百合営業アイドルですが、片思いの相手には振られるし相方とは馬が合わなくてやってられません

おいしいお肉

第1話

 女の子って何でできている?お砂糖、スパイス、それから素敵なもの?

 だったらあたしはもう女の子なんて辞めたい。観音原彩夏は嫉妬と、怒りと、どす黒いもので出来ている。こんなあたしを、あたしは許せない。

 全ての女の子の憧れ、レースとフリルと、ピンクとセンターポジション。アイドルとして生きて、アイドルとして死ぬならあたしはこの汚らしい感情を捨て去らなくては行けない。

 

 考えてみて、あなたにもし大好きな人がいて、そう。背が高くて、すらっとした手足をしていて、涼しげな美貌で、切り揃えられた黒のウルフショートヘアの、あたしの王子様。

 王子様の隣にはお姫様、そこにいるがあたしなら完璧だった。

 

 でも現実はそうじゃなくて、王子様の隣にはモブがいる。あたしの大っ嫌いな女、何にも興味ありませんみたいな顔して、全部奪っていく、最低最悪なあいつ。

 

 

「待って!王子様、あたし……あなたのことが」

 

 あたしは、そうやって王子様の背中に語りかける。すると、王子様はくるりとコチラを振り向いて、ゆったりと微笑んだ。

 

「うん、僕は王子様だから。ごめんね」

 王子様はそうやって、ガラスの靴を砕いた。だからあたしは惨めな灰かぶりのまま、誰からも魔法をもらえない可哀想な娘のまま。

 

「王子様の隣に、お姫様は2人もいらないんだよ」

「彩夏も、わかってくれるよね?僕たちはアイドルなんだもの」

 彼女──八坂白雪は、ボブからウルフショートになった髪を揺らして、こてんと首をかしげた。絶望的に美しい笑みだった。

 そうしてあたしは、これが悪夢であることを理解する。


 ※ ※ ※

 

 自分で言うのもなんだけど、あたしは同い年の女の子の中でも結構可愛い方だった。

 ちっちゃな頃からたいてい「クラスで1番かわいいさやかちゃん」だった。

 お母さんもお父さんもことあるごとに「彩夏は本当に素敵な子、私たちの自慢の子」って褒めてくれるし。

 クラスで1番かわいいのは、あたしだった。やっかみまじりの視線を受けることも多々あれど、そんなの関係ないくらいあたしはあたしが好きだった。

 隣のクラスの知らない子にぶりっ子とか、性格ブスとか言われたってどうでも良かった。

 あたしがかわいいのは事実。あたしがかわいいのは誰がどう言おうと揺るがないから。鏡の前で微笑めば、あたしは無敵だ。

 


「彩夏ちゃん、アイドルになれそうねぇ」

 

 あれは多分中学一年生の休み。

 親戚のおばさんがピンク色の水玉ワンピースを着たあたしを見て呟いたのを、両親は聞き逃さなかった。

 そうね、うちの娘はきっとかわいいからなれるでしょうね。彩夏がアイドルになったらすぐに日本一になれるでしょうね。

 親バカここに極まれり。けど、満更でもなかった。

 アイドルなんて興味もないけど、どうせテキトーにニコニコ笑ってかわいい服着てちやほやされる仕事でしょって思ってた。ありていに言えば舐めてた。

  テレビで見るアイドルってそんな感じで、だから多分あたしもできるでしょってそんな軽いノリでアイドルのオーディションを受けた。

 

 結果、まあ、落ちた。

 書類審査は受かったものの、実技の部分で見事なまでに落ちた。当たり前だけど、歌もダンスも素人レベルで顔だけで全てを捩じ伏せるには、あたしは足りないらしい。

 ぽきっ、とあたしはその時初めて『かわいさ』が敗北する瞬間を知った。

 

 ──でも、それで諦めるあたしじゃない。

 歌もダンスも素人レベルなら、そこを引き上げればいい。可愛いだけじゃないあたしになればいい。お父さんとお母さんにそう強請ってレッスンに通い、もう一度受けたオーディションで見事合格。さすがあたし。

 まあ、そこでまたあたしは敗北を知るわけだけど。

 

 ※ ※ ※

 

