宵闇の中に生きるということ

「ねえねえ、今日は何をして遊ぶの?」


 回想に耽っていたカーマインは、ティオの無邪気な声で意識を引き戻された。


「知らん」

「えー」


 知識欲が旺盛なカーマインとしては、人間の遊びに付き合うというのは悪いことではない。だが何をしようかと問われては困る。人間が普段どのようにして時間を潰しているかなど知る由もない。

 これまでも遊びには付き合ってきたが、全てティオから提案されたものだ。


 そういえば、とカーマインは肩に下げていた鞄からチェス盤を取り出した。

 何か人間が遊びに使う道具を、と報酬に要求すると、エマニュエルが何故そんなものをと言わんばかりの表情をしながら用意してくれたものだ。


「これならどうだ」

「チェス?」

「ああ、これなら俺もわかる」

「僕がわからない」


 何ということだ。

 カーマインは荷物をテーブルに置いて椅子に腰かける。


「人間もチェスをするはずなのだが」

「うん。するよ」


 ティオもカーマインの向かい側に座った。


「まさかやったことがないということか?」

「そうだよ。他の人がやってるのは見たことあるけど」


 魔物は娯楽が少ないので、意志を持ち、遊びに興じることが出来るものは大体皆が同じものを一通りやっている。チェスもその一つだ。

 だから人間もチェスをする=人間は全員チェスをしたことがある、と勘違いしてしまっていた。


「今日は他にやることもない。教えるからやってみろ」

「わかった」


 そこまで言ってはたと気が付いた。これでは意味がない。

 人間の遊びを知ることが主目的でティオに付き合っていたのに、自分から教えては本末転倒ではないか。

 何故、自分から提案するような真似をしたのだろう。そもそも人間が遊びに使う道具を報酬に要求した時点からおかしい。


 カーマインは頭を振る。まあいい。人間が新しい遊びに対してどういう反応をするのか観察するのも悪くない。

 チェス盤と駒をテーブルの上に用意し、一通り並べた。


「まず、駒はこのように並べる」

「ふ~ん」


 頬杖をつきながら気の無い返事をするティオ。

 あまり興味がなさそうだが大丈夫だろうか。もっともこの子供は飽きれば飽きたというのでそれまでは進めよう。


「それから……」


 次は駒の動かし方を説明した。


「クイーンが全部、ルークが縦横、ビショップが斜め?」

「うむ」

「キングは全部に一つだけ、ナイトはこう、ポーンは最初以外一歩だけ」


 ナイトだけ口で説明するのが難しかったらしく、実際に動かしてみせる。


「そうだ」


 これまでは向こうから提案してきた遊びばかりをやってきたのでわからなかったが、ティオは飲み込みが早い。

 少なくとも、これまで共に娯楽に興じて来た魔物たちよりは。ならば次は人間同士での差異を確認したいところだが、それは叶わぬ望みだろうな、とカーマインはティオに気付かれないように嘆息した。


「ねえねえ、これだけ覚えたら二人で遊べる?」


 ティオが目をきらきらさせながら聞いて来る。

 カーマインはこれがどうにも苦手だった。


「ああ。まだ細かいルールはあるが、ゲームとして形にはなるだろうな」

「やった! じゃあやろう!」


 そう言って、駒をうろ覚えの手つきで並べ始める。

 やれやれ、と大きく息を吐きながらもカーマインの口元はわずかに綻んでいた。


 それから数日が経ったある日の夜。

 貧民街が宵闇に染まり、虚ろな目をした者や、狂気を孕んだ瞳で呪詛のようなものを呟く者たちが徘徊をする時間帯にカーマインは自宅で身支度を整えていた。

 戦闘用の装備を身に纏い、その上からいつものローブを羽織って仮面を着けていると背後から聞き慣れた声がした。


「こんな夜中にどこに行くの?」


 ティオだった。不安と期待の入り混じった目でカーマインを見上げている。遊びに行くなら連れて行って、というところだろうが、薄々そうではないことに感づいているのだろう。


