キスと天丼と私

梅林 冬実

キスと天丼と私

ごめんねって

あの感じで言われたらさ

何も言えなかったよね

あー これマジだなって思って

この子本当にあいつのこと好きなんだなって思って


帰りがけ大盛りの天丼買ってやった

ご飯も天ぷらも大盛りにしてやった

テーブルの上に存在感を放つ天丼ひとつ

いつもはあいつの分も買うけれど

今日はとてもそんな気分になれなくて


帰ってきやがったあいつが言うの

「ごめんね」って

なにを!そんなとこまで合わせてきやがるのか

立ち上がったらそのまま平手打ちしてしまいそう

だから床に座ったまま

テーブルに載せた天丼と見つめ合ってる


どうしてもって頼まれてって

そしたら忘れられると思うからって

「だからキスして」って

「最後に1度だけ」って


そんなことスラスラ伝えられて

私が傷つかないとでも思ってるのかって

憤怒したら やっぱり言うのよ

「ごめんね」って


口を開いたら

もう2度と元に戻れないような

暴言を吐いてしまいそうで

だから黙々と大盛りの天丼を食らう

まずはかぼちゃから

箸ではさみ口に運ぶ

一口嚙み切って咀嚼する


「怒るなよ」

「なぁ」


弱り切ってるけどなんで?

辛いのこっちだけど?

恋人に横恋慕されるだけでも

かなり不快なのに

ましてあんな綺麗な子

真っ直ぐ伸びた 少しブラウンがかった髪

雪の精のような肌に桃に色づく唇に


儚げな佇まいが気に入らなかった

一目見た瞬間から

あの女を疎ましく感じていた

他人のテリトリーに

良心の呵責なく入り込める

冷酷さを肌で感じた


あんな子にまんまと引っかかっちゃって

言われているじゃないの

キスしてくれたら忘れられると思うって

忘れるからじゃなく

「忘れられると思う」って


バカじゃないの

軽くいなす 今は天丼に忙しい

「ごめん」

恋人の声が煩わしい

あんなのとキスした唇動かさないで

ここは私の部屋なの


あの子は必ず2度目を求める

コイツは分ってないけど私には分かる

「どうしても」って

「好きなの」って

華奢で儚げで心憂い

そんな子が瞳を潤ませたら

またしちゃうでしょ キス


小悪魔的な女の子は可愛くても

悪魔はちっとも可愛くない

2度目はキスじゃ済まない

そんな予感を私は抱き

あの子はコイツを奪うつもりで近付き

コイツはそんな企みにとんと気付かない

言葉を尽くしたところで伝わるわけがない

「もう会わないから」

なんて誰が信じるのよ


普通は1回目もないのよ

ご飯を頬張りながら

奈落の底に叩き落す

何よその困り切った顔は

まるで私が我儘言っているみたい

私が悪いみたい

悪いのはあの子なのに

あの子の策略にあっさりハマったあんたなのに


かぼちゃを食べ終わって次はナス

エビ天が3本入ってるけど

これは最後までとっておく

大盛り天丼は絶対に平らげる

このバカに向き合える程度に

気持ちが落ち着いたなら

全身全霊をかけて締め上げるために

もう2度と会わないって

自分から言い出した約束を

必ず守らせてやる

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キスと天丼と私 梅林 冬実 @umemomosakura333

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