 正直、オーディション会場にいた誰よりももあたしが1番かわいい自信があった。歌もダンスも、ちょっとレッスンすればすぐ覚えたしあたしってやっぱり天才じゃん?と思ってた。

 会場にいる子たちはみーんな不安そうで、このオーディションに受からなければ死にます!みたいな張り詰めた雰囲気を醸していた。あたしは絶対に受かるって思ってたから、そんなことなかったんだけど。

 

 一次審査、二次審査ととんとん拍子に進んで最終審査に進んだ。

 

 最終審査の会場はオフィス街の端っこのビルの貸し会議室の中で、パイプ椅子が何個か並べてあって、最終選考に残った子達が座っていた。

 どの子も最終試験に残るだけあって、それなりにかわいいこたちだった。まあ、あたしには敵わないけど。

 地味な奴、俯いて自信の無さそうで野良猫みたいに目だけギラギラしてる奴。あたしより年上っぽそうなひと。すらっとして背の高い人。

 いろんな人がいて、ここにいる人たちが全員、あたしのライバルなのだ。敵、と言い換えてもいい。

 負ける気なんて、毛頭もないけど、とあたしは鼻を鳴らした。

 

 時間になると、スーツ姿の偉い人がこう言った。

「それではみなさん、順番に名前と、我が社のアイドルプロジェクトへ向けた意気込みを語ってください」

 

 そして、みんな予め用意していたセリフを誦じる。正直、他のやつらのことなんて全然覚えてないけど。でも、白雪ちゃんのことは鮮明に覚えてる。

 あたしと、白雪ちゃんの運命の日だ。

 

「──エントリーNo.17 八坂白雪です」

 

 白雪ちゃんは、その時ただ名乗っただけだった。

 なのに、その声を聞いた瞬間誰もが釘付けになった。真夏に食べるアイスみたいに涼やかな声が耳に残って溶ける。長い手足も、形の良い鼻梁も、宝石のように輝く瞳も、全部あたしが持ってなかったものだった。

 

 その子がいるところだけ、空気が違うって一目で分かった。

 オーディションの審査員たちも、彼女を前にすると一瞬時が止まる。

 レベルが違う。あたしが今まで可愛いって思ってたものが、全部霞んで、嘘になって、塗り替えられる。そんな感覚。八坂白雪は、そういう人だった。

 

 その後のことは、あんまりよく覚えてない。簡単な自己アピールと、アイドルへの意気込みを言った気がする。風邪でもひいたみたいに、頭がぼーっとしてた。

 帰った後もそればっかり考えていたのはちょっと異常だったと思う。

 それからしばらくして、あたしの元には合格通知が届いた。そしてあたしは『プリズムアイズ』の彩夏になった。


 あたしの恋は、そこから始まった。

   

 ※ ※ ※

 

 「八坂白雪です、よろしく観音坂さん」

 白雪ちゃんは初めて会った時と変わらないまま、涼しげな美貌で微笑んだ。それだけで胸がドキドキした。あたしは普段より気合いを入れておしゃれして、少しでも彼女に可愛いと思われたかった。

「……観音原彩夏です、できれば名前で呼んでくれると嬉しい、かな。自分の苗字、好きじゃないので」

「どうして?カッコよくて素敵だと思うけど」

「可愛くないから。あの、白雪ちゃんって呼んでもいいですか?」

「ああ、僕は構わないけど……これからよろしくね、彩夏」

 戸惑ってる白雪ちゃんも、初めて呼んでくれた名前のことも、ずっと忘れない。

 あたしと、白雪ちゃんだけがいればいいのに。

 

 ※ ※ ※


 アイドルになって二年、あたしは中学三年生。プリズムアイズはあんまり売れなかった。

 

 センターは、あたしじゃなかった。それは別にいい。だって白雪ちゃんは、あたしより綺麗だし、可愛いし、かっこいし、歌もダンスも上手だ。

 それに、一番人気もあるし。白雪ちゃんがセンターじゃない世界の方が間違ってる。


 アイドルは想像してたよりもずっと過酷で、厳しくて、泥と汗と嫉妬にまみれて煤けていた。おかしとピンクとレースとフリルとリボンでラッピングされた『かわいさ』はそこにはなくて、あああたしは間違えちゃったんだなって漠然と思った。

