ACT4:深海の太陽




 魔王城グレート・パンデモニウム・タワー666階、玉座の間。

 奥の壁には魔王軍幹部たちの顔写真が一列に飾られ、その内の幾つかにはバツマークが張られて白黒写真となっている。


 そんな遺影を眺めながら、魔王オーガスティンは歯ぎしりし、そのかたわらでは足首を鎖で繋がれた道化がノンビリくつろいでいる。



魔王「おのれ! 勇者どもめ、勢い付きおって! 以前とはまるで別人だ」


道化「人間の寿命は魔物より短いが、その分だけ成長は早いもの。くれぐれも甘く見るなとご忠告さしあげたハズだが」


魔王「ふん! 記憶にないな」


道化「どうやらすっかり耳が遠くなったご様子。記憶力も怪しい。いやはや お互い年はとりたくないものですなぁ」


魔王「口を慎めよ、マルエル。お前など殺す価値もないから生かしている。それだけの話なのだぞ?」


道化「ピエロ相手に本気でキレる王者がどこに居ます? 道化とは! 人権がない代わりに好き放題しゃべるもの。ペットに裸を見られたからといって、恥ずかしがる者がいますか」


魔王「王宮のマナーなど どうでもいい。勇者どもが攻め込んできているというのに。どいつもコイツも役に立たん。ああ、こんな時に奴がいてくれたら……」


 そこへ広間の扉が開き、伝令が飛び込んでくる。


伝令「恐れながら、申し上げます。陛下」


魔王「今度はなんだ? どの将軍が天球の流れ星になったというのだ?」


道化「詩人ですねぇ。部下はたまったものではない」


伝令「いえ、森魔しんま獣公が敵に寝返った様子。勇者と共に本丸へ乗り込んできます」


魔王「アイツ! 部下の賃上げ交渉に応じなかった件を根に持っておったか。なんと器の小さい男よ! 魔王軍の恥さらしめ!」


道化「陛下が得意な武器はブーメランだとみえる。その精度は百発百中」


伝令「えーっと、それから、はて? まだ大切な用があったような?」


※「案内ご苦労様。相変わらず無駄にクッソ広いですね魔王城は。久しぶりなものですから勝手がわからなくて苦労しちゃった。しかし、もういいですよ? 陛下に処される前に貴方はさっさとお逃げなさい。はい、催眠解除」(指を鳴らす)


伝令「はっ、私はこんな所で何を? お呼びでない、し、失礼いたしました~~!」


 伝令、去る。入れ違いにやってきたのはアンコウ先生。

 フードから発光器官が垂れ下がり、周囲をボンヤリと照らしている。


魔王「き、貴様は、海魔暗公! さんざん目をかけてやったのに、突然雲隠れしおって。よくも今更顔を出せたものよ」


※「お久しゅうございます、兄上。変わらず ご健勝のようで何より」


道化「ああ、運命の女神の粋な計らいよ! 死地を前にして、魔王が妹ぎみと再会した! しかし、父は同じでも母親は違う。陛下はライオンのごときタテガミ。妹はアンコウのようなチョウチン持ち。かように似ておらぬ兄妹も珍しかろう」


※「そちらもお元気そうで。情というものが薄い魔王軍において、貴方だけはワタクシに良くしてくれたものでした。願わくば 得意なリュートがまた聞いてみたい」


道化「生憎、楽器アレは芸術音痴な陛下が窓の外へと投げ捨ててしまいました」


魔王「ええい、質問に答えぬか! 目をかけてやった恩を忘れ、どこで何をしておったというのだ!?」


※「目をかけるというのは? 跡目争いに担ぎ出されるのを恐れ、可愛い妹を深海へ追放することを言うのですか?」


魔王「なんだと!?」


道化「おやおや、これはこれは。無口で従順だった妹ぎみが随分と利発になられて。どうやら成長が早いのは、人間だけではない」


※「むしろ、城の奥で縮こまっている皆様方がアレなのでしょう」


魔王「深海に追放などと、何を言うのだ? ちゃんと説明したではないか。海魔の血をひくお前ならば、大海原の魔物を統率することができる。海底にひそむ強力な魔物たちは必ずや人間どもとの戦で役立つ。お前のピカピカが私には必要だった」


