3-4.あなたさま
戸惑いながらも、
隠れ家のようにひっそりと路地裏にあったこの店は、人気が少ない。それがまた洋風の造りにあるおしゃれさと、洗練された落ち着きを醸し出している。
蓄音機からは聞いたことのない曲が流れ、一階では
(たくさん料理があるのね)
手にした品書きを見て、
女学校にいたとき、母が存命のときもカフェにはきたことはなく、今回がはじめての来店だ。
「おしるこ……チョコレイト……あいすくりん……」
「どれでも好きなものを頼むといい」
「は、はい。色々なものがあるのですね」
つい品書きの項目を口に出してしまい、慌てて唇を押さえる。
とても優しく柔らかい微笑を見て、
(さっきからわたし、おかしいわ。心臓の病だったらどうしましょう)
「俺は紅茶とあいすくりんにしよう。君は、どうする」
「え、ええと……紅茶、と、おしるこを」
うつむいたまま、答える。
紅茶なら数回、姉がこっそり飲ませてくれたことがあった。しるこは同級生が「甘くて美味しい」と話していたことを記憶している。
「わかった。鬼子、紅茶二つにあいすくりんとしるこを一つずつ」
「……
「なんだろうか」
沈黙を裂くように
「お着物、ありがとうございます。こんなによくしていただいて、わたしは幸せ者です」
「……俺のわがままに付き合ってもらっているだけだ」
「それでも心遣いがありがたいのです。何かお返しができればいいのですが」
「ならば一つ……その、頼みがあるのだが」
「わたしにできることでしたら」
「
「呼び方を、変えてほしい」
あ、と
「これは失礼をいたしました、
「いや、その、違う。俺は確かに
「……?」
「君もいつか
「そう……ですね」
「せめて……せめて、あなたさま、と。そう呼んでみてはくれないか」
「あなたさま……」
呼べばどくん、とまた一つ、心臓の鼓動が大きく鳴った。
夫を呼ぶ言い方に、そして体の異変に多少、慌てる。
「あ、
「呼び方」
「……あ、あなた、さま。これで……よろしいでしょうか」
「体の調子が、どうおかしいんだ。疲れたか?」
「いえ……心臓がどきどきして、体や頬がほてってしまって」
「ああ、それなら大丈夫だ。前者なら俺も、同じだから」
「同じ?
「あれには治せないだろう。それにこれは病だが、医者の出る幕ではない」
目を伏せて口角を上げる彼に、
医者の出る幕ではない病。致命的な、致死率が高いものなのか、考えると恐ろしい。
「困ります、それに怖いです。皆さんがかかって治らなかったら、と思うと」
「怖れることはない。君は、本当に優しいな」
「優しい……」
そうだろうか――と内心悩んだとき、
眼前に置かれた、紅茶とおしるこの
「とりあえず食べよう。ここの餅も、牛乳も絶品なんだ」
「は、はい。いただきます……」
食べれば体もよくなるかもしれない。そう思い、しるこをすくって口に含む。甘くて、ほっぺたがとろけ落ちそうだ。
「美味しい。甘い……」
粒あんを
紅茶にも手をつけてみた。隠れて飲んだ際とは違い、日本茶とは異なる異国の風味を堪能できる。
「
「はい?」
名を呼ばれ、軽く口を開けて返答した瞬間。
「ひゃっ」
冷たい匙が唇につき、驚く。
「一口食べてみるといい」
「あ……」
吐息を漏らせば、押し出された氷菓が真鶴の口腔に滑りこんでくる。
その冷たさ、そして仄かな甘さといったら、また美味だ。知らない味に目を閉じ、うっとりする。
「美味いだろう」
「……はい、とても」
子どものときのように食べさせられたことを恥ずかしく感じつつ、瞳を開いた。
「あ、あま……いえ、あなたさま。
だが、
伸ばした指は届かなかった。そのまま
「甘い」
「あの、
「今日のこれは、とりわけ甘く感じるな」
そのまま、なぜか嬉しそうに氷菓を食べ続ける彼に、真鶴はまいってしまった。
(わたしが口をつけたものなのに)
これ以上止めるのも無駄かもしれない。そう感じ、大人しくしるこを食べる。
しかし不思議と、彼からもらったあいすくりんの方が、美味しく感じた。決してしるこが不味いわけではないはずだ。
「どうしてかしら……」
「まっ、
呟いた声が、聞き馴染みのある声音にかき消された。
体がびくりと跳ねる。悪寒が背中を伝う。
「ご機嫌うるわしゅう、お二方」
おそるおそる階段の方へと視線を向ければ、そこには声のあるじ、ふゆ
「ふゆ
「……こんにちは」
「お二人で逢い引きでしたかしら?」
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