 間違えちゃったけど、あたしはもう合格しちゃってたから。それに、アイドルになって、舞台の上に行ったら、意外と楽しくなっちゃって、もうやめられなくなってた。

 歌もダンスも、やればやるだけ上手くなって、あたしはどんどんあたしを好きになった。


 あたしと、白雪ちゃんだけいればいい。世界も。アイドルも。でも現実はそうじゃない。

 

 プリズムアイズは4人のメンバーで構成される日本のアイドルグループ。

 そう、だからあたしと白雪ちゃん以外にもニ人メンバーがいるのだ。

 王子様系担当、絶対不動のセンター白雪ちゃん。可愛いみんなの妹担当のあたし。

 それと、最年長のお姉さん担当、桜木春(さくらぎはる)。あたしと姉妹コンビで売ってる。

 

 あと、1番チビで、不人気で、地味なくせに社長の趣味で白雪ちゃんとセット売りされてる海辺真魚。こいつが嫌い。あたしの敵。こいつさえいなければ、あたしが白雪ちゃんの隣にいられたのに。

 

 社長の提案で今年の春から始まった『百合営業』が全部の発端。

 

 春から夏へと移り変わる三ヶ月の間、この馬鹿げた提案のせいで、あたしはレッスン中も、ライブでも、恋敵と白雪ちゃんがイチャイチャしてるところをずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと見せ続けられる。

 拷問みたい。

 見るたびずっと、胸の内が熱くなって、胃の奥から何かがせり上がってくる。

 

 ステージの上でサイリウムの光をぼんやり見ていた。色とりどりの光が、規則正しい隊列のようにゆらゆらと揺れる。

「だいすきだよ」

 白雪ちゃんがいう。

「私も、だよ」

 真魚が白雪ちゃんから目を逸らして、マイクに乗るか乗らないかの小さな声で答える。

 

 それにファンが湧く。社長の戦略に踊らされてるだけなのに。百合営業、っていう同性間の仲の良さを匂わせる、ただのお芝居なのに。

 こんなの全部、嘘っぱちなのに!って、振りも歌も忘れて叫び出してしまいたくなる。でも、観音坂彩夏は、アイドルだから。みんなの妹は、笑顔でお姉ちゃんの春と仲良さそうに踊る。

 馬鹿みたいに、踊る。

 スポットライトの光も、ガンガンなる音響も、肌をビリビリと焼くようなファンの視線も、全部嫌い。捨てちゃいたい。

 白雪ちゃんだけを、見てたいのに。

 


 ※ ※ ※

 

「彩夏、今日は調子が悪かったの?」

 夜、ライブ終わった後、白雪ちゃんからそう連絡が来た。それだけであたしの心はふわふわ浮き立っていく。あーあ、こんなことで幸せになれるなんて、あたしは本当にお手軽。

 ライブの後の水分を失った体が、蒸し暑さでさらに消耗する。

「大丈夫、少し疲れが溜まってただけだよ。心配しないで」

 あたしは即座に返信する。そして、行きたくないけど、約束の場所に向かった。

 

 

「いらっしゃいませ〜一名様ですか?」

「あ、あの、知り合いが先に来ているはずなんですけど」

「はーい、お席ご案内しますね」

 ライブ会場から少し離れた駅のファミレス。夕ご飯どきのピークが過ぎているせいか、客足はまばらだ。あたしはキョロキョロと店内を見回して、そいつを探した。

 「遅い」

 ひどい仏頂面で、そいつはアイスコーヒーを啜った。机の上にはドリンクバーのグラスと、ホット飲料用のマグカップが数個あって、いかにそいつが長い時間あたしを待っていたのかがわかった。

 黒いオーバーサイズのシャツに、大きな黒縁のメガネ。黒髪を後ろで括っているので、真面目な学生のような印象になる。このクソ暑いのに黒まみれのコーデ。見てるだけで熱中症になりそう。