※「しかし、その深海でワタクシ はえらく孤独でした」


魔王「孤独? 他の魔物が居ただろう」


※「太陽の光すら知らぬ青白い連中なら、確かに発光を畏怖し、私にひれ伏しました。うぬぼれてしまったアンコウはすっかり光の女神サマ気取りで! 長らく怠惰な毎日を過ごしたものです。けれどそんなある日……」


魔王「何があった?」


※「手下の一匹が絵本を献上してきたのです。嵐で沈んだ船から持ち出したという話でした。いえ、絵本というより詩集と呼ぶべきかも。今思えば絵に添えて歯の浮くような文句ばかりが書き記されていましたね」


道化「詩は人生の道しるべ。進むべき指針」


魔王「くだらん。ただの文章が何の役に立つ? 一本の弓矢でも獲物を仕留められように」


※「くだらぬ? ですと? まぁ、良いでしょう」


魔王「いったい、人間の本が何だというのだ?」


※「名文に心を打たれたのです。お兄様の言葉を借りるなら、たったの一文で心を仕留められた」


道化「言葉はそれだけで人を生かす力を持っているのに。どうもご存知ないようだ」


※「太陽のような人。皆の太陽になれる人。そんな女性をうたったポエムが私の心をとらえて離さなかった。ああ、地上にはそんなに凄い人がいるのか。私なんて ちっぽけな提灯ちょうちんしか持たず、深海の住民たちはそんな明かりで充分に満足しているというのに」


道化「井の中の蛙、大海を知らず。海中でその諺を体現してしまうとは、皮肉としか言いようがない。もしかすると心という物は海よりも広いのかもしれませぬ。まぁ、持ち主にもよるのでしょうが」


魔王「まさか、そんなことで? そんな事で私の期待を裏切ったというのか?」


※「洗脳した魔物たちを我々の都合で戦場へ行かせるのも抵抗がありました。偽りの疑似餌では満足できず、本物の太陽とやらを見てみたくなったのです。幸いにも、私の外見は人間へ化けるのに適していましたから」


魔王「フン、私を裏切って、さぞや地上の暮らしを満喫したのであろうな? お前の能力なら女王まで上りつめることすら容易かろう」


※「そうでもありません。人間の精神は構造が複雑でチト術がかかり難いのです。それに発光器官を街中でさらすと大ごとになるので。詰まる所、人間社会の構造を把握する前に行き倒れとなった次第で」


魔王「なんと情けない」


道化「自由を求め、駆け落ちした高貴なる者。その末路は、えてしてそういうもの。惚れた相手がどこに居るのかも判らぬのでは、尚更かと」


※「しかし、人間はあれを不幸中の幸いと言うのでしょうね。私が倒れたその場所は、潰れかけた教会の裏庭だったのです。あとは吊るして切られるだけかと思われたアンコウ。(鮟鱇は身が柔らかく まな板だと切り難い為、吊るして切る)そんな私に手を差し伸べてくれたのは、女手ひとつで教会と孤児を守る老婆でした」


魔王「くだらぬ人間だ」


※「また言いましたね? くだらぬ、と! 妹を救ってくれた恩人ですよ?」


魔王「潰れかけた教会、そう言ったくせに。不相応な理想に手を出すのは愚か者だ。よもや忘れてはおるまいな? 我々の唯一の父にして、偉大なる先代の魔王は人間に殺されたのだぞ?」


※「父は国を幾つ滅ぼしたのです? かえりみても、父との記憶なんて辛い思い出ばかりではありませんか? それなのになぜ仇を? ええい、道化、いつものをお願いします」


道化「ふーむ、ひたすらに憎しみを追う者は、自らの尻尾とじゃれる犬に同じ。いつまで経とうと堂々巡りのくり返し。即興ですが、これで宜しいでしょうか?」


※「素晴らしい! いつもありがとう。陛下も本当はご存知のはず。王が見失った真実を傍で囁き続け、警告してくれる者。それこそが道化だと。耳を傾けるべきかもしれませんよ。お道化て見えるが、実際は誰よりも彼は賢い」


