第33話 三十二章 人の心が分かるというのは、霊能者か詐欺師なんだぜ

 それは、スタイリッシュな篠宮が仮面を脱ぎ捨てた、心からの叫びだった。


『お前に何が分かる!』


「分かるわけないだろ。分からないから、互いに理解しようと努力するんだろ?」


 加藤としては、割とまともな言い分だ。

 しかし篠宮は口の端が上に向く。


「努力だと? 無駄だよ、そんなもの。お前、知ってるか? 電気とガスはすぐに止まるけど、水道だけは、しばらく止まらないって」


 加藤も知っている。

 特に集合住宅なら、尚更だ。

 だが、水道すら止められて、近くの公園まで出向いたことなど、この場で流石に言えない。


「親って言っても、父は蒸発。母は宗教狂い。置き去りにされた子どもが、食べ物もない灯も点かない部屋で、どうやって過ごしていたか、お前に分かるのか」


 加藤には、冬の木枯らしが聞こえた気がした。

 真っ暗な部屋で、膝を抱えてじっとしている少年の姿が浮かんできた。


「俺は、親への恨みつらみで生きて来た。あいつらが殺されようが、行方不明だろうが、今更どうでも良い。せめて金でも残してくれればな」


「その金のために、母親に手をかけたのか?」


 篠宮の目が大きくなる。


「な、何を」

「さっきも言ったけど、殺人をごまかすための、時限発火装置だろ?」


 加藤は篠宮に一歩踏み込む。


「あんたが、放置された子どもだったことは分かった。今なら児相案件だ。親に恨みを抱えているのも、それは仕方ないことだ。

でも。それで殺人や放火を、正当化することは出来ない。」


「うるさいよ、お前! 俺は、やってない!」


 篠宮はエアコンが効きすぎている室内で、額から大粒の汗を浮かべ、大声を出す。

 音竹の母は、俯いて震えている。

 あと一歩。

 篠宮の心に入り込むことが出来たら……。



 加藤が言葉を繰り出そうとした時。


 ギーコ、ギーコ……。

 

 重みを乗せた車輪の音が近づいて来る。


「わ、亘の……」


 車輪の上の方から、声が聞こえる。

 細く小さい老女が、車椅子に乗っていた。


「亘の言う通り……。亘は殺してない。……火も点けてない」


 篠宮は口を開けたまま、立ち尽くしている。


「か、母さん!?」


 ようやく振り絞った声を上げ、篠宮は車椅子に手を伸ばす。

 車椅子に乗っているのは、篠宮亘の母、篠宮啓子だった。


「あなたは、刑事さんですか?」


 篠宮啓子は加藤を見つめる。


「いえ、一介の養護教諭です」

「そうですか。亘がお世話になっております」


 車椅子から頭を下げる啓子の手を、篠宮が握る。


「ロウソクの火の不始末で、火事を起こしてしまいました。私のせいです。亘には、何の咎もありませんよ」


「なるほど、そういうことなら、確かに篠宮先生には、何の罪もないですね」


 しれっと加藤は答える。

 加藤の視野に、涙を流す篠宮の姿が映っていた。

 

「俺は刑事じゃないし、他人様を裁くつもりも権利もないです。俺は子どもの心と体を、守るためにここにいる」


 啓子は目を細める。


「ふふ。変わった人だね。あなたの背後には、地蔵菩薩が見えるわ」

「そうですか。俺は毘沙門天の方が良いですけどね」


 今野は篠宮啓子の背後から、顔を出す。


「兄さん、どうする? まだ探偵ゴッコ続ける?」

「いや、十分だ」

「そかそか。一応調書でも取っておくか?」

「任せるよ」


 篠宮は、母の車椅子を押し、今野に案内されて別室へ移る。

 すうっと篠宮の横に近付いた憲章が、ぼそぼそと何か言っている。


 篠宮は憲章に、頭を下げた。


「さて、火事の話は今野の爺さんに任せるとして……」


 加藤は音竹の横に座る。


「がっかりしたか? 主治医の篠宮センセのこと」

「いいえ。ただ……」

「ただ、何だ?」


「僕も、僕の亡くなった父のことを、きちんと知りたいと思いました」


 音竹の母樹梨の体が、ビクっと跳ねた。




 別室で、篠宮は今野にぽつぽつと、火事の起こった日のことを話していた。

 

「ほとんどは、先ほどの彼、なんでしたっけ、ああ、そうだ加藤。あいつの実験通りですよ」


 ふんふんと聞きながら、今野は篠宮啓子に、金色の飲み物を渡していた。


「これ、何かしら?」

「ゴールデンアップルジュースだよ」


 今回は普通の飲み物であった。


「練習もしましたよ、アイツの言った通り。細いテグス使って、音竹の家から引っ張って、不燃布を取り出せるかって」


「なんで、そんなことを……」


 今野の呟きに、啓子が答えた。


「ふふ。言っちゃあいけないコト、私がつい言ったのよ」

「なんて?」


「お前なんか、産むんじゃなかった、って」


 篠宮は顔を横に向ける。


「それで亘が激怒して、私を殴ったの。私、気を失ってね」


「ああ、それで、息子さん、あんたが死んだと思ったのか」


 それで誤魔化すための放火か。

 殺人と放火だと、最高刑レベルだが……。


「どうする? 捕まえるの? 亘のこと」


 今野は頭を振る。


「民事不介入でいいや」


 それまで黙っていた篠宮が、今野に言う。


「あなたは警察関係の人ですか?」

「まあ、近い筋だな」

「公安に知り合いの方、いますか?」


 今野は表情も変えずに訊く。


「何で?」

「母もわたしも関係していた、あの教団の情報を伝えておきたくて」 

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