第10話 九章 学校保健安全法は、教員採用試験にも出るらしい

 学校における健康診断は、「学校保健安全法」という法律に基づき、『できるだけやってね、うふ』ではなく、『絶対やれよ、オラァ』というものである。


 さらに、健康診断後には、同法の第14条が待っている。


 すなわち、「健康診断の結果に基づき,疾病の予防処置を行い,又は治療を指示し,並びに《以下略》」などという事後処置を、子どもに対して行うのである。


 よって、少しでも、心身にトラブルを抱えていそうな児童や生徒には、連日保健室から呼び出しがかかる。


 全校一斉の内科健診終了後、白根澤と加藤も、生徒の呼び出しと、面談を行うことになっていた。


 生徒の呼び出しは、基本、クラス担任を通じて行うため、紙ベースの呼び出し状を、作らなければならない。


「言いたかないけどさ、ICT推進とか、GIGAスクール構想とかから、保健室って除外されてるの?」


 健診結果の入力をしながら、加藤は白根澤に訊いた。


「あら、これでも随分進んだわよ」


 白根澤は、カルタ取りでもやっているかのように、素早く手を動かしながら答える。

 今日の白根澤は千手観音か。


 保健室には専用のパソコンと、健康診断や保健室に来た記録を、そのまま打ち込めるソフトが用意されている。

 正常値から、はずれた生徒を抽出すれば、呼び出し状作成などは簡単に行える。


 ただし数値にあらわれない、学校医の診断では「異常なし」の生徒でも、養護教諭の独自の判断で、面談や健康指導を行うことが、しばしばある。


 よって白根澤は、手書きで呼び出しのメモを作成していた。


「それはそうなんだろうけど。例えば、学校と学校医と家庭を繋いで、同時双方向の健康指導を行うみたいな計画ないの? 今どき」


 呼び出し作成が終わった白根澤が、にっこりと笑う。


「せいちゃん、ぜひやって! 偉くなってさ、全国の学校に、そんなシステムを導入してよ」

「偉くなるとか、俺には無理ゲー!」


 加藤の答えを聞いた白根澤は、笑顔のまま、大きく頷いた。


 その日の昼休みから、生徒の呼び出しが始まり、中学校の一年生から順に、呼ばれた生徒は保健室にやって来る。


 昼休みの終わりごろ、音竹が来室した。


「僕、何かまた、異常がありましたか?」


 生徒へのヒアリングは、白根澤がメインで行っているが、音竹に関しては加藤が行った。


「いや、たいしたことじゃないんだ。君の調査票に『骨折』って書いてあったから、念のため聞いておこうと思ってね」


「ああ、尾てい骨の……」


 音竹の腰から尻にかけての古傷を、加藤は思い出す。


「尾てい骨っていうことは、階段から落ちたとか?」


 音竹は首を傾げて答えた。


「小さい頃だったので、あまり覚えていないのですが、確か公園の遊具から、落ちたらしいです」


 加藤の脳裏に、遊具類が一切ない、公園の風景が浮かんだ。


「走ったり、体育の授業する時に、何か問題ある? 運動を制限する、みたいな」

「いえ、特には、大丈夫です」


 やはり

 音竹の不定愁訴は、あの疾患から来るのであろう。


 しかし。


 何かがひっかかる。

 合宿の夜の、あの夜驚症のような発作は、なぜ起こった。

 身体を反らした反応の大元は、一体何だ。


 週末に、加藤は預かった布団を車に積んで、再度音竹の自宅まで向かった。

 約束の一時間ほど前に着いた加藤は、音竹の自宅そばの公園に足を向ける。


 今日も公園内では、後期高齢者の集団が、ダンベルを使って運動していた。

 顔つきは高齢者だが、体躯は加藤などより、よほど筋肉質である。


 こういう老人たちとは、絶対ケンカはするまい。

 そう思いながら加藤は、一息ついている高齢者たちの、リーダーと思われる人物に声をかけた。


「すいません、ちょっと聞きたいことがあるんですが」


 リーダーの男性は、加藤を見た。


「なんでしょうか、先生」


 髪は薄いが声は良い。

 顔つきは、金剛力士の阿像のようだ。


 しかも。

 先生と言った! 

 この爺さん!


 ひょっとして、人を見る目があるんじゃないか!


 今日もいつものトレーナー姿。

 ぱっと見で、教師と見抜かれることは、稀な加藤である。


「この公園、いつ頃から遊具がなくなったんですか?」


「ああ、今から八年ほど前ですな。子どもがケガをしたもので」


 阿像顔の爺さんは、顎で公園の向かいの家を指した。


「あそこの家の、息子さんがね」


 そこまでは、加藤の推測通りである。


「なるほど。ちなみに何の遊具だったんでしょう?」


「すべり台でしたな」


 すべり台から、落ちた……

 それで、尾てい骨骨折?


 加藤の怪訝な表情に気が付いたのか、爺さんは声を下げる。


「一部で、子どもが勝手に落ちたのではなく、落とされた、という噂もありましたな」

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