道化「そうでありたいと願ってはいますが。実際はなかなか。大切なのは加減です。本気で怒らせると、すぐクビになりますから。主に胴体から切り離される形で」


魔王「何度でも言うとも! 下らぬ、だ! 王は目が塞がれているのさ、いつの時代もなぁ」


※「三度目ですね? エビスの顔も三度まで。四度目の許しは有りえません」


魔王「初めから貴様の慈悲など求めておらぬわ」(身構える)


道化「チッ、チッ(舌打ちして人差し指を左右にふってみせる)お忘れか、暗公?」


※「……OK、ワタクシも道化を見習って粘り強くいきましょう。陛下の『くだらぬ』を打ち砕く為。その為に私はここへ来たのですから。意志の疎通ができるよう神々は我々に知恵と言葉を与えてくれたのですから」


魔王「フン、戦場で神々など目にした記憶はない。居るとしたら死神だけ」


※「ワタクシが怒ったのは、恩人を侮辱されたからです。されど、本当のことを指摘されて怒るのは誤りでした。当時の教会がオンボロであったことは紛れもない事実。しかし、戦乱の世でありながら老いた身に鞭を打ち、彼女は教会を維持していたのです。そして、人外の者と気付きながらワタクシを助け、暖炉の近くへ座らせてくれた。だからこそ、尊き慈悲に尋常ではない価値があるのです」


魔王「身内を助けられておきながら、感謝すらせぬのは確かに無礼であったな。そう言っておこう」


道化「おやまぁ、謙虚になられて」


※「行き倒れになった私を救ってくれた恩、決して忘れませぬ。震える肩にかけられた毛布、無言で差し出されたアップルパイ。あれほど身と心が温まったことは生まれてから一度としてありませんでした」


魔王「イヤミか、こ奴め」


※「老婆の慈愛あふれる笑みを目にして、ようやく気付きました。この御方こそが、私の探していた『太陽』なのだと。この方に学べば、チョウチンしか持たぬ私もその領域に近づけるのではないかと」


道化「太陽とは全てを温めるもの。貴方の見つけた光が本物であれば、魔王の凍てつく心も溶かせるやもしれませぬ」


※「その教会では戦争孤児を集め、面倒をみていました。ワタクシは即座に老婆へ頭を下げ、ここに置いてくれるよう頼んだのです。今となっては遠い昔の話。しかし、今でもあの御方は星となり、私達を見守っていて下さるのだと信じています」


魔王「それで? お前と老婆は何かを成せたのか? 太陽を名乗るだけの何かを、成し得たとでも言うのか? ええっ!?」


※「少なくともアップルパイは作れるようになりました。それと、孤児院の経営が上手く軌道に乗りまして、前よりも大分規模が大きくなりましたね。教師も何人か雇ったし……」


魔王「くだらぬ! ポエムだ! アップルパイだ! 孤児院だ、などと! そんな物が何だというのだ? 何の価値もない! 魔王軍の将軍であれば、同じ時間で百の街を滅ぼしてみせただろうよ。さぁ、四度目を言ってのけたぞ」


※「下らぬのは陛下の考え方かと。凝り固まった物の見方しかできず、価値観の多様性を認めようともしない。控えめに言って石頭。そのような判断しか出来ぬようでは陛下の良識を疑いますね」


魔王「今は戦乱の世だ! 老婆や孤児院や教会に出来る事などない」


※「本当に……そうお思いですか?」


魔王「何が言いたい?」


※「百の街を滅ぼす事は素晴らしい行為ですか? ワタクシはこれまで千人の孤児たちを助けてきました。教会の相談室で万人の心を救ってきました。それは、本当に下らぬ事なのでしょうか」


魔王「くだらんだろう、どこが違う?」


※「私と老婆の結実が、たった今、陛下の足下をおびやかしているとしても? 彼らは助け合い、命を繋ぎ、無限の可能性をつむいでいく存在なのです」


 そこへ伝令が慌てて飛び込んでくる。


伝令「最終防衛ライン、突破されました。勇者二人が間もなくここへやってきます」


魔王「おい待て! まさか! 勇者というのは?」


※「もし老婆が私を見捨てていたら、戦火から孤児院を守り切れていなかったら、もう少しアップルパイが不味かったら、太陽のポエムが私の心を射止めなければ……陛下の言う「くだらぬ」が何か一つでも欠けていたら、こんな事態にはならなかったでしょうね。そう、ゼニとティムはウチの秘蔵っ子です」


