月光の下で

 そこで何かに気付いたシキガミは、大きく眼を見開いた後に自己紹介をした。


「あ、大変失礼を致しました。私は式上徹と申します」


 ぺこり、と丁寧に腰を折るシキガミ。


「知っている」

「そうでしたか。名前を覚えていただき、ありがとうございます」


 こいつは本気で言っているのだろうか。

 戦闘態勢は変わらず維持しつつも、あまりにも想定外なシキガミの行動に、カーマインは調子を狂わされてしまう。柔らかい物腰にも関わらず表情には乏しく、しかも手には血を付着させ、首には赤くにじむ傷跡があるのも余計に不気味だ。


「我が名はカーマイン。元魔王軍幹部だ」


 だから思わず名乗ってしまった。気圧されたのもあるし、何となくこの場ではそうすることが正解のような気がしたのだ。


「カーマインさんですね。よろしくお願いします」


 よろしくお願いしますとはどういうことか。深く深く考えるカーマインはその場から一歩も動くことが出来ない。


 対するシキガミは何やら腕を組み、少し考える様子を見せた後、どういうわけか右手を開いたままこちらに差し出してきた。

 人間についてある程度の知識があるカーマインは知っている。これは握手という、互いが信頼関係にあることを示すための、人間特有の儀式のようなものだ。

 しかし、このような状況で、自分に対して攻撃を仕掛けて来た相手にそのようなことをしようとする人間がいるわけがない。

 これは罠だ。握り返せばやられる。そう悟ったカーマインはより警戒を強め、一歩後ろに下がった。


 それを見たシキガミは少し残念そうな表情をして腕を引っ込める。


「それであの、本日はどういったご用件で……?」

「見てわからぬか?」

「申し訳ありません。以前勤めていた職場の上司にもよく、見ればわかるだろうとか、説明しなくてもわかるだろうと言われていたのですが、私は察することが出来ず怒られてばかりでして、説明していただけると」