 桜木春は、うざったそうに前髪をかきあげるとこれみよがしにため息をついた。

「仕方ないじゃん、あんたと一緒に出てくとファンにバレやすいんだから」

 ボックス席の対面に腰掛けると、あたしはメニューを見ながら言った。

「でも、約束の時間より十五分も遅刻してる」

 コツコツと、責めるように春はテーブルを爪で弾く。嫌な音、怒るにしてもネチネチ言ってきてほんと嫌味ったらしい。

「そ、それは……電車が遅延してて」

「なら連絡くれればいいでしょ、あんた一応仮にもプロなんからさ」

 何のためにこれがあんの、と春は自分のスマホをコツコツと突いた。

「うるっさ、小言おばさん」

 あたしがぼそっと呟くと、春は舌打ちをした。

「図星だからって、謝りもせず言い訳ばっかり。だから真魚に白雪取られんだよ」

 そして、今一番聞きたくないセリフを言った。絶対わざとだ。

「〜〜!!!!!!!!!うるさいうるさい、しね!」

「静かにしてよ、ここ公共の場所なんだから」

「ぁ、いつか、絶対殺す、絶対」

「はいはい、なんか食べる」

「チョコパフェ!」

「自分でここから頼みな」

 春から受け取ったタブレットで注文して、あたしはやけパフェを決めた。

 

 ※ ※ ※

 

 『プリズムアイズ』は、爆発的に売れているとは言えない。けど、まあまあ、全くファンがいないとかライブに客が入らないとかではない。

 ただパッとしない、地味。歌もダンスもメンバーの平均的なレベルは高いはずなのに、なんか噛み合わない。向いている方向性がバラバラ。

 事務所も弱小とは言わないまでも、大手というわけでもない。収益が出ないコンテンツをいつまでも生かしておくような、余裕があるわけでもない。

 

 

 今年の三月ごろ、あたしと春は社長室に呼び出されていた。

「起爆剤が欲しいの」

 と言ったのは社長だった。それで、提案されたのが『アイドル同士による百合営業』だった時は正直、ふざけてんの?とも思った。 

 社長が具体的なプランと、今後の展開について喋る。

「あの、社長。あたしユリエイギョ〜?ってやつやるなら白雪ちゃんとがいいです」 

「ああ、駄目よ。白雪は真魚と組むってもう決めてるし」

「えぅ!?な、何でですか!?あたしと白雪ちゃんなら、人気投票一位と二位でお似合いじゃないですか!」

「いや、正直あんたと白雪だとキャラ属性盛り過ぎテンプレコテコテ過ぎてちょっとあざといのよね。その点、真魚は地味だし、平凡だから白雪の個性を食うこともない。むしろ、相乗効果でさらに白雪の魅力を引き出すでしょう」

「そ、そんなあ……」

 ガックリとあたしが肩を落とすと、社長はケロッとした調子で言った。

「まあ、ほら、仕事だから。アイドルとして消費されるなら、多少の理不尽は飲みこみなさい」


「いやです!絶対嫌!だって、春って性格悪いし、口悪いし、優しくないし、あたしのこといつも馬鹿にするんですもん!」

「……だってよ春」

「はあ……まあ、私もこんなクソガキの相手嫌ですけど」

 春は咳払いすると、にっこりと笑顔を作って私に言った。

『よろしくね、彩夏ちゃん?』

「キッモ!そのキャラ作りやめろよおばさん!」

「うるさいクソガキ」

 キャンキャンとやり合うあたしたちを見ながら、社長は呑気に「青春ねー」と楽しそうに笑っていた。

 

 ※ ※ ※

 

 桜木春は『プリズムアイズ』では最年長の二十一歳。おっとりとしたお姉さんキャラとは裏腹に、抜群の歌唱スキルでプリズムアイズを支える縁の下の力持ち。

 少々天然な一面もあるが、メンバーにもみんなの頼れるお姉さんとして慕われている。 

 っていうのが表向きのこいつ。実際は超性格悪い。

 すぐあたしのこと馬鹿にするし、あたしがステージでミスするとチクチク指摘してくるし、あたしが何しても上から目線でああしろこうしろ口出してくる。

 とんでもないレベルの猫被りぶりっ子のくせに、ファンにはそれを徹底的に隠してるのもあざとくて嫌い。

 あたしのことも裏では呼び捨てするくせに、ファンの前では「彩夏ちゃん」呼ばわり。

 

 社長室の一件から数日後。あたしは、事務所で春と対峙していた。

 

