Take5 Song2

 メロディーが付いていないので、全てを理解出来るわけではないが、シンプルでカッコイイ曲だと思えた。だが、どう考えても無理だ。今日初めて楽器を持った人間が、弾けるわけがない。

 僕達は社長の姿を探した。この苦行とも言うべき時間を与えた本人の姿を探す。

 気が付けばスタジオに姿は無く、ミキシングルームの奥にあるソファーでキキさんと談笑していた。こっちはまったく笑える状況では無いというのに、いい気なものだ。

 だいたい楽器を持った事すらない人間が、こんなちゃんとしたスタジオでレコーディングしてはダメだと思う。いろいろな人を巻き込んでいるというのに、当の本人はソファーに体を預け、我関せずとばかりに寛いでいるのだから、その姿には狂気すら感じてしまった。

 五嵐さんは五嵐さんで、たくさんのツマミの前で頭を抱えている。レコーディングのビジョンが描けないでいるようで、その姿は気の毒でしか無かった。

 スタッフの皆さんもどうすればいいのか考えあぐねている様子で、皆顔を見合せ、困惑した姿を見せる。


「コアラさん、これどうするよ? 無理ゲーだぜ」

『分かっています』


 トークバックのスイッチを押し、蔵田さんはミキシングルームの五嵐さんに圧を掛けます。頭を抱える五嵐さんの後ろに、気が付くとキキさんが不安など一切見せずに仁王立ちしていた。その自信溢れる毅然とした立ち姿は、この状況とは不釣り合いにしか見えない。


『ちょっといい。この通り弾く必要は無いのよ。今回のコンセプトは、本当の意味での初期衝動。楽器を触った瞬間の高揚をパッケージングするのが目的よ。上手くる必要なんて無いの。その感情パッションを楽器に叩きつけなさい』


 それだけ言ってまた後ろのソファーに体を預けてしまう。

 感情パッションを叩きつけろと言われても、ねえ? って、困惑しか湧いて来ない。どうやらそれは蔵田さんも同じで、ボサボサ頭をバリバリと掻いて、困惑を深めていた。


「参ったね」

「なんかすいません」

「あんたが謝る事じゃないさ。とりあえず自前のエフェクターを持って来ておいて良かったよ」

「エフェクター?」

「あ、そうか。それも知らんか。さっき弾いた時、いつも聞いている音と違うなって思ったろ?」

「そう言われると確かに」

「ギターとアンプの間にエフェクターを噛ます事で、音色を変えるんだ。もちろん、レコーディングが終わった後からミックスで音を変える事も出来るが、基本はアンプとエフェクターで音色を作る。そっちの方が、納得出来る音を作れるんだよ」


 そう言って蔵田さんは足元に、色とりどりの金属製の小さな箱を並べて行く。微妙に大きさや形が違う箱を短いケーブルで繋げ、ギターとアンプの間に噛まして行った。


「これはどうやって使うのですか?」

「突起しているスイッチを踏めばいい。こっちのはここが踏めるようになっているだろ。こうやって踏んでスイッチはオンオフするんだ。ま、レコーディングの時はオンオフする事は無いから難しく考えるな。とりあえず何か弾いて、どれでもいいから踏んでみろ」

「はい⋯⋯」


 先ほど教えて貰ったばかりのCの音を鳴らし、オレンジ色の箱を踏む。

 ギャァーン! とクリーンだった音は、とげとげしいざらつきを纏い、音圧が一気に上がった。

 蔵田さんはもう一度弾けとギターを顎で指し、足を踏む仕草を見せる。オレンジの箱をオフにして、少し大きめの緑色の箱。使い古したボロボロのスイッチを踏むと、アンプはザーっとノイズを鳴らした。

 少し驚いて蔵田さんに視線を送るが、黙って頷くだけ。ピックが弦を叩くと、ズォオッと太い音が空気を歪ませた。先程の乾いた音とは違い、同じ棘でも丸みを帯びた大きな棘が音を包み込んで行く。

 エフェクターによって、こんなにも音って変わるんだ。


「音の違いは分かったか?」

「はい。最初のオレンジは少し硬質な感じがしました。こっちの弁当箱みたいなやつは、太くて音の圧が凄いのですが、伸びはオレンジほど無い感じです」

「へぇー、耳いいんだな。初めてでそれだけ音の違いが分かるなら、十分だよ。こっちのオレンジはディストーションと言って、ラウド系の音作りには必須のエフェクター。硬質で伸びのある歪みだ。でっかいのは、グズグズした太い歪みが売りのエフェクター。このでっかいのはファズって言うエフェクターで、こいつはビッグマフって言うんだ。本来のファズとはちょっと違う独特の音色が特徴的なんだが、最近はあまり使わんかもな」

「エフェクターって音圧を上げる為のものなのですか?」

「いや、それだけじゃない。音色の補正、エコーやリバーブを掛けて音に艶を出したり、いろいろだ」

「難しいっすね」

「音はこっちで作ってやるよ。その為に呼ばれているんだから」

「宜しくお願いします」

「とまぁ言っても、ディレクターがどう持って行くのか。それによって音作りが変わって来るからな。あえてヘロヘロの生音系で行くのか、とりあえず歪ませて勢いだけでもつけるのか。とりあえずディレクターが悩んでいる間、コードを教えよう。使っているコードはC、F、G、Dと基本的なものばかりだ。繰り返しも多いし、何とかなる⋯⋯さすがにならんか」

「頑張ります」


 蔵田さんがコードを教えてくれる。押さえるところは二か所だけなので、さほど難しくは無かった。しかし、これを弾きながらのポジション移動がなかなかスムーズに行かず、もどかしさが積み上がる。


「筋がいいな、意外に弾けちまうかもな」

「そうですか? 思ったように弾けなくて、もどかしいですけど」

「お兄さん、そういやあ、鍵盤かじってたんだっけ? 楽器慣れしているよな」

「分かります? なんやかんや、中学まで鍵盤は触っていました。そんな本気ではやっていなかったですけど」

「なるほど」


 何度も何度も繰り返し、ゆっくりであれば楽譜を追えるくらいは弾けるようになると、少し冷静さを取り戻した。仕切りの向こうから拙いドラムの音はドン! ペシッと寂しい音を響かせ、その向かい側からは、ボボボボと低音を響かせるベースの音が聞こえた。コードチェンジの度に音は止まり、桐河さんも難儀しているのが手に取るように伝わって来た。


『ちょっとゆう! あんたひとりだけ弾けているじゃ無い。もう練習禁止。上手く弾いてどうするのよ』


 え? どこをどう取っても上手く弾けていないんですけど。

 蔵田さんも社長の言葉に首を傾げて見せる。ミキシングルームを覗くと五嵐さんとキキさんが、何か打合せをしているのか、ずっと話しているのが見えた。

 蔵田さんの言っていた、レコーディングの方向性について話しているのかな?

 これだけ弾けないと方向性もへったくれも無いと思うのですが⋯⋯。

 真剣な表情で頷き合う五嵐さんとキキさんの姿に心が痛くなってしまう。非情に申し訳無い気持ちで、いたたまれない気持ちしか生まれなかった。

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