 何を言っているのかよくわからないが、こんなにあからさまな状況を隠しても特に意味はないだろう。

 というより、さっさと戦闘に突入してしまいたい。騒ぎを聞きつけて誰かがやってくる可能性も全くないとは言えないのだ。


「お前を殺しに来た」

「やはりそうですか。いえ、もしかしたらとは思ったのですが、何事も決めてかかるのは良くないと考え、質問させていただいた次第です」

「それは殊勝なことだな」

「恐縮です。では、先ほどの行動は私の首を切ろうとした、ということで間違いないのでしょうか?」

「他に何がある」

「失礼しました」


 カーマインはようやく一つの事実を理解した。

 それは、シキガミ=トオルとはこういう一風変わった性格をしていて、行動原理をいちいち考えるだけ無駄、ということだ。

 今後付き合っていかなければならない相手ならいざ知らず、今日どちらかが死ぬのだから尚更だろう。


 さあ、戦闘開始だ。

 カーマインが左足を一歩前に出し、大きく息を吸い込んだところでシキガミから声がかかる。


「考え直していただくことは出来ませんか?」


 またも拍子抜けをくらったカーマインは、若干の苛立ちを感じながら答える。


「無理な相談だな」

「差し支えなければ理由を教えていただきたいのですが」

「上からの命令だからだ」

「その上、というのは」

「教えるわけがないだろう」


 暗殺者や傭兵ならばこんなことは当たり前だ。恐らく、シキガミはそういった界隈の人間ではない。先程からの反応を見ていればとぼけているということもないだろう。

 だが、間違っても農夫などではない。とはいえ、いくら調べたところでとうとう真実はわからなかった。


「私はあなたを殺すつもりはありませんし、殺されたくもありません」

「こちらはそうもいかない」


 今までそのように言う標的は数多くいた。このような話合いはいつでも平行線で、つまるところ時間の無駄だ。

 問答無用。まだ何か言いたげなシキガミに向かってカーマインは駆け出す。


 相手の力は計り知れない。反撃を受ける前に勝負を決めてしまいたい。

 カーマインは驚くシキガミの首に向かってもう一度短剣を振る。確実に捉えたと思ったその攻撃はしかし、敵の腕にガードされてしまう。


 衝撃。


 腕と短剣が激しくぶつかり合った。

 やはり、どう考えても腕を切っている感触ではない。かと言って魔力を操作した気配もない。一体これはどういうことなのか。

 だが、カーマインの驚愕はそれだけでは終わらなかった。


「なっ……!」


 思わず声をあげてしまう。

 何と、短剣の刃が折れてしまったのだ。


 それを見たシキガミも、思わず動きを止めて口を開いた。


「申し訳ありません。その短剣はこちらで弁償させていただこうと考えているのですが現在持ち合わせがありませんので、請求を騎士団の方に……」


 しかしその言葉はカーマインの耳には届かない。

 有り得ない。人間の身体を斬ろうとして刃が折れることなどあってたまるものか。

 必死に短剣の弁償をしようとしているシキガミの言葉を遮って、カーマインは今更なら疑問を投げかける。


「お前は一体何者だ?」


 シキガミが一瞬固まってから答える。


「式上徹と申します」

「知っている」

「私としても先程お伝えしたばかりなのでおかしいなと思ったのですが、何者かと聞かれるとそれ以外に答えようがありませんので」


 懐から予備の短剣を取り出し、構え直しつつカーマインは思索を巡らせる。

 敵が何者なのかは一旦置いておく。とにかく、初手の首への攻撃で傷を負わせることが出来た以上、無敵というわけではなさそうだ。

 再びその双眸に闘志を宿らせるカーマインに対し、シキガミは相も変わらず感情の伺えない表情で口を開いた。


「あの」

「何だ」

「なるべく早く家に戻らないといけないのですが、この戦いはいつまで続けるおつもりなのでしょうか?」

「どちらかが死ぬまでだ」


 するとシキガミは、顎に指を当てて何かを考える仕草を見せた。


「なるほどわかりました。しかし、よろしいのですか?」

「何がだ」

「あなたは自殺する気はおありではないですよね」

「当然だろう」


 ほんのわずかではあるが、カーマインは語気を荒げてしまう。しかし、その次に発せられたシキガミの言葉は、その苛立ちを更に加速させるものとなった。


「では、私があなたを殺すことになりますが、それは大丈夫でしょうか?」

「何だと?」


 眉根を寄せ、短剣を握る手に力が込められる。

 この人間は自分が勝利することが当然のように語っている。魔王の懐刀とも呼ばれ、魔王軍幹部の中でも一目置かれていたこのカーマインに。

 プライドをひどく傷つけられたカーマインは、怒りの感情が爆発し、まるで血が沸騰するかのような錯覚を起こした。

 感情に任せて叫ぶべき言葉が喉元までせりあがって来ていたその刹那、しかし何とか我に返って踏みとどまる。


 落ち着け。今のはこちらの冷静さを失わせるための敵の策略だ。もしそうでなくともそういうことにしておこう。

 末恐ろしい話もあるものだ。自分のように人間側にも敵対する魔物のことを理解し、更にそれを戦いに利用しようとする者がいるとは。


 完全に平静を取り戻したカーマインは、むしろそのような相手がいるこの状況を楽しむ余裕すら出て来た。口の端を吊り上げてシキガミの質問に答える。


「いいぞ。やれるものならやってみろ」

「ありがとうございます」


 何故感謝されるのかはわからないがもう考えるのはやめだ。

 シキガミは半身に構えて右腕を引き、ためを作った。そのまま大きく一歩を踏み出して眼前に迫る。恐るべきスピードだ。


 来る。


 相手の拳が目にも止まらぬ速さで突き出された。


 速い。


 攻撃を見切ったつもりのカーマインだったが、想定外のスピードにベストの回避タイミングより少し遅れて横にずれる。

 しかし、これならかするだけでダメージはほとんどない。


 カーマインがそう思いながら次の動作に移ろうとした時だった。


 シキガミのストレートから生まれた衝撃波が、まるで突風のようにカーマインの身体に襲い掛かる。

 まさかただの殴打がそのようなことになるとは思わず、油断していたカーマインは慌てて身体に魔力を込めて踏ん張るも、数歩たたらを踏んでしまう。頬からは血が流れ、仮面が吹き飛んで壊れた。


 次の攻撃が来る。


 慌てて体勢を立て直すも、気付けば既にシキガミが目の前にいた。次は攻撃を回避している余裕はない。

 腕を交差させ、顔の前に構えて魔力をありったけ込める。


 衝撃。


 まるで巨大な丸太を高速で打ち出したような殴打に、カーマインは成す術もなく後ろに吹き飛ばされてしまう。

 受け身を取りつつ転がり、即座に起き上がって次に備える。


 だがシキガミは攻撃を繰り出さず、こちらを見つめたままぼうっとしていた。


「魔物……」


 確かに自分は魔物だが、今更それが何だというのか。


「魔物の方だったのですか?」

「何だと?」


 カーマインが眉根を寄せる。


「お前まさか、今まで私が魔物だと気付かなかったのか?」

「ええ、はい。それはもちろん」


 どうやら仮面が壊れて顔を見たことでようやく気付いたらしいが、いくら何でもそんなことはあり得るのだろうか。

 確かに今となっては魔物は珍しい存在になってしまったが。


「私の腕を見て何とも思わなかったのか?」


 さすがに戦闘中は腕を隠し切れない。


「随分毛深い方だな、とは思いましたがそれだけですね」


 カーマインは念のために自身の腕を確認した。

 水色に輝く毛でしっかりと覆われているし、その量はどう考えても人間のものではない。少なくともカーマインはここまで毛深い人間を見たことがなかった。これも動揺を誘うための手口なのだろうか。