「あんたと仲良くするなんて、たとえ演技でもお断りなんですけど」 

 昨日のことを社長に抗議したけど結果は散々。

「奇遇だね、私も同じこと考えてた」

「真似すんな!キッモいなあ!あーあ白雪ちゃんとが良かった。そしたら、あたしいくらだって演技できるのに……」

「……あんたの場合はそれ演技じゃなくてガチでしょ」

「そうだけど?それが何」

「おっと隠しもしないわけか、潔いね」

 春が言った。

「はー嫌だけど、やるしかないのかぁ……」

 ちらっと春の方を見た。鎖骨あたりまである長い黒髪を、ゆるく巻いて薄く化粧をして、いかにも清楚系ですと言わんばかりのお嬢様風のシャツワンピースを身に纏っている。

 偽物、本当は動きやすいパンツスタイルが好きで、髪だって短い方が邪魔じゃなくていいって言ってたくせに。白雪ちゃんと被るから、鎖骨あたりで伸ばしてるの知ってるんだから。

「失礼な奴だな、私だってあんたと組むぐらいなら白雪か真魚と組んだ方がマシだよ」

 春はぶっきらぼうに履き捨てた。

「し、白雪ちゃんはともかく、あたしが真魚以下ってどういうこと!?」

 あんな、地味でオドオドしててちっこくて何の取り柄もなさそうなやつより、あたしの方が絶対すごいのに。

「……そうやって、他人を馬鹿にして、見下して、性格ブスのとこが嫌。真魚はあんたみたいに、人の悪口言ったりしないし、ミスしたら次は絶対にそれをしないよう努力する。あんたが見下してる奴の方が、あんたよりずっと向上心がある」

 春は、強い口調でキッパリと言った。そうして、あたしを壁際に追い詰めるようにジリジリと近づいてくる。

「だから何、あたしだってちゃんとやってるでしょ?」

 ばん!と春が壁に手をついた。いわゆる、壁ドンという奴だった。春の顔は影になって上手く見えない。

「社長の指示に口答えするような奴の、どこがちゃんとしてるの?あの人はプリズムアイズの存続のために、いろいろ考えてるんだよ。それなのにあんたは自分のことばっかり。あたしが、あたしが、って。そんなんじゃ白雪に振り向いて貰えるわけない」

「あ、あんたが!あんたがあたしと白雪ちゃんのことを語るな!口出しすんな他人のくせに!」

「ハア?」

 どこから出したのか、ゴミでも見るような目で春はあたしを睨みつける。怖い、と本能的に体がすくむ。

「あんたは、もっと周りを見たほうがいいよ」

 それだけ言うと、春は椅子にかけてた上着を引っ掴んで出て行ってしまう。残されたあたしはぺたん、と床に座り込んでしばらく放心していた。

 なんで?なんであたしがあんなこと言われないといけないの?

 悔しくて、こわくて、気づいたら涙が出ていた。ぽろぽろと、床を濡らした涙を拭ってくれる王子様はここにいない。


 ※ ※ ※

 

 それから、あたしと春は姉妹コンビとしてセット売りさせることとなった。

 もともと、ファンの間でも最年少のあたしと最年長の春を『そういう』目で消費していたらしく、社長の戦略があながち間違いではないことを知る。

 

 新曲のフリで仲良く体を密着させたり、歌パートでは可愛らしく視線を合わせてはにかんで意味ありげなサインを交わす。

 MCでもことさらにお互いを褒めたて、まるで舞台の上には2人しかいないようなフリをする。

 

 馬鹿みたい、気持ち悪い。

 ファンはそんなあたしの心なんて、わかんないように「はるさやてえてえ」とか「はるさやちゃんしか勝たん」とか言う。なんだよてえてえって、あたし1人でも十分可愛いし勝たんだろうが。

 

 エゴサなんてしなきゃいい。でもやめられない。また真魚と白雪の「しらまお」コンビのSNS上でやりとりしてるのを見て、胸を掻きむしりたくなる。

 

「@白雪 寝なよ」

「@真魚 僕の夢に出てきてくれたら考えるよ」

「@白雪 何言ってんの?」

 

 別に、ごく普通の戯れ。同性同士の擬似的な恋愛ごっこ。関係性の消費。そんな偽物でも、白雪ちゃんが踏み荒らされるのが許せない。

 

 ──真魚が、白雪ちゃんの隣にいるのが許せない。


 ただの嫉妬だったらどれほどいいんだろう。あたしは結ってもらったツインテールのリボンを解いて頭をぐしゃぐしゃとかいた。

 