道化「これはお見事! 一本とられましたなぁ、陛下」


魔王「ふっ、ふははは、この現実を突き付けられて、くだらぬとは言えんな。くだらないのは私の考え方であったか。あるいは、お前の目前で二人の子を始末するのも良いかもしれんが……それは伯父のすべき事ではないな」


道化「そうですとも! そうですとも!」


魔王「もういい。こんな時代だ、人外が社会にまぎれて生きるのはさぞ息苦しかっただろう。兄として出来る唯一の善行をしようではないか。お前や子どもらが差別されぬ世の中を目指そう。戦争を終わらせることを誓ってやる。それで良いか?」


※「崇高すうこうなる魔王陛下。その名に恥じぬ慧眼けいがんかと。嘘偽りなしに、貴方を称えたのはこれが初めてかもしれませんね」


魔王「なんて、妹だ! せめてまた兄と呼んでくれんか」


※「アップルパイを焼いて お待ちしていますとも。お兄様!」


 アンコウ、フードで顔を隠すと一礼し、足早に去っていく。

 魔王、くたびれた様子で玉座に座り込む。


伝令「あ、あの、陛下? 今の方は?」


魔王「よい。それよりも勇者二人をここへ通せ。これ以上、有能な部下を失ってはたまらぬ。和平といこうではないか」


伝令「はっ、はい! かしこまりました」


道化「……」


魔王「どうした道化? なぜ茶化さぬ?」


道化「陛下が真理を見落としていれば、茶化せもしましょう。黙っているのは、つまりそういう事なのです」


魔王「お褒めにあずかり、光栄だぞ。我が友よ」









 こうして人間と魔物の長い長い戦争はひとまず終わりを告げた。

 乱れ切った社会も少しずつ落ち着きを取り戻し、勇者二人の生家となった孤児院には多額の寄付が送られた。アンコウ先生はその半分を使い、孤児院の庭に立派な英雄像を建てたのだとか。


 かくも偉大な指導者はいない。

 美しく、賢く、優しさにあふれ、しかも笑顔とオデコがまぶしい、とても。

 彼女こそが、人の世を照らす太陽だ。

 民草は、そのようにアンコウ先生を絶賛したという。


 かつては深海の提灯ちょうちんでしかなかった井の中の蛙。

 そんなアンコウがついに人の世に認められた瞬間であった。


 されどそんな彼女にも一つだけ気がかりな事が。

 今日は いったい何の日だ?


 憂鬱ゆううつな顔をしたまま、その日も彼女は相談室に向かう。



※「お待たせ致しました。このような夜更けに何事でしょう?」


男の声「相談があるのだ。とても深刻な悩みだ。本日が大切な妹の誕生日だというのに、困った事にまだプレゼントを渡せていない」


※「……! それはそれは。しかし、判りませんね? なぜ今すぐ飛んで行ってその腕で妹を抱き締めてやらぬのですか? 貴方は?」


男の声「妹には随分と酷いことをした。私にその資格があるのか、ずっとそれを悩んでいる。果たして妹は私を許してくれるのだろうか? さてはて、この悩みを貴方は解決できるのだろうか?」


※「もちろん! 解決出来ますとも」


 仕切り板の小窓が開き、アンコウ先生はニッコリと微笑んでみせる。

 その眼には真珠のような涙の粒が浮かんでいる。


※「アップルパイだけじゃなく、ケーキとビンゴの準備もできていますよ。お兄様」



 アンコウの提灯ちょうちん、揺れながら二人を照らす。

 道化が舞台の幕をつかみ、カーテンでも引くようにステージを隠してしまう。


道化「灯台下暗しとはよく言ったもの。求めた太陽は自分の鼻先にぶら下がっていたという始末でして。皆様方も深海のような闇に身を置くことがあっても絶望なさらず、とりあえず近くを見回してみるべきかもしれませんね」


道化「それじゃ、美味しいアップルパイがアッシを待っているので、これにて失礼」



 道化、去る。

 はたしてカーテンコールがあるかは、皆様だけがご存知だ。


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アンコウ先生のお悩み相談室 ~ 魔王討伐がやれない勇者の悩み事 ~ 一矢射的 @taitan2345

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