 そして更に、自身の腕や周囲の状況を確認したことで、もう一つの驚くべき事実に気が付く。

 そう言えばこの男、夜目が利いている。


 確か人間は基本的に暗闇では視界を奪われるはずだ。なのにシキガミはカーマインの居る場所に向けて正確に攻撃を仕掛けてくる。

 それに、その攻撃も規格外の威力を持っているというのに、魔力を操作した気配はやはり全くなかった。


 一体何がどうなっているのか。

 人間だとすれば異常という言葉ですら片付けられなくなっているし、人間でなければ後は魔王、いや、もしかするともっと上位の存在かもしれない。

 所謂、神……。


 カーマインに戦慄が走る。

 何か自分はとんでもないものに触れているのかもしれない、と頬に一筋の汗が伝うのを感じながら、そんなことを考えていた。

 だが、それでも立ち止まるわけにはいかない。暗殺の出来ない自分に存在価値などないのだから。


「おおおっ!」


 これまで発したことのないような、感情を乗せた叫び声をあげながら、カーマインは決死の形相でシキガミに切りかかった。

 呆けた目で前方を眺めていたシキガミだったが、それを見るやすぐに腕を顔の前でクロスさせて防御態勢に入る。


 そのまま短剣を振り下ろす――かに見えたカーマインは、敵の背後に回り込んだ。


「はぁっ!」


 がら空きの背中。

 カーマインはその首を目掛けて全力で魔力を込めて短剣を振った。強い衝撃と共に命中し、確かに傷がついたことを確認する。

 やはり、攻撃が通らないということはない。どういうわけか相手は動きが素人だ。このまま地道に削り続ければ……。


 と、そこまで思考をした時だった。


 ごうっ。


 とてつもなく重い何かが、高速でカーマインの横を通り過ぎる。それと同時に視界がめまぐるしく回転し、気付けば身体は地面に横たわっていた。


 何だ今のは?


 状況が呑み込めないカーマインは、とりあえず起き上がろうと左腕を地面について踏ん張ろうとした。しかしうまくいかない。というより左腕が動いていない?

 どうなっているのかと左を見た瞬間に息を呑む。


 左腕が、ない。


 カーマインの左腕は付け根のほんの一部を残して全て持っていかれていた。


「ああああああっ!!」


 それを認識した瞬間に痛覚が機能を取り戻す。

 あまりの激痛にカーマインはのたうち回り、叫び声をあげた。もはや村の住民に気付かれるなどと、そんな常識的な思考は吹き飛んでしまっている。


「も、申し訳ありません。今回は少し痛かったのでびっくりしてしまい、思わず反撃してしまいました。本当は少しでも早く楽にして差し上げるべく、頭部を狙うべきだったのですが……」


 どこかにいるらしいシキガミの声が自分の叫び声の奥から聞こえてくる。


「今更ではございますが、これから早急に頭部を潰して楽にして差し上げますのでご容赦願います」


 殺される。逃げなければ。

 しかし左腕がないのと思考が痛みによるパニックで冷静になれない。今からでもハイドを使って一瞬でも時間を稼ぐべきか? いや、そもそもこいつが本気を出せば姿を隠したところで意味などないのではないか。

 そうこうしている内にも敵の足音は刻一刻と近づいて来ている。


 しかし、そこで唐突に、カーマインの脳裏にはある人物の顔が思い浮かんだ。


「魔王様……」


 自分がこの世で最も慕い、仕えるべき人物。いつの日にか必ず復活して魔物たちを導いてくれるであろう存在。

 その魔王の顔が何故今このタイミングで?


「では、さようなら。魔物の方」


 シキガミがカーマインの側で片膝をつき、拳をゆっくりと持ち上げる。


 ああ、そうか。

 これまでに戦った人間たちは、追い詰められて死が目前に迫ると、いつも親や恋人、もしくは遠く離れた場所にいる誰かなど、彼らにとって最も大切だと思われる人物の名前を呟いていた。

 カーマインにはその理由がまるで理解出来なかった。


 今、この瞬間までは。


 シキガミの拳が、死神の鎌が振り下ろされる。

 

 それを見てカーマインはある一つの可能性に思い至った。

 この世界には魔法とは別に加護という特殊な力が存在する。

 それは魔法のように意図をしなくても勝手に発動するものであり、例えば他者よりも魔力が高くなるだとか、魔法の発動が早くなるだとか、回復魔法の治癒力が高くなるだとかそういった、些末だがあると便利、というものだ。

 そして、加護は神から授かる者とされている。

 シキガミのように力が異常に強くなり、身体が硬くなるなどといった加護は聞いたことがないので勝手に可能性を排除していたが、もはやそれしか有り得ない。

 そして、本当にそのような加護を受けているのだとしたら、このシキガミという男はまさか。


 しかし、それがわかったところで後の祭りだ。もうどうしようもない。


 いよいよ死神の鎌の穂先が目前に迫る。

 その死神の顔を見た。眼鏡に月光が反射しているせいで、その表情を伺い知ることは出来ない。


 ティオ……。


 死の直前にカーマインが思い出したのは、全身痣だらけで屈託なく笑う、人間の子供の姿だった。

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