 女の子は、フリルとリボンとレースとお砂糖スパイス素敵なものでできている。でもあたしは。観音原彩夏は今きたなくて醜くてぐちゃぐちゃ涙と嫉妬の泥でできてる。

 

 ※ ※ ※

 

 春とは表面上、仲良くしてるけど裏ではやっぱりちくちく嫌味を言われて、馬鹿にされて、あたしの恋を否定されて。

 だからやっぱりこいつが嫌い。

 それでも、仕事だから。お仕事が終わった後には定期ミーティングと題して、今後の『はるさや』の方向性について話し合ったり、自主レッスンをしたりする。別に大したことなんてしない。

 ただ愚痴言い合ったり、やれここがダメだった。ここはもっとこうできたとあたしがコテンパンに言い負かされるだけ。

 あーあ。春が白雪ちゃんならいいのに。そうしたら何言われたって嬉しいのに。まあ、白雪ちゃんならあたしのこと馬鹿にしたりしないけど。もっと優しく手取り足取り教えてくれて、成功したらどろっどろに甘やかしてくれる。

 

 ファミレスの店内、現実。やけパフェをしたあたしは食後の紅茶を飲んでいた。ふうふぅっと息を吹きかけちょうどいい温度になるよう調整する。

「はぁ」

 あーあ、目の前にいるのが白雪ちゃんならいいのに。

「なに、人の顔ジロジロ見て」

 あたしの視線に気づいたのか、春は不快と言わんばかりにこちらを睨んだ。

 なんでこいつ睨むのがデフォルトの表情なんだろ。

「別にぃ……」

 あたしはくるくると髪をいじりながら、春から目を逸らす。

「言いたいことあるならいつでもいいなよ、おクソガキ様」

「うるせぇ猫被りババァ」

「猫被りなのはあんたも大概でしょうよ」

「あたしのどこが〜?」

「妹キャラなんて可愛いもんじゃないただのわがまま娘」

「うるさいなぁ」

「口も悪いし、メンバーの悪口言う」

「悪口じゃなくて、事実でしょ」

「……そんなんだから学校でも友達いないんじゃないの」

「はぁ〜?なんでそんなことわかるわけ。実際に見たんですかぁ?」

「見なくてもわかるよ、あんたは友達いないタイプだ」

「そんなことないもん、クラスの男子はみんなあたしのこと『かわいい』って言うし、女子だって……」

 

 彩夏ちゃんって、いつまでそのツインテール続けるの(笑)

 観音原さんって、ぶりっ子やばいよね

 性格悪そ〜(笑)

 いくら可愛くても、性格ブスだったらどうにもならないよね〜(笑)

 

 思い出すのはそんな言葉ばっかり。

 

「別にあたしの可愛さに嫉妬して、悪口言われてるだけだし。そんな奴らとわざわざ一緒に居る必要性を感じてないだけだし」  

「はいはい、負け惜しみ負け惜しみ」

「そういうあんたはどうなのよ、春」

「私ぃ?……どうだと思う」

 にぃ、と春が意地悪そうに笑った。白雪ちゃんとは全然違うけど、春もまあまあ顔だけはいい。

「どうでもいい、春が友達いようがいまいがあたしには関係ないもん」

「ふーん?」『お姉ちゃんには彩夏ちゃんがいるもんねぇ?』

「だからその気持ち悪い作り声やめてよ。……なんでそんな、素とかけ離れたキャラ作りすんの?」

 

「──本当の私をそのまま愛してもらおうなんて、無理でしょ」

「アイドルなんて、偽ってナンボでしょ。ファンが好きになってくれるなら、売れるなら、プリズムアイズの桜木春がどんな形でもいいんだから」

「どーせ、私は人気三番目の最下位ギリギリだしね?」

 

 春は自嘲するように、鼻で笑った。

 

「ま、最年長だしお姉さんで行くかーっていうただの思いつきだったんだけど、やって見たら意外と楽しかったから続けてるだけ」

 からっと春はいった。

「ふぅん、つまんない理由」

「……一言余計」

 むぎっとほおを摘まれ、思いっきり伸ばされる…

「痛い痛い痛い!」

「悪いことする子にはお仕置きだべ〜」

「やめろクソババア!」

 

 ※ ※ ※

 