「仕事だ」

「そっか」


 仕事には何があっても連れて行けないと言い聞かせてある。

 聞き分けのいいティオは俯きながらぐっと拳を握っていた。だがその腰に剣を帯びているのが目に入る。


「おい」

「ん?」

「お前、普段はここまでどうやって来ているんだ?」


 最近わかったことだが、常時武装している人間というのは少数派のようだ。ましてや子供ともなるとティオ以外には見たことがない。

 そして、この辺り一帯は人間同士で争いが起きやすい場所らしい。


 ティオは何故そんなことを、と言わんばかりにぽかんとした顔で答える。


「歩いて来てるよ」

「そういうことではない。ここは人間同士での争いが起きやすい場所だ。成長途上で身体の小さいお前が生き残ることも難しいのではないか?」


 理解が及んだようで、ティオははっと目を見開くと腰に帯びていた剣を抜いた。


「これだよ」


 木で出来たもので、しかも状態がいいとは言えないが剣は剣だ。ティオが使うのに丁度いいくらいのやや短めのものだった。


「ほう。お前、剣を扱うのか」

「我流だけどね」

「それでここいらの人間を殺しているのか?」


 木剣でも使い方によっては命を奪える。

 しかしティオは驚き、とんでもない、という表情をした。


「追い払っているだけだよ。護身用。人は殺したくない」

「しかし、体格差や経験差を覆すとは中々やるではないか」

「そうかなあ? えへへ、この辺の人たち、勢いはすごいけどそんなに強くないから」


 本人はこう言っているが、恐らく腕前は子供だからと馬鹿に出来ない程度のものであるには違いない。

 人間の子供が大人を追い払うというのはそれだけ大変なことだと、カーマインは推測している。


「今日はもう時間がないが、今度剣を見てやろう」

「え、カーマインも剣を使えるの!?」


 驚きに目を丸くするティオ。その顔からは喜びの光がきらきらと溢れている。


「剣どころか様々な武器の扱いを心得ている」

「すごい! じゃあ約束ね!」

「ああ。仕事から帰って来たらな」

「剣だけじゃなくて、チェスもだよ!」

「わかっている」


 笑顔のティオに見送られて自宅を後にした。


(約束、か)


 カーマインは声を抑えながらくつくつと笑う。

 元魔王軍幹部である自分が人間の子供とあのような約束を交わすなどと、魔王様や同胞たちが見たらどう思うであろうか。


 実を言えば、冷静かつ聡明なカーマインは自身がティオに向けている、この謎の温かい感情にとっくに気が付いていた。

 これは恐らく「愛」というものだ、と。

 戦争をしていた頃ですらも戦闘中に人間と会話をし、率先して彼らの研究をしてきたカーマインは愛に詳しい。

 カーマインがティオに抱いているのは愛の中でも「家族愛」と呼ばれるもので、血の繋がった親や兄弟に向けるもの。つまり、カーマインはティオを自分の子供、もしくは弟のように感じているのだ。


 しかし、わかっていてもカーマインは己の中に芽生えた感情を否定しない。

 理由は至って簡潔で、人間を特別に嫌っているわけではないからだ。


 魔物が人間を襲うのは本能に刻まれた行動である。

 理屈云々ではなく、人間を見ると憎しみや怒りといった負の感情が突如として沸き起こり、気が付けば牙を剥いてしまうのだ。

 だが魔王軍幹部で知性の高かったカーマインは、理性で本能を抑え込むことに成功した。 

 そしてある日気が付いてしまったのだ。人間を嫌う理由が存在しないことに。


 とは言っても、それを成し遂げたのはカーマインだけではなかった。意志を持つ者で更に知性の高い者はほぼ例外なく、それをわかった上で人間と敵対していた。見下していた、という方が正確だろうか。

 だから、カーマインは人間を嫌いではない、ということを隠すことにしたのだ。まあ魔王にはばれていた気もするが……。


 そしてそれは、よりにもよって魔王が滅んだことで役に立った。

 人間を憎んでいないが故に、人間に頭を下げることに躊躇がなく、おかげでこうして生き永らえることが出来ている。命がなければ、魔王が復活しても仕えることは出来ないのだ。


 あれこれ考えている内に南門の前まで来ていた。

 夜間でも人の出入りはある。門が開いたタイミングを見計らってハイドを発動させ、誰にも気付かれぬように街を出た。


 街道には穏やかな風が吹きつけていて、カーマインが着ているローブをばたばたとはためかせていく。仮面が外れないよう念のために手で抑えた。

 グラスの村まではそれほど遠くない。

 カーマインの足なら走ればすぐに着くのだが、焦っても仕方がない。歩いて到着する頃に丁度ターゲットも外に出ると言う計算だ。


 そう、今日は遂にシキガミ暗殺を実行する日なのであった。


 ここ数日は何度もターゲットの元に足を運んで観察した。

 先日の失敗もあり、今度はどうやっても相手が見えない位置から念入りに姿を隠して行ったのだが、さすがにばれなかった。

 そして情報を集めた結果、相手はどういうわけか、いつもこのくらいの時間帯から村近辺の林に出かけて樹を殴っているようだ。その際、たまに誰かが連れ添ってはいるものの基本的には一人になる。

