゃない。そもそも路上で——」

 「でも綺麗な絵を売ってる!」


 自虐を重ねる彼を見てられなくて、私はつい大きな声を出した。また驚かせてしまったかもしれないけれど、自分を傷つけている彼が悪いかなって思うから、仕方がないと思う。

 彼は一度深く息を吐き出して、落ち着いた面持ちで


 「そうだな、自虐も良くねえ。俺の悪い癖だ。」


 といい、絵を片付け始めた。もう少し見せてくれと渋る私を、明日もするからまた来いと宥め、彼は祠を立ち去った。

 その言葉通り、次の日にも彼はいた。昨日と同じ絵を並べ、不思議そうに首を傾げながら、来ない客を待ち続ける。もう何年その生活を続けているのだろうか、みすぼらしいながら彼の仕事は様になっているようにも見えた。

 え、どうして彼のことをおじちゃんと呼んでるのかって?そんなに老けてないもんね。私だって初めは彼のことをお兄さんと呼ぼうとしたんだけど、どうしても険しい顔をして、頑として首を縦に振ろうとしなかったからなんだよ。どうしてだろうね。

 脱線してしまったね。で、なんの話だったっけ?ああ、そうそう。なんで祠が好きかって話だったよね。すごく単純な理由なんだけど、あそこで眠るととっても綺麗な夢を見ることができるからなんだ。もちろん夢だから、どんな夢を見たかは覚えていられないんだけどね。

 素敵な夢といえば、おじちゃんが描く絵がそれに一番近いんだ。彼の絵は、花をモチーフにしたものばかりで、どれも夢の中で見る花みたいなんだ。私が値段を聞いた作品も、夜の風景を背景に、桜の花びらが無数に飛び交う美しいものだったんだ。失礼な話なんだけど、おじちゃんが胡散臭い格好をしているというか、こんな綺麗な作品を作る人のような見た目じゃ無いのも事実なんだよね。そういう作品が昔から好きだったのかな。

 次の年も、そのまた次の年も、この街に来ると、私は毎日祠へと向かった。その度におじちゃんは新しい作品を用意して、販売していた。次は3D作品にも挑戦してみようかな、などと嘯く彼を見て、


 「そんな資金ないでしょ〜」


 と軽口を叩けるくらいには仲良くなれたはずだ。彼には内緒だけど、私はこの街に来ていない時期にバイトを始め、その給料をコツコツと貯めている。一年も貯金をすれば、1枚くらい買えないだろうかという適当な考えで始めた貯金だったが、これがどうして結構順調なのだ。久々の客だぞ!喜んでくれるかな。

 


 ——その年はとても暑かった。私の母は私が祠にいることを知ってたし、半ば黙認していた。けれど、それを抜きにしても暑い日だったのだ。いつものように私が祖父母の家を抜け出し、祠に向かった。飲み物と文庫本だけ持っておじちゃんを待ち、彼と話しているだけで時間が矢のように過ぎた。ただ、その日は少し違った。予報にない大雨が降り始めたのだ。門限が近づいてきているにも関わらず、なまじ祠が屋根の下にあるものだから、私は雨宿りしながらおじちゃんと話していた。いつもなら店じまいをする時間になったけれど、彼は帰らずに私と話してくれた。雨に濡れるのが嫌だったんだろうか。

 あまりに私が帰ってこないものだから、心配して母が傘を持って祠まで来た。若干嫌そうではあったけれど、私に傘を手渡した母は、ちらっとおじちゃんの方を見、何も言わずに私の帰りを促した。

 傘を差して帰る私たちは、少しずつ雨に浸食されていった。裾の端や靴下、毛先と少しずつ濡れていく。何も言わずに少し先を歩く私に、母は問うた。


 「毎日毎日、1人で何をしてるの」


 私の足が止まった。

 それ以降の母の言葉は、全部雨の音に掻き消されてよく覚えていない。

 その年の最終日、私はおじちゃんに自分が貯めている金額を伝えた。そして、このお金であの桜の絵は購入できるか、と聞いてみた。

 彼は、


 「まだ少し足らないかな。」


 と言って寂しそうに笑った。

 夏ももうすぐ終わる。

 

 家に帰る車の中で、母は私に伝承を教えた。母の故郷に伝わる伝承だ。


 ——むかしむかし、あるところに、武芸に秀でた一族がありました。武芸を重要視するその一族では、長子は男子、若しくは卓越した武の技術を持つ女性であることが条件とされ、そうでない長子はいなかったことにされていたのだ。ある年に生まれた長子はとても芸術に優れた女性であった。彼女の技術は詩歌・書写・絵画のどれにおいても一目置かれ、各方面から尊敬されていた。けれど、武の方面に秀でていないことからやはり疎ましく思われていたらしく、彼女が『お兄さん』と呼び、慕っていたお付きの右芽を除き、味方がいなかった。

 彼女——鴇姫が成人する年、彼女を疎む一族のものが暗殺を企てた。同じく暗殺対象として狙われた右芽と鴇色は、二手に分かれ、霊木として恐れられていた柳の木の下で落ち合うことを約束した。追手に執拗に絡まれ、右芽がやっとのことで木に辿りついた時、そこには雨によって流されつつある血痕しか残されていなかった。いつしかその柳の木も土地開発の工事で撤去され、その木を祀った祠のみが残されたのだ。

 2人は柳の木に結びつけられるように信仰の対象に含まれ、現代までその意識を残している。当地域に住む住人たちは、早く彼らが信仰、しいては祠から解放されることを望んでいるとこから、祠に近づくことはないのだという。

 

 「私にも彼が見えていたときがあったわ。綺麗な絵を並べているでしょう。彼は、姫がまだ霊木の中で心地よい夢を見ながら眠っていると思っているのでしょうね。それより素晴らしい夢を見せられれば、出てきてくれるのではないかってね。貴方は私の子だから言うけれど、桜の別名は『夢見草』って言うのよ。その絵は貴方に向けたものじゃないの、客が来なくて、売れなくて、正解なの。」


 カーステレオから雨の音を流しながら、母は今までになく優しい口調で諭す。それはまるで昔の自分を懐かしむような調子であった。

 

 その次の年から、私は母の帰省についていくことはなくなった。彼の絵を買うための貯金も少しずつ崩し始めた。私はそのお金を使って画材を少しずつ収集し、絵を描き始めた。今度は私が彼に、いや彼らのために絵を描くのだ。

 


 ——とある地方の小都市にひっそりと佇む祠の横には、まるで夢から飛び出してきたような素晴らしい桜の絵が奉納されているらしい。

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