「白雪のこと、まだ好きなの?」

「……そうだけど?悪い」

「別に、思うだけならいいんじゃない?不毛だとは思うけど」

 白雪には、真魚がいるわけだし。と春は続けた。

 

 そう、百合営業の一環として始まった仲良しごっこはいつしか本当になっていた。

 白雪ちゃんは、この間社長の前で真魚に告白したという。

「なんで、なんで。よりによって真魚なの……」

 あたしは大きなため息をついた。

「こんなことなら、さっさと告白しておけば良かった?」

「何度もしてる。けど、そのたび『ありがとう、僕も彩夏のこと好きだよ』って返されて終わり」

「遠回しに振られてるじゃん、可哀想だね」

「うるさい万年三位」

「図星突かれたら怒るのやめなよ、振られ女のさやかちゃん?」

「あーーー!もーー!あんたいつか絶対殺す」

「やってみなよ、出来るもんならね」

 

 ※ ※ ※

 

 その日は自主レッスンの日で、スタジオで新しい曲のフリを一通り練習しようと思ってたところだった。なのに

 

「……ゲッ、真魚」

「……彩夏」

 スタジオには先客がいた。真魚はあたしを見るなに、あからさまにバツの悪そうな表情を浮かべた。

「あの、ごめん」

 真魚は知っているのだ。あたしが白雪ちゃんのことを好きなことも、百合営業が嫌なことも。

 お優しいこと!自分は何にも悪くないのに、わざわざ謝るなんて。

 でも、あたしはそんなこと言ってやらない。

「何が?」

 あたしがそう言うと、真魚は俯いて小さくなる。

「……その、白雪のこと」

「何それ、自慢?あなたの大好きな白雪ちゃんを奪ってごめんなさいっていうマウント?」

「そ、そんなつもりじゃ……」

 真魚の顔がみるみるうちに青ざめていく。やばい、これ以上やると多分こいつ泣く。

 あたしはぱたぱたと手を振ると、仕切り直しとばかりに明るい声を出した。

「はぁ、やめてよ。あたしがいじめてるみたいじゃん」

「……あの、私」

 これでおしまいにしてやろうと言うのに、なおも真魚は言葉を連ねた。

 馬鹿なの?わざわざ墓穴掘りにいくとか。

「ごめん、ただの八つ当たり。やめてよ、これであたしがあんたをいじめたらそれこそほんとにみっともないじゃん」

 あたしは部屋の橋に荷物を置くと、真魚に向き直った。

「あの、彩夏」

 真魚は意志的にあたしを見つめた。チワワみたいにプルプル震えてクセに、強い眼差しだった。

「何?あたし、早くフリ練習しちゃいたいんだけど」

「その、良かったら一緒にやらない?」

「……別にいいけど」

 メンバー全員で通しで踊るのは一週間後の全体レッスンの日だ。白雪ちゃんも、クソババアの春も、多分完璧に仕上げて来るだろうことは容易に想像できる。

 別に。真魚に謝られたって絆されたりしない。あたしはこいつが嫌いだし、白雪ちゃんのことを奪う憎い恋敵であることには変わりない。

 それでも、あたしはプロだから。私情なんて挟まず、メンバー間のレンケーってやつができる。えらい、さすがあたし

「良かった……」

 さっきまで泣きそうになってたくせに、もう笑ってるんだから。単純なやつ。

 

 真魚はその小さな己をものともせず、大きく体を使ったダンスをする。キレだって抜群だ。

 子供の頃からずっとアイドルに憧れて、ようやく入れたのがプリズムアイズだったという。

 あたしなんかより、ずっと本気でアイドルやってる。

 あたしも、別に手を抜いてるつもりはない。あたしを推してくれるファンを失望させないために、メンバーに対しても負けないように、あたしが大好きな『可愛くて最強』のあたしでいるために。

 

 ──でも、一番見て欲しい人には、届かなかった。


 

「なんで、あんたなんだろうね」

 負け惜しみ。みっともないけど、自然とそんな言葉が口から出た。

「彩夏……なんかいった」

 でも幸い、真魚にはきこえてなかったみたいだ。よかった。

「何でもなーい、ほら、さっさとやってさっさと終わらせよ。あたし、だるいの嫌い」

「あ、うん」

 