 だからこの時間帯を狙うことにしたのだが、問題はその樹を殴るという行為だ。


 ただ樹を殴っているだけならいい。しかし、シキガミは人間であるにも関わらず素手でそれをへし折ってしまっていた。


 確かに魔力を使って膂力を上昇させるという方法は存在するし、それがあれば人間でもそのようなことをすることは可能だ。だが、その時のシキガミには魔力を操作したような気配はなかった。

 自分より強大な魔力を持つ相手の魔力の流れというのは探知しづらい。故にシキガミがカーマインよりも強い魔力を持つという可能性も存在するが、そんなもの勇者や魔王くらいしかいない。

 いずれにせよ、シキガミという男はとてつもない脅威だ。


 しかし、それほどの力を持った者が何故、これまで噂にもならなかったというのか。存在を秘匿されていた? そのような様子ではないし、そもそも秘匿するメリットが人間側には薄い。

 こちらはこれ以上考えても仕方のないことだろう、とカーマインはこの問題に結論をつける。


 だが、そこまでわかってもなお、カーマインは暗殺の決行を決断した。暗殺の出来ない自分に存在価値はないからだ。それに付け入る隙はあると考えている。

 魔力を使っていないというのなら、身体の方はもろいはず。樹を殴るほどの衝撃に耐えるのだから多少は頑丈なのだろうが、こちらも全力で行けば首を斬ることくらいは出来るだろう。

 問題は膂力を上げる為に魔力を使うので、ハイドを解かなければならないことだ。つまり失敗をした場合は姿を見られることになるので、逃げることも出来ない。故にその場で総力戦となる。

 それでも勝てるとは思うが、やはり首を切ってすんなりと終わらせるのが望ましい。


 さて、目的地の近辺、グラス村郊外に到着した。

 カーマインは早速ハイドを使用して姿を隠す。それから素早く林の中を進んでいくといつもの場所に標的はいた。シキガミはいつものようにそっと、時にはやや強めに殴って樹を折っている。

 何をしているのかは相変わらずよくわからないが、それはどうでもいい。


 これが終われば自分か相手のどちらかは死んでいるのだから。


 カーマインは今回の任務で自分が死ぬ可能性を考えていた。

 死ぬことに恐怖は感じない。だが心残りはいくつかある。

 それは、再び魔王に仕えることが出来ないこと。そして、ティオを実質的に一人にしなければならないことだ。

 実はそうなった場合を考慮して、遺書をエマニュエルに預けてきた。自分が帰って来ない場合はこれを読んでくれと。


 そこには、これまで親交があることを告げていなかった、人間の子供の面倒を自分に代わって見てやって欲しい旨が書かれている。

 チェスを教える約束を交わしていたのだと。


 カーマインは夜空を見上げた。

 雲に遮られた朧な月の姿がどこか儚げでティオを連想させる。あの子供はカーマインの前では常に元気だったが、いつも身体には痣があった。

 ああそうだ、剣を教える約束もしたことを遺書に書き加えなければならなかったな、とカーマインは微笑みながら視線を目の前の林に戻す。


 標的は少しずつ近づいてきている。カーマインは腰に帯びた武器のうち短剣を抜きながら慎重に距離を詰めていった。

 シキガミはこちらに気付くこともなく、時折首を傾げたり、「これくらいかな……」と独り言を呟いたりしながら樹を殴り続けている。今日はまだ一本も樹を折っていないようだ。


 遂に腕を伸ばせば届く距離にまできた。やはりこちらに気付くことはない。

 静かに背後に回り、深く息を吸い込んでハイドを解く。その瞬間、一気に短剣を相手の喉元へと据え、魔力を込めて全力で横に引いた。


 硬い。人間を切る感触ではない。


 まるで樹皮の硬い樹を切ろうとした時のようだ。

 失敗を確信せざるを得ないカーマインは慌てて後ろに飛び、もう一本の短剣も取り出して構え、戦闘態勢に入った。

 しかし、件のシキガミはまるで何があったのか理解出来ていない風に、のんびりと喉元をさすりながら背後を振り返る。攻撃は無駄ではなかったようで、首からはわずかに出血していた。


「あれ?」


 シキガミはカーマインを確認するなりそんな声を発した。


「えっと……」


 やはり今、こちらに気付いたようだ。対応を決めかねているらしい。声色からして困惑しているらしいことが窺える。


「どちら様でしょうか?」


 次にシキガミが発したのは、呑気な誰何の言葉だった。

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