 その後、何度も真魚とフリを合わせては、鏡の前で睨めっこした。一生懸命で、いつもは年下のあたしに何言われても波風立てないようにしてるくせに、こういう時は春と同じくらいスパスパとモノを言うから。

 ああ、本当にこいつはアイドルになるためにここにいるんだと、思い知らされて嫌になる。

 白雪ちゃんの隣に並ぶのに、何が必要だったのかなんてわかんない。

 でも。

 

「彩夏? 」

「あたし、負けないから。誰にも」

「……?う、うん。頑張ろうね、ライブ」

 意味をいまいち理解してんだかしないんだか。こいつのこういうとこほんと嫌い。

 

 ※ ※ ※

 

 スポットライトの光が、肌をチリチリと焼く。真夏の太陽のようなそれに、意識が持って行かれそうになる。顔も体も汗でベタベタで、髪がほおにはりいついて鬱陶しい。

 それでも、あたしはここに立つ。

 

 醜くて汚いはらわたを全部、全部打ち捨てて。観音原彩夏は、かわいい妹として笑顔と愛を振り撒く。

 あたしの前では、白雪ちゃんが笑ってる。その目線の先にいるのは、やっぱり真魚で。

 手を伸ばせば近くにあるのに絶対に届かないところで、二人は勝手に世界を完結させる。でも、今日だけはそこをぶち壊す。

 新曲は、叶わない恋に足掻く女の子の歌。あたしへの当てつけみたいな曲!

 あなただけ見てる。あなたしか見えない、なのにあなたは、私を見てない。

 

「あたしをみて!」

「あたしをみて!」

「あたしをみて!」


 サビのリフレイン。社長が、あたしにくれたソロパート。

 まるで今のあたしの気持ちを代弁するみたいな歌詞に、心を全部見透かされているんじゃないかと思った。春が、少しだけ驚いたようにこちらをみて、でもすぐ笑顔の仮面をかぶってあたしを支える。

 

「頑 張 れ」

 

 マイクに乗らないよう、唇だけをぱくぱくと動かし、春はあたしに言った。そして舞台の向こう側に向かって手を振った。

 

 あれ、舞台ってこんな、広かったっけ。

 いつもとフォーメーションが違うせいなのか、少しだけズレて感じる。

 

 真魚は、振りを間違えないようにと気張るあまり表情が固く、笑顔が引き攣っていた。

 それを見て、茶化すように白雪ちゃんが投げキスをする。あ、真魚が照れて真っ赤になった。

 

 ──ああ、わかってしまった。


 あたしは、ステージに立つ時も、白雪ちゃんしか見てなかった。

 春がどんな風にあたしを見てるか、真魚がどんな気持ちでそこに立つか、考えたこともなかった。

 舞台の向こう側、サイリウムが揺れる観客席にはいっぱいの笑顔。

「みんな、大好きだよ!」

 自然と、でっかい声が出た。

 あたしを推してる奴が、ブンブンサイリウムを振ってるのが見えた。

 腕がもげるんじゃないかってくらい振って、そんなに振らなくても見えてるよって言ってあげたい。

 

 

 今のあたしは、お姫様に見えるだろうか。あたしのなりたかったあたしに。

 白雪ちゃんがどんな顔してるのかは、見えない。

 そんなことわかんないけど、でも。この舞台のこと、多分一生忘れないだろうって思った。

 

 ※ ※ ※

 

 ライブが終わって舞台袖に引っ込むと、どっと疲労が押し寄せる。肩で息をするあたしに、春が近づいてきた。


「彩夏」

「何、バ…春。きょーは、もう、小言は勘弁して…ハァ」

「今日のライブ、よかったよ」

「あ、当たり前でしょ……あたしを誰だと思ってんの?」

 

「プリズムアイズの、妹担当。完全無欠のお姫様。観音原彩夏」

 春は続けた。

「かっこよかったよ、今日のあんた。やればできるじゃん」

 にっ、と大きく口を開けて笑う春は、お上品さのかけらもない。

「あんたに、褒められても……嬉しくない」

「はいはい、素直じゃないですね〜?彩夏ちゃんは」

「だからそのキモい猫撫で声やめろ!」

 やっぱこいつ嫌い。

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百合営業アイドルですが、片思いの相手には振られるし相方とは馬が合わなくてやってられません おいしいお肉 